旧制第一高等学校寮歌解説

春甦へる

大正9年第30回紀念祭寮歌 

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1、春甦へるときめきに    燃ゆる若樹の光より
  いのちの群はわなゝきて 大地(つち)(よは)ひをさゝやきぬ
*「春甦へる」は昭和10年寮歌集で「春甦る」に変更。
  
2、跫音秘(あしおとひ)めて歩みよる   新生(うま)れし時代(とし)の歡びを
  ()りてほゝゑむ花籠に  (あけぼの)のいろ君みずや

哀愁(うれひ)こそあれたまゆらの うら若き日の旅すがら
  橄欖(ウリグ)の蔭にさまよひし   (ほこ)りはとはに忘れじな
*橄欖のルビは大正14年寮歌集で「オリヴ」に変更。
*「矜り」は昭和50年寮歌集で「衿り」に変更。

4、眞理(まこと)のみちの嬰兒(みどりご)が   宇宙(あめ)(しらべ)(みは)りけむ
  双眸(ひとみ)にやどす輝きを    生命(いのち)(うた)と誰か知る          

大正8年紀念祭寮歌は第29回と回数を明示したが、大正10年寮歌集では大正9年の寮歌は、回数を省いた表示である。この「春甦へる」は、「記念祭寮歌(大正九年) その一」とあったが、その二の「一夜の雨を」は「紀念祭寮歌」であり、「紀念祭寮歌」と改めた。
 
 矢野一郎作曲の代表寮歌である。大正7年「紫霧ふ」、大正8年「一搏翺翔」、同年「東皇囘る」は全て4拍子ないし2拍子で作曲されたが、この曲は3拍子である。箕作秋吉作曲の大正6年「若紫に」、摺澤頸四郎作曲の大正9年「のどかに春の」と3拍子の名曲がこの時代次々と誕生し、3拍子寮歌が定着しポピュラーなものとなった。
 
 現譜は1箇所、2段4小節の2音のドがレに訂正されているが(昭和10年寮歌集)、他はスラーが2箇所についた程度で、メロディーは同じである。起(1段主メロディー)承(2段準主メロディー)転(3段)結(4段)を4小楽節に絵に描いたように収めた完璧な名曲である。そのため寮生の長年にわたる歌い継ぎにも崩れようがなかったのであろう。
 この寮歌はメロディーこそ違え、箕作秋吉の大正8年「時の流れも」のリズムと全く同じである。すなわち各段は、タータタータ タータターー ターターー タータターー(「時の流れも」は4段3小節のみターターーに逆転、「春甦へる」は「さーアさーーア」と多少の変化))である。箕作作曲の「時の流れも」の影響は否定できないだろう。


語句の説明・解釈

「橄欖」と「オリーブ」について
  一高の校章は、武・文の象徴である柏に橄欖を模ったものとされる。当然に柏も橄欖も寮歌に多く登場する。このうち橄欖の読みは、この寮歌までは「かんらん」であったが、この寮歌以降「オリーブ」と読ませる寮歌が登場する。昭和17年第47回「新墾の」でも「嘆きにも橄欖の梢」の「橄欖」はオリーブである。「橄欖」と「オリーブ」は別種で、一高校章は、「オリーブ」というのが定説のようである。柏と橄欖は、ギリシャ神話の武の神マルス、文の神ミネルバの象徴である(これらの神の名はローマ神話のものである)。植物学的な形状が問題とされることが多いが、それはさておき熱帯原産の橄欖よりは、マルスの神、ミネルバの神が活躍するギリシャ神話の舞台・地中海が原産であるオリーブとするのが妥当な解釈であろう。寮歌に出てくる橄欖は、観念的象徴的なもので、花を例にとっても、ある寮歌では咲いたり(明治36年東寮々歌「緑もぞ濃き」-橄欖の花雫すよ)、また、咲かなかったり(昭和3年第38回紀念祭寮歌「あこがれの唄」-橄欖花は咲かねども)する。校章の橄欖はともかく、寮歌の橄欖については、植物学的な詮索をしてもあまり意味がないと思うが、「広辞苑」の記載を参考のため記す。

