旧制第一高等学校寮歌解説

漁火消えゆき

大正9年第30回紀念祭寄贈歌 九大

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1、漁火(いざりび)()えゆき   (やみ)(とばり)
  沈黙(しヾま)()りたつ  筑紫(つくし)(はま)
  (こずゑ)調(しらべ)か     夜(よる)(きょく)
  水際(みぎは)眞砂(まさご)よ   (なに)(かた)る。

2、仄々(ほのぼの)(しら)める     空の(さち)
  春こそ來つれと  小鳥鳴けば
  假寝の旅路に    歌う巡禮(もの)
  悲しき旋律(ふし)にも   光(ひかり)ありぬ。

3、千里を(へだ)つる    旅の空の
  安けき小夢(こゆめ)に    (めざ)夜半(よは)
  散り來る櫻の    墨田川に
   浮べる千鳥の   (やさ)姿(すがた)


*各歌詞末の句読点「。」は大正14年寮歌集で削除された。
2段4小節1音「ミ」は1オクターブ間違っている気がするが、そのままとする。原譜・ハーモニカ譜は、ヘ調・4/4とある。曲調は短調のようなので、五線譜にはヘ短調(同名調)で表示した。今の五線譜表示で♭一つの調子記号であればニ短調(平行調)となるが、明治・大正のハーモニカ譜は、調子にそれほど厳密ではない。C調のハーモニカで吹ける気配りからであろう。

大正14年寮歌集、昭和10年寮歌集で、次の若干の変更があった。

1、調・拍子
 調は、ハーモニカ譜ヘ調(おそらく同名のヘ短調)から五線譜表示となった昭和10年寮歌集でニ短調となった。ハーモニカ譜のヘ調表示が平行調のニ短調のことであれば、調に変更はないことになる。拍子は4分の4拍子で変更はない。

2、音
1)「つくしの」(2段3小節)、「しらべか」(3段2小節)
 各段1・2小節のリズムであるタタターータ(例えば「いざりーーび」)と同じリズムとした。すなわち各小節の1音4分音符(「つく」「しら」)を同音の二つの8分音符に分割した(昭和10年)。
2)「はま」(2段4小節)の「は」  
  ミを1オクターブ高く訂正した(大正14年)。
3)「なにをか」(4段3小節)の「か」  
  ラを♯ソに変更し、和声的短音階のきれいなメロディーとなった(大正14年)。
4)「やーみ」(1段3小節) スラーを付けた(昭和10年)


 4拍子の場合、普通は、1小節内の1拍目と3拍目に二つ強拍があります。タタターータのリズムでは、二つ目の強拍が前倒しになっています(シンコペーション)。たとえば「漁火」は「ーーびー」と歌います。闇の帳がおりて何かに追いかけられている気がしませんか? 歌詞の「八・六調」に合わせたのか、短調の曲調に加え、一層抒情性を増した曲となっている。


語句の説明・解釈

「全篇、他に類の少ない『八・六調」の韻律で一貫し、特色のある詩的効果を描き出している」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

語句 箇所 説明・解釈
漁火(いざりび)()えゆき (やみ)(とばり) 沈黙(しヾま)()りたつ 筑紫(つくし)(はま) (こずゑ)調(しらべ)か (よる)(きょく)か 水際(みぎは)眞砂(まさご)よ (なに)(かた)る。 1番歌詞 博多湾に漁に出ていた舟の漁火が次々に消えていった。闇の帳は降りて、辺りは真っ暗になり、筑紫の浜に静寂が訪れた。聞こえるのは、風にざわめく千代の松原の枝の音か、夜の浜辺に打ち寄せる波の音だけである。浜辺の砂は、いったい何を語ろうとしているのだろうか。

「漁火きえゆき 闇の帷」
 「漁火」は魚を漁船の方へ誘い寄せるために焚く火。玄界島のイカ釣りの漁火は博多湾の秋の風物となっている。ただし、昔のように篝火ではなく、ランプを灯している思われる。私が小さい頃には、すでに漁火はランプとなりランプ網と呼んでいた(ただし紀州熊野灘の話)。「闇の帳」は、漁火が消えて真っ暗になったこと。当時は、漁火が消える頃には、博多の街の灯、能古島、志賀の島、西戸崎の街の灯も消えていて、真っ暗な海であったと思われる。

