BGMは、二高「波の唄」、副題にー海の勇者を悼む 1934年12月28日 松島湾の鬼と化せる若き友に捧ぐーとある。
船岡城址・白石川堤の桜
平成20年4月、松島の瑞巌寺・臥龍梅を見に行ったついでに、仙台で仙石線から東北本線の鈍行に乗換え、残雪の蔵王連峰を背景に一目千本桜として人気の高い船岡城址公園と白石川堤の桜を見て帰りました。 桜の時季ともなれば、JR列車も船岡駅・大河原駅間では速度を落とし、延々と続く桜並木を車窓から堪能してもらおうと乗客にサービスします。 |
船岡城址の桜
船岡城址公園は、明治維新まで柴田氏の居館跡であるが、柴田氏の前は、原田甲斐の居館。山本周五郎の小説「樅の木は残った」で一躍有名になった。 山頂までは、中腹から全長305mのスロープカー(一種のモノレール)が出ている。当日は、このスロープカーに乗ろうとする人が長蛇の列をなしており、これに乗るのを諦め、きつい坂を徒歩であえぎ喘ぎ山頂(本丸跡)まで登った。 本丸跡には平和観音像(高さ24m)が立っており、残雪の蔵王連峰を見渡せるということだったが、残念ながら当日は霞が立ち込め眺望できなかった。 しかし、眼下の白石川堤の桜は、まさに一目で千本、よく見えた。 |
桜は、ほとんどがソメイヨシノで五分咲きから七部咲き、見頃といえよう。 昨年は、ウソという鳥に花の芽を食われ、船岡城址の桜は、全滅状態であったと聞くが、今年は桜も咲き、12日は土曜日で見頃とあって、家族連れで大変賑わっていました。 「船岡城址公園」という門の中は、三の丸跡。萬朶の桜の下では、歌や踊りのアトラクションが行なわれていました。 桜の季節、この日ばかりは、「樅の木」は、すっかり忘れられたようで、遊客は、桜に酒に酔っていました。 |
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白石川堤の一目千本桜
白石川堤の桜は、延々8キロに及ぶというが、東北本線船岡駅から大河原駅の間、3キロが有名である。 大正12年大河原町出身の高山開治郎が東京・飛鳥山公園のような桜の名所を故郷に再現しようと「愛郷奉仕の念止み難く桜樹一千余本時価四千円」を寄付したのが、白石川堤の桜の始まりといわれています。爾来75年、桜樹は見事に花咲かせ、吉野山の桜にも匹敵する「一目千本桜」として世に知られる桜の名所となりました。 |
桜はほとんどがソメイヨシノ(一部にシロヤマザクラ)で、樹齢は約80年。これだけの桜の大木が船岡駅付近から大河原駅付近まで3キロ続く。ブラブラ歩いて約1時間かかる。私の訪れた12日は、晴れてはいたが、蔵王方面に雲がかかり、また春霞のため、残念ながら期待しいていた残雪蔵王をバックにした「一目千本桜」の写真は撮れなかった。 堤の下におり、妻が朝早く起きて作ってくれた高菜のおにぎり(故郷紀州の「めはり寿司」)を食べながら、白石川の流れと川向こうの桜並木と、遙か彼方の雲間に微かに見える蔵王の残雪を満喫してきました。 |
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大河原駅から東北本線の鈍行で福島へ。福島駅で土産を買って、東北新幹線で帰宅した。車窓からは遠く残雪頂く山々が通り過ぎ、麓に桜、桃などの花々が咲いていた。秋の紅葉といい、冬の雪景色といい、車窓に展開する東北の景色を私は好きだ。さらにそれを肴に缶ビールを一缶飲めば、極楽極楽である。 |
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