旧制第一高等学校寮歌解説

東皇囘る

大正8年東和寮落成紀念歌 

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、東皇囘る曉色に     見よやここにも春多少
  芳艸籬下に萠え初めて 梅梢一朶綻べば
  渾身の血は(たぎ)り出て   豊頬光る自治の春
*「(めぐ)る」は大正14年寮歌集で「(かえ)る」に変更
  
2、天飈一過桐葉暮れ    空しく高し滿架の書
  黄昏(せま)る幽棲に      梵鐘の聲絶ゆる時
  悲慘の涙うるほひて   客愁深し自治の秋
*「悲慘」は昭和50年寮歌集で「悲酸」に変更。

3、夢魂驚き窓推せば    三層樓は今何處
  人生何ぞ此の地のみ   有爲轉變を免れむ
  塵寰捨てし此の城も    榮枯の定め知りぬ今
音符下歌詞の1段「とーこーめぐる」は、大正14年寮歌集で「とーこーかえる」と訂正された。5段2・3小節「ひかる」は「ひかり」であったが、訂正した。

 譜は昭和10年寮歌集、平成16年寮歌集で、概要次の変更があった。
1、調・拍子
 ハ長調は変わりなし、拍子は8分の4拍子から4分の2拍子に変更になった(昭和10年)。2拍の強迫のうち弱めの強拍がなくなったということだが、そこまで細かく寮歌を歌う人がいなかったからであろう。アウフタクト弱起の出だしで、「とオーこーかーる」と歌う。

2、音 *小節は不完全小節もカウント。
1)「ぐ(え)る」(1段3小節)  ドーーレ(昭和10年)
2)「ぎょーしょく」(1段4小節)  ドードラーラ(平成16年)
3)「はるたしょ」(2段3小節)  ラーラソーソ(昭和10年)
4)「もえそめ」(3段2小節)  ミーレミーファ(平成16年)
5)「てば」(3段3小節)  ソーード(昭和10年)
6)「ちだほころべ」(3段5小節・4段1小節)  レーーソ ミーミレーレ(昭和10年)
7)「かる」(5段3小節)  ソーード(昭和10年)
8)「る」(5段5小節) 8分休符を除去し、不完全小節とした。


語句の説明・解釈

 大正7年5月27日、東寮告別式を嚶鳴堂で行う。風雪28年の三層樓取り壊しを前に、東寮告別歌を歌って、別れを惜しみ、東寮前庭で篝火をたき告別の宴を開く。大正8年1月21日、旧東寮に代わって新寮二寮完成、東寮・和寮と命名。3月1日、第29回紀念祭。午前8時、嚶鳴堂で祝賀式および新寮落成式を行う。(「一高自治寮60年史」)
 「此月(1月)新寮成り和寮の命名は生徒より之を募集す。3月1日記念祭は新寮落成の式を兼ねて之を擧行す。各室飾物餘興等年と共に斬新奇抜に趣く」(「向陵誌」大正8年)
 この歌は、東寮・和寮の落成を祝う記念歌である。旧東寮は三階建てであったが、新寮はともに2階建てである。これで一高自治寮は七寮となり、翌9年には、新西寮に加えて新寮の明寮が加わって、八寮の甍が向陵に聳え立った。
 撃劍部部歌「瑞雲映ゆる」と同曲である。また、この調子の良いメロディーは、「乗ずる時は今なるぞ」と野球部の応援歌としても使われた。


語句 箇所 説明・解釈
東皇囘る曉色に 見よやここにも春多少 芳艸籬下に萠え初めて 梅梢一朶綻べば 渾身の血は(たぎ)り出て 豊頬光る自治の春 1番歌詞 東の空に太陽が帰って来た。白々と明けてゆく朝の景色の中に、ここ向ヶ丘にも、春の訪れを見つけることができる。芳しい香の若草が垣根の下に芽を出し初め、早咲きの梅の南枝に蕾が綻んでいるではないか。暖かな春の陽射しを浴びると、一高生の全身の血は滾って、豊かな頬が紅に輝く。今年の紀念祭は、東・和二寮の落成式と重なって、誠にめでたい自治寮の春である。

「東皇囘る曉色に」
 「東皇」は、春の神。春。また、太陽神、太陽。ここでは、太陽が再び東の空に昇りと訳す。井上司朗大先輩も「太陽が昇る」と解する(「一高寮歌私観」)。建替えられ蘇えった東寮を喩える。
 「春の神がまたかえってきた。あかつきの暖かい光の色に。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「囘る」(めぐる)は、大正14年寮歌集で「回る」(かへる)に変更された。「曉色」は、夜明けの景色。「曉」は、本来、夜が明けようとして、まだ暗いうちをいうが、ここでは、多少、物の見分けがつくようになった「曙」の頃をいうと解す。

