旧制第一高等学校寮歌解説
自治の流れは |
大正11年第32回紀念祭寮歌
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1、自治の流れは 堅く盟ひし若人が 心の血潮燃ゆるかな 2、時は移りて 平和の酒に漂ひぬ 三十年の 紅粧日々に匂ふれば 昔を語る人もなし 3、波路の彼方星冴えて 空しく叫ぶ人の道 豺狼東に牙を 4、黄塵空に漲りて 河清の望み今 長城斜陽に輝けば あはれ教の糸亂れ 隣邦西に我を |
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原譜の音符下歌詞の「塔」、「武香陵」の漢字は原譜のまま。強調する意か。 昭和10年寮歌集で、キーを下げてニ長調からハ長調に移調した。その他スラーを3箇所(「ながーれは」「めぐーりて」「きーよき」)増やしたが、メロディーそのものに変わりはない。 1段・3段の主メロディー「ドードミソドーシラソ レーレミラソー」の主メロディーが心地好く響く。決してポピュラーな寮歌ではないが、寮歌オンチの中に愛好する者も稀にいる。 最後の「ここーろのちしほ(ブレス)もーゆるかな」は、私などにはもう声が出ない。難しい。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
自治の流れは |
1番歌詞 | 明治23年の寄宿寮開寮以来、自治の流れは連綿として途切れることなく、春は巡って、今年、一高寄宿寮は、32周年を迎えた。向ヶ丘に聳える姿も清々しい寄宿寮の自治を守ろうと固く誓った若人の胸の血潮は燃える。 「自治の流れは小止みなく 春は巡りて三十二」 明治23年の寄宿寮開寮以来、自治寮は、今年で32周年を迎えたこと。 「塔影清き武香陵 聳ゆる砦守らんと 堅く盟ひし若人が」 「塔影」は、寄宿寮のたたずまい。「武香陵」は、向ヶ丘の漢語的美称の一つ。「砦」は、俗界の俗塵を防ぎ自治を守る砦の意で寄宿寮のこと。「城」ということもある。 「第一節は、清淡適確に一高そのものを描き出しているが、ただ玄人っぽく批評すれば、第二行と第三行の名詞止めが、リズムの流動性を断絶させているのが惜しい。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
時は移りて |
2番歌詞 | 時が過ぎると先人の苦労などは、すっかり忘れ去られ、国民は華美な生活を追い求め、平和に浮かれてしまっている。この三十年来、先人が営々と築いてきた質素倹約や勤倹尚武の伝統は崩れ去り、華美を追う軟弱の気風が強くなった。昔の苦労話などする人は誰もいない。 「時は移りて痕もなく」 「痕」は、「三十年の華」の痕、すなわち先人の苦労の跡。 「民草花の香に迷ひ 平和の酒に漂ひぬ」 国民は華美な生活を追い求め、平和に浮かれてしまっている。「民草」は、民のふえるさまを草にたとえていう語。国民。 「三十年の華散りて 紅粧日々に匂ふれば」 日清戦争以来、また開寮以来の先人の努力むなしく。「三十年」は、おおよその年月で、寄宿寮開設以来の一高寄宿寮、日清戦争以来の世の中の両方についていう。「華」は、先人が営々と築いてきた質素倹約の気風、勤倹尚武の伝統。「紅粧」は、べにを塗った化粧。また、べにで化粧をすること。太平の夢に酔い浮華を追う世の風潮、勤倹尚武の伝統が廃れ軟弱化していく一高寄宿寮に対する嘆きである。 「昔を語る人もなし」 昔の苦労話などする人はいない。 |
波路の彼方星冴えて 空しく叫ぶ人の道 |
3番歌詞 | アメリカでは排日運動が高まり、日本人への人道に反する差別が始まった。日本人の移民が多いカリフォルニア州で、排日土地法が実施され、日本人の土地の所有、借地が全面禁止された。大正10年11月から始まったワシントン会議では、豺狼のように狡猾で野蛮なアメリカの策略により、ドイツから継承した山東権益の放棄を余儀なくされ、また、主力艦隊保有比率はは、日本の不利に取り決められた。アメリカは東アジアを虎視耽々と狙っており、日米の対立は避け難いものとなって来た。 「波路の彼方星冴えて 空しく叫ぶ人の道」 海の向うでは、米国が日本人に冷たく、人のふみ行うべき道が守られていない。すなわちアメリカでは排日運動が高まり、日本人への人道に反する差別が始まった。「星」は米国。「冴える」は冷える。 「『空しく叫ぶ人の道』は、(第一次大戦後のパリ講和会議で)『日本が人種差別撤廃を叫んだが、実現できなかった』ことを含意しているものと解する。