旧制第一高等学校寮歌解説

まどろみ深き

大正8年第29回紀念祭寮歌 

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1、まどろみ深き地平(ちへい)より 薔薇(さうび)の色にあけぼのゝ
  春まだあさく匂ひ()る 光の中ゆはらからが
  涙にぬれて培ひし    平和の芽生(めばえ)君見ずや
*「あけぼのゝ」は昭和50年寮歌集で「あけぼのの」に変更。

2、あゝ驕慢や残虐や   鐵血の夢の泡沫(うたかた)
  正しき者は勝鬨の   玉杯さゝげ酒くみて
  うたへる春よ丘の上も 今二十九の祭來ぬ

5、自由に生くる歡喜(よろこび)の  はた苦惱(くるしみ)の涙もて
  高樓(たかどの)の夢ぬらしては  自治の歩みを導きし
  彌生ヶ岡の過來(こしかた)を    友よ語らん花うたげ                                
4・5・6段4小節の音符は2分音符であったが、完全小節とするため付点2分音符とした(現譜と同じ)。なお、平成16年寮歌集には、この寮歌の原譜の添付はない。

現譜は第1段から3段までがハ長調からハ短調に移調したが、第4段以下は転調し原譜のハ長調のままである。第4段4小節からは3拍子から4拍子に変ることも加わって木に竹を繋いだような曲であるが、それだけに独特の雰囲気がある。
 メロディーは、前半が短調化しているので、哀調さを増したが、その他でも「ちへいより」の「よ」(ハ調でソからミ)、「そうびのいろに」の「ろ」(ハ調でファからミ)、「はらからが」の最初の「ら」(ハ調でソからファ)が一部変更され、「にほひづる」の「る」はハ短調となっても本位記号が付いたので、半音下がらない。また全てのタイ・スラーは削除された。以上の改訂は、全て昭和10年寮歌集で実施された。
 1段。2段を低音で歌ってきて、第3段でドからドヘ1オクターブ上げて、そのまま高音が続く。高音部「はるまだあさく にほひづる」は、さすがに歌い辛い。素人の寮生には無理である。


語句の説明・解釈

大正8年2月4日、総代会を開き紀念祭の各寮寮歌募集をやめ、全寮からおよそ2編を選ぶことを可決した。また寄贈歌も先輩に特に依頼することを止め、寮歌数を抑制することにした。寄宿寮の増設と帝国大学の増加によって、寮歌・寄贈歌が増え過ぎたためである。寮歌の呼称も、「○○年××寮々歌」から「(○○年)第△△回紀念祭寮歌」と変わり、関東大震災で版を作り直した大正13年11月1日以降の寮歌集では、大正7年以前の寮歌も全てこの呼称形式(第△△回紀念祭寮歌)に変更して統一された。例えば、「嗚呼玉杯に」は、もともとは、明治35年「東寮々歌」といっていたが、明治35年「第12回紀念祭寮歌」と呼称が変更された。

語句 箇所 説明・解釈
まどろみ深き地平(ちへい)より 薔薇(さうび)の色にあけぼのゝ 春未だあさく匂ひ()る 光の中ゆはらからが 涙にぬれて培ひし 平和の芽生(めばえ)君見ずや 1番歌詞 真っ赤なバラ色の朝日が、闇深き地平の彼方から、春まだ浅い日、柔らかな光を放って輝き出した。平和を愛好する世界の仲間達が、朝日に輝く平和の光の中から、幾多の犠牲を払って育んできた平和の芽が、今芽生えてきたのを君は知っているか。
 すなわち、世界が二つの陣営に分かれて凄惨な戦いを繰り広げた第一次大戦がやっと終結し、講和会議がパリで始まった。多くの犠牲を払った第一次大戦の反省から、二度と戦争を起してはならないと、世界の平和を愛好する連合国の人達は、戦争中に、ウィルソン米大統領の提唱した14ヶ条要綱を真剣に検討してきた。パリ講和会議では、ドイツに対する賠償要求だけでなく、戦後の世界の平和維持と国際的な協力機構(国際連盟)を設立しようと話合いが行われている。このことを君は知っているか。

「まどろみ深き地平より 薔薇の色にあけぼのゝ」 
 暗黒の闇に閉ざされた夜がしらじらと明けて、真っ赤なバラ色の朝日が遙か彼方東の地平から。第一次大戦が終結し、パリ講和会議が始まったことを踏まえる。
 「まどろみ深き」は、夜明け前の闇が深いことをいう。「地平」は、広い大地の平面をいう。

「春未だ浅く匂ひ出る」
 (朝日は)春まだ浅く、柔らかな光を放って輝き出した。
 「春まだ浅く」は、第一次大戦が終結して間もないことを踏まえる。「春」とは、立春から立夏まで陰暦の1月・2月・3月をいう。大正8年の3月1日は、陰暦では1月18日であるので春浅くという。ただし、寮歌では、陰暦と陽暦を混同し、陽暦3月を弥生といったり、行く春ともいう。「あけぼの」は、夜がほのかに明けようとして、次第に物が見分けられるようになる頃。昭和50年寮歌集で「あけぼのの」に変更された。「にほふ」は赤く色が映える。
  
