レース4〜3ヶ月前(2004年1月
2月)
営業マンである私にとって忘新年会シーズンは一年で最も体重の増える時期である。
なんだかんだと飲み会が続き酔って帰宅した1月後半のある日、私は体重計に乗って目を疑った。
73kgこれはやばい。
ちょっとした衝撃があって、真剣にダイエットを決意した。
その後、実は何度か小学校の水泳の先生が夢に出てきて「こんな体重じゃダメだ、溺れてしまうぞ」
なんて言われ溺れる夢にうなされたことが幾度かあった。
減量プログラムの本のいくつかにも一番大事なのはモチベーションの持続ある旨の記載があり、
今回の私の場合その部分が悪夢のおかげでクリアできていた。
さて実際だが、1月は諦めて、
2月からササミ&みかんキャベツ&禁酒それに炭水化物無しと
筋トレ&プロテインで1ヶ月間で64kgまで絞った。
意外と簡単だった。
成功の鍵は、月末に64kgになっている為にはと考え、
その週になっているべき目標体重を逆算して決め予定として手帳に記入したことであったと思う。
あとはそれに向かって頑張るだけだった。
しかし営業中は常に低血糖との戦いでした。
腹が減ったら脂肪燃焼ねらいで階段や廊下を歩き回り血糖値を上げ、
それでもふらつきが出たら携帯している飴をひとつ食べるといった具合でした。
2月練習量SWIM 0m RUN 45km BIKE 130km 筋トレ 毎晩30分以上
レース 2ヶ月前(3月)
決算や春季交渉に伴う業務などが多く、何回自宅でご飯が食べられただろうか?
さらに出張も多く、練習が出来ていなかった。BIKEでは久しぶりに日曜朝の練習会に参加したが、
いつもの1週コースでみんなと周回遅れになるかと思うくらい遅かった。
しかし、相変わらず禁酒を基本、プロテイン、筋トレは継続それだけは頑張った。
3月の練習量 SMIM:0m BIKE:86km
RUN:??
レース 1ヶ月前(4月)
月初めからさすがにまじめに練習を開始した。(中旬に三男が生まれたこともあり中旬は少し休んだが)
チームアロハのメンバーの面々が通勤ランやBIKEで頑張っているのを目や耳にすることも多く
良い刺激になった。
おかげで夜中に帰ろうが雨が降ろうがあらかじめ決めた日にはアップダウンのきつい4kmのコースを
5週した。特に後半はまじめに練習した。
・4月の練習量 SWIM:0m BIKE:240km RUN:180km
レース3〜2週間前(GW期間中)
社休に加え、有給休暇を取り、長い休みをとった。
後半は、産まれたばかりの三男のこともあり大変な時期なので、嫁さんの実家に里帰りしていた。
そのおかげで家事から解放され(嫁さんが聞いたら家事なんて何もやってなかったくせにと怒られますが)BIKEでロングを乗るにはちょうど良かった。
嫁さんの実家から大分の宇佐神宮まで往復110kmを何度か走ったが、
はじめて梅干の効果を感じることが出来た。それまで塩分摂取を気にせず練習していたので、
へばることが多かったが、10kmごとに梅干をつまんでみたら、足が長持ちした。
レース1週間前
もともとSMIMにはある程度の自信があったので、
何の練習もしていなかったが、さすがにちょっと焦って月曜日に佐世保市営のプールに練習に行った。
あわよくば新調したウエットスーツ試したいものだとも思っていたが、それは無理だった。
しかしラッキーなことに佐世保トライアスロンクラブのFさんも練習に見えていて ナイスなアドバイスを
頂いた。私の手の動きで無駄が多く力が入りすぎてガチガチの泳ぎになっていた様である。
これはヤバイともうちょと焦ってきた。
水曜日には仕事を16時で終わらせ、川棚で40分くらい泳いだ。
もっと泳ぎたかったが、くらげが多く気持ち悪くて終了。
でもウェットスーツの調子は問題なしだったことを確認でき安心した。
また、完璧なはずのバイクのパーツチョイスも気になって、
瀧本さんに相談したり、また準備するものに忘れ物や足りないものがないかも気になって
インターネットでチェックしたりもした。
Fさんからのアドバイスでスペシャル用のクーラーBOXも準備した。
結局これで準備バッチリではあったが、足りないものはどうやら練習だけだったようだった。
ここら辺から悪あがきで、練習不足ならさらに物に頼ろうと思い、
川下スポーツでランのウェアやシューズ、耳栓等を購入した。
シューズは最も足への負担が少ないもの選んだ。
ランニングシャツは汗をすぐに乾かしてくれるシャツでかつ有名選手のサインをしてもらえるように
白の無地を選んだ。シューズは十分にかかとやひざやつま先の負担を軽減して選んだ価値があったが、
実はサインねらいのシャツのほうは
タイムの遅かった私にとって有名選手と会うチャンスなどあろうはずもなく、
結局誰のサインも入らず無地のままだった。もっと派手なアロハTシャツにすればよかったと思った。
レース2日前
8時半にチームアロハのTさん車に拾ってもらい
同チームHさんの自宅にキャンピングカーを取りに行った。
5速ミッションの車で幅も大きいので少し緊張したが、無事に、とてもアロハの似合うSさん宅に到着。
ひと休憩して長崎港にむかう。12時40分発のフェリー乗り場には多くの参加者が来ていた。
窓口で乗船券を買い昼食をとった。フェリーの中では皆さんゆっくりしていたが、
私は少し緊張していた。そのせいか船酔いしそうだった。
船酔いしない為には、横になっているのが一番らしく、随分の間横になっていた。おかげで16時50分に
福江に着いたときには何とも無かった。
さて福江入りし、仕事の都合上AIR便で福江入りしたHさんと合流し、
いよいよ福江市文化会館へ登録をしにいった。このときはかなりわくわくした。実際受け取った荷物の中に話に聞いていた島の皆さんからの応援メッセージが入っていた。
空けると3通あり、どれも中学生の女の子からのものだった。
我が子からの応援メッセージのように嬉しかった。そのときにTVの取材も受けた。
それまでは心の片隅で参加する事に意義があるなんて思っていたが、
このときに絶対に完走しようと思った。
受付終了後すぐに移動してコンカナ王国の温泉でひと汗流した。
アロハのみんなもそれぞれの職場等の旅行でコンカナ王国に来たことがあったので、
懐かしかったようだった。その後すぐに中央公園のカーボパーティーに参加した。
すでに大勢の選手が来ていた。みんなが並んでいる中に有名選手の皆さんを見つけて感激した。
しかし、パーティーなのに固体のカーボだけで泡の出るカーボはどこにも見当たらなかった。
仕方がないので持ち込みビールで乾杯したが、そんな選手は我がチームアロハだけでした。
カーボパーティー後も公園駐車場のキャンピングカーで一杯。
10時になったので、タクシーに来てもらいBIKEをつんで宿泊先にチェックインした。
遅くなったので、すでに同室のKさんは部屋でくつろがれていました。
いろいろとアドバイスを頂きながら、いまさらながら練習不足を悔いていました。
レース前日
〜限られた準備期間〜