旧制第一高等学校寮歌解説

春や加茂の

大正13年第34回紀念祭寄贈歌 京大

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1、春や加茂のさざなみに  秋や比叡の月かげに
  丘邊の夢を辿りては    古き都のおばしまに
  旅の衣の袖重し      靑雲遠き帝郷の
  空のかなたにたまやとぶ
*「さざなみ」は昭和50年寮歌集で「さゞなみ」に変更。

2、思で馳する去年(こぞ)の夏   丘に制覇の聲きけば
  紅の歌さながらに     挽歌のごとく衰へて
  神樂が丘の夜の雨    見よ凄悵の色深く
  われらの夢も安かりき
*「思で」は昭和10年寮歌集で「思出」に変更。

3、魔神のすさび大地(つち)震ひ  焰の嵐に跡もなし
  柏の森に時告げし     高樓今は消え失せて
  恨むか咽ぶ宵闇に     八城姿變らねど
  漂ふ雲の影くらし

4、ああ向陵の若人よ     廢墟の嵐を何と聞く
  宴の春は淺けれど     大空高く照る月は
  語るか丘の三十四     今その昔慕ひつゝ
  送る斯文(しぶん)の花一朶
*「ああ」は昭和50年寮歌集で「あゝ」に変更。
昭和10年寮歌集で、「たーびの」(5段1小節)、「そーらの」(7段1小節)の1・2音にタイが付された。その他は変更なし。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春や加茂のさざなみに 秋や比叡の月かげに 丘邊の夢を辿りては 古き都のおばしまに 旅の衣の袖重し 靑雲遠き帝郷の 空のかなたにたまやとぶ 1番歌詞 春は加茂川のせせらぎを眺め、秋は比叡山の月を眺めながら、一年中いつでも向ヶ丘で過ごした楽しかったことを懐かしく思い出している。かって江戸と京都を往来した東海道の西の起点であった三条大橋に佇んでは、わが故郷向ヶ丘への郷愁が募って、気分が重くなる。我が魂は東の空遠く、球を打つバッのト響きが鳴り渡る帝都の故郷へと飛んで行く。

「春や加茂のさゞなみに 秋や比叡の月かげに」
 春の加茂川、秋の比叡山の月を出して、一年中、いつでもの意。「加茂」は加茂川、下鴨神社辺りで高野川を合流して鴨川となる。「比叡」は比叡山。「さざなみ」は、昭和50年寮歌集で「さゞなみ」に変更された。

「丘邊の夢を辿りては」
 「丘邊の夢」は、向ヶ丘三年の思い出。大学のある京都から向ヶ丘を切々と懐古しているのである。

「古き都のおばしまに 旅の衣の袖重し」
 「古き都」は、遊学中の京都。「おばしま」は、欄干。三条大橋(旧東海道五十三次の西の起点)か五条大橋(旧国道一号の通過橋)のことか。ともに東京に通じる道である。「旅の衣の袖重し」は、旅装束が重い。旅の足取りが重い。すなわち遊学中の京都で感じるもの哀しさ、旅愁をいう。

「靑雲遠き帝郷の 空のかなたにたまやとぶ」
 「青雲」は淡青色や淡灰色の雲をいうが、ここでは、「空のかなた」の「空」との重複を避けるために青空の意の「青雲」としたと解す。また「青空の」は「白」にかかる枕詞であることから、雲が出ているとすれば、遙か彼方を意味することの多い「白雲」であろう。「帝郷」は、帝都の故郷、すなわち向ヶ丘。向ヶ丘は、「わがたましいの故郷」(大正5年京大寄贈歌)なのである。「空のかなたにたまやとぶ」の「たま」は、「魂」と「球」をかける。
思で馳する去年(こぞ)の夏 丘に制覇の聲きけば  紅の歌さながらに 挽歌のごとく衰へて 神樂が丘の夜の雨 見よ凄悵の色深く われらの夢も安かりき 2番歌詞 去年の夏、一高球場で行われた対三高野球戦で一高が勝った知らせを思い出す。三高野球部を応援する声は、まるで挽歌のようにしゅんとなってしまった。敗戦の報を受けた京都・神楽が丘には蕭々と夜の雨が降って、痛ましいほど、皆がっかりしていた。勝利した我らは、ぐっすりと眠れた。

「思で馳する去年の夏」
 昭和10年寮歌集で「思出」に変更された。

「丘に制覇の聲きけば 紅の歌さながらに 挽歌のごとく衰へて」
 「丘に制覇」は、大正11年7月30日、一高球場で行なわれた対三高野球戦で一高が2:1で勝利したこと。「紅の歌」は三高の應援歌。もちろん「紅燃ゆる」を含む。「神樂が丘」は京都の三高キャンパス(一高の「向ヶ丘」に対する)。
 「『紅の歌』は三高寮歌『紅燃ゆる』」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「見よ凄悵の色深く」
 戦に敗れた三高側の、いたましいほどにがっかりした様子をいう。

