旧制第一高等学校寮歌解説

夕月丘に

大正12年第33回紀念祭寮歌 

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       幻夢
1、夕月丘にのぼりきて  敷寝の(おも)わてらすとき
  そよぐともなき橄欖の  葉臅(はずれ)の音に夢さめぬ
  狭霧ながるゝ宵なれば かざしの楯にしづくする
  金玉の露しきりなれ

2、木の間に(きら)ふ草いづみ 楯をひたせば立のぼる
  ()りし覇業の幻よ    うつゝにせんと取り出づる
  丘べの牧の柏笛    「起てよ」と吹けどすぎ易き
  三年の春をいかにせん
*「起てよ」のカギ括弧「」は昭和50年寮歌集で削除。

        暁
6、花床に夢のさめゆけば あかつき(あは)き丘の星
  さらばと立てる若人の  瞳に冴ゆる花の影
  亂舞に樂のみだれつゝ  歌おのづから空に入る
  三十三の紀念祭
*「花床」は昭和50年寮歌集で「花牀」に変更。
現譜は、この原譜に同じである。変更はない。
出だしの「夕月丘にのぼりきて」の主メロディーミレドレミラソ ラソラドソは、清純で心地良いメロディーである。一人口ずさむにはもってこいの歌である。しかし年老いた今、「狭霧ながるゝ」の次、「宵なれば かざしの」のラドシレド ドシドラが歌いづらくなった。


語句の説明・解釈

「一高寮歌私観」の著者井上司郎大先輩の作詞寮歌である。「全体的に『光まばゆき春なれど』からのヒントが認められ、『うら若ければ花の香の』『征途はとほき旅の兒ら』(第三節)、『別れといへばさびしきに』『花顔しぼまずいつか又 丘べに逢はん友と友』(第四節)などにそれが著しい。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
「第一節から第五節まで『幻想』と題され、一高生の脳裏をよぎる、さまざまな想念を幻想風に歌い上げる。いわば一高生活と夢の混沌とした世界を展開し、最後に『曉』と題される第六節で、その夢から目覚め、現実に、紀念祭の場に立ち戻ってくる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」注2)

語句 箇所 説明・解釈
夕月丘にのぼりきて 敷寝の(おも)わてらすとき そよぐともなき橄欖の 葉臅(はずれ)の音に夢さめぬ 狭霧ながるゝ宵なれば かざしの楯にしづくする 金玉の露しきりなれ  幻想

1番歌詞
向ヶ丘にのぼった夕月の光が窓辺に洩れて、寮室の床に寝入った一高生の顔を照らしている。そよそよと鳴るともない橄欖の葉擦れの音に、一高生は目を醒ました。霧が流れる夜であるので、ミネルバの神の楯に滴がしたたり落ちて、綺麗な玉の露がしきりに結んで、月の光にほのかに輝いている。

「夕月丘にのぼりきて」
 向ヶ丘の空には夕月が輝いて。「丘」は向ヶ丘。丘は1番から6番まですべての番の歌詞に登場。「夕月」は、夕方に出る月。特に陰暦7日頃までの夕方に出る月。5番に「月ほそくしてうすけぶる」また「夕弦のしらべ」とあるので、陰暦7日頃の上弦の月である。

「敷寝の面わてらすとき」
 寮室の床に寝ている顔面を照らすとき。「面わ」は面輪で顔面。上弦の月は、夕方6時頃から深夜12時頃まで見ることが出来る。
9雑歌 「望月の()れる面輪に花のごと笑みて立てれば」
 「夕べ敷寝の花の床 旅人若く月細し」(明治36年「綠もぞ濃き」1番)
 
「そよぐともなき橄欖の」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。「とも」は接続助詞。動詞であれば終止形を承けて仮定条件を示し、下文に接続する。「そよぐ」は、そよそよと鳴る。

