旧制第一高等学校寮歌解説

のどかに春の

大正9年第30回紀念祭 三十年祭紀念歌

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1、のどかに春の訪れて    丘べの櫻匂はしき
  けうの祭のよそほひに   綺羅をつくせし八寮の
  甍もとよむ柏笛       三十年の自治の歌
*「けう」は大正14年寮歌集で「けふ」に変更。

3、若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり
  三とせの春のうつろひに  悲しきさだめありとても
   あゝ感激に生くる子の   友情の花しぼまんや

5、されば今宵はうちつどひ  われらが丘の幸多き
  生命(いのち)よとはに若かれと   ことほぎのうた高うたひ
  手をあげ舞ひて友よいざ  かたみに美酒くまんかな
2段小節4音シは1オクターブ原譜より下げて訂正。
譜は調・拍子は変更ないが、昭和10年寮歌集、平成16年寮歌集で次のとおり変更された。下線はスラー。

1、「にほはし」(2段3小節)  レーミレーシー(平成16年)に。
2、「けうのま つりの」(3段1・2小節)  「きょー ーの まつりの」と「ま」の音を2小節に繰下げ、「まつりの」を強起に変更して、レーレレーレー ミーミミーミー(昭和10年)、さらに後半「まつりの」をミーファミーミー(平成16年)に。
3、「よそほひ」(3段3小節)  ソーラソーファー(昭和10年)に。
4、「きらをつ くーせし」(4段1・2小節) 「きーらを つくせし」と第2項と同じように「つ」の音を2小節に繰下げ、「つくせし」を強起に変更して、ドードドーソー ミソドーミ(昭和10年)、さらにドードドーソー ミーソドーミー(平成16年)に。唯一存在した「つ
くーせし」のタタ(8分音符の連符)はなくなり、すべてタータ(付点8分音符・16部音符)となった。
5、「はちりょう」(4段3小節) レードレーミーレ(昭和10年)、さらにスラーを外した(平成16年)。

 ミファソド ソミドと快いメロディーが向陵讃歌の歌詞によく合って、大正期の寮歌では「若紫に」とともに一高生に最も愛唱されている。通常、1番、3番、5番を歌う。3番の「若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり」で一高生のエリート意識がくすぐられると、完全に二八の頬紅の少年に戻り、次は5番の最後「手をあげ舞ひて友よいざ かたみに美酒くまんかな」では友と我は、まさに一体。年老いた今は、歌い終われば、また逢う日まで惜別悲傷の情しきりとなるのである。


語句の説明・解釈

この寮歌は、現在は第30回紀念祭寮歌として他の寮歌と特に区別されていないが、広く寮生から募集した紀念祭寮歌ではなく、第30回寮歌祭に際し、「三十年祭紀念歌」として特別依頼ないし募集し作ったものである。この種寮歌と思われるものには、明治36年紀念祭歌「春の日背をあたゝめて」、大正4年二十五年祭の歌「あゝ新緑の」(大正7・10年寮歌集に掲載なし)がある。

語句 箇所 説明・解釈
のどかに春の訪れて 丘べの櫻匂はしき けうの祭のよそほひに 綺羅をつくせし八寮の 甍もとよむ柏笛 三十年の自治の歌 1番歌詞 のどかに春が向ヶ丘に訪れて、丘の桜が色美しく咲いた。今日の紀念祭のために、八寮は、この上なく豪華に綺麗に飾り立てられた。一高生は、三十年祭紀念歌「のどかに春の」を大きな声で歌うので、八寮の屋根も揺り動いている。

「丘べの櫻匂はしき」
 向陵誌の写真で見る限り、寄宿寮の周りにはたくさん桜が植栽され、寮室の窓から桜の花に手が届く感じである。かって旧東・西寮前には、寮生が花見を楽しみにしていた桜の大樹が植わっていたが、大正6年10月、未曽有の猛台風で倒れてしまった。10年前、明治43年に寄宿寮創立20年記念事業として、桜の木100本が植えられた。これらの桜木も成長して、遅くもこの頃には、きれいな花を咲かせていたことであろう。
 本郷一高の桜は、吉野の桜と同じ山桜系で、「櫻眞白く」(大正6年)とあるように、どちらかというと白い桜であった(園部達郎大先輩の話)。ただし、桜は紀念祭の3月1日頃にはまだ咲くことはない。あくまでも詩の観念的な世界のことである。この年の紀念祭も残雪が残って、非常に寒い日であった。「丘べ」の丘は向ヶ丘、「匂ふ」は色美しく映える。「匂はしき」の「き」は回想(過去)の助動詞。
 「殘雪尚冬の名殘を止めたれども春光熙々として寮庭萬朶の櫻花正に笑はんとするこの日我等が自治寮齢三十を重ねぬ。」(「向陵誌」大正9年3月)

