旧制第一高等学校寮歌解説

暁星の光消えゆき

大正13年第34回紀念祭寮歌 

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         追憶(おもひで)
曉星(あかぼし)の光消えゆき   立ち罩むる狭霧うすれて
幸多きわが搖籃(ゆりかご)に   めぐり來ぬ紀念のまつり
草枕いくつ重ねし    丘の()眞理(まこと)へのたび
來し方を顧みすれば  追憶(おもひで)のきよきかずかず
語りては盡きぬおもひに 嘆きてし宵やいくたび
寂寥(さびしさ)におのれを泣きて 漂泊(さすらひ)し友もありしか

          希望(のぞみ)
窓に滿つ陽光(ひざし)はあれど 身を()べむ小草は敷けど
丘の日を(きよ)く守り來し  時計臺仰ぐすべなし
(かげ)の青く煙る夜    わがおもひしゞにみだれて
更けゆくを(いね)もやらぬに 誰が歌ぞ(かな)し草笛
去りにしを恨まずもがな みなぎれる希望(のぞみ)はあるを
刻めかし若き力を     汝が(たま)不壞(ふゑ)聖龕(みづし)

           饗宴(うたげ)
空虚(うつろ)なる誇は追はじ   かい捨てむよしなき智慧は
烏滸なれや聖めけるを  若き日の返し難きに
たまゆらの三年のちぎり 去り行かばかなしきものを
わが君よせめて語りね  ありし日の精神(こゝろ)記念(かたみ)
さらばよし祭の饗宴(うたげ)    自治燈の灯影に集ひ
ことほがむ美酒(うまき)をくみて  高誦せむ今宵のかぎり
昭和10年寮歌集で、調が変ロ長調からニ長調に変ったが、メロディーは同じである。上の楽譜を見てわかるように、各段のリズムは全く同じである。歌詞を最後まで歌うとしたら、これを何回くりかえすことになるのか、考えただけでも気が遠くなる。滅多に歌われることはないが、歌ったとしても、追憶の部だけで、あとの希望・饗宴の部は歌わない。
 作詞は、「日本百名山」の著で有名な深田久彌である。「烏滸なれや聖めけるを  若き日の返し難きに」(饗宴)など、若き日の深田久彌の思想の一端を窺うことが出来て愉快である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
曉星(あかぼし)の光消えゆき 立ち罩むる狭霧うすれて 幸多きわが搖籃(ゆりかご)に めぐり來ぬ紀念のまつり
草枕いくつ重ねし 丘の()眞理(まこと)へのたび 來し方を顧みすれば 追憶(おもひで)のきよきかずかず
語りては盡きぬおもひに 嘆きてし宵やいくたび 寂寥(さびしさ)におのれを泣きて 漂泊(さすらひ)し友もありしか
追憶  明けの明星の光が消えて行き、向ヶ丘に朝が来て、立ち込めていた霧が晴れた。幸多いわが故郷向ヶ丘に、紀念祭の日が巡って来た。
 向ヶ丘に登って、真理を追求して一体どのくらい旅を続けてきたのだろうか。今、来た道を振返ってみると、清い思い出の多いことか。
 思い出は語っても尽きないが、真理追求の厳しさ辛さに、幾度嘆いたことがあったか。己の身の淋しさに堪らず泣いてさ迷った友もあったことだなあ。

「曉星の光消えゆき」
 「曉星」は、明の明星。「光消えゆき」は、朝が明け、太陽が輝き出したということを意味する。

「幸多きわが搖籃」
 「搖籃」はわが故郷向ヶ丘。真理の追究、人間修養を通じ、自分を育ててくれた場所という意で、わが魂の故郷と同じような使い方である。
 「あたかも幼児の育つ原点として『搖籃』が考えられるように、一高生にとってはじめて人間性に目覚め、そこから真実な生き方を求めて歩み出したところとして、『揺籃』といっているのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「遠く吾等が思想揺籃の地たる鴻南の里を離れてより茲に早くも三星霜。」(山口高等学校大正13年度「鴻南に寄する歌」前詞)