「筑紫の濱」
 かって多々良浜から石堂川(御笠川)にかけて、白砂青松の砂浜が広がっていた。福岡医科大学とその後身の九州帝国大学医科大学は、その千代の松原に隣接(というよりその中にあり)、博多湾に面していた。神功皇后三韓征伐「帆柱石」伝説の名島海岸もすぐ近くで、医科大学生の逍遥の地であったという。「筑紫の濱」は、明治の寄贈歌では、歌枕の袖が湊から袖が浜辺、あるいは袖が浦と詠っていた浜辺のことである。
 「袖が濱邊の夕潮に 浮ぶ鷗の夢さめて」(明治40年福岡医科大学寄贈歌「袖が濱邊の」1番)
 「筑紫の富士にくれかゝる 夕の色の袖が浦」(明治45年九大寄贈歌「筑紫の富士」1番)
 「東公園(千代の松原の一部)は医科大学に隣接、教官・学生たちにとっては最も馴染み深い場所であった。」(「九州大学百年史写真集」明治41年東公園の説明)
 「『帆柱石』の伝説を持つ名島海岸も、当時は景勝地の一つとして医科大学生がよく訪れた。」(「九州大学百年史写真集」明治42年名島海岸の説明))

「梢の調か 夜の曲か」
 梢の調べは、千代の松原の松の枝の風にざわめく音、夜の曲は波の音。夜間であるので、風は陸から海へ吹く陸風である。明治から大正時代の福岡医科大学、九州大学医科大学の写真(九州大学百年史写真集)を見ると、松原の中に校舎があるという感じである。
 「闇の沈黙を聞けや君 松の精のさゞめ言 浪の御靈の秘小言 なげきに咽ぶひゞきあり」(大正2年「御代諒闇の」2番)

「水際の眞砂よ 何を語る」
 4番歌詞最後の句で「卅年ことほぎ 岸に鳴りぬ」と答えを示す。
仄々(ほのぼの)(しら)める 空の(さち)に 春こそ來つれと  小鳥鳴けば 假寝の旅路に 歌う巡禮(もの)の 悲しき旋律(ふし)にも (ひかり)ありぬ。 2番歌詞 朝が、ほんのりと白々と明けるようになり、季節風の向きが南東の風にかわった。渡鳥は、春が来たと喜んで鳴いている。南東の風に乗って、故郷の北に帰ることが出来るからである。自分も羽があったら、渡鳥のように、故郷の向ヶ丘に飛んで帰りたい。故郷へ帰る渡鳥が羨ましい限りだ。しかし、筑紫の果に旅寝する遊子が歌う悲しい寮歌の節にも救いはある。すなわち、筑紫の果にいようと、どこにいようと、一高生は寮歌さえ歌えば、心は向ヶ丘に帰ることが出来るのである。

「仄々白める」
 「白める」は、しらじらと明るくなる。
 枕草子 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」

「空の幸に春こそ來つれと 小鳥鳴けば」
 春、故郷に帰る季節風が吹いてきたと喜びの声をあげて渡り鳥が鳴けば。「空の幸」は季節風。春になると季節風の風向きが変わり南東の風が吹き始める。渡り鳥はこの風に乗って北の故郷に帰るこの渡り鳥を見るにつけ、故郷向陵への思いが募るのである。「つれ」は、完了存続の助動詞「つ」の已然形。「小鳥」は、4番歌詞の冬鳥の「雁」である。

「假寝の旅路に歌ふ巡禮の」
 人生を旅と見る。一高に学ぶのも、九州帝國大學に学ぶのも、また旅であり、仮寝となる。「巡禮」とは、聖地・霊場をまわること、またその人をいうが、ここでは向ヶ丘から遠く離れ九州帝國大學に学ぶ一高OB。
 奥の細道 「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也」

「悲しき旋律にも 光ありぬ」
 「光」は、希望。救い。小鳥たちが空の幸である季節風に乗って故郷に帰るように、一高OBにも救いがある。すなわち、寮歌を歌えば、心は故郷向ヶ丘へと帰るのである。「ぬ」は、完了存続の助動詞。
千里を(へだ)つる 旅の空の 安けき小夢(こゆめ)に (めざ)夜半(よは)も 散り來る櫻の 墨田川に 浮べる千鳥の (やさ)姿(すがた) 3番歌詞 向ヶ丘から、遙か遠く隔てた筑紫の果に遊学中の身であるので、向ヶ丘が恋しくてたまらない。向ヶ丘の懐かしい夢を見ては、夜中に目を醒ますこともある。桜の花びらが散る墨田川に、一緒にボートを浮かべて漕いだ友の優しい顔が忘れられない。