あるいは、『進歩的自由主義』を唱道し、人種差別撤廃に一定の理解を示していた米国ウィルソン大統領の言行不一致を指摘したものだと考えられる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「 米国の排日運動を指す。「岩疊山」はロッキー山脈。メキシコからアメリカ、カナダ、アラスカを縦断する。ここでは排日運動の中心地カリフォルニア州をいう。「色濁り」は、有色人種の意を込めてか。 当時(大正9年頃)、アメリカに住む日本人移民の総数は約12万人、そのうち約7万人(州人口の約2%)がカリフォルニア州に居住していた。 大正9年12月9日、カリフォルニア州で、排日土地法が実施された。大正2年に外国人土地所有法が成立し、日本人などの「帰化不能外国人」(注記参照)の土地所有が一応禁止されていたが、この法律で抜け道として利用されてきた米国で誕生した子供名義や法人による土地の所有・借地が全面禁止された。翌大正10年には、ワシントン州、テキサス州、ネブラスカ州でも同様の排日土地法が制定された。大正10年5月19日、移民割当法が成立し、日本人をターゲットに「帰化不能外国人」の移民は全面禁止とする大正13年の排日移民法へと発展して行く。 注記:「帰化不能外国人」の説明 1870年制定のアメリカ連邦帰化法では、「自由なる白人およびアフリカ人ならびにその子孫たる外国人」が帰化可能であるとされた。それ以外の日本等の外国人は「帰化不能外国人」である。 「豺狼東に牙を磨ぐ あらしは來る東より」 大正10年11月12日から開催されたワシントン会議で日本が不利な状況に追い込まれ、以後の日米対立の原因となったことをいう。「豺狼」は、やまいぬとおおかみ。残酷で貪欲な人、極悪無慈悲な人のたとえ。ここではアメリカのことである。 米大統領ハーデイングの招請によって、中国に利害関係を持つアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、ポルトガル、ベルギー、オランダおよび中華民国の9カ国がワシントンに集り、中国・太平洋問題を協議した。主催国アメリカの狙いは、①日本の中国進出の阻止、 ②米英海軍力の均等 ③日英同盟の廃棄にあった。会議の結果は、①については、日本はドイツの山東利権継承の放棄など譲歩を余儀なくされ、日本の大陸政策は大きく後退した。 ②については、米国・英国が5に対し、日本は3、イタリア・フランスが1.67という主力艦隊保有比率が協定され、③については明治35年以来3次に亘り「帝国外交の骨髄」と称された日英同盟は大正12年8月17日をもって廃棄されることになった。これにより、米国は比較的有利に、日本は不利な状況が確定、以後の日米対立の原因の一つとなった。 「特に第三節は、欧州戦争で一躍世界一の強国にのし上がったアメリカの、やがて来るべき脅威を『あらしは来る東より』と予言し」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
黄塵空に漲りて 河清の望み今 |
4番歌詞 | 辛亥革命以来、軍閥の割拠と内乱状態の続く中国は、黄河の水が決して澄むことがないように、平和は望み得ない。中国は国が亡びかかっているので、悲しいかな信義を重んじる儒教の教えも守られず、いったん日本と約束した対華21ヶ条要求などの条約を日本に無理強いされたものであるとして、条約の破棄・無効をロンドン会議など、あらゆる機会をとらえ欧米列強に訴えた。対華21ヶ条の要求以来、日中の関係は悪化し、五・ 四運動で火のついた反日の動きは止みそうにない。 「黄塵空に漲りて 河清の望み今淡し」 辛亥革命以来、軍閥の割拠と内乱状態の続く中国に平和は望み得ない意。 「黄塵」は、黄河の土埃。「河清」とは、黄河の水が澄むこと。黄河の水は、常に濁っているが千年に一度澄むといい、イ、ふしぎなこと ロ、太平のしるし、ハ、望んでも得られないことなどにたとえる。ここではハの意味。 春秋左氏伝 「百年俟二河清一」(ヒャクネンカセイをまつ) 「長城斜陽に傾けば あはれ教の糸亂れ」 中国は国が亡びかかっているので、悲しいかな信義を重んじる儒教の教えに背いて。 「長城」は万里の長城、ここでは中国のこと。「斜陽」は西に傾いた太陽、比喩的に、時勢の変化で没落しかかること。「教の糸」は儒教の教え、約束の信義をいうものであろう。 「隣邦西に我を避く あらしは吹きぬ西空に」 「隣邦」は、中国。「隣邦西に我を避く」とは、中国は、対華21ヶ条要求など日本との不利な条約の廃棄・無効をあらゆる機会をとらえ欧米列強に訴えたこと。