  橄欖    カンラン科の常緑高木。熱帯原産。我国では鹿児島の南端に移植栽培。葉は羽状複葉。革質。花は黄白色、
         三弁。楕円形の核果は食用、種子を欖任(ランニン)といい、油を採る。オリーブを橄欖と訳することがあるが、
         本来は全く別種である。

  オリーブ  モクセイ科の常緑小高木。地中海地方の原産で暖地に生育。葉は対生、深緑、裏面は灰白色、革質。初夏、
         芳香ある淡緑白花を総状花序につける。果実は楕円形の核果で、青いうちに採取して食用とし、熟果からオリ
         ーブ油を採る。わが国では小豆島で栽培。枝はヨーロッパでは平和と充実の象徴。「橄欖」と訳すことがあるが、
         別種。古くホルトの樹と称。オレーフ。オレフ。

語句 箇所 説明・解釈
春甦へるときめきに 燃ゆる若樹の光より いのちの群はわなゝきて 大地(つち)(よは)ひをさゝやきぬ 1番歌詞 春が来て、ものみな命が甦るときめきに、芽を吹いた若樹の光の中から、一高生の一群が興奮しながら向ヶ丘の年齢を囁いた。すなわち、一高生が興奮して寄宿寮の開寮30回目の誕生日を祝っている。

「春甦へるときめきに」
 「春甦へる」は、春が甦るの意か、あるいは春に蘇えるの意か。両方と解す。昭和10年寮歌集で「春甦る」に変更された。ちなみに、「よみがへる」の原義は、黄泉かへるで、死んだ人、死にかけた人が命を取り戻す意である。
 「蘇る春の紀念祭を 祝はむと青く延びたる 草の丘また訪ひくれば」(大正7年「蘇る春の」1番)

「燃ゆる若樹の光より」
 芽を吹いた若樹の光の中から。「光」は、木漏れ日をいうものであろう。

「いのちの群はわなゝきて 大地の齢ひをさゝやきぬ」
 元気のいい若者の一群が興奮しながら大地の年齢を囁いた。一高生が興奮して寄宿寮の開寮30回目の誕生日を祝っている。「いのちの群」は、元気のいい若者、一高生。「大地」は向ヶ丘と解す。
 橋爪 健『春筵礼賛賦ー壁にゑがきて』「よみがへるはるのけはひの おほどかにときめきぬれば ひやゝけきだい地にそだつ もろもろのいきのいのちは もえいぶくひかりのひまゆ むらがりてわなゝきかはし」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
跫音秘(あしおとひ)めて歩みよる 新生(うま)れし時代(とし)の歡びを ()りてほゝゑむ花籠に (あけぼの)のいろ君みずや 2番歌詞 足音も立てずに近づいてくる春とともにやってくる紀念祭を祝って、同時に2月20日に落成した新しい西・明の二寮の落成を祝って、一高生は寄宿寮を花籠のように美しく飾りたてて、うれしそうに微笑んでいる。今年、八寮となった一高寄宿寮に朝日の輝きを君は見ないか。

「跫音秘めて歩みよる」
 春の紀念祭が近づいてくる様子をいう。「跫音」は春の到来をいう。足音を忍ばせて近づいてくる春とともにやってくる。
 「散りしくあたり忍びかの 春の跫音よ近きかな」(昭和17年「彌生の道に」序)
 「前年に調印されたヴェルサイユ条約とウィルソンの14ヶ条に基づき、第一次大戦後の新しい平和秩序が形成されたことをさすと解する。『春甦る』もこれと同じく『平和の回復』をも含意するか。」」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「新生れし時代の歡びを 盛りてほゝゑむ花籠に」
 寄宿寮の誕生日を祝って、花籠に花を飾って微笑む。すなわち開寮記念日を祝って寄宿寮を美しく飾って微笑む。「花籠」は、自治の誕生日を迎えた寄宿寮のことと解す。この年の紀念祭は、西・明二寮の落成式を兼ねる。西・明寮の誕生を特に祝うものである。
 「けふの祭のよそほひに 綺羅をつくせし八寮の」(大正9年「のどかに春の」1番)

