旧制第一高等学校寮歌解説
草より明けて |
大正13年第34回紀念祭寮歌
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1、草より明けて草にくれ 今荒れ果てゝ風吹けば 和樂のとよみそれならで 空行く雲に蕭々の 調も高き廢墟かな 3、嘆けど今や如何にせん かへす術なき 手琴の糸も切れ果てゝ 殘響遠く消ゆるとき 憧憬罩めてありし日の 丘を偲ぶも涙だかな 5、嗚呼傳統よ 昔の姿それは夢 星の光もうすらぎて 闇の |
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昭和10年寮歌集で、「とーよみ」(4段2小節)の「とー」にスラーが付されたが、他に変更はない。 |
語句の説明・解釈
大正12年9月1日、関東大震災が発生した。学校・寮とも建物はすべて倒壊と出火を免れ、死傷者もなかったが、損傷多大、特に本館は亀裂が甚だしく使用に絶えず、校外では生徒2名が遭難死亡した。水泳部の合宿所詠歸寮は倒壊、端艇部の艇庫は奇跡的に類焼を免れた。学校は臨時休校としたが、10月22日から開校した。10月9日、地震で傾いた一高のシンボル、本館時計台は爆破された(建築後30年)。 |
語句 |
箇所 | 説明・解釈 |
草より明けて草にくれ |
1番歌詞 | 太陽が草から昇って草に沈む広大な武蔵野は、古くから月見などで親しまれてきたが、大震災後は荒れ果ててしまい、すさんだ風が吹いているので、以前のように大きな声を出してみんなで楽しむことなどなくなってしまった。武蔵野は、空ゆく雲ももの悲しく、風が大きな音を立てて吹き荒れる廃墟となってしまった。 「草より明けて草にくれ」 「草より出でゝ草に入る」と武蔵野は月を詠むものが多いが、「草より明けて草にくれ」とあるところから太陽のことか。 「草より出でゝ草に入るとは武蔵野の 「草より出でて草に入る 月をも見けん武蔵野の」(明治35年「木の芽も春の」5番) 「草より草に沈み行く 片われ月の武蔵野に」(大正6年南寮「若紫に」3番) 「和樂に古りし武蔵野や 今荒れ果てゝ風吹けば 和樂のとよみそれならで」 「和樂」は、やわらぎ楽しむこと。うちとけ楽しむこと。「わらく」とも読む。「ならで」は連語。断定の助動詞ナリの未然形ナラに、打消しの助詞デの接した形。・・でなくて。・・・以外に。 「坤に和樂のとよみあり」(大正6年「若紫に」1番) 「空ゆく雲に蕭々の 調も高き廢墟かな」 「蕭々」は、ものさびしく風や雨の吹くさま。ものさびしいさま。「調も高き」は、風の音。「廢墟」は、関東大震災で廃虚と化した東京。 「空銷魂の雲迷ふ」(大正2年「春の思ひの」1番) |
2番歌詞 | 土をかけ水をやって育てた木も今や苔が生した大木となり、向ヶ丘も年をとった。年も月も日も経つのは、足の速い白駒が朝に夕に駆け抜けるように早い。時計台が取り壊しにあって悲しい思いをしてから随分と月日はたったが、爆破された時の爆音は今も耳を離れず感無量である。 「培の木に苔むして 齢かさねしこの丘よ」 「培の木」は、土をかけ水をやって育ててきた木。自治を喩える。「丘」は向ヶ丘。 「『培ふ』は草木を育てること。『培の木』は丘に育ててきた木。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「いそしむ窓に植ゑおきし 櫻も今は丈のびて 若き二十となりにけり」(明治43年「藝文の花」5番) 「老いゆく年も月も日も 只白駒と朝夕 」 「白駒」は、白い毛の馬。日光また歳月。ここでは、歳月の過ぎるのが白駒が駆けるように早いの意。 「そのかみ遠き物思ひ 破壞の羽音の今無量」 「そのかみ」は、事のあったその時、昔。「破壞の羽音」は、時計台の爆破。 「10月4日、工兵隊は盛に前教官室に火薬を充填すべき穴を穿てり。此の頃至る處に爆音を聞く。寮生も今を名殘と時計臺に登るもの多く、皆感慨に堪へざるものゝ如し。森川町代表來り、爆破の被害を恐れてこれが中止を迫ること屢々なりしが、9日遂に第1回の爆破を行ふ。轟然天を衝く爆音に、三十年來榮の歴史は一時に消失せしかと覺えて、感慨無量轉た去るに忍びざりき。嗚呼斯くして時計臺は遂に滅びたるか。」(「向陵誌」大正12年) |
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嘆けど今や如何にせん かへす術なき |