「あらしは吹きぬ西空に」は、中国国内に嵐のように広がった五・四運動のような反日の動き、悪化した日中の関係をいう。 第一次大戦中の大正4年、袁世凱政府に対し提出し、無理やり受諾させた対華21ヶ条要求以来、日中関係は悪化した。中国は大正8年のパリ講和会議、大正10年2月から11年にかけて開かれた対ドイツ賠償問題に関するロンドン会議などあらゆる機会を捉え、欧米列強に日本との条約の廃棄・無効を訴えた。中国民衆の間でも、大正8年の五・四運動にみられるように反日・愛国運動が中国各地で繰りひろげられた。北京政府は国内を掌握できず、軍閥が跋扈する内乱状態の下、大正10年5月には広州に孫文らの第二次護法政府が、さらに7月23日には上海仏租界で中国共産党が創立され、各派の抗争は益々激しく複雑になっていった。 「『隣邦西に我を避く』は、具体的に何を指したのか不明。しかし、当時すでに反日の動きが表面化しつつあったことを物語っているのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「第五節(四節の誤植)に於て、折角孫文の独立運動を日本が扶けたのに、その国民党による統一未だならず、軍閥、中共軍と三巴の抗争を続けている最中、日本の示し始めた大陸政策が中国人に嫌悪される傾向を、『隣邦西に我を避く』と表現し、(第三節と)共に、当時の日本の世界史に於ける位置を詩的に把握している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
浪間に漂ふ一孤舟 |
5番歌詞 | 波間に、ただ一艘漂う自治の小舟の舟べりを大きな音を立てて波が打ち寄せている。すなわち、この頃、伝統ある一高寄宿寮内に、「向陵革新運動」と称し、籠城主義否定、皆寄宿制度撤廃の叫びが喧しくなり、寄宿寮内に大波紋を起している。なんたることか。血の滲むような努力で向ヶ丘の自治を築き守ってきた先人の愛寮物語に思いを致す時、悲しみがこみ上げてくる。一高の古き傳統を守るべきであることを強く説き、寮生の迷いの目を覚ましてやろうではないか 「浪間に漂ふ一孤舟 舷打つ波の音高し」 この頃、「向陵革新運動」と称し、籠城主義否定、皆寄宿制度撤廃の叫びさえ一部に出てきたことを自治の危機と捉える。 「『浪間に漂ふ一孤舟』は、日本の置かれている孤立的状態と、一高の現状とを重ね合わせて表現していると思われる。『舷打つ波の音高し』は、日本および一高(向陵)を取りまく周囲の情勢が険悪さを加えつつあることの表現であろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「然るを何の意義の籠城ぞや、因襲を保守し、傳統の偶像の前に伏して、自ら心清しとなす。嗤はざる可らざるに非らずや、我等は、外社會の凡ての風潮に對して解放せられざる可らず。輕燥浮華の世俗の侵入は、我等の實生活を脅かすものとして憂ふる勿れ、我等は既に生に目醒み初めたるに非らずや、我自治寮の一千の友は、等しく起ちて、自由平等友愛の精神を、宜しく生活そのものに表現せざる可らず。我自治寮の危機は実に此秋にありと云はざる可らず」(「向陵誌」-一高社會思想研究會大正8年) 大正8年11月1日、嚶鳴堂で開かれた都下各学校連合演説会において東大助教授森戸辰男先輩が「民衆」への題で、向陵健兒に向かって絶叫し、多くの寮生に深い感銘を与えた。 「現下の思潮より説き起して高踏的なる在来の向陵精神を難じ、柏葉兒の驕慢なる心に一大痛棒を加え、新しき時代に応ずべき新たなる良心の喚起を求め、向陵兒よ、特権の夢より醒めよ、民衆へ赴け、と叫び満堂の健兒をして無限の感慨に耽らしめたり。實に貴き演説なりき。吾人は舊き向陵の死して新なる向陵の生れんとするに當り必ずや此演説が一のTurning Pointをなしたるべきを信じて疑わざる者なり。」(「向陵誌」辯論部部史大正8年) 「愈愈向陵は社会化せられ、籠城主義も漸く崩壊し始め、皆寄宿制度撤廃の叫びさへ喧しくなり、新向陵の黎明は來りたり」(「向陵誌」辯論部部史大正11年) 「古き傳への鐘鳴らし 迷の夢を醒まさんか」 一高の古き傳統を守るべきであることを強く説き、寮生の迷いの目を覚ましてやろうではないか。 「終節は向陵を一孤舟にたとえ、それが今、時局の潮に揺れ漂って居り、その非常の時、向陵伝統の精神から依拠して、時代の警鐘を打とうではないかと、いかにも一高生らしい気概が、情緒的に表現されている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |