旧制第一高等学校寮歌解説

流れ行く

大正12年第33回紀念祭寮歌 

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1、流れ行く二つの水の會ふ處 淡き涙の戰きに
  會ふよしもなき舟人は  清き流れに諸手ひたしぬ

2、虚無(むなし)てふ大洋(おほうみ)の中に迷ひ行く一つの小舟そは生命(いのち)
  そを守らめと舟人が  遠き()空に(たか)驚異(おどろき)

3、光あり出でよ舟人(かぢ)とれや  逆巻く浪を歌と聞け
  汝が塚なれ大洋は  力をうたふ男の子の叫び

4、雪消えぬ三十三の春來ては 祝ひなむいざしめやかに
  素木(しらき)の杯を捧げては   雲間になやむ月酌まんかな

8、辿るべき道唯一つ一人して 大地(つち)に驚く心もて
  清く淋しき歩みもて  入らずや人の永劫の國
昭和10年寮歌集で、音符下歌詞で「ー」の部分9か所にスラーが付いただけで、変更はないといっていい。
 小節で、同じメロディーは、「ふたーつの」(1段3小節)と「みだーの」(2段3小節 )のミーミファソーーだけ、歌詞の五・七・五、七・五、七・七調にあわせ、メロディーとリズムを巧みに変化させながら見事に配置している。主メロディーを繰り返す、タータタータの伝統的リズムの寮歌に慣れた者にとって、取っつきにくいところは否定できないが、曲としては素晴らしいのではないか。ただし、歌詞の難解なこともあり、この寮歌も歌われることはない。


語句の説明・解釈

一高同窓会「一高寮歌解説書」でも書いているが、この寮歌の歌詞は極めて難解。特に6番歌詞について、賢明なる諸兄のご意見・解釈を承ればと願っています。

語句 箇所 説明・解釈
流れ行く二つの水の會ふ處 淡き涙の戰きに 會ふよしもなき舟人は 清き流れに諸手ひたしぬ 1番歌詞 人生を旅する二人は、たまたま向ヶ丘で出会った奇しき縁に感動して涙ぐむ。普通なら出会うわけもない二人の舟人は、向ヶ丘の清い流れに、舟を停めた。

「流れ行く二つの水の會う處」
 「流れ行く二つの水」の「流れ」は、友と我の人生。人生を水の流れに喩える。「會う處」は、空間的時間的に水の流れが一緒になるところ、人生の旅の途中に立ち寄る向ヶ丘である。
 人の人生は小舟に乗って漂う旅のようなものである。川の流れが合流する所、そこにたまたま双方の小舟が同じ時間に差し掛かった時、二人は出会うことになる。向陵での友との出会いは偶然であり、運命のいたずら、奇しき縁によるものである。
 「『二つの水』は対立する二つの思想的潮流(例・東洋と西洋、ナショナリズムとデモクラシー、または資本主義と社会主義がせめぎあう時代状況を喩えていると見られる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「淡き涙の戰きに」
 奇しき縁で出会ったことに感動して涙ぐむ。

「會うよしもなき舟人は 清き流れに諸手ひたしぬ」
 「會うよしもなき」は、普通なら会うこともない。「よし」は、理由。わけ。「舟人」は、人生の旅人で、一高生のこと。「清き流れ」は、向ヶ丘の流れ。「諸手ひたしぬ」は、舟を漕ぐ櫂から両手を放して、流れに手を浸した。向ヶ丘に舟を停めた。すなわち、寄宿寮で一緒に過ごすことになった。「ぬ」は、完了存続の助動詞。
 「思想の対立・昏迷に困惑した舟人(=一高生)は、何れをとるべきかを主体的に判断することができず、手を引いてしまう。『流れに諸手をひたす』とは、新約聖書マタイ伝27章に出てくる『手を洗う』という言葉を踏まえていると解する。この『手を洗う』という表現は、通常、『問題から手を引く』又は、『これ以上関わらない』ことの喩えとして使われる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

