旧制第一高等学校寮歌解説

榮華は古りし

大正12年第33回紀念祭寮歌 

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1、榮華は古りし二千年     殿堂それは衰へて
  廢墟にむせぶ秋の風     悵恨の歌さながらに
  音蕭々と響く哉

2、行く手は遠く雲の旅      見よ荊棘に埋れて
  石の扉は重けれど      炎の文字のいと紅く
  「勇士を待つ」と書きけるを

3、たヾ享楽の盃に        星を浮べて笛とりて
  平和に醉はん日に非ず    詠歎に泣く日に非ず
  我等なすべき事多し
*「盃」は、昭和50年寮歌集で「杯」に変更

4、意氣の力を知ると云ふ    若人いざや感傷の
  涙を棄てゝ諸共に       橄欖の葉の下蔭を
  清き門出に進みなん
昭和10年寮歌集で、ニ長調からハ長調に移調し、キーを下げた。スラー・タイを10箇所に付した他は譜に変更はない。
アウフタクト弱起で始まる曲、そのあとも七語、五語すべての語句は弱起である。


語句の説明・解釈

井下一高先輩のメモに、「関東大震災を予言?」とあるように、大震災を予言したかの如き歌詞であり、巷間、「震災を予言した寮歌」といわれたりする。ちなみに第33回紀念祭は大正12年2月1日、大震災は同年9月1日である。当然のことながら、この寮歌は、決して「震災予言の寮歌」などではなく、第一次大戦後に、西洋社会に大きな衝撃を与え話題となったシュペングラーの「西洋の没落」を踏まえた寮歌である。

語句 箇所 説明・解釈
榮華は古りし二千年 殿堂それは衰へて 廢墟にむせぶ秋の風 悵恨の歌さながらに 音蕭々と響く哉 1番歌詞 西洋文明は2千年栄えてきたが、ようやく終末を迎えようとしている。ギリシャ・ローマの廢墟は、現在の西欧文明のそう遠くない姿である。廃虚となったアテネのパルティノン神殿やローマの円形闘技場跡には、長恨歌のように、風が、もの悲しく音を立てて吹いている。

「榮華は古りし二千年 殿堂それは衰へて」
 「二千年」は、西歴二千年(実際には1923年だが)のことで、西洋文明は2千年栄えてきたが、ようやく終末を迎えようとしているの意。
 ドイツの文化哲学者シュペングラーは、主著「西洋の没落」(第1巻大正7年刊、第2巻大正11年刊)の中で、世界史を八つの独立した高度の文化圏に分け、それぞれが独立した生成・繁栄・没落の過程をたどる。そのうちヨーロッパのキリスト教文化は既に終末を迎えていると断言し、第一次大戦後の西ヨーロッパの危機感を背景に大きな反響を呼んだ。
 「これは、二千年前に栄華を謳歌して衰亡した古代ローマ帝国の歴史を想起して歌ったものと考えられる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「廢墟にむせぶ秋の風」
 「廢墟」は、西欧文明の源である古代ギリシャ・ローマ時代の廢墟。現在の西欧文明のそう遠くない姿である。
 「『廃虚』は数多くのローマ遺跡をローマ遺跡を指すのであろう。ちなみにイタリアでは、ムッソリーニが1919年にファシスト党を結成しその党首となると、22年にはローマ進軍を開始してクーデターを成功させ、首相に就任した。イタリアにおけるこうした情勢を風刺したものであろうか。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
 「廢墟の雨は怨あり 月寒草を照しては 藝術の跡に涙あり」(明治43年「笛の音迷ふ」3番)

「悵恨の歌さながらに 音蕭々と響く哉」
 「悵恨の歌」は、嘆きうらむ歌であるが、唐の玄宗皇帝が楊貴妃の死を悼んで魂を探し求める叙事詩「長恨歌」(白楽天作)を踏まえるか。「蕭々」は、もの悲しく風の吹くさま。
行く手は遠く雲の旅 見よ荊棘に埋れて 石の扉は重けれど 炎の文字のいと紅く 「勇士を待つ」と書きけるを 2番歌詞 目指す行く手は遠く雲の彼方の向う。生い茂った茨の木に埋もれて石の扉がある。その石の扉は重く、開くのは容易でないが、炎のように真っ赤な文字で「この扉を開く勇士を待つ」と書いてあるぞ。
 