「光の中ゆはらからが 涙にぬれて培ひし 平和の芽生君見ずや」
 平和を愛好する世界の仲間達が、朝日の光の中から、大変な犠牲を払って育んできた平和が、今芽生えてきたのを君は知っているか。「光」は、朝日の光。平和の光。「同胞」は、平和を愛好する仲間達。英・仏・日・米の連合国。個人的には、国際連盟の設立を提唱したアメリカのウィルソン大統領を念頭においてか。「涙にぬれて」は、涙に泣きくれるような幾多の犠牲を払って。「平和の芽生」は、第一次大戦が終結し、大正8年1月18日からパリ講和会議が開催されたこと。ここでは、ドイツに対する賠償要求だけでなく、多大の犠牲を出した第一次大戦の反省から、二度と戦争を起こさないために、ウィルソン米大統領が戦中に提唱した大戦後の世界の平和維持・国際協力機構(後に国際連盟として創立)が真剣に話し合われた。
 大正7年11月3日、オーストリア=ハンガリーは休戦協定に調印、続いて11日にドイツも休戦協定に調印(午前11時)し、第一次世界大戦は終わった。パリ講和会議の開催は翌大正8年1月18日から。独逸・連合国間でヴェルサイユ講和条約が調印されたのは同年6月28日のことである。
 「世界平和の曙光を望みて第一の春なり。巴里ヴェルサイユの空には偉人将星雲の如く集り戦後の世界改造に腐心し露獨の野には革命の烽火に四民疾苦す。」(「向陵誌」大正8年1月)
あゝ驕慢や残虐や 鐵血の夢の泡沫(うたかた)よ 正しき者は勝鬨の 玉杯さゝげ酒くみて うたへる春よ丘の上も 今二十九の祭來ぬ 2番歌詞 ドイツ軍は、軍事力で全て解決できると驕り高ぶり、国際協約を無視した中立国ベルギーへの侵攻、非人道的な毒ガス兵器の使用、英客船ルシタニア号の撃沈等無制限潜水艦作戦と、残虐の限りを尽くした。「現下の大問題は、鉄と血によって決定される」と豪語したビスマルクの夢は、もろくも水泡に帰した。
 連合国がドイツに勝利したように、正義は必ず勝つものだ。雌伏15年、一高野球部は、ついに早慶野球部の両方に勝利して、天下の覇権を奪還した。今年こそ、勝利の美酒に酔って、思い切り寮歌を歌うことができる。向ヶ丘は、今、29回目の紀念祭が巡って来た。

「あゝ驕慢や残虐や」
 軍事力で全て解決しようとしたドイツ軍の驕りと、中立国ベルギーへの侵攻、毒ガス兵器の使用、英客船ルシタニア号の撃沈等無制限潜水艦作戦など第一次世界大戦におけるドイツ軍の残虐な行為をいう。 

「鐵血の夢の泡沫よ」
 「鐵血の夢」は、軍事力でドイツを統一したビスマルクの政策をいう。「鋨血の夢の泡沫」は、第一次世界大戦で独墺側が連合国側に敗れたこと。ちなみに鉄血の名称由来は、1862年9月30日のビスマルクの議会演説「現下の大問題は演説や多数決によってではなく・・・・・鉄と血によって決定される」にある。

「正しき者は勝鬨の」
 第一次大戦の連合国側の勝利と、大正7年5月、内村投手の好投で、一高野球部が早慶野球部の両方を、ともに零敗で破り、15年ぶりに天下の覇権を奪還したことを踏まえる。
     
三年の(かて)は青春の 永久(とは)の泉と知るや君 荊棘(いばら)の路を(ひら)かんと 真理(まこと)獵夫(さわを)彳んで 柏のかげに掬びては 希望のゑまひ宿すかな 3番歌詞 三年の青春を向ヶ丘で過ごして得た経験や友は、汲めども尽きることのない一生の泉であることを君は知っているだろうか。真理を追究する一高生が、棘の道に迷い込んだ時、しばらく柏の蔭に佇んで、柏の露を汲めば、すなわち、寄宿寮で共同生活を送って、友と友情を深めることによって、棘の道を切り開き前に進む勇気と希望が出てくる。

「三年の糧は青春の 永久の泉と知るや君」
 三年の青春を向ヶ丘で過ごして得た経験や友は、汲めども尽きることのない一生の泉であることを君は知っているだろうか。向ヶ丘三年の経験や友は、将来を通じ君の大きな力となる。「糧」は貯蔵食料、すなわち向陵三年間で得たもの、経験、友等。
 「嗚呼紅の陵の夢 其の香其の色永劫に 旅行く子等の胸に生き 強き力とならん哉」(大正3年「黎明の靄」2番)
 「丘の三年のその夢を 長き力と守り行かむ」(大正7年「霞一夜の」4番)
 「嘗てわが心の糧、青春の泉たりし丘の三年を偲ぶ先人、いかでか心の故郷の忘らるべしや。」(「向陵誌」大正9年)