 「第一節は、人の遭逢のはかなきを指す意味内容よりも、形象と動作の方が眼立つ」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
虚無(むなし)てふ大洋(おほうみ)の中に迷ひ行く 一つの小舟そは生命(いのち) そを守らめと舟人が 遠き()星に(たか)驚異(おどろき) 2番歌詞 広々とした何もないという暗い夜の海に小舟が一艘、揺れて漂い流されていく。舟人には、一隻の小舟だけが頼りである。木の葉のように漂う舟を守ろうと、舟人が暗い空を見上げると、驚いたことに遠くに星が黙示の光を放って輝いていた。

「虚無てふ大洋の中に迷ひ行く 一つの小舟そは生命」
 「虚無てふ」は、何もないという。「てふ」は連語で、と言ふの約。「小舟」は、寄宿寮を喩える。自治の舟。「そは命」は、小舟だけが命の綱。頼るものは小舟しかないの意。後の句に「御星」とあるので、夜の海である。

「そを守らめと舟人が」
 「そ」は、夜の海に漂う小舟。大海を木の葉のように揺れて漂っていたのであろうか。「舟人」は、一高生。

「遠き御星に崇き驚異」
 星は行く手を定める北極星であろうか、明星であろうか。明星は朝晩の限られた時間にのみ輝く。暗い夜に突然輝いて針路を示す星は北極星であろう。星の光に黙示を得て驚嘆する。
 「遙かに見ゆる明星の 光に行手を定なり」(明治34年「春爛漫」5番)
 「星の黙示に驚きて 敷寝の花を蹴て立てば」(明治36年「綠もぞ濃き」3番)

 「第二節は、無限の時空の中のこの箇の生命を、大洋の中をゆく孤舟にたとえ、その舟人、すなわち吾々が、無窮の夜空の大きな星の光りに、神の啓示をうけてのおどろきを表現し、見事である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
光あり出でよ舟人(かぢ)とれや 逆巻く浪を歌と聞け 汝が塚なれ大洋は 力をうたふ男の子の叫び 3番歌詞 黙示の光を放って行く手を示す星が輝いた。舟人よ光の方向に楫をとれ。海を墓場にこのまま死んでもいいくらいの気概を持って、逆巻く波などものともせず、雄叫びを上げながら前に進もうではないか。

「光あり出でよ舟人楫とれや」
 「光」は、舟の針路を示す星の光。「舟人」は、自治の舟に乗る一高生。

「逆巻く浪を歌と聞け 汝が塚なれ大洋は 力をうたふ男の子の叫び」
 「塚なれ大洋は」は、海を墓場とする気概をもって、死ぬ気になってと解した。
 「逆巻く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく」(明治35年「嗚呼玉杯に」3番)
 「三節は、・・・虚無のうつし世はさまざまな苦患に充ちているけれども、その墓場の如き無限の空間をこそ、われわれがいのちの限り、生きるべき力の場であると説いている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
雪消えぬ三十三の春來ては 祝ひなむいざしめやかに 素木(しらき)の杯を捧げては 雲間になやむ月酌まんかな 4番歌詞 まだ雪が消えないというのに、第33回紀念祭を迎えた。しんみりと紀念祭を祝おうではないか。塗りのない木杯をかかげて、かすかに雲間から漏れる月影を杯に浮べて、乾杯しよう。

「 「雪消えぬ三十三の春來ては」
 三十三回目の紀念祭の春が来ても、まだ雪が残っている。この年から紀念祭は曜日に関係なく2月1日に開催することになった(大正9年までは3月1日であったが、学制改革のため、紀念祭の日は2月1日となった)。大正12年2月1日は、陰暦では、12月16日で、雪の積もった中を赤穂浪士が吉良邸に討ち入った12月14日の頃の寒さである。暦の上でもまだ春(三春)ではない。真冬の紀念祭となった。