「われらの夢も安かりき」
 「われらの夢」は、勝利した一高側の夢。「安かりき」の「き」は、回想の助動詞。
魔神のすさび大地(つち)震ひ 焰の嵐に跡もなし 柏の森に時告げし 高樓今は消え失せて 恨むか咽ぶ宵闇に 八城姿變らねど 漂ふ雲の影くらし 3番歌詞 禍の神は、我国に何の恨みがあったというのか、荒れ狂って大地を震わし、帝都を焼き尽くした。そのため、向ヶ丘に33年の間、時を告げてきた時計台は大きく傾き、亀裂が入ったために、爆破され、今やその姿はない。八寮の佇まいは昔のままであるが、雲も時計台の姿がないことを悲しんで、月を隠してしまったので、闇夜となり、空を漂う雲の姿は暗くて見えない。

「魔神のすさび大地震ひ 焰の嵐に跡もなし」
 大正12年9月1日、関東大震災のこと。
「殺気は慘澹として六合に満ち、行人は騒擾として去就をしらず。其の状を見るもの誰か筆を擱かざらん。瓦は飛び、柱は折れ、家は倒れて叫喚の声巷に満つ。
 9月1日午前11時18分、伊豆大島附近を震源地とする大地震は、突如として東都を襲へり。忽ちにして帝都は阿鼻叫喚の修羅場と化し、黒煙濛々として天を蔽ふ。」(「向陵誌」大正12年)

「柏の森に時告げし 高樓今は消え失せて」
 「柏の森」は向ヶ丘。柏葉は一高の武の象徴。「高樓」は時計臺。一高のシンボル・時計臺は、関東大震災で倒壊こそしなかったが、亀裂・傾きが甚だしく、防災上の理由で、大正12年10月9日、工兵隊により爆破された。

「9日遂に第一回の爆破を行ふ。轟然天を衝く爆音に、30年來榮の歴史は一時に消失せしかと覺えて、感慨無量轉た去るに忍びざりき。嗚呼斯くして時計臺は遂に滅びたるか」(「向陵誌」大正12年)

「恨むか咽ぶ宵闇に」
 主語は「漂ふ雲」とすれば、雲も時計台がなくなったことを悲しんで、月を隠して闇夜としたの意となる。

「八城姿變らねど」
 「八城」は、一高寄宿寮のこと(東・西・南・北・中・朶・明・和の八棟)。「嗚呼玉杯」の頃は、五寮であったが、その後、朶寮が増え(明治37年)、東・西寮が東和・西明・の四寮に改築されて(大正8・9年)、計八寮となった。寄宿寮を自治を守る城との考えから城と称し、八寮を八城という。
 土井晩翠『春高楼の』 「天上影はかわらねど 栄枯は移る世の姿」


「漂ふ雲の影くらし」
 雲が月を隠し闇夜となったために、雲は暗くて見えない。

ああ向陵の若人よ 廢墟の嵐を何と聞く 宴の春は淺けれど 大空高く照る月は 語るか丘の三十四 今その昔慕ひつゝ 送る斯文(しぶん)の花一朶 4番歌詞 向ヶ丘の若人よ、廃虚で茫然と立ち尽くし、嘆き悲しみ泣き叫ぶ人の声を何と聞くか。今年の紀念祭の春は、春になったばかりで日も浅いが、大空に照る月は、寄宿寮が誕生した時の月と同じ月であり、34年の間、向ヶ丘で起きたことは大空高く見てきた。月に問えば、向ヶ丘34年の思い出を語ってくれるかもしれない。今、自分は、昔、向ヶ丘の思い出に思いを馳せながら、この詩文の一枝を纏めたので、記念祭寄贈歌として諸君に贈ろう。

「ああ向陵の若人よ 廢墟の嵐を何と聞く」
 「ああ」は、昭和50年寮歌集で「あゝ」に変更された。「向陵」は向ヶ丘の漢語的呼称。「若人」は一高生。「廢墟の嵐」は、関東大震災で廢墟に立ち尽くす人々の嘆き悲しみ泣き叫ぶ声。

「大空高く照る月は語るか丘の三十四」
 ずっと向ヶ丘の出来事を大空の髙くから見てきた月は、寄宿寮34年の思い出を語るであろうか。
 古今747在原業平 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」

「送る斯文の花一朶」は、この京大寄贈歌をいう。「斯文」は、この学問、この道のこだが、ここでは詩藻ほどの意。「朶」は木の枝。
 「一日本郷台、江知勝楼上に會し懐舊の情沈湎、即ち餘韻迸って数行の歌藻あり、もとより歌詞拙なく曲となるべくなし。唯掬め、在校の諸子。止みがたきわれらが衷情を。」(大正13年山口高校「鴻南に寄する歌」序) ここにいう「数行の歌藻」と「斯文の花一朶」は同じ趣旨であろう。
 「斯文はこの場合、軽く『文藻』位の意味に使われているだろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」
 「周の文王はすでに亡くなってしまったが、天はその学問・文化を孔子に伝えて滅びないようにした(『論語』子罕)。そのように、一高の伝統が滅びないために、この寄贈歌を後輩たちに贈るというのである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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