「かざしの楯にしづくする金玉の露しきりなれ」
 ミネルバの神の楯に滴がしたたり落ちて、綺麗な玉の露がしきりに結んで月の光にほのかに輝いている。
 「かざしの楯」は、手に持って小手にかざす楯。ここでは一高の文の守り神であるミネルバの神の楯。2番歌詞に「楯をひたせば立ちのぼる 古りし覇業の幻よ」とあることから、この楯は、一高の数々の過去の栄光が記録されているデータベースでもある。「楯」は、また優勝楯を重ねる。「金玉」は、月の光をうけて輝いている綺麗な玉の露。弱々しい上弦の月の光なので、露の輝きもほのかである。
 「『かざしの楯』は、楯の位置が寝ている上にかざすようになっているのをいうか。・・・実態が捉えにくい曖昧ないいかたではあるが、尚武の精神とも関連づけられる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
「『かざしの楯』は、ここでは『楯』が出てくるのは、『橄欖 →ミネルバの神 →ミネルバが持つ楯』という連想と解すべきだろう。・・・『金玉』とは、ミネルバの神(楯)に守られて、美しい詩文の数々が生まれる様を表現したものと解した。(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
「マルスの神は矛執りて ミネルバの神楯握り 我等を常に守るなり」(明治35年「混濁の浪」4番)
「追憶の楯かざしつゝ 在りし其の日をしのぶかな」(大正14年「しろがね遠く」2番)
「橄欖の花雫すよ 花の甘汁われ吸へば 現ともなき醉心 幻の霧立ち迷ふ」」(明治36年「綠もぞ濃き」2番)
木の間に(きら)ふ草いづみ 楯をひたせば立のぼる ()りし覇業の幻よ うつゝにせんと取り出づる 丘べの牧の柏笛 「起てよ」と吹けどすぎ易き 三年の春をいかにせん 2番歌詞 木の間に低く泉のようにたちこめた霧に、一高の記録の詰まったミネルバの楯を浸すと、天下の覇権を握っていた頃の野球部の活躍が霧の中に幻となって浮びあがる。幻となった昔の覇権を今に取り戻そうと、一生懸命に寄宿寮挙げて応援したのだが、残念ながら昔を今に返すことなく三年は瞬く間に過ぎてしまった。

「木の間に霧ふ草いづみ」
 「霧(ら)ふ」は、霧リに反復継続の接尾語ヒのついた「霧らひ」(連用形)の連体形。「草いづみ」は、木の間の草むらの上に低く立ち込めた霧を泉と形容した。

「楯をひたせば立ちのぼる 古りし覇業の幻よ」
 「楯」は、既述のとおり、一高の歴史を記録したミネルバの楯。「古りし覇業」は、明治37年まで14年の間、天下の覇権を握っていた一高野球部の覇業である。幻灯機を念頭に置いて、霧に幻を映し出す。一高では明治44年に幻灯機を購入し、海外視察報告会等で使用していた。

「うつゝにせんと取り出づる丘べの牧の柏笛」
 「うつゝにせんと」は、野球部が現実に再び天下の覇権を握ること。「丘べの牧」は向ヶ丘。「柏笛」の柏の葉は一高の武の象徴。一高選手を鼓舞し応援する笛である。

「『起てよ』と吹けどすぎ易き 三年の春をいかにせん」
 「起てよ」は、頑張れと応援するのだが。「すぎ易き三年の春」は、昔を今に返すことなく三年は瞬く間に過ぎてしまった。「起てよ」のカギ括弧「」は、昭和50年寮歌集で削除された。
 「三年の春は過ぎ易し」(明治44年「光まばゆき」4番)
桂の花に月更けて 霞も匂ふ丘の上 うら若ければ花の香の おのづと胸に沁むものを 征途(ゆくて)はとほき旅の兒ら 扶搖の風に託すべき 運命(さだめ)はあるをいかにせん 3番歌詞 桂の花が咲くという月が西に傾いて夜が更けた。月光に向ヶ丘にかかった霞が映えて、美しい。一高生は、まだ若く多感で繊細な心を持っているので、霞に映える月光を見て感傷的になる。しかし、この情趣深い向ヶ丘にいつまでも居られない。人生の旅は遠く、鵬が旋風を待って飛び立つように、一高生は、如何ともしがたい運命として、三年が過ぎれば、この向ヶ丘を去らねばならない。

「桂の花に月更けて 霞も匂ふ丘の上」 
 「桂の花」は、中国で月中にあるという想像上の樹の花。月の花。「月更けて」は、月が西の空に傾く意。月は上弦の月であるので、12時近いことを示す。見え初める夕方6時頃が南中、一番高い。
「匂う」は色美しく映える。霞が月の光に映えてきれいの意。