「祝ひなむいざしめやかに 素木の杯捧げては 雲間になやむ月酌まんかな」
 しんみりと祝おうといっている。杯も玉杯や銀觴ではなく、塗りのない木杯(「素木の杯」)、寄宿寮食堂の木の腕のようである。さらに月も「雲間になやむ」と雲がかかり、月影もさえない。まるで葬式の通夜のようである。一高を中途退学すると秘かに決めた作詞者の最後の紀念祭であるからであろうか、また5番の「汝の命の明日ありや」と続くからであろうか。
 「緑酒に月の影やどし」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)
灯は消えて杯擧ぐる人や誰 (なれ)の命の明日(あす)ありや 汝が生命の明日ありや 聖は假住(かり)と宣ふものを 5番歌詞 消灯後に寮室で酒を飲んで騒いでいるのは誰か。死は予告なく、明日、やってくるかもしれない。仏教で、この世は、現世(うつしよ)で仮の世に過ぎない、また人の命は、朝露のように短くはかないものだいうけれども、だからといって、快楽に耽っていいということにならない。いつ死んでも悔いが残らないように、今日、この時、瞬間瞬間を真剣に一生懸命に生きなければならないのだ。

「灯は消えて杯擧る人や誰 汝の命の明日ありや 汝が生命の明日ありや 聖は假住と宣ふものを」
 「灯は消えても」は、寄宿寮の消灯時間が過ぎても。寄宿寮の自習室の消灯時間は大正10年4月、従来の11時から12時に延長、また明るさは10燭から16燭(20W)に増光された。それ以降は、ローソクの明かりである(所謂蝋勉)。「杯擧る人」は酒を飲む人。寮室での飲酒は固く禁じられていたが、豪傑気取りの大酒飲みは、この時期、寄宿寮に時々現れたようである。「聖は假住と宣ふものを」は、仏教の無常観をいう。この世の苦しみを逃れるために、あの世(来世)こそ本当の世(浄土)で、この世は、うつしよ、仮の世と言う浄土教の仏教觀など(「厭離穢土 欣求浄土」の思想。ここに穢土とはこの世のことである)。
 第33回紀念祭イブに一高始まって以来の不祥事「エトワール事件」が発生した。森川町のカフェ・エトワールで帝大生を含む一高生30数名が、机・椅子・ガラス戸など手当次第に破壊し、30余円の飲食代を踏み倒すという破廉恥な事件を起してしまった。寮歌の作詞された後の事件であるが、この頃、向陵腐敗堕落の兆しはなかったとはいえない。
 「向陵の危機は來れり。將に向陵存亡の秋は來れり。前日より各新聞紙に掲載せらりし向陵腐敗堕落の文字は、多少其處に誇大の調ありと雖も、吾人静かに向陵の現状を顧みる時、吾人は向陵に充滿せる、踏躙られし正義、空虚なる傳統の形骸、麻痺し切れる良心、狂暴非道なる野獣性を見出さずんばあらざるなり。之を以て前文字を考ふる時、吾人は一概に之を否定する能はず。口黙して徒らに事實の前にうなだるゝのみ。嗚呼向陵に正義はなきか!? 透徹せる良心はなきか!?」(「向陵誌」大正12年)
 
 「徒らに自らの楽しみに耽る人に、『汝が命明日ありや』と呼びかけ、この現在の一瞬一瞬の惜しむべきことをいって居る」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
衣なきかの(いたゞき)静安(しづか)あり 夢におそれぬ心とは 流離の僧の嘆きしよ せめて(めさ)めて荒野行かずや 6番歌詞 万雪を頂く富士の山は八面玲瓏として美しい。しかし富士の高嶺に雪がなくても霊峰富士の山は、空高く聳えて、ただひとり超然としている。富士の山のように孤高の高い心を持って、何の恐れも迷いもなく真理を追究するにはどうすればいいのかと、荒野をさ迷う旅の修業僧・一高生は嘆いた夜もあった。一高生よ、つとめて嘆くのは止めて、淋しく強く真理を求めて荒野の旅を行こうではないか。