「見よやここにも春多少」
  「ここに」は向ヶ丘。見よ、ここにも春の訪れを見ることができる。小さな春が、あちこちに来ている。

「芳艸籬下に萠え初めて」
 芳しい香の若草が垣根の下に芽を出して。「芳艸」は、かおりのある草、。春の草。「籬下」は、かきねのもと。

「梅梢一朶綻べば」
 早咲きの梅の南枝に蕾がほころべば。
 「寒梅一枝春早み」(明治45年「あゝ平安の」3番)

「渾身の血は滾り出て」
 「渾身」は、全身。

「自治の春」
 今年の紀念祭は、東・和二寮の新寮の落成式を兼ねる。
 「此の月新寮成り和寮の命名は生徒より之を募集す。3月1日記念祭は新寮落成の式を兼ねて之を擧行す。各室飾物餘興等年と共に斬新奇抜を趣く。」(「向陵誌」大正8年3月)
天飈一過桐葉暮れ 空しく高し滿架の書 黄昏(せま)る幽棲に 梵鐘の聲絶ゆる時 悲慘の涙うるほひて 客愁深し自治の秋 2番歌詞 つむじ風が通り過ぎると、青桐の葉は散っており、早や秋となったことを知る。書棚にはまだ読み切っていない多くの本が、うず高く積まれている。たそがれ迫る寄宿寮に、晩鐘の鐘が聞こえなくなった時、物悲しくなって、涙が頬を伝う。寄宿寮の一高生が、人生の旅路の愁に深く沈む秋である。

「天飈一過 梧葉暮れ」
 つむじ風が通り過ぎると、青桐の葉は散っており、早や秋となったことを知る。「天飈」の「飈」はつむじ風のことで、空にふきすさぶ大風。天風。[群芳譜]梧桐一葉、天下尽知秋。「暮れ」は、終わり。葉の終わりは散ることと解した。
 「暴風が一たび通ったあと、梧桐の葉が暮れていく中に残っている」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「空しく高し滿架の書」
 書棚にはまだ読み切っていない多くの本が、うず高く積まれている。秋は、読書の季節である。

「黄昏薄る幽棲に」
 たそがれ迫る寄宿寮に。「薄る」の字から、まだ人の顔の見分けがつく状態。「幽棲」は、俗世を避けて隠れ住むこと。また、その住まい。ここでは、俗塵を絶って向ヶ丘に籠城する一高寄宿寮のこと。

「梵鐘の鐘絶ゆる時」
 晩鐘の鐘が鳴り止む時。晩鐘の鐘は暮れ六つ、午後6時頃に時を告げる。鐘は、上野寛永寺の鐘か、浅草・浅草寺の鐘か。終われば、辺りがしーんとなり、一気に夕闇が迫る。

「悲慘の涙うるほひて」
 物悲しくなって、涙が頬を伝う。「悲惨」は昭和50年寮歌集で「悲酸」に変更。

「客愁深し自治の秋」
 寄宿寮の一高生が、人生の旅路の愁に深く沈む秋である。「客愁」は、旅にいる人のもの思い。旅愁。人生を旅と見て一高生を、若き三年間、一高寄宿寮に旅寝する旅人と考える。
夢魂驚き窓推せば 三層樓は今何處 人生何ぞ此の地のみ 有爲轉變を免れむ 塵寰捨てし此の城も 榮枯の定め知りぬ今 3番歌詞 夜中に飛び起きて寮室の窓を明けて見渡しても、三層樓の旧寮の姿はない。一体、どこへ消え失せたのだろうか。全てこの世のものは流転して常なるものはなく、姿あるものは、いつか必ず姿を消す。この向ヶ丘の寄宿寮もその例外ではあり得ないのだ。俗世間と隔絶した桃源郷である向ヶ丘も、栄枯盛衰の運命を免れ得ないことを今知った。

「夢魂驚き窓推せば 三層樓は今何處」
 夜中に飛び起きて寮室の窓を明けても、三層樓の旧寮の姿は見えない。一体、どこへ行ったのだろうか。新しい東寮は既に完成していたが、二階建てであった。「三層樓」は三階建て、古い東寮のこと。「夢魂」は夢を見ている間の魂。旧寮の夢を見て飛び起きたのか。
 「夢魂一朝覺めぬれば あはれ焦土の夕けむり」(昭和5年「春東海の」2番)

「人生何ぞ此の地のみ 有爲轉變を免れむ」
 全てこの世に存在するものは、流転し、永久に同じ姿であり続けることはあり得ない。この向ヶ丘の寄宿寮もその例外ではなく時が来れば姿を消す。「有爲轉變」は、因縁によって生じたこの世の一切の現象は、移り変わってしばらくも一定の状態にないこと。

「塵寰捨てし此の城も 榮枯の定め知りぬ今」
 俗世間と隔絶した桃源郷である向ヶ丘も、栄枯盛衰の運命を免れ得ないことを今知った。「塵寰」は汚れた世界。俗世間。塵界。