「けうの祭のよそほひに 綺羅をつくせし八寮の」
 大正9年の紀念祭は節目の30年祭ということ、また西・明寮の落成祝賀式も同時に行うとあって、紀念祭は3月1日と2日両日にわたり挙行された。紀念祭の2日は一般公開、入場者は23000人余。「綺羅をつくせし」は、この上なく豪華に飾りつけたの意。「綺羅」は、あや織の絹と薄絹。「八寮」は、東・西・南・北・中・朶・明・和の八棟の一高寄宿寮。このうち西・明二寮は、紀念祭の直前、2月に落成したばかりであった。「けう」は、大正15年寮歌集で「けふ」に変更された。
 「第一節はまず緩徐なうたい出しで、紀念祭の各室の飾り物を華やかに形容し」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「窓外の寒梅いつか綻びて向陵春已に訪れぬ、眼を擧れば新築二寮工竣へて新築に六寮甍を並べ八箇の高樓巍然として向ヶ岡の中央に聳立し時計臺上聖鐘嚴に鳴りひゞきて世の淫樂の夢を醒ます。附して大地の黙々たるを見、仰ぎて大空の悠々たるを見る。大地の息吹き大空の奏律何れか向陵永遠の生命の讃頌に非らむ。橄欖の蔭柏の下そこに永遠の青春の泉はたゝへらる、あゝ、友よ若き日の友よ、さらば汲まずや永劫の生命の露を。」(「向陵誌」大正8年3月)

「甍もとよむ柏笛 三十年の自治のうた」
 30年にわたる自治を讃歌する寮歌の高い歌声が、寮の屋根をゆり動かして響いている。「甍」は、瓦葺の屋根。「柏笛」は寮歌。柏葉は一高の武の象徴。「三十年の自治の歌」は、開寮30周年を記念して特別に作られたこの「三十年祭紀念歌」すなわち「のどかに春の」であろう。「とよむ」は、揺り動かすように音や声が響く。
生命(いのち)をこめていくそたび しらべもたかき青春の おもひたくみに鏤めし ふるき壁画の金泥(こんでい)に わが傳統をたづぬれば 三十年の自治のはえ  2番歌詞 血湧き肉躍る青春の物語を精魂込めて何度も何度も実に巧みに描いた古い壁画の金泥に、我が一高寄宿寮の伝統は何かと尋ねたら、30年にわたり連綿と先人から傳えられてきた自治であると答えた。すなわち、我が一高寄宿寮の伝統は、30年続いてきた栄ある自治であるという。

「生命をこめていくそたび」
 「生命をこめて」は、一生懸命に。精魂込めて。「いくそたび」は、何度。度数の多いのについていう。

「しらべもたかき青春の おもひたくみに鏤めし」
 血湧き肉躍る青春の物語を実に巧みに描いた。「鏤めし」は、金粉を散りばめたの意。描いた。

「古き壁画の金泥に」
 「金泥」は、金粉を膠水にときまぜたもの。日本画、装飾、写経を書くのに用いる。「壁画」は一高寄宿寮30年の歴史書、「金泥」は、各年の出来事を書き記す文字、絵のようなものを喩える。この句の壁画・金泥の発想は寮室の壁と落書きからと思われる。
 「生命の窓の白壁に 鐫りて古りにし名は誰ぞや」(大正7年「うらゝにもゆる」5番)
 「あまり難しく考えないで、『寮室内の落書き』を『壁画』に喩えたものと解すればわかりやすい。」(森下達朗r東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
 「向陵の歴史を古い金泥の壁画にたとえている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「わが傳統をたづぬれば 三十年の自治のはえ」
 我が一高寄宿寮の伝統は何かと尋ねたら、三十年続いた栄ある自治という。
若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり 三とせの春のうつろひに 悲しきさだめありとても  あゝ感激に生くる子の 友情の花しぼまんや 3番歌詞 若いが故に憧れの一高に入学できた感激と誇りは、喩えようがないほど大きい。残念なことに、向ヶ丘の三年(みとせ)が過ぎると、悲しい別れが待っているが、感激に生きる我らの友情の花が萎むということは絶対にない。

「若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり」
 天下の秀才が全国から集まる一高は、中学生の憬れの的であった。それだけに一高に入学できた喜びと誇りは筆舌に尽くしがたほど大きかったと思われる。「丘にのぼる」とは、一高に入学して、一高生になること。逆に「丘を去る」「丘を下る」とは、卒業して(あるいは中退して)一高を去ること。
 「あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て」(大正6年「櫻真白く」3番)
 「橄欖の蔭にさまよひし 衿りはとはにわすれじな」(大正9年「春甦る」3番)
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」追憶3番)
 「この詩の一つの頂点で『若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり』と琴線にふれる表現で向陵に登ったきよいほこりをうたい、それをそこで生れる友情に深く結びつけている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「三とせの春のうつろひに 悲しきさだめありとても」
 「三とせの春」は、向ヶ丘の三年間。旧制高等学校の修業年限は、戦時中のある時期を除き三年であった。「悲しきさだめ」は、三年経てば卒業して寄宿寮を去り、友と別れなければならない運命をいう。