3番歌詞 | 爆破された時計台をもとの姿に戻す術とてないのだから、嘆いてみたところで、今やどうしようもない。爆破の羽音を奏でる手琴の糸も切れてしまって、残響が遠のいて聞こえなくなる時、すなわち爆破の音も記憶から消えようとする時、寮生が誰しも一高のシンボルと憧れていた、かっての時計台が聳え立つ向ヶ丘の姿は、涙なしでは偲ぶことが出来ない。 「かへす術なき破壞の跡」 「かへす術なき」は、昔のありし姿に戻す術がない。「破壞の跡」は、時計台の爆破された跡。 「手琴の糸も今切れ果てゝ 殘響遠く消ゆるとき」 「手琴の糸」及び「殘響」は、嘆きを奏でる手琴の糸か、時計台の爆破の音を奏でる手琴の糸か。2番の「破壞の羽音」を承けると解し、後者の意とする。 「憧憬罩めてありし日の 丘を偲ぶも涙かな」 「憧憬罩めて」は、寮生が誰しも時計台を一高のシンボルと憧れていた。 |
古 |
4番歌詞 | 時計台は、昔を偲ぶ心のよりどころであったので、時計台がなくなったのは誠に残念無念だ。時計台のことを思うと、心が千々に乱れて気がふれんばかりになる。その乱れた心を笛の音に吹けば、笛の音はひとしお悲しそうに響いて果てしなく広い空に消えて行った。 「古偲ぶよすがとて」 「古偲ぶよすが」は、一高の昔を偲ぶ手がかり、よりどころ。 「むかし偲ぶのよすがとて」(明治41年「としはや已に」5番) 「深きうらみにむすぼゝれ 亂れて物に狂ひよる 心を笛の音に吹けば」 「深きうらみは、時計台がなくなったことを残念無念に思うこころ。「うらみ」は、いつまでも不満に思って忘れないこと。「むすぼゝれ」は、心が鬱屈した状態になる、訳が分からなくなる。昭和50年寮歌集で「むすぼほれ」に変更された。「物に狂ひ」は気がふれて。「よる」は、「震る」と解したが、あるいは「搓る」(ねじり合せて一本にする)か。 「調もいとど悲しらに 今幽渺の空に入る」 「いとゞ」は、ひとしお、ますます。「悲しら」は、かなしそう。ラは状態を表す接尾語。「幽渺」は、果てしなく広い。 「聲幽渺の空に入る」(明治40年「春蟾かすむ」6番) |
嗚呼傳統よ |
5番歌詞 | 一高の伝統そのものであった時計台は、いまや爆破され瓦礫となってしまった。三十三年の間、一高生が朝な夕なに仰いできた思い出深き時計台も、昔の姿は夢の中でしか見ることが出来なくなった。星の光が消えようとする夜明け近く、朝風の草ずれの音が、恰も闇の息吹のように霊妙に響いている。 「嗚呼傳統よ形骸よ」 「傳統」は、時計台そのものが一高の伝統を象徴していた。「形骸」は、爆破され瓦礫になってしまったこと。 「思ふに我等が意氣を象徴し、我等が自治の指針たりし彼の森厳たる時計臺を失ってより、向陵が昔日の面影無く蕭條として晩秋のそれに似たり。四綱領は如何に、理想の自治將何處ぞ。夫れ傳統の尊むべきは固より之を知る。然りと雖も之に溺るゝべからず。之に縋るべからず。殷鑑遠からず。見よ隣邦の支邦を。虚偽の殿堂は之を捨てよ。空しき形骸は之を破壞せよ。而して溢るる意氣と、敬虔なる熱情と、絶大なる努力とを以て汝自身の生活を創造せよ。創造の努力。嗚呼絶えざる創造の努力をせよ。」(向陵誌」大正14年) 「思ひ出深き時計臺」 「一高も本館爆破の運命に至り、三十三年の間、向陵の三年の生活に來り散じ行きし若人の胸に偉大なる感銘を與へし、かの時計臺も最早唯我等の思出の中にのみ見出すを得るに至れり。」(「向陵誌」辯論部部史大正12年度) 「星の光もうすらぎて 闇の息吹の草摺れの 音に靈の響あり」 「星の光もうすらぎて」は、夜が白々と明けるに従い、星の光が消えてゆくこと。「闇の息吹」は、夜明けの風を闇の息吹に喩える。 「夕べ魔神の荒ぶとき 闇の息吹は野分して」(明治40年「春蟾かすむ」2番) 「乾に靈の響きあり」(大正6年「若紫に」1番) 「さ霧の闇に草摺れの」(明治36年「綠もぞ濃き」4番) |
さはれ今年の春は來ぬ 宴の筵敷かば敷け つきせぬ怨世にあれば 世の人皆の |
6番歌詞 | そうはいっても今年も紀念祭の時期がやってきた。関東大震災で大被害を蒙って、世の人は皆、深い愁いに沈んでいる時に、紀念祭の祝宴をやるというならやってもいい。しかし、友よ、今は、酒を飲んで寮歌など歌っている場合ではない。大震災に遭って悲しみ苦しんでいる人達の声に耳を傾けようではないか。 「さはれ今年の春は來ぬ」 「春」は紀念祭の時期。 「宴の筵敷かば敷け」 「宴の筵」は、紀念祭の祝宴。時計台が爆破されて、一高のシンボルがなくなった今、紀念祭などよくやる気になったものだの意。 「つきせぬ怨世にあれば」 時計台の爆破はもちろんのこと、関東大震災による大被害をいう。 「世の人皆の面それに」 「世間の人みなの顔それぞれに、の意か。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「悲しみの曲友よ聞け」 「悲しみの曲」は、寮歌ではなく、大震災にあって悲しみ苦しんでいる人々の声。 |