「衣なきかの嶺静安あり」
 「第六節は難解で、何か典拠がありそうだが、意味不明。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)とあるように、6番は難解である。
 「衣なきかの嶺」は、釈迦が法華経・無量寿経等を説法したインドの霊鷲山、観音菩薩の住む、あるいは降り立つという南の島の補陀落山、持統天皇の「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香久山」の和歌で有名な天の香久山、宇多天皇が6月の盛夏に雪が見たいといって、山に白衣をかけ渡させたという衣笠山、本郷から眺めることの出来る筑波・富士の二つの霊山等を種々検討した結果、孤高の姿で聳える「富士山」と解す。「衣なき」は、山頂に雪のない意だが、「衣」は地位・名誉を指すのかも知れない。作詞の古家鴻三は、或る日突然、学業に見切りをつけて友にも告げず黙って一高を退学してしまった。一高を辞めても、あの富士の山のように孤高の精神は持ち続けたいという彼の心情をいうのではと思えてならない。
 「『衣なきかの嶺』は釈迦が法華経を説いたという『霊鷲山』を指すか」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
「『衣なき嶺』とは、旧約聖書出エジプト記でモーセが神から十戒を授かった、草木の生えない岩山の『シナイ山』のことであろう。『静安』は『神の栄光』を指す。」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「夢におそれぬ心とは 流離の僧の嘆きしよ せめて醒めて荒野行かずや」
 「夢におそれぬ心」は、「夢」は真理を得るという理想。真理はもう得られないのではないかと恐れる心からの解放。何の恐れも抱かない心。「流離の僧」は、故郷を離れて他郷をさ迷う旅の僧。一高寄宿寮を僧院、そこで修養する一高生を旅の修業僧に喩える。第1句の「衣なき」に対応した表現であろう。一高中退後の作詞者自身の荒野にさ迷う姿が重なる。「嘆きしよ」は、嘆きし夜。「し」は回想の助動詞「き」の連体形であるので、「よ」は体言。ちなみに、終助詞「よ」は上二・下二・サ変の動詞の命令形の下につく。「せめて醒めて」は、つとめて正気にもどって。嘆くのは止めて。「荒野」は、真理追求の旅路の荒野、また人生の旅路そのものと解してもよい。

 「仏教では一般に『夢』は宗教的な教示などを得るものとして重視されているのに対して、ここでは、退くべきものとしている。『流離の僧』も誰を指すか、不明。この句全体意味不明」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「私は第六節の『夢おそれぬ心』という捉え方に当時打たれた。私のとり違えかも知れないが、之は、人間は死後の世界に就て、いろいろ考え、その永生を信ずるが故に、夢即ち眠ることを恐れない、何故なら、夢はさめれば輝かしい朝が待っているからである。
 死と夢との差は、夢はやがて醒め、死はさめることを忘れるからでそういう思考に当時既に古家君(作詞者)は達しているようだ。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「『夢におそれぬ心』は、『夢』には『決して』の意。モーセとともにエジプトを脱出したイスラエルの民が、神を裏切る行為を性懲りもなく繰り返したことを指すと解する。『流離の僧』とは、預言者のモーセを指すと解する。モーセは頑迷なイスラエルの民を引率して約束の地カナンをめざすが、荒野を40年もさまよった後、失意のうちに死を迎える。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
限なき現在(いま)にこそ生きめ吾(たま)は つきぬ藝術(たくみ)の力もて つきぬ泉を汲まんかな 淋しさはあゝ生命の泉 7番歌詞 限りなき可能性と能力を持った今の若い時にこそ、精一杯真剣に人生を生きたいものだ。あらゆる創意工夫を働かせて、精一杯持てる能力を発揮しようではないか。といっても人の命には寿命というものがある。そう考えると淋しくなるが。

「限なき現在にこそ生きめ吾靈は」
 「限りなき現在」は、限りなき可能性と能力を持った若い今こそ。

「つきぬ藝術の力もて つきぬ泉を汲まんかな」
 「つきぬ藝術の力もて」は、尽きることのない創意工夫を働かせて。「つきぬ泉を汲まんかな」は、尽きることのない能力を発揮したい。「藝術」は創意工夫。「泉」は、隠れた才能、潜在能力。

