旧制第一高等学校寮歌解説

坤うらゝかに

大正8年第29回紀念祭寄贈歌 東北大

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1、(つち)うらゝかに動搖(どよ)めけば 力溢るゝ(よろこび)
  茜かヾよふ曙や       綠濃染の木の芽より
  若き目ざめに宮城野の  野末に空し冬の夢

4、思へば遠き覇旅(たび)の身に  陵の三年の懷しや
  身を知ることの深ければ 長き嘆に結ぼれし
  (おもひ)の燃る身を投げて    草の香齅ぎしその日かな
*「燃る」は昭和10年寮歌集で「燃ゆる」に変更。

5、(ゆめ)盡せじな思出よ     南の空を眺めては
  さらば陵邊の友(つど)ひ     陵の心を心にて
  盃あげん美酒(うまざけ)に      強く生きなん(とこし)へに
*「盃」は昭和50年寮歌集で「杯」に訂正。
現譜は、この原譜と同じで変更はない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
(つち)うらゝかに動搖(どよ)めけば 力溢るゝ(よろこび)に 茜かヾよふ曙や 綠濃染の木の芽より 若き目ざめに宮城野の 野末に空し冬の夢 1番歌詞 東の空が白々と明け、あかね色に輝くと、萬象(ものみな)、甦った命の溢れる喜びに、大地は晴れやかに春の活動を開始した。北国の宮城野でも、ようやく濃い綠の木の芽が吹きだして、野のはてに積っていた雪が消え、冬景色から若草もえる春の景色となった。

「坤うらゝかに動搖めけば」
 大地が晴れやかに春の活動を開始した。「坤」は、大地。「うららか」は、明るく柔らかい陽射しが溢れ、晴れやかに静かなさま。「どよめく」は、大声で騒ぐことだが、ここでは、春の活動を開始したと訳した。人の耳には聞こえないが、大きな音を辺りに響かせているという意。

「力溢るゝ歡に 茜かゞよふ曙や」
 生命力溢れる喜びに、東の空が明るく茜色に輝きだした。「力」は、生命力。「かゞよふ」は静止したものがきらきらと光って揺れる。「曙」は夜が白々と明けて、物の見分けがつき始めた頃。「茜」は茜色、赤色のやや沈んだ色、暗赤色。
 

「綠濃染め木の芽より」
 「綠濃染めの木」は、柏葉の柏の木を想ってか。
 「綠もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて」(明治36年「綠もぞ濃き」1番)

「若き目ざめに宮城野の 野末に空し冬の夢」
 木の芽が芽吹きだした宮城野では、野のはてに雪や枯草など冬の跡がなくなった。「若き」は、草木などが生いだしてからまだ久しくないさま。「宮城野」は、仙台市の東郊にある平野。昔は萩など秋草の名所として有名(歌枕)。「冬の夢」は、雪などの積った冬景色。
 「光さみしき白銀と 緑を裏に表にし」(大正2年「ありとも分かぬ」1番)
 
來ぬれと告ぐる春の鐘  霞遙けく木靈(こだま)して 野面(のもせ)を遠く渡る時 心の琴の共振れて 祝宴歡ぶ日なればか 蘇り來る我想 2番歌詞 紀念祭が来たぞと告げる春の知らせが、霞の彼方に木霊して、野を越えて遠くから伝わってくると、懐かしくて居ても立ってもいられなくなる。今日は紀念祭を祝う日であるからであろうか、向ヶ丘三年(みとせ)の思い出が胸に蘇えってくる。

「來ねれと告ぐる春の鐘」
 「來ぬれ」の「ぬれ」は、完了・存続の助動詞「ぬ」の已然形。「告ぐる春の鐘」は、紀念祭が来たと告げる春の鐘。「鐘」は、知らせ。便り。

「野面を遠く渡る時」
 野を越え遠くから伝わってくる時。「野面」は野のおもて。野一面。

「心の琴の共振れて」
 「心の琴」は、心の奥に秘められた感動し共鳴する微妙な心情。「共振れ」は、共鳴。

「蘇り來る我想」
 「我想」は、向ヶ丘三年の思い出。
世は太平の春なれば 我故郷に風薫り げにや糾草地(しばぢ)は萌えまさり 強き命の若人に 陵(をか)に光や溢るらん 陵に力や充つるらん 3番歌詞 第一次大戦が終わり平和を迎えた春なので、我が故郷の向ヶ丘は、さわやかな風が薫り、校庭の芝地は、青々と、まさに芽吹きの盛りであろう。意気の高く生きる一高生のために、向ヶ丘に春の光がさんさんと降り注ぎ、その光に蘇えった命の力が向ヶ丘に満ち満ちていることであろう。