「千里を遙つる 旅の空の」
 東京ー博多間は約1200キロ、3百里であり、「千里」は向陵との距離を実際よりも遙か遠い。シベリアに帰る小鳥達と同じくらい故郷から離れていると気持ちの上では感じているのだろう。「つる」は、完了存続の助動詞「つ」の連体形。「旅の空」は、遊学中の筑紫の空である。
 「西に離れて三百里 筑紫の果に迷ふ時」(明治45年「筑紫の富士に」5番)

「安けき小夢に 醒む夜半も」
 「安けき小夢」は、もちろん向ヶ丘の夢であり、次句の「散り來る櫻の 墨田川に 浮べる姿の 優し姿」である。

「散り來る櫻の 墨田川に」
 墨田川堤(墨堤)は古来より桜の名所、また隅田川は校内ボート対抗戦の行われたところ(一高在校中は対校戦はなかった)。
 「散り來る櫻舟うけて 彌生が岡を思ふかな」(明治44年「雲や紫」4番)

「浮べる千鳥の 優し姿」
 「千鳥」は、チチと鳴いて群れをなして飛ぶ。その姿に一高生を重ねる。隅田川にボートを浮かべ、友と楽しく過ごしたことを夢の中で懐かしく思い出しているのである。「浮ぶ」は、桜と千鳥を懸け、さらにボートを想起させる。
 「博多の海の浪枕 千鳥の夢は深くとも」(明治43年「春の朧の」2番)
 「歡呼の浪の岸を打ち 千鳥友よぶ自治の海」(明治43年「新草萠ゆる」2番)
 「立つ白波に友千鳥 心へだてず聲かはす」(明治36年「筑波根あたり」7番)
故郷に樂しき (いはひ)ありと 傳ふる雁音(かりがね) 北に過ぎぬ 月影みちたる 春の(うしほ) 卅年(みそとせ)ことほぎ  岸に鳴りぬ。 4番歌詞 向ヶ丘に楽しい紀念祭があると伝える雁は、既に故郷の北に向け帰って行った。博多湾の上には、円い月が出て、春の海に潮騒が聞こえる。筑紫の浜辺には、第30回紀念祭を言祝ぐかのように、勢いよく音を立てて波が打ち寄せている。

「故郷に樂しき 祝ありと 傳ふる雁音 北に過ぎぬ」
 向ヶ丘に紀念祭があると伝える雁は、既に故郷の北に向け帰って行った。
 「故郷」は、向ヶ丘。「樂しき祝」は、寄宿寮の開寮記念日を祝う紀念祭。「雁」は冬鳥、春に繁殖地のシベリア方面に帰る。鳴き声は「キュユユ」「クワワワ」と大きな声で、飛び立つときや飛翔中によく鳴く。2番歌詞の「小鳥」に同じと解する。

「月影みちたる 春の潮」
 海の上には円い月が出て、春の海は潮騒を響かせて満ちてきた。大正9年3月1日は、旧暦では1月11日、月齢は10.2日で満月ではない。「月影みちたる」は、月が円い形になってきたこと。上弦の月から満月に近づいた形。「みちたる」は、月と潮の両方を懸ける。「春の潮」は、潮の色は明るく、干満の差が激しい。波音を立てて豊かに押し寄せては干潟を残して行く。一般に月が高い時は満ち潮、低い時は、引き潮となる。

「卅年ことほぎ 岸に鳴りぬ」
 開寮30周年を祝うかのように、砂浜に波音を響かせている。1番歌詞の「水際の眞砂よ 何を語る」を承ける。
 
春の()かゞやく 彌生が岡 (よろこび)(うた)ふは 友の心 柏樹(かしはぎ)色濃く ()ゆるところ 我等の血潮よ 永久(とは)にたぎれ。 5番歌詞 灯影も赤く祭の宵が楽しく更けて行く彌生が丘、友の情に感激して歌う寮歌、綠もぞ濃く柏樹の芽吹く蔭。あゝなんと懐かしくも美しい向ヶ丘よ。我らの青春の血よ、永久に滾れ。

「春の燈かゞやく 彌生が岡」
 「春の燈」は、紀念祭の祭りの灯。「燈」は、昭和50年寮歌集で「灯」に変更された。「彌生が岡」は、向ヶ丘のこと。

「柏樹色濃く 萠ゆるところ」
 「柏樹」の葉は、一高の武の象徴。「萠ゆる」は、芽を吹くこと。柏の葉は、秋に落葉せず、春新芽が芽吹いた後に落葉する。「萠ゆる」は、柏樹と「血潮」を懸ける。
                        

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