「淋しさはあゝ生命の泉」
 「生命の泉」は、泉は汲めば、いづれ枯れる。人間には寿命があるということ。それを考えると淋しくなる。「生命」は、大正14年寮歌集で「 命」、昭和3年寮歌集では印字あるも、空白の字判読不能(「延」のかすれた字か?)であったので、「生命」は、昭和10年寮歌集に拠った。

 「『限りなき現在に生きめ吾霊は」といって、『現在』を、時間的空間的無限をはらむ一瞬と見ている。結局の『淋しさはああ生命の泉』も深い表現である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
辿るべき道唯一つ一人して 大地(つち)に驚く心もて 清く淋しき歩みもて  入らずや人の永劫の國 8番歌詞 人間、辿るべき道はただ一つ。万物の命を育む大地に驚嘆の心を持って、一人で清く孤独に耐えながら、人生を歩んで、最後には大地に帰って永遠の眠りにつくのである。

「大地に驚く心もて」
 万物の命を育む大地に驚嘆の心を持って。生きとし生けるもの、寿命が尽きれば土なって大地に帰り、やがて別の生を得て甦る。大地こそ、すべてのものの故郷であり、永遠不滅の真理かもしれない。

「清く淋しき歩みもて 入らずや人の永劫の國」
 「人の永劫の國」は、永遠の眠りと解した。大地に帰って永劫の眠りにつくのである。
 「永劫の國」は、決して神の国などというものではなく、一高を中途してゆく作詞者の「人間到る処青山あり」(僧月性)の気概と、友に対する「君と世世兄弟と為りて 又来生未了の因を結ばん」(蘇軾)というような惜別の言葉と理解すべきではないかと思う。
 月性『将東遊題壁』 「男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈期墳墓地 人間到処有青山
 蘇軾 「聖主天の如く万物春なるに 小臣愚暗にして自ら身を亡ぼす 百年未だ満たざるに先ず債を償い 十口帰するところ無く更に人を累せん 是る処の青山骨を埋む可し 他年の夜雨独り神を傷ましめん 君と世世兄弟と為りて 又来生未了の因を結ばん

 「終節は、全節の締めくくりとして、吾々は、一人ずつ、大地に驚く新鮮謙虚な心をもって、永劫の生命の根源への道 ー 神への道を辿り入ろうといい、しかもそれを、一高生らしく、清く淋しき歩みもて』としている処に哲学する向陵生の姿を偲ばせている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 最初が五七五の俳句型で、主知的哲学的な思想を表すに適し、之を抒情的な七五二連によって緩和し、最後に七七でゆたかな据わりを与えている。・・・作詞者は、その思想を表現するのに、従来の詠嘆調の七五調にも、又冷静な五七調にもよらず、上記のような新鮮独自の形式を編み出した。・・・・・
 一高生当時、ここまで、人生や世界に就て深く考え沈んでいたことは、驚くべきことで、この寮歌はその意味で、一高寮歌中、「ああ大空に」(明治40年東大)「春の思ひのつかれより」(大正2年南寮)「ありとも分かぬ薄雲」(同北寮)「春甦るときめきに」(大正9年)と続く思想詩の中でも、一頭地を抜く。当時寮生の悲歌慷慨と、コンミュニスト・マニフェスト耽読の間に立って、こうした思弁に徹した彼が、一高の学業に見切りをつけて、退学してしまった気持ちが判らぬでもない。
「一高寮歌私観」から
一高同窓会 本寮歌はその哲学的思索から生まれた思想性濃厚な抒情詩に違いないが、内容の大半は独り合点の内面的独白をもって占められており、明快な解釈はほとんど不可能に近い。・・・(井上司朗氏は)高い評価を与えているが、思索の深さはともかくとして、表現が余りにも特殊で、その難解さが詩としての澄明さを失わしめている。 「一高寮歌解説書」から


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