旧制第一高等学校寮歌解説

あかつきつくる

大正9年第30回紀念祭寄贈歌 東大

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、あかつきつくる(くだかけ)の    三(たび)なけども夢さめず
   平安大路(たいろ)模糊として     街樹(がいじゅ)の梢春淺き
*「つくる」は昭和10年寮歌集で「つぐる」に変更。

2、荒野に立てるヨハネとや  落暉(らつき)に叫ぶ新人が
  願ふ心は濁世(じょくせ)に       維新再びあるべきぞ
*「濁世」のルビは、昭和10年寮歌集で「じょくせい」に変更。

ニ長調・4分の2拍子は不変、 その他昭和10年寮歌集で、次の変更があった。下線はタイ。

1、「あかつきつくる」(1段1・2小節)   ソーソミーソドーレミーに変更。
2、「みーたび」(2段1小節)   ミーミソーソに変更。
3、「なけども」(2段2小節)   ミーソドーレに変更。
4、「ゆめさめ」(「2段3小節)   ミーレドーラに変更。
5、「もことし」(3段3小節)   レーレミーソに。
6、「がいじゅの」(4段1小節)   ソーソミーミに変更。
 現在は、ほとんど歌われることはないが、7小節にも及ぶ変更があったということは、昭和10年頃には、それなりに歌われていたということだろう。最近6年間の一高寮歌祭で、この寮歌がリクエストされたのは、たった2回、戦前卒の大先輩からである。1番、2番のみを歌う。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
あかつきつくる(くだかけ)の 三(たび)なけども夢さめず 平安大路(たいろ)模糊として 街樹(がいじゅ)の梢春淺き 1番歌詞 夜明けを告げる鶏が三度鳴いても、夢から醒めず、都の大通りは、うつろとして、街路樹は、まだ芽を吹いていない。

「あかつきつくる鷄の 三度なけども夢さめず」
 「夢からさめず」の主語は、街樹。「あかつきつくる」は昭和10年寮歌集で「あかつきつぐる」に変更された。たんに濁音を明示しただけか、「作る」を「告ぐる」に変えたかは不明。

 次のマタイ伝第26章を踏まえる。ただし、「鶏が鳴く前に」を「鶏の三度なけども」と変えている
34:イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。
43:またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
44:それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
45:それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
46:立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた。

「平安大路模糊として」
 世の平和に、都の大通りものんびりとして。「平安大路」は、平安京の大路。平安はのんびりした意と都を懸ける。「模糊」は、うつろ。ぼんやりしたさま。

「街樹の梢春淺き」
 「街樹の梢」は、世の俗人を喩える。「春淺き」は、春が浅くて夢から醒めてない状態であるので、まだ芽を吹いていないの意。
荒野に立てるヨハネとや 落暉(らつき)に叫ぶ新人が 願ふ心は濁世(じょくせ)に 維新再びあるべきぞ 2番歌詞 荒野に立って説教する洗礼者ヨハネのように、世を憂いて落日に向って叫ぶ新人会の会員が願う心は、この濁世にもう一度、明治維新のような政治の変革があっていいということだ。

「荒野に立てるヨハネとや」
 バプテスマのヨハネ。イエスの先駆者。神の国の近きを述べ、ヨルダン川でイエスをはじめ多くの人に洗礼を施した。ヘロデ・アンテパス王の命で斬首された。「とや」は連語。とや云ふの略。

「落暉に叫ぶ新人が」
 「落暉」とは夕日。落日。日本の没落を暗喩するか。「新人」とは誰か? 大正7年12月5日に吉野作造・麻生 久らが後援し、赤松克麿・宮崎竜介らによって結成された東京帝國大學内の社会主義思想団体である「新人会」ないしこの団体と思想を同じくする者の意であろう。新人会は大正8年3月に機関誌「デモクラシー」を発刊。民本主義から急激に社会主義に傾斜していった。昭和4年11月、日本共産青年同盟の指導の下に解散した。
 「大正8年12月10日、新人會より『デモクラシー』及び『解放』寄贈せらる。ただし、本會は、大學新人會とは全然何等の関係を有せざるものなる事を附記せざる可らず」(「向陵誌」一高社會思想研究會大正8年) 

「維新再びあるべきぞ」
 「維新」とは、物事が改まって新しくなること。政治の体制が改まること。 通常は、明治維新をいう。この寮歌が急激に左傾化していった「新人会」と関係あるものであれば、「社会主義革命」ということになる。後に、青年将校が口にした「昭和維新」などの右翼的なものとは、異質である。
 詩経『大雅、文王』 「周雖旧邦、其命維新」 
ふりさけ見れば若草の 向ふ丘の柏樹(かしはぎ)に 平和の新飾色(しんしょくいろ)添えて 三十葉(みそは)の蔭の夢語り 3番歌詞 振り向いて遠くを見れば、平和の春が訪れて、向ヶ丘に若草が生い茂り、柏木の葉も新旧すっかり入れ代って、陽春の陽射しを浴びて新緑に輝いている。開寮以来、30代目の柏葉の蔭で、自治寮30年の先人の遺業を偲ぶとともに、自治寮の将来に思いを馳せよう。

「ふりさけ見れば若草の」
 「ふりさく」は、振り向いて遠くをのぞむ。東大と本郷・一高は、言問通りを隔てて隣接している。「ふりさけ見れば」は、気分的なものである。
 阿倍仲麻呂 「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも」