「行く手は遠く雲の旅」
 真理追求の旅というより、「英雄待望論」のように思える。英雄は、もちろん一高生である。多くの伝説を生んだ聖地イェルサレム奪還を目指した十字軍の遠征(11から13世紀)、ロゼッタ・ストーンを発見したナポレオンのエジプト遠征(1798年)などの遠大な遠征が目に浮ぶ。
 「第二節全体が聖杯探求物語を踏まえたものと解する。聖杯探求物語にはさまざまのバージョンがあるが、もっとも一般的なのは、アーサー王の騎士たちが諸々の困難に立ち向かって旅を重ね、キリスト教の聖なる物体である聖杯を探し求めるという物語である。『雲の旅』、『荊棘』、『石の扉』は、いずれも聖杯探求のための試練・苦難の連続を暗喩しているのであろう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「石の扉は重けれど 炎の文字のいと赤く 『勇士を待つ』と書きけるを」
 「日本国民の視聽自ら海外に向けられた」ワシントン会議、英雄伝に詳しい鶴見祐輔(後にプルターク「英雄伝」を訳)の講演「感激の生活と眞理の把握」を踏まえると解す。
 「石の扉」は、勇士だけが開くことの出来る石の扉。モーゼの十戒を納めた契約の箱の探索と争奪を描いたハリソン・フォード主演映画「インディージョーンズ『レイダース/失われた聖櫃』のような物語、さらに古代エジプトの王墓やピラミッドの入り口の扉など候補となる扉は多い。森下達朗東大先輩は、聖杯探究物語を踏まえるとする。「炎の文字」は、「この扉は炎のような情熱と勇気を持った勇士のみが開けることが出来る」と書かれた扉の文字。「勇士を待つ」とは、シュペングラーの予言通り、西洋が没落すれば、次は東洋の時代が来るとの認識の下に、「一高生こそ英雄たれ」と一高生に奮起を求めたものであろう。内村鑑三、新渡戸稲造、鶴見祐輔、矢内原忠雄等は、「世界の歴史は英雄によって作られる」の言葉で有名な「英雄崇拝論」(イギリスの歴史家・評論家トーマス・カーライル著、土井晩翠も訳本を出している)の影響を強く受けたという。
 「眉美しき丘の子等 覺めよ世界は人を俟つ」(昭和10年「大海原の」4番)
 「行手の旅路いや遠く 寶庫の扉重くとも 血潮の文字のけざやかに 汝を待ち待つと示せるを」(昭和17年「若緑濃き」3番)
 「此年内(大正11年度)に經濟界の混亂甚だしく『國難來るの叫び』すら耳にするあり。外に華府(ワシントン)會議の開かるゝあり。國民の視聽自ら海外に向けらる。時に華府會議に臨み親しく局に當られし先輩杉村陽太郎氏の御歸朝あり。5月大會に聘して御講演を乞ひ、更に9月には大塚常三郎氏『中歐及び米歐について』詳細に現下の状況を述べ聽者に満足を与えられぬ。10日(10月?)大會には久しく向陵論壇を後にせられし先輩鶴見祐輔氏來りて『感激の生活と眞理の把握』と題して、壯重なる瓣舌と巧妙なるジェスチュアとを以てクレマンソーを論じウィルソンを語り、H.G.Wellsを紹介し萬人に自由主義時代の來らん事を渴仰し、感激の精神を高潮し、人類文化の恒久なる發達を希望し、眞理の把握の爲に感激の精神を忘れず、之を深め之を高めよと2時間餘に亙りて熱瓣を振ひ、滿堂の聽衆をして惚然たらしめたり。」(「向陵誌」辯論部部史大正11年度)
 「『炎の文字のいと赤く』『勇士を待つと書きけるを』-典拠未詳」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「この寮歌の『炎の文字』と『勇士を待つ』は、いずれも聖杯をめぐる言い伝えを踏まえた表現で、一高生を「勇士」になぞらえて、その活躍に対する期待を述べたものと解する。」「聖杯城に保管されている聖杯の縁に神のメッセージが炎の文字となって浮かび上がり、そこを訪れるべき騎士の名を告知したり、騎士たちに命令を下したりするのが通例であったとされる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説の落穂拾い」)
 