「うら若ければ花の香の おのづと胸に沁むものを」
 「うら若ければ」は、多感で繊細な心を持っているので。「花の香」は、霞に映える桂の花の香、すなわち月光。前の句の「匂ふ」に対し「香」。香も、いい匂い、目で見る美しさ両方に使うが、月の光は匂うはずがないから、美しさをいう。

「征途はとほき旅の兒ら」
 「征途はとほき」は、人生の旅。いつ果てるともなく続く旅である。「旅の兒ら」は、人生の旅の途中に、真理追求のため、三年間だけ向ヶ丘に旅寝している一高生。 

「扶搖の風に託すべき 運命はあるをいかにせん」
 「扶搖の風」は、鵬が天に舞い上がるためにじっと待っている旋風。つむじかぜ。ここでは三年をいう。「運命」は、三年経てば向ヶ丘を去らねばならぬという一高生の運命。
 「扶搖待つ間を向陵に 籠りて成りぬ鵬の翼」(明治40年「春蟾かすむ」4番)
別れといへばさびしきに 明日は尾越になやむらん 花顔しぼまずいつか又 丘辺に逢はん友と友 吹雪に花はまかせつゝ 緑酒を酌みてたまゆらの 奇しき邂逅(であひ)を醉ひ泣かむ 4番歌詞 別れといえば淋しいものに決まっているが、世間に出たら、険しい峰越えのような厳しい試練が待っているだろう。今別れては、頬紅の顔のまま、いつか又、友と会うことが出来るであろうか。今日は紀念祭の花の宴、桜の花が風に散ろうとも関係なく、友と酒を酌み交して、向ヶ丘で出会った奇しき縁に酔って、悲しい別れに泣こう。

「明日は尾越になやむらん」
 「尾越」は、稜線越え、峰越え。世間の厳しい試練を喩える。
 「尾越の路に行きなやむ」(大正3年「ゆれて漂ふ」2番)

「花顔しぼまずいつか又 丘辺に逢はん友と友」
 「花くれなゐの顔も いま別れてはいつか見む」(明治44年「光まばゆき」4番)

「吹雪に花はまかせつゝ 緑酒を酌みてたまゆらの」
 「吹雪に花はまかせつゝ」は、桜の花は風が吹くまま散るがままに。桜の花が風に散っても関係なく。「緑酒」は、美酒。酒の美称。「たまゆら」は、ほんの短い間。
 「綠酒に月の影やどし」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)
 「花は吹雪に任すとも」(大正5年「あゝ朝潮の」4番)
 「花を吹雪にまかせつゝ」(大正3年「ゆれて漂ふ」4番)

「奇しき邂逅を醉ひ泣かむ」
 「奇しき邂逅」は、奇しき縁で向ヶ丘で出会ったこと。
 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)
またゝきの間も留まらぬ 時の流れに春は逝き  三年を秘めし若人の 斬蛇のつるぎ鞘飛びぬ 月ほそくしてうすけぶる 綠の丘にかきならす 弓弦(ゆづる)のしらべ今たかし 5番歌詞 瞬きをする間も止まらない時の流れに、向ヶ丘の三年(みとせ)の春はあっという間に過ぎて行った。一高生は、三年の間、人知れずそっと磨いてきた斬蛇の剣の鞘を抜き放った。すなわち、世間に出たら、三年の間、向ヶ丘で人知れず培った破邪顕正の心で世の不正不義に立ち向かうと武者振いした。弓張の月が霞のかかった緑の柏の丘の上を照らしている。弓取りの丈夫・一高生が勇ましく歌う寮歌は弓張りの月を奏でんと天高く響き渡る。