「向ふ丘の柏樹に 平和の新飾色添えて 三十葉の蔭の夢語り」
 柏葉は、秋に落葉せず、春に新芽がすっかり生えそろってから、古い葉が落葉する。「新飾」とは、柏の木が春に、古い葉を落として新緑一色となること。「三十葉」は、30代目の柏葉。柏葉は1年に一度葉代わりするので、現在の柏葉は、開寮時の柏葉からから数えて、30代目の葉である。「向ふ丘」は、昭和50年寮歌集で「向ふが丘」に変更された。
 「カシワは、秋になっても枯れ葉は落葉せずに越冬し、翌春新芽が生えそろって初めて落葉する」(大平成人・辻幸一著「一高校章試論」)
「夢語り」は、自治寮の過去を振返り、先人の偉業を偲ぶとともに、将来の自治寮に思いを馳せること。
祝ふ宴のさかづきは あぐともよしや兄弟よ 舊套すでに破れ果て 形骸傲る憂あり 4番歌詞 紀念祭の祝宴で飲む酒は、嫌になるほど飲んでいいのか、寮生諸君!古い伝統に胡坐をかいで、豪傑主義を気取って鯨飲馬食をするのは如何なものか。向ヶ丘の伝統の中にも、既に形骸化し、中身が失われているものも多いのではないか。

「祝ふ宴のさかづきは あぐともよしや兄弟よ」
 祝宴で飲む酒は、嫌になるほど飲んでいいのか、寮生諸君。「あぐ」は飽く。いやになるほど・・・する意。紀念祭は寄宿寮の誕生を祝い、改めて自治の確認強固を誓うものであるのに、飲んで騒いでそれだけでいいのかという。

「舊套すでに破れ果て 形骸傲る憂あり」
 古い形式は中身が失われているのに、外形だけが大切にされている嫌いがある。向ヶ丘の守旧派の拠り所である籠城主義を否定しているようである。
 「然るを何の意義の籠城ぞや、因襲を保守し、傳統の偶像の前に伏して、自ら心清しとなす。嗤はざる可らざるに非らずや、我等は、外社會の凡ての風潮に對して解放せられざる可らず。輕燥浮華の世俗の侵入は、我等の實生活を脅かすものとして憂ふる勿れ、我等は既に生に目醒み初めたるに非らずや、我自治寮の一千の友は、等しく起ちて、自由平等友愛の精神を、宜しく生活そのものに表現せざる可らず。我自治寮の危機は実に此秋にありと云はざる可らず」(「向陵誌」一高社會思想研究會大正8年)
 「愈愈向陵は社会化せられ、籠城主義も漸く崩壊し始め、皆寄宿制度撤廃の叫びさへ喧しくなり、新向陵の黎明は來りたり」(「向陵誌」辯論部部史大正11年)

國の(せめが)ふ戰は 人道の名に勝ちたれど 文化は衰へ物欲(ぶつよく)や 肆淫(しいん)に耽るあさましさ
5番歌詞 世界中の国が二つの陣営に分かれて戦った第一次大戦は、毒ガスや潜水艦による無差別攻撃等の非人道的行為を行ったドイツが負け、人道を掲げた連合国が勝ったけれども、戦争の結果、精神的な価値は軽視され、物質的な満足を求めたり、恣に不純な行為に耽るあさましい風潮が蔓延っている。

「國の鬩ふ戰は 人道の名に勝ちたれど」
 第一次世界大戦は、毒ガスや潜水艦による無差別攻撃等の非人道的行為を行ったドイツ側が負け、連合国側の勝利となったこと。「鬩ふ」は争う。「鬩ふ」は、昭和10年寮歌集で「鬩がふ」に変更された。

「文化は衰へ物欲や 肆淫に耽るあさましさ」
 精神的な価値は軽視され、物的な満足や恣に不純な行為に耽るあさましさ。「肆淫」は、恣に淫らな行為に耽ること。
三年が丘に培ひし 心に結ぶ友垣よ 破邪か降魔か新生の (わざ)を建つべき今日なるぞ 6番歌詞 向ヶ丘三年で培った心と心で固く結ばれた友よ。古臭い籠城主義の伝統に固執する守旧派の誤った見解を打ち破り、これを降伏させよ。今こそ、新しい向ヶ丘に生まれ変わる時である。

「三年が丘に培ひし 心に結ぶ友垣よ」
 向ヶ丘三年で培った心と心で固く結ばれた友よ。

「破邪か降魔か新生の 業を建つべき今日なるぞ」
 籠城主義などの古臭くなった伝統に胡坐をかいた守旧派の誤った見解を打ち破り、これを降伏させて、新しい向ヶ丘の伝統を一から築き直さなければならない時である。。「破邪」は、誤った見解を打ち破ること。「降魔」は、悪魔を降伏(ごうふく)すること。
 東大新人会の思想によるものか? 具体的な自治の改革内容は不明であるが、前記引用一高社会思想研究会の「然るを何の意義の籠城ぞや、因襲を保守し、傳統の偶像の前に伏して、自ら心清しとなす。嗤はざる可らざるに非らずや」という辺りであろう。
 大正8年11月1日、嚶鳴堂で開かれた都下各学校連合演説会において東大助教授森戸辰男先輩が「民衆」への題で、向陵健兒に向かって絶叫し、多くの寮生に深い感銘を与えた。
 「現下の思潮より説き起して高踏的なる在来の向陵精神を難じ、柏葉兒の驕慢なる心に一大痛棒を加え、新しき時代に応ずべき新たなる良心の喚起を求め、向陵兒よ、特権の夢より醒めよ、民衆へ赴け、と叫び満堂の健兒をして無限の感慨に耽らしめたり。實に貴き演説なりき。吾人は舊き向陵の死して新なる向陵の生れんとするに當り必ずや此演説が一のTurning Pointをなしたるべきを信じて疑わざる者なり。」(「向陵誌」辯論部部史大正8年)
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