旧制第一高等学校寮歌解説

いま京近き

大正7年第28回紀念祭寄贈歌 京大

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1、いま京近きみ山には  春の雪だに消えなくに
  都は野邊のわか草も  萠ゆると見れやはるかなる
  彌生が岡のはつ櫻   ましてや()みはそめつらん

2、今日の祭を偲ぶため  所ぞかはれ月雪の
  京洛なれば花鳥や   糸竹呂律(しちくりょりつ)の音にそへて
  かざし忘れぬ柏葉の  萠黄も匂ふ春の曲


3、嵐の山の名にしおふ  千本(ちもと)ひと目に餘れども
  彌生が丘ゆ移されし   枝はやうやく老いんとす
  やよ東風(こちかぜ)よ心して    若木の種を吹き送れ 

各段4小節の音符は原譜では4分音符であったが、不完全小節となるので現譜と同じ付点を付けた。1段3小節3音は4分音符であったが16分音符に、また2段2小節1音は1オクターブ高かったが、低いラに訂正した。6段音符下歌詞は、「イトメヅーラカニエメーリケン」とあったが、本歌詞どおりに訂正した。

 譜は4分の4拍子・ト長調は変わらず、メロディー自体もほとんど変わらない。リズム(ここでは音の長さ・間隔)に不整合のあった各段3小節の整合化を昭和50年寮歌集を中心に図った。すなわち各段3小節のリズムをターー(またはターータ)ターータタに統一した。
具体的には概要次のとおりである。

1、「やーまに」(1段3小節) 複付点2分音符・16分音符・16分音符(昭和10年)に、複付点2分音符・付点4分音符・16分音符・16分音符(昭和50年)に、平成16年寮歌集で誤植の複付点をとって現譜とした。
2、「わかくさー」(3段3小節) 付点4分音符・8分音符・付点4分音符・16分音符・16分音符(昭和50年)に。
3、「はるかーな」(4段3小節) 付点4分音符・8分音符・付点4分音符・16分音符・16分音符に、あわせて4音(最初の16分音符)をミからレに変更(昭和50年寮歌集)。
4、その他 昭和10年寮歌集で現行のスラーを付けた。

3部形式ABCの歌曲、第1大楽節Aのメロディーを小楽節別にa(1段)とb(2段)とすれば、第2大楽節Bは3段、4段共にbメロ系、第3楽節Cはaメロ(5段)とbメロ系の混合で第1大楽節に似る。 ちょっとbメロ多用の感は否めない。                  


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
いま京近きみ山には 春の雪だに消えなくに 都は野邊のわか草も 萠ゆると見れやはるかなる 彌生が岡のはつ櫻 ましてや()みはそめつらん 1番歌詞 京都に近い北山には、春の雪さえまだ消えないというのに、見てごらん、京都の市中では野辺の若草が芽吹いている。彌生が丘では、いうまでもなく初桜の蕾が開いて綺麗な色に咲いていることであろう。

「いま京ちかきみ山には 春の雪だに消えなくに」
 「み山」は、京近くで春残雪が残っている山とすれば、明治44年京大寄贈歌で「雪こそよけれ此の郷は 北山つゞき常冬の」と詠われた京都北方の北山ではないか。その中でも第59代宇多天皇が、真夏に雪景色が見たいと白絹をかけたという故事のある衣笠山と解す。京都市北区と右京区の境に位置し、標高は201mである。「み」は接頭語。「深山」ではない。
 「『京近きみ山は』比叡山と解す。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「雪だに」は雪すら。「だに」は副助詞。・・・すらの意。「消えなくに」の「なくに」は連語。打消の助動詞ズのク語法ナクと助詞ニとの複合。・・・でないのに。み山と都の季節感を対比させる。

 「『古今集』の歌では、『春の雪』ではなく、『松の雪』となっている。また、作者自身も『春の雪』は提出を急いだための書き誤りで、『松の雪』が正しいと語っている」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
古今19 「み山には松の雪だに消えなくに 宮こはのべの若菜つみけり」