「友情の花しぼまんや」
 花は、春が過ぎれば萎み散ってしまうが、友情の花は、三年(みとせ)の春が過ぎてても、いつまでも萎み散ることはない。
 
自由の園におのがじゝ 理想の光もとめつゝ 芽生もしるき若草の ほにいづる日や朗らかに 若き日本のあけぼのに (あした)の鐘を撞かんかな 4番歌詞 寮庭の若草は、めいめい理想の光を追って、勢いよく伸び伸びと育っている。穂を出す時には、さぞや立派な穂を出して光り輝いてくれるだろう。すなわち、自治寮で、めいめい理想を追い求めながら伸び伸びと育った優秀な一高生は、世に出たら、各界の指導者として光り輝くことであろう。新しい日本の夜明けをもたらすのは、我ら一高生をおいて他にないと、一高生の意気は、いやがうえにも上がるのである。

「自由の園におのがじし 理想の光をもとめつゝ」
 「自由」は、自治の自由。自治を許された意と解す。自由気ままな寄宿寮ではない。若草(一高生)が自治寮で伸び伸びと育っているさまをいう。「園」は、寮庭、もしくは寄宿寮。「おのがじし」は、めいめい、それぞれ。

「芽生えもしるき若草の ほにいづる日や朗らかに」
 「若草」は、一高生を寮庭の若草に喩える。「ほ」は穂、秀。形・色・質において他からぬきんでていて人の目にたつものの意。。「朗らか」は、明るく光るさま。

「若き日本のあけぼのに 朝の鐘を撞かんかな」
 新しい日本の夜明けをもたらすのは、一高生のほかに誰もいないと、一高生の意気は、いやがうえにも上がるのである。「朝の鐘撞かんかな」は、一高生の意気の高揚をいう。

 「第四節は、向陵の自治自由のなかから、新生日本の先駆的思想の生れることをのびのびと期待」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
されば今宵はうちつどひ われらが丘の幸多き 生命(いのち)よとはに若かれと ことほぎのうた高うたひ 手をあげ舞ひて友よいざ  かたみに美酒くまんかな 5番歌詞 そうであるなら、今宵は打ち集って、我らが向ヶ丘に幸多かれと、また我らが何時までも若い心でいられるように祈りながら、紀念祭を祝い寮歌を高誦しよう。さあ、友よ、手を挙げて舞い、そして互いに酒を酌み交わそうではないか。

「われらの丘の幸多き 生命よとはに若かれと」
 我らの向ヶ丘に幸多かれと、また我らが何時までも若い心でいられるように。「丘」は向ヶ丘。「生命」は、一高生の生命と解した。

「ことほぎのうた高うたひ」
 「ことほぎ」は、祝いの言葉を述べて、長命や安泰を祈る。「ことほぎのうた」は、自治を讃える寮歌。特に、この日のために特別に作られた「三十年祭紀念歌・のどかに春の」をいうものであろう。

「かたみに美酒くまんかな」
 互いに美味しい酒を酌み交そう。「かたみに」とは、「たがいに」の意。「美酒」は、美味しい酒。「美」は、酒の美称。
 「夕されば寮庭に宴を開き、電燈を點じ篝火を焚き一大不夜城を現出し先輩寮生相集まりて今尚盡きせぬ感興に春宵を語り明かし舊歡を温めん覺悟なりしも生憎雪解けと寒氣のために已むを得ず、之を食堂に開けり。」(「向陵誌」大正9年3月1日)*この年は、30周年の特別の紀念祭であったので、紀念祭は二日に渡り、3月2日は嚶鳴堂で全寮茶話会を開いている。
 
 「終りの五節で記念祭(ママ)の宵を心ゆくばかりうたい且つ舞い納めている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 全節とも七五の六行が、なだらかな係結により次々に断絶なく結ばれて終行に到り、豊潤なリズムはいささかの渋滞もない。・・・歌詞は洗練された平明さでつながれているが、その意味内容は微妙な抑揚をもっている。何もかも寮歌にもり込もうとせず、適当な密度の内容を、之に最適の形式に溶かし込んだ処に、この寮歌の成功の鍵があろう。
「一高寮歌私観」から
園部達郎大先輩 『春甦る』と共に愛称し続けたこの寮歌は、今に、向陵の生活、理想、友情を説いて余さない。普通の寮歌は音頭取りが、何番何番と指定するのだが、この歌に限って自然に、一、三、五と歌って、二、四、は歌ったことがない。ある時、氷室さん(作詞者)に訊いてみた。『私も二番は、それほど気に入っていませんから、いいんです」とのお答え。天下公認と歌い続けている。 「寮歌こぼればなし」から


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