「またゝきの間も留まらぬ 時の流れに春は逝き」
 「春」は、三春。三年の春。

「三年を秘めし若人の 斬蛇のつるぎ鞘飛びぬ」
 「三年を秘めし若人の」は、一高生が三年の間、そっと胸にしまってきた。人知れずそっと磨いてきた。
 「斬蛇のつるぎ」は、漢の高祖劉邦が若い頃に白蛇を切り捨てた剣。あるいは素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した剣。正義を守り邪悪を切り捨てる剣、尚武の心。寮歌ではよく降魔の剣、破邪顕正の剣等というが、同じような意味であろう。
 「鞘飛びぬ」は、刀を抜き放った。尚武の心で行く手を阻む邪悪なものや不正不義を切り捨てる決意をいう。
 「彼のくちなはを屠りつゝ 彼の荊棘を刈らんとて 抜き放ちけり秋の水」」(明治36年「綠もぞ濃き」5番)
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番)
 「『斬蛇のつるぎ』は、『史記』(高祖本紀)によれば、『斬蛇剣』とは、漢の高祖劉邦が若い頃に白蛇を斬った名剣。彼が火徳(赤色)を負って天下を取るべく運命づけられていたことを示す故事である。ここでは大志を実現すべき青年の未来と尚武の精神とを表している。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「月ほそくしてうすけぶる 綠の丘にかきならす 弓弦のしらべ今たかし」
 「月ほそく」は、上弦の月は半月で、弓を張った形をしているので弓張り月ともいう。「ほそく」は、三日月でなく、半月に欠けたという意味。「綠の丘」は、濃緑の柏の茂る向ヶ丘。「弓弦のしらべ」は、弓取りの男子、すなわち武士の魂を持った一高生が歌う寮歌。「弓弦」は弓張り月すなわち上弦の月に対す。
 「夕月落ちて霧白し 夜を深緑柏葉に 橄欖の花散りかかれ」(明治36年「綠もぞ濃き」5番)
 「旅人若く月細し」(明治36年「綠もぞ濃き」1番)
花床に夢のさめゆけば  あかつき(あは)き丘の星 さらばと立てる若人の 瞳に冴ゆる花の影 亂舞に樂のみだれつゝ  歌おのづから空に入る 三十三の紀念祭  曉

6番歌詞
一高生が幻想の世界から目ざめると、向ヶ丘は夜が明けようとして、夜空にはまだ星が淡く瞬いていた。それならば、まだ紀念祭に間に合うと、立ち上がる一高生は、すっかり夢から醒め、瞳は澄んで輝いていた。乱舞に寮歌の調子は乱れるが、意気高い一高生の歌声は一つとなって自然と空高く響き渡る第33回紀念祭である。

「花床に夢のさめゆけば あかつき淡き丘の星」
 「花床に夢のさめゆけば」の「花床」は、寮生が実際に眠る床ではなく、「弓弦のしらべ」(5番歌詞最後)に幻想の世界から現実の世界に引き戻されて目覚めると、そこは第33回紀念祭であったという詩の設定。ところで、夕月(上弦の月)は、午後12時頃には沈むので、夜明けの空には月はない。「月ほそくして・・・弓弦のしらべ今たかし」の時点から、数時間後の目覚めである。この時の月は夕月ではなく、いつの間にか下弦の月に摩り替わったか。幻想の詩の世界のなせる技と納得すべきか。「花床」は、昭和50年寮歌集で「花牀」に変更された。
 「あかつき淡き丘の星」は、暁の向ヶ丘の空には、まだ星が淡く瞬いている。「あかつき」は、夜が明けようとしてまだ暗いうち。やがて白々と明るくなって、星は見えなくなる。

「さらばと立てる若人の 瞳に冴ゆる花の影」
 「さらば」は「さあらば」で、それならば、まだ紀念祭はやっている、間に合うとの意。「瞳に冴ゆる花の影」は、桜の花の影を宿して輝く澄んだ瞳ではなく、ここではすっかり目が覚めて、澄んだ目が輝いての意であろう。

「亂舞に樂のみだれつゝ 歌おのずから空に入る」
 「空に入る」は、調子の乱れた寮歌が一つとなって空に溶けこむ、高く響きわたる。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 之は、当時校友会雑誌に出す小説を練っていた私に、校外のある人から「小説を書くほどなら、寮歌の一つ位作ったら」といわれ締切三日前にとりいそぎ応募したもので、全くいうに足りない。 「一高寮歌私観」から
井下登喜男先輩 この寮歌は、各節1回づつ計6回も『丘』という文字を意識的に使用、13回『緑もぞ濃き』、24回『ゆれて漂ふ』を本歌取り。また、この歌の発表後に最初に刊行された寮歌集とその次の版とでは歌詞が違ったものになっている。井上司郎氏に確かめたところ、寮委員に頼まれて出した応募作が自分自身、気に入らなかったので、後日、全面的に書き改めたような気がするという話があった。                          「一高寮歌メモ」から


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