たヾ享楽の盃に 星を浮べて笛とりて 平和に醉はん日に非ず 詠歎に泣く日に非ず 我等なすべき事多し 3番歌詞 月下に宴を張って管弦を奏で、優雅に酒を飲んで、のんびりと詩など吟じている時ではない。アメリカが日本外交の前に大きな脅威として立ちはだかってきた。我ら一高生にはなすべきことが多い。

「たヾ享楽の盃に 星を浮べて笛とりて 」
 「盃」は、昭和50年寮歌集で「杯」に変更された。
 「星を浮べ」とは杯に夜空の星の光を浮べの意だが、森川町にあったカフェ・エトワール(フランス語で星)で遊ぶ事かもしれない。この紀念祭のイブの夜、森川町のカフェ・エトワールで帝大生を含む一高生30数名が、机・椅子・ガラス戸など手当次第に破壊し、30余円の飲食代を踏み倒すという破廉恥な事件を起している。一部寮生が従前から通っていたと思われる。
 「星」の真の意味はアメリカ。
 大正10年11月12日から開催されたワシントン会議で日本が不利な状況に追い込まれ、以後の日米対立の原因となった。米大統領ハーデイングの招請によって、中国に利害関係を持つアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、ポルトガル、ベルギー、オランダおよび中華民国の9カ国がワシントンに集り、中国・太平洋問題を協議した。主催国アメリカの狙いは、①日本の中国進出の阻止、 ②米英海軍力の均等 ③日英同盟の廃棄にあった。会議の結果は、①については、日本はドイツの山東利権継承の放棄など譲歩を余儀なくされ、日本の大陸政策は大きく後退した。 ②については、米国・英国が5に対し、日本は3、イタリア・フランスが1.67という主力艦隊保有比率が協定され、③については明治35年以来3次に亘り「帝国外交の骨髄」と称された日英同盟は大正12年8月17日をもって廃棄されることになった。これにより、米国は比較的有利に、日本は不利な状況が確定、以後の日米対立の原因の一つとなった。
 西洋文明はシュペングラーのいうように終末に向かっているとしても、アメリカは別で、日本の前に大きく立ちはだかってきた。厳しさを増す日米関係に「平和に醉はん日に非ず 詠歎に泣く日に非ず 我等なすべき事多し」というのである。
 「嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし」(明治35年「嗚呼玉杯」1番)
 「灯は消えて杯擧ぐる人や誰 汝が命の明日ありや」(大正12年「流れ行く」5番)

「詠歎に泣く日に非ず」
 運動部の対校試合の勝敗に躍起になることではなく、詩歌管弦の風雅に浸っている時ではないの意。
意氣の力を知ると云ふ  若人いざや感傷の 涙を棄てゝ諸共に 橄欖の葉の下蔭を 清き門出に進みなん 4番歌詞 偽一高生事件を機会に中堅会が司法部に改組され、鉄拳制裁が廃止された。偽一高生に対して振るった義憤の鉄拳に対する新聞の報道、司法の処分、鉄拳制裁の廃止について、意気に誇る一高生には理解できず、納得できないところもあろうが、ここは一時我慢して、一高生らしく司法部の門出を清い心で進めて行こう。