「曙の色君みずや」
 (花を飾った花籠=寄宿寮に)朝日の輝きを君は見ないか。八寮となった一高寄宿寮の彌栄を祈ろうという意。
哀愁(うれひ)こそあれたまゆらの うら若き日の旅すがら 橄欖(ウリグ)の蔭にさまよひし (ほこ)りはとはに忘れじな 3番歌詞 ほんの少しの間は、愁いに落ち込んだこともあったが、人生の旅の途中、うら若き日の三年を一高寄宿寮に立ち寄り、真理を追究して、さ迷った誇り、すなわち、向ヶ丘で三年を過ごした誇りを一生、忘れてはいけない。

「哀傷こそあれたまゆらの」
 少しの間は、愁いに落ち込むこともあろうが。「たまゆら」は、一瞬。少しの間。

「うら若き日の旅すがら橄欖の蔭にさまよひし」
 うら若き日の三年を、人生の旅の途中、橄欖の蔭にさ迷った。すなわち、一高寄宿寮に立ち寄って、真理を追究し、さ迷った。「橄欖」は、一高の文の象徴。「かんらん」ではなく、ウリグ(大正14年寮歌集で「オリヴ」に変更)とオリーブに近い呼び名が初めて登場した。

「矜はとはに忘れじな」
 「矜」は、昭和50年寮歌集で「衿」に変更された。向ヶ丘に三年を過ごした一高生の矜恃(ほこり)をいう。
 「若きがゆゑにあこがれの 丘にのぼりしこのほこり」(大正9年「のどかに春の」3番)
 「あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て」(大正6年「櫻真白く」3番)
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」追憶3番)
 「向陵の人となったことの誇りをたたえている」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
眞理(まこと)のみちの嬰兒(みどりご)が 宇宙(あめ)(しらべ)(みは)りけむ 双眸(ひとみ)にやどす輝きを 生命(いのち)(うた)と誰か知る         4番歌詞 真理追求の旅路を始めばかりの一高生が、広大な宇宙の法則すなわち真理に目を見張って驚いたみたいだ。双眸が輝いているのは、真理を追究している印だと誰か人は知っているだろうか。

「眞理のみちの嬰児が」
 真理追究の旅路を始めたばかりの一高生が。「嬰児」は三歳ぐらいまでの幼児をいう。向ヶ丘三年を三歳と計算したか。

「宇宙の律に瞠りけむ」
 広大な宇宙の法則すなわち真理に目を見張って驚いたみたいだ。「けむ」は、推量の助動詞。

「双眸にやどす輝きを 生命の詩と誰か知る」
 双眸が輝いているのは、真理を追究している印だと誰が知っているだろうか。「生命の詩」は、「詩」をリズムと解すれば、生命の躍動。心臓の鼓動。生きてる証拠。5番歌詞に、真理の追究が「これの()にゐる力かな」とあることから、真理追求の証拠、印とした。
 「真理探究の途と、宇宙の広大なる法則に対する驚異を、自己の生命の躍動のうちに表出しており」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「『生命の詩』は、『寮歌』を暗喩しているか。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
土の郷愁(おもひ)に掘り入りて しゞなる懐疑(まどひ)身にしめど (かな)しく強く(うべな)ひし これの()にゐる力かな 5番歌詞 求めても求めても真理は得られず、果てしなく続く真理追求の旅路にさ迷って、深い愁いに陥るのは身に(こた)えるが、一高生は、悲しくも強く生きていくと決めた。真理の追究こそ、この世に生きていく力である。