「草枕いくつ重ねし 丘の上の眞理へのたび」
 「草枕」は、旅寝。「丘の上の眞理へのたび」は、真理追求の旅。一高生は、人生の旅の途中、三年間を向ヶ丘に旅寝して、真理を追究するのである。

「寂寥におのれを泣きて 漂泊し友もありしか」
 「友もありしか」と他人事のように聞こえるが、己を含めた一高生全般のことをいう。
窓に滿つ陽光(ひざし)はあれど 身を()べむ小草は敷けど 丘の日を(きよ)く守り來し 時計臺仰ぐすべなし
(かげ)の青く煙る夜  わがおもひしゞにみだれて 更けゆくを(いね)もやらぬに 誰が歌ぞ(かな)し草笛
去りにしを恨まずもがな みなぎれる希望(のぞみ)はあるを 刻めかし若き力を 汝が(たま)不壞(ふゑ)聖龕(みづし)
希望  窓辺には陽春の光が燦々と注ぎ、身を横たえることのできる若草は一面に広がっている。昔とちっとも変っていない。しかし、向ヶ丘30年の歴史を清く守ってきた一高のシンボル・時計台は爆破されて無く、今は仰ぐ術もない。
 月に霞がかかって青く光る朧月夜、我が心は乱れに乱れて、夜が更けて行くというのに、なかなか眠れない。誰が吹いているのであろうか、遠くからもの哀しい草笛の音が流れて来た。
 時計台がなくなったのは事実であり、もう恨みがましく思うのは止めにしたい。若者の溢れる希望を、いつか実現するために、若いうちに肉体を徹底して鍛え、魂の宿る健全で頑強な身体を作っておこうではないか。

「窓に滿つ陽光はあれど 身を展べむ小草は敷けど」
 「窓」は、寮室の窓。「身を展べむ」は、身を横たえる。寝っ転がる。「敷く」は、一面に広がる。
 島崎藤村『千曲川旅情の歌』 「 あたゝかき光はあれど 野に滿つる香(かをり)も知らず」「 緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず 若草も藉くによしなし 」(井上司朗大先輩が藤村、露風の詩の影響を素直に受けていると指摘した箇所と思われるところ。)

「時計臺仰ぐすべなし」
 大正12年の関東大震災で損傷し傾いた一高のシンボル時計台は、10月9日爆破された。
 「9日遂に第一回の爆破を行ふ。轟然天を衝く爆音に、30年來榮の歴史は一時に消失せしかと覺えて、感慨無量轉た去るに忍びざりき。嗚呼斯くして時計臺は遂に滅びたるか」(「向陵誌」大正12年)

「月光の青く煙る夜」
 月に霞がかかって朧に青く光る夜。あるいは、向ヶ丘に立ち込めた霧が月光に照らされて青く映える夜。月の描写とみなし前者と解す。「煙る」は、霧が立ち込めた。朧の。「青」は、夜の霧の色を表現するのによく用いられる。ここでは、「月」、「青」、「みだれ」、「哀し」と憂鬱を表現する。
 「光も消えで追憶の 青き霧降る中にして」(大正2年「ありとも分かぬ」4番)
 三木露風『ふるさと』 「ふるさとの 小野の木立に笛の音の うるむ月夜や」
 島崎藤村『千曲川旅情の歌』 「暮れ行けば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛」
 (井上司朗大先輩が藤村、露風の詩の影響を素直に受けていると指摘した箇所と思われるところ。)

「誰が歌ぞ哀し草笛 」
 誰が吹いているのだろうか、何処からともなく哀しい草笛の音が聞こえてくる。

「去りにしを恨まずもがな」
 朝な夕な仰いでいた時計台を思い出しては悲しくなるが、時計台がなくなったのは事実であると受止め、恨みがましく思わないでおこう。「もがな」は、・・・でありたい。