「意氣の力を知ると云ふ」
 何事をなすにも意気が大切であることを知るという。意気に誇る。

「若人いざや感傷の 涙を棄てゝ諸共に 橄欖の葉の下蔭を 清き門出に進みなん」
 鉄拳制裁の無条件廃止と中堅会に代わる司法部の設立を踏まえる。 
 僞一高生事件(大正11年12月6日)で、人権蹂躙・不法逮捕・不法監禁の疑いありとして書類送検されたのを機会に、鉄拳制裁が無条件で廃止され、また中堅会に代わり司法部(翌年保安部に名称変更)の発足が決まったこと。ただし、寮委員は、義憤溢れる鉄拳制裁の廃止に必ずしも納得していなかったようである(後掲の「向陵誌」参照)。
 あるいは、2月1日の紀念祭寮歌の応募に間に合ったとすれば、1月7日、墨田川の東大主催第4回全国高校対校競漕大会(固定席による最後の大会)で一高端艇部が二高、三高に敗れたことをいうか。「清き門出に進みなん」というニュアンスからは、鉄拳制度の廃止、司法部の発足のことをいうと解す。「涙を棄てゝ」は、悔し涙か。偽一高生に振るった義憤の鉄拳が何故新聞紙上で叩かれ、司法当局から問責されねばならないのか納得できないための涙であろう。我慢して。
 「橄欖」は一高の文の象徴。「橄欖の葉の下蔭に」と武の象徴の「柏の葉の下蔭」としなかったのは、鉄拳制裁の廃止を踏まえるものであろう。
 「彼は金品を詐取すること十數回、また婦女子に對する犯罪等も多かりしを以て、之が處置を中堅會に委任することとせり。茲に於て中堅會は直ちに中堅會長会議を開きて之に鐡拳制裁を加へる事に決し、直ちに彼を『グラウンド』に引き出し義憤の鐡拳は與へられたり。時に午後十時。然るに何ぞや、12月7日、中央新聞は村田、濱野両委員の行爲を以て、人権蹂躙不法捕縛なりとし、赤池警視総監の言をも添へ、天下の大事件なりと非難の第一矢を放ちたり。愛校の精神に燃え、意氣に溢るる學生の行爲として、左様の大問題ならじと樂觀し居たるに、意外にも該記事は諸方面の反響を呼び殊に新聞は筆を揃へて不法を鳴らしたり。之より先、警察にありては、事面倒なりと見て、從來の黙認の態度を變へ、午前11時頃元富士署長來りて委員の同道を求めたり。・・
 今回の事件は一高に反感を抱ける諸新聞が、時こそ來れと餘りに騒ぎ立てたる爲、警察においても形式的の手續を取りたるの觀あり。社會においても相當の見識ある者は、皆之を些細事と認め、寧ろ一高生の態度を賞讃するも非難するが如きことはなかりき。況んや先輩寮生に於ては寧ろ之を應援激励せり。要之寮委員がその爲す可きを爲したる者と云ふ可きのみ。・・・されど此處に注意す可きは、從來論議の的たりし鐡拳制裁は、今回の事件により、無條件にて廢止さるるに至れる事之なり。我等鐡拳制裁の廢止を如何に見るべきか。義憤迸る鐡拳も亦廢す可きか。敢へて後輩諸君の熟考を俟つ。」(「向陵誌」大正11年)
自治燈の下また更に 三十三の喜びの 祝ひに更くる丘の上を み空に高く黙々と 北斗の星はさゆる哉 5番歌詞 一高寄宿寮は、明治23年に自治寮を開寮してから、今日、33回目の喜びの紀念祭を迎えた。紀念祭を祝う宴の夜は更けて、向ヶ丘の空高く、北斗の星が澄んだ光で輝いている。

「自治燈の下また更に 三十三の喜びの」
 「自治燈の下また更に」は、一高寄宿寮は、自治の灯を掲げてから、今日また更に。「三十三の喜び」は、第33回紀念祭の喜び。

「北斗の星はさゆる哉」
 「北斗の星」は北極星。北斗星は、日周運動によって、ほとんど位置を変えないので、方位および緯度の指針となる。寮歌では、針路、理想、目標等を示す星として詠われる。「さゆる」は冴ゆる。冷たく澄む。
                        

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