「土の郷愁に掘り入りて しゞなる懐疑身にしめど」
 求めても求めても真理は得られず、果てしなく続く真理追求の旅路にさ迷って深い愁いに陥るのは身に(こた)えるが。「土の郷愁」は、向ヶ丘で真理を追究することで生じる愁い。

「愛しく強く肯ひし これの世にゐる力かな」
 (真理の追究こそ)淋しくも強く生きていくと一高生が決めたこの世に生きてゆく力である。「肯ひし」は、承服した。決めたと訳した。「し」は、回想の助動詞「き」の連体形。「これの生」にかかる。「これの生」は、この人生。この世。
 「こめて三年をたゆみなく 淋しく強く生きよとて」(大正2年「ありともわかぬ」3番)
 「人生に対する懐疑はさまざまにわくけれども、根本的には、この生そのものに対する肯定を強く打ち出している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「『これの生にゐる』=『この世の中に生きている』との意味であろう。『愛しく強く肯ひし』は『力』にかかり、この節の大意としては、『人生に対するさまざまな疑問を抱きながらも、その人生に心を惹かれ、強く肯定することができるのは、自分が現世に生きているという、まさにそのことが持つ力によるものだ』として、人生を肯定する立場を表明していると考える。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
智慧(ちゑ)の扉は(かた)うして  (たま)夕星(ゆふづゝ)はろかなり 秘鑰(ひやく)をすてゝ合掌の おのれに()めよ自治の友 6番歌詞 智慧の扉は固く、開くことは難しい。また黙示を仰ぐ夕星もあまりに遠くて魂に届かない。真理を得るためには、自治寮の友よ、智慧や夕星といった秘密の鍵は捨てて、ただひたすら祈って自ら悟りを開くことが大切である。

「智慧の扉は堅うして 魂の夕星はろかなり」
 真理を追究するに必要な智慧の扉は固く、開くことは難しい。また黙示を仰ぐ夕星も、あまりに遠くて魂に届かない。智慧も夕星もあてにならない。
 「生命の思慕深ければ 二十重に閉す黒金の 堅き扉も開かれん」(大正6年「あゝ青春の驕樂は」4番)
 「遙かに見ゆる明星の 光に行手を定むなり」(明治34年「春爛漫の」5番)
 「かの大空の明星も 若き我等に何かせん」(大正7年「朧月夜に仄白く」3番)

「秘鑰をすてゝ合掌の おのれに醒めよ自治の友」
 真理を得るために、智慧に頼った秘密の鍵を求めるのは止めて、ただひたすら祈って自ら悟りを開くことが大切である。自治の友よ。「秘鑰」は秘密を解く鍵。
 「堅き扉も開かれん 秘鑰は己が心にて」(大正6年「あゝ青春の驕樂は」4番)
 「知識学問探究の道や真理の扉は堅く冷たいが、之に対し、魂の夕星、生命の奥の世界は情緒で直観される、真理の扉を理性、悟性の積み重ねで開こうとつとめるよりも、人はまず合掌し、自己の霊性に目ざめ、それに全身帰依し、その直観によって人生の真に到達すべしとするこの考え方は、大正6年の谷川徹三氏の寮歌の第四節『二十重に閉す黒金の 堅き扉も開かれん 秘鑰は己が心にて』を明らかに意識に置いた仮措定である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「作者の処女詩集(大正11年)のタイトルが『合唱の春』となっているが、これも『春甦る』第六節の『合掌のおのれにさめよ』という思想の反映だと考えられる。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
まぼろし躍る青春の 祭の(うてな)(たゝ)へけむ 銀觴春はうつろへど (くち)に盡きせぬ熖かな 7番歌詞 夢多き青春の祭である紀念祭、今日誕生の寄宿寮に乾杯しよう。たとえ、春は逝っても、唇に残った炎のような酒の味は、いつまでも忘れることはない。