「刻めかし若い力を 汝が魂の不壊の聖龕に」
 この寮歌の作詞は、「日本百名山」の著者で有名な作家深田久彌である。若かりし日の深田久弥の思想を垣間見るような句である。意味は、若い力でもって、君の魂を安置する厨子を絶対に壊れないように作るべきだ。すなわち、魂は肉体に宿る。若いうちに肉体を徹底して鍛え、頑強な身体を作っておくことが肝要である。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」ということ。「かし」は、強く相手に念を押す意の助詞。「不壊」は絶対に壊れないこと。「聖龕」は厨子、仏像を安置する堂の形をした仏具。法隆寺の玉虫厨子は有名。ここでは魂の宿る場所=肉体を指すと解した。

「第二章の如きは藤村の『千曲川旅情の歌』や三木露風の『故里の小野の木立に』の影響などを素直にうけている」(井上司朗大先輩「一高寮歌解説書」)
空虚(うつろ)なる誇は追はじ かい捨てむよしなき智慧は 烏滸なれや聖めけるを 若き日の返し難きに
たまゆらの三年のちぎり 去り行かばかなしきものを わが君よせめて語りね ありし日の精神(こゝろ)記念(かたみ)
さらばよし祭の饗宴(うたげ) 自治燈の灯影に集ひ ことほがむ美酒(うまき)をくみて 高誦せむ今宵のかぎり
饗宴  中味の伴わない誇りは追わない。くだらない智慧などポイッと捨てよう。青春は二度と帰って来ないのだから、聖人のような禁欲清貧の生活など愚かというものだ。
 向ヶ丘三年のあっという間の友の契りも、過ぎてしまえば哀しいものだ。我が友よ、お願いだから、せめて語ってくれ。向ヶ丘で一緒に過ごした記念になるような、いい思い出話を。
 そうであればよし、紀念祭の宴に向おう。赤々と燃える自治燈の灯影に集まって、寄宿寮の誕生を祝おう。今宵限りの夜を、美味しい酒を汲みかわし、寮歌を高誦して楽しもう。

「空虚なる誇は追はじ」
 「『仇浪騒ぐ』の『流るゝ水に記しけん 消えて果敢なき名は追はじ』に並び称される名句とされる。ただし、その意味するところは、『若き日の返し難きに』等後の句を読めば、『若き日は再び帰らないのだから心から青春を謳歌しようではないか』と、『仇浪騒ぐ』とは意味が異なる。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)。

「かい捨てむよしなき智慧は」
 くだらない智慧などポイッと捨てよう。「かい」は接頭語。動詞について、ひょいと、ちょっと、軽く、などの意を添える。「よしなき」は、くだらない。
 「『饗宴』の冒頭の四句が意味するところが不明確だが、思うに一高生にありがちな、鋭い知性を駆使しての宗教的、哲学的思索と探究を心の『聖』らかさとして誇りにしがちな傾向を、若さゆえの取り返しのきかぬ一種の愚行として反省する気持ちの表れと解することができそうである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

烏滸(おこ)なれや聖めけるも 若き日の返し難きに」
 「烏滸」はおろか。たわけ。あほう。「聖めけるも」は、昔、聖人が禁欲清貧に過ごしたというのも。「若き日の返し難きに」は、青春の日は二度と帰って来ない。ヘルマン・ヘッセの「青春は美し」の中の言葉のようだ。
 「『聖めけるも』は、一高生が悟りすました聖者のような、あるいは理を究めた哲学者のような態度をとることを皮肉に批判する。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「わが君よせめて語りね ありし日の精神の記念」
 「ね」は希望の助詞、親愛の情をこめる。「ありし日の」は、向ヶ丘で一緒に過ごした。「精神の記念」は、別れても、いい思い出となる話。

「さらばよし祭の饗宴」
 「さらば」は、サアラバの約。それならば。「祭の饗宴」は、紀念祭の宴。

「自治燈の灯影に集ひ」
 「自治燈」は、寺院の法灯になぞらえた言葉。自治の教え。ここでは紀念祭の宴の灯をいう。
                        

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