「人生何ぞ此の地のみ 有爲轉變を免れむ」
 全て世の中のものは流転し、永久に同じ姿であり続けることはあり得ない。この向ヶ丘の寄宿寮もその例外ではなく時が来れば姿を消す。「有爲轉變」は、因縁によって生じたこの世の一切の現象は、移り変わってしばらくも一定の状態にないこと。
高臥眠覺めぬれど 色うつろはぬ橄欖樹 (しる)すや否や當年の 春嬉秋思の友と友 歳華は待たず向陵に 匇匇二十九星霜 4番歌詞 向ヶ丘の寄宿寮も栄枯盛衰の定めを逃れられないと知ったが、一高生が慕う橄欖の木は、一年中、色が衰えることがなく常緑である。今年の記録に残すかどうか分からないが、春は野球部が早慶両野球部を破り、15年振りに王座を奪還した嬉しい年であった。しかし、秋は、スペイン風邪が大流行して学校を臨時休校した憂うべき年であった。このように、寄宿寮には、毎年、いろんなことがあったが、年月は光陰矢のごとく過ぎて、今年、一高寄宿寮は、早くも開寮29周年を迎えた。

「高臥眠覺めぬれど 色うつろはぬ橄欖樹」
 「高臥」は、世を避け、高尚な心を持って、山野に隠棲すること。「高臥眠」は、昭和50年寮歌集で「高臥の眠」に変更された。3番歌詞の「此の城も榮枯の定め」を知ったこと。「覺めぬれど」の「ぬれ」は、完了存続の助動詞「ぬ」の已然形。「橄欖樹」は、一高の文の象徴。本郷一高の本館前に高く聳えていた(植物学的には橄欖でなく、すだ椎(スダジー)の樹でであるが、ここでは植物学的な議論はしない)

「春嬉秋思の友と友」
 「春嬉」は、野球部が早稲田・慶應を破り15年ぶりに覇権を奪還したこと、「秋思」は、小田原行軍後、スペイン風邪が猛威を振るい(患者135人)、学校を臨時休業したこと。

「歳華は待たず向陵に 匆匆二十九星霜」
 まさに光陰矢の如し、寄宿寮は今年29周年を迎えた。「歳華」は年月、光陰。「華」は日月の光。「匇匇」は、あわただしく。「星霜」は年月、星は一年に天を一周し、霜は年ごとに降るからという。
殘礎の跡も影消えて 様改めぬ舊山河 されど朽せぬ傳統の 依稀たる光消ゆべしや されど易らぬ汗青の 改むべしや其の姿 5番歌詞 旧東寮の礎石もすっかり取り払われて、寄宿寮の景観は以前と様変わりし、偲ぶよすがとて何もない。しかし、旧寮が築いた寄宿寮の傳統は朽ちることはなく、ほのかな傳統の火も消すべきでしない。さらに、一高の歴史は何ら変わることはなく、向陵誌に記された旧寮の記事の内容をなんら改める必要はない。

「殘礎の跡も影消えて 様改めぬ舊山河」
 旧東寮の土台石も取り払われて、寄宿寮の景観は以前と様変わりした。有名な杜甫の「春望」の句とは逆である。
 杜甫『春望』 「国破れて山河在り 城春にして草木深し」

「されど朽ちせぬ傳統の 依稀たる光消ゆべしや」
 しかし、傳統は朽ちることはなく、ほのかな傳統の火も消すべきでしない。 「依稀」は、ぼんやりした、ほのかなこと。 

「されど易らぬ汗青の 改むべしや其の姿」
 しかし、一高の歴史は何ら変わることはなく、その内容(向陵誌に記された記事)を改める必要はない。「汗青」は史書、記録。一高寄宿寮の記録は向陵誌(大正2年6月、第1回刊行)。昔、中国でまだ紙がなかった時代、青竹のふだを火にあぶって汗のようにし、しみでる脂気を去り、それに文字を書いたからという。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 新築のお目度も加わって、各小節の終わりに『タランタラン』と二称付け加えることになってしまった。だから矢野さんの属する『撃劍部部歌』はこの曲で作られているが、この部歌を歌う時、つい『タランタラン』を付けそうになる。『寮歌レコード吹込』の時、『東皇回る』に『タランタラン』をどうするか永い打合せの結果、一、二、三番と歌い、『タランタラン』は最後の三番に1回だけとして吹込んだ。 因に、橋本謹吾さん(大15)の話では、その一年生の頃、『東皇メグル」と歌っていたそうだが、『やっぱりカエルの方が良いや』と落着いたようだ。この明るい歌が、調子が良い故か、野球部の応援歌に使われていた。『乗ずる時は今なるぞ』を四唱、そして『戛っ飛ばせ』をまた四唱、大音響となる。昭和4年夏、『神宮球場での対三高戦、4対0で敗色濃かった折、我々の『『戛っ飛ばせ』で、河本鎮雄右翼手(昭6))のランニングホームランが出て同点、延長戦を制した思い出が深い。その頃、梶原英夫投手(昭7)の颯爽としたデビューが懐かしい。 「寮歌こぼればなし」から


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