「まぼろし躍る青春の 祭の壇湛へけむ」
 夢多き青春の祭である紀念祭、今日誕生の寄宿寮に乾杯しよう。「青春の祭」は、紀念祭。  「壇」は高殿、ここでは寄宿寮。「湛へる」は、水を一杯にする意だが、ここでは讃えるの意。次句に「銀觴」とあることから、乾杯と訳した。
 「『祭の壇』は、祭の時などに四方をながめわたすために土を積んだ壇。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「銀觴春はうつろへども 唇に尽きせぬ焰かな」
 たとえ春は逝っても、唇に残った炎のような熱い酒の味は尽きることはない。すなわち忘れることはない。「銀觴」は銀の杯のことだが、ここでは杯の美称。 「熖」(つくりの下部分は「日」ではなく「旧」)は、昭和50年寮歌集で「焰」に変更された。
涙ぬぐはずほぐれゆく 金燭のかげ八寮に 十年(ととせ)みたびをめぐりこし 饗宴(うたげ)の宵のおぼろかな 8番歌詞 涙は拭うことなく頬を伝わって落ち、燈火は赤々と輝いて八寮を照らし出している。紀念祭は、10年を三度巡ってやって来た。寄宿寮の誕生を祝う花の宴は、朧に煙った春宵、延々と更けて行く。

「涙ぬぐはずほぐれゆく 金燭のかげ八寮に」
 涙は拭うことなく頬を伝わって落ち、燈火が赤々と輝いて八寮を照らし出す。
 「ほぐる」は、からみつき、もつれたものが解けて離れること。涙があふれる様と、金燭の炎が真っ直ぐに燃え上がる様の両方をいうと解す。「金燭」は銀燭と同じ意味であろう。明るく輝く燈火。あるいは燭台。後掲の向陵誌によれば、紀念祭の当初の計画では、「電燈を點じ篝火を焚き一大不夜城を現出」とあることから、「金燭」は、電灯のことをいうのかもしれない。八寮に燭台の灯は赤々と輝き、あるいは、電燈の灯と燃え上る篝火の炎の明かりが、暗の中に八寮を照らし出している。
 「八寮」は、大正9年2月20日、西・明二新寮が落成し、一高寄宿寮は八寮(東・西・南・北・中・朶・明・和の六棟)となったこと。旧西寮は三階建てであったが、新寮はいずれも二階建てである。

「十年みたびをめぐりこし 饗宴の宵のおぼろかな」
 「十年みたびをめぐりこし」は、10年を3回巡って来た、すなわち第30回目の。「饗宴」は、紀念祭の宴。「宵のおぼろ」は、宵の春霞。
 蘇軾 「春宵一刻値千金 花に清香有り月に陰有り 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈」

 「殘雪尚冬の名殘を止めたれども春光熙々として寮庭萬朶の櫻花正に笑はんとするこの日我等が自治寮齢三十をを重ねぬ。・・・・・
 夕されば寮庭に宴を開き、電燈を點じ篝火を焚き一大不夜城を現出し先輩寮生相集まりて今尚盡きせぬ感興に春宵を語り明かし舊歡を温めん覺悟なりしも生憎雪解と寒気のために已むを得ず、之を食堂に開けり。・・・・
 翌二日新装せる寮内を開放して一般の觀覽に供す。天気快晴なれば門前市をなし寮内立錐の餘地なく、入場者二萬三千を數ふ。同夕嚶鳴堂に於て全寮茶話會を開きて記念祭最後の歡をつくさんとす。この會や多年の積弊を一掃し寮生餘興半減と共に時間短縮を計り、之を先生先輩の觀覽に供せしめ大成功を得たり。」(「向陵誌」大正9年3月)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 中学生がいきなり高校生になった私には、この『春甦る』が素晴らしい歌に映って、夢中で覚えた。少年のロマンを掻き立てるには充分な寮歌であった。・・・・・・・そして、今に独り口吟むことが多い。入り立ての寮生時代と違って、『橄欖の蔭にさまよひし 矜りはとはに忘れじな』がジーンと胸に迫ってくるこの頃である。 「寮歌こぼればなし」から


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