「世は太平の春なれば」
 第一次世界大戦が終わり平和を迎えた春なので。
 大正7年11月3日 オーストリアが連合国と休戦、次いで11日 ドイツが休戦協定に調印し第一次大戦は終わった。大正8年1月18日にはパリ講和会議が始まった。
 「世界平和の曙光を望みて第一の春なり。巴里ヴェルサイユの空には偉人将星雲の如く集り戦後の世界改造に腐心し露獨の野には革命の烽火に四民疾苦す。」(「向陵誌」大正8年1月)

「げにや糾草地は萌えまさり」
 実に草地はいろんな草が勢いよく芽吹いているでしょうね。「げに」は「実に」で、ほんとうに。じつに。「糾」は、まつわる、からみつく意。

「強き命の若人に」
 人生を強く生きる一高生に。意気の高い一高生に。
 「向ヶ岡にそゝり立つ 五寮の健兒意氣高し」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)

「陵に光や溢るらん 陵に力や充つるらん」
 最初の「陵」は、大正14年寮歌集で「陸」に変更され、平成16年寮歌集まで踏襲されている。「光」は、春の光。「力」は、春の光に蘇えり育まれた生命の力。「らん」は、推量の助動詞。
思へば遠き覇旅(たび)の身に 陵の三年の懷しや 身を知ることの深ければ 長き嘆に結ぼれし (おもひ)の燃る身を投げて 草の香齅ぎしその日かな 4番歌詞 思えば、遠く故郷の向ヶ丘を離れ仙台に遊学中であるので、向ヶ丘で過ごした三年(みとせ)が懐かしい。真理の追究が我が一高生の運命であることは深く自覚していた。しかし、真理を追究しても、真理は得られないので、長い間、苦しみ悩み、深い愁いに閉ざされてきた。苦しみのために感情が激しくゆらめいて、身を草の上に投げ出した時もあった。その時、鼻をついだ草の匂いが懐かしく今も忘れないでいる。

「思へば遠き羈旅の身に」
 人生を旅と見る。故郷の向ヶ丘を離れ、遠く仙台に遊学する身に。

「陵の三年の懐しや」
 向ヶ丘で過ごした三年が懐かしい。

「身を知ることの深ければ 長き嘆に結ぼれし」
 「身を知る」は、一高生の運命、すなわち真理追求が我が運命と弁えていたので。「結ぼる」は、結ばれて解けにくくなる。心が鬱屈した状態になる。

「想の燃ゆる身を投げて 草の香齅ぎしその日かな」
 「燃る」は、感情が激しくゆらめくこと。昭和10年寮歌集で「燃ゆる」に変更された。
(ゆめ)盡せじな思出よ 南の空を眺めては さらば陵邊の友(つど)ひ 陵の心を心にて 盃あげん美酒(うまざけ)に 強く生きなん(とこし)へに 5番歌詞 南の空を眺めていると、つい向ヶ丘の三年(みとせ)が思い出されて、思い出は決して尽きることはない。そうであるから、今宵、向ヶ丘の紀念祭を、向ヶ丘の一高生と同じ心で祝いながら、うまい酒を飲んで、一生、意気高く志操堅固に生きて行こうと乾杯しよう。

「努盡せじな思出よ」
 向ヶ丘の思い出は、決して尽きることはない。「(ゆめ)」は、決して。必ず。

「南の空を眺めては さらば陵邊の友集ひ」」
 「南の空」は、一高の方向。「さらば」は「さあらば」の約で、そうであるから。「陵邊の友集ひ」は、向ヶ丘の紀念祭。

「陵の心を心にて」
 向ヶ丘で紀念祭を祝っている皆と同じ心で。あるいは向ヶ丘にいた時の昔に帰って。

「盃あげん美酒に」
 「盃」は、昭和50年寮歌集で「杯」に変更された。「美酒」は、うまい酒。向ヶ丘の紀念祭を祝う酒は、一入、おいしく感じることであったろう。

「強く生きなん長へに」
 一生、意気高く志操堅固に生きて行こう。「強く」は、意気高く志操堅固に。
                        

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