「真理の獵夫彳んで 柏のかげに掬びては」
 真理を追究する運命(さだめ)の一高生が寄宿寮で共同生活を送って、友と友情を深めては。「真理の獵夫」は、真理という獲物を追いかける猟師、すなわち一高生。「彳んで」は、柏のかげに身を落ち着けていること。寮生活を送ること。「柏のかげ」は、一高寄宿寮。「掬ぶ」は、柏の露を汲んで、深い友情を結びこと。露を掬ぶと友情を結ぶを懸ける。
 「『柏のかげに掬びては』は、目的語は第2句の『永久の泉』らしいが、不明瞭の感あり。『掬び』は「むすび」と読み、水を汲むの意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「獵夫」のルビ「さわを」は、大正14年寮歌集で「さつを」に、昭和10年寮歌集で「さわを」に戻ったが、昭和50年寮歌集で「さつを」に変更された。「さわを」は誤植であろう。「彳んで」は、大正14年寮歌集で「彳みて」に、昭和10年寮歌集で「佇みて」に変更された。
 「同じ柏の下露を くみて三年の起き臥しに 深きおもひのなからめや」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」追懐3番)
 
「希望のゑまひ宿すかな」
 (棘の道を切り開いてゆく)勇気と希望が出てくる。「希望」は、たんなる希望でなく、道を切り開いてゆく勇気、力をいうものであろう。
あゝ感激よ友情よ うるはしきもの育める ゆたけき胸のともし灯を  (かゝ)げて丘を(たゝ)ふれど 静こゝろなく散る花に 春たまゆらの恨みあり 4番歌詞 ああ、若き日の美しい心を育む感激よ友情よ。多感で繊細な若人の胸をときめかせて眺めるに、向ヶ丘の春は、誠に情趣深く素晴らしいと思う。けれども、春を惜しむ若人の心を尻目に落ち着かなげに、あわただしく散ってゆく桜の花を見るにつけ、どうして春は、こんなにも早く行ってしまうのかとうらめしく思う。いつまでも春でいてほしいものを。すなわち、向ヶ丘の三年の春は、あまりにも短い。

「あゝ感激よ友情よ うるはしきもの育める」
 美しい心を育む感激よ友情よ。句が前後倒置してとみる。

「ゆたけき胸のともし灯を 挑げて丘を讃ふれど」
 多感で繊細な若人の胸をときめかせて眺めるに、向ヶ丘の春は誠に情趣深く素晴らしいと思うけれども。
 「ゆたけき胸」は、若人の多感で繊細な感受性。「ともし灯を挑げて」は、感受性を鋭くして見るに。すなわち、胸をときめかせて見るに。

「静こゝろなく散る花に 春たまゆらの恨あり」
 春を惜しむ若人の心を尻目に落ち着かなげに、あわただしく散ってゆく桜の花を見るにつけ、どうして春は、こんなに早く過ぎて行くのかとうらめしく思う。いつまでも春でいてほしいものを。
 「春たまゆらの恨あり」は、春が短いのが残念だ。春がこんなに早く過ぎて行くのを恨めしく思う。「たまゆら」は、一瞬。短い間。「春」は、三年の春、すなわち向ヶ丘の三年でもある。
 古今 紀友則 「久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」
 「三年の春は過ぎ易し」(明治44年「光まばゆき」4番)
自由に生くる歡喜(よろこび)の はた苦惱(くるしみ)の涙もて 高樓(たかどの)の夢ぬらしては 自治の歩みを導きし 彌生ヶ岡の過來(こしかた)を 友よ語らん花うたげ   5番歌詞 自治の恩恵に歓喜する時も、自治を守るために苦しむ時も、いつも、今は無き東寮を思い出しては、涙が溢れてくる。東寮は、明治23年開寮して、一高生に自治が許されて以降、常に一高寄宿寮の自治の中心にあった。彌生が丘の29年の自治の歴史を、今宵、紀念祭の宴で、一緒に語りあおうではないか。

「自由に生くる歓喜の はた苦惱の涙もて」
 自治の自由を享受する喜びの、あるいは自治の自由を守るための苦しみの涙で。ここに、「自由」は、自治の自由と解す。

「高樓の夢ぬらしては」
 今はなき東寮の思い出を濡らす。すなわち、東寮を思い出しては涙が溢れる。
 「高樓」は、昨年大正7年7月に取り壊された三層樓の東寮。旧寮。「夢」は、思い出。「濡らす」は、涙で濡らす。
 「既に舊寮改築の議なりしが此年7月東寮先づ影を失ふ。哀借の情に堪へず。」(「向陵誌」大正7年)
 「此の月新寮成り和寮の命名は生徒より之を募集す。3月1日記念祭は新寮落成の式を兼ねて之を擧行す。各室飾物餘興等年と共に斬新奇抜を趣く。」(「向陵誌」大正8年3月)

「彌生ヶ岡の過來を」
 彌生が丘29年の自治の歴史を。「彌生ヶ岡」は、向ヶ丘に同じ。本郷一高は、本郷区向ヶ岡弥生町にあった。

「友よ語らん花うたげ」
 「花うたげ」は、花の宴。春の紀念祭のこと。
                        

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