「萠ゆると見れやはるかなる」
 「見れや」の「や」は、活用語の已然形について反語の意となる係助詞でなく、相手に呼びかけるに使う間投助詞。

「彌生が岡のはつ櫻 ましてや笑みはそめつらん」
 彌生が丘では、いうまでもなく初桜の蕾が開いて綺麗な色に咲いていることであろう。「彌生が岡」は、向ヶ丘に同じ。本郷の一高は、本郷区向ヶ岡弥生町にあった。 「まして」は、いうまでもなく。「笑む」は栗のいが等が熟して口が開くことだが、ここでは桜の蕾がひらくこと。「そめ」は「染め」」で、色がつくこと。
今日の祭を偲ぶため  所ぞかはれ月雪の 京洛なれば花鳥や 糸竹呂律(しちくりょりつ)の音にそへて かざし忘れぬ柏葉の 萠黄も匂ふ春の曲 2番歌詞 所こそ変われ、ここ京都は秋は月、冬は雪と四季折々のよい眺めの名所が多く、花を愛で、鳥の声に耳を傾けて風雅に過ごしている。今日の紀念祭を偲ぶため、頭にはうす緑色が美しい柏の新葉を忘れずに挿し、和漢の管弦が奏でる音に合せて、春の紀念祭寮歌を歌うのである。

「京洛なれば花鳥や」
 「京洛」は都の漢語的表現、ここでは京都。

「糸竹呂律の音にそへて」
 「糸竹」とは、琴、箏・琵琶などの弦楽器と笙・笛などの管楽器。また、音楽。管弦。「呂律」とは、呂旋法と律旋法と。ここに、呂旋法とは音階の第3音が主音より長3度の位置にあるもので、中国音楽の根幹をなす奏法。律旋法とは第3音が主音に対し完全4度の位置にあるもので、我国の音楽の根幹をなす。「和漢の管弦が奏でる音にそえて」という意味。

「かざし忘れぬ柏葉の 萠黄も匂ふ春の曲」
 頭にはうす緑色が美しい柏葉を忘れずに挿し、春の紀念祭寮歌を歌う。「柏葉」は一高の武の象徴。「かざし」は髪にさした草木の花や枝。「かざし忘れぬ柏葉」とは、実際に柏葉を頭に挿すのではなく、若き日の一高生に身も心も帰るため三つ柏の校章の付いた一高の帽子を被ったのかも知れない。「萠黄」は萌え出るねぎの色、青と黄の間の色。「匂ふ」は、香でなく、色美しい。「萠葱も匂う」は、うす緑色の美しい新葉。柏の木は、新葉とともに4月頃に黄褐色の花をつける。この花を美化してか。ちなみに、「萠葱匂」は、上部が萌葱色で下にいくほど色が薄くなる縅の鎧をいう。「春の曲」は、紀念祭寮歌。紀念祭は例年3月1日(大正10年以降、原則2月1日)に催された。
嵐の山の名にしおふ  千本(ちもと)ひと目に餘れども 彌生が丘ゆ移されし 枝はやうやく老いんとす やよ東風(こちかぜ)よ心して 若木の種を吹き送れ 3番歌詞 京都・嵐山の桜は、京の桜の名所と言われるだけあって、ひと目千本といわれる吉野山に劣らない桜の名所で桜木の数も多いが、彌生が丘から移された桜は、もう老い木となろうとしている。東風よ、忘れないで若木の種を京都まで吹き送ってくれ。すなわち、自分は卒業が近いので、後輩の一高生を京都大学に進学させてほしい。

「嵐の山の名にしおふ」
 「嵐の山」は、京都・嵐山。春は桜、秋は紅葉の名所。大堰川(保津川ともいう。下流は桂川)に臨み、亀山・小倉山に対する(歌枕)。橋の上の空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから名付けられた「渡月橋」は有名である。月の名所でもある。「名にし負ふ」は、「京の桜の名所の名にし負う」の意。
 古今411 「名にし負はばいざ問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

「千本ひと目に餘れども」
 「ひと目千本」は、桜の名所吉野山の桜の景色を喩えていう。これをひっくり返して、京都の嵐山の桜も吉野山に劣らない名所で桜の木の数も多いが。後の句「枝はやうやく老いんとす」との脈絡から、嵐山が吉野山を上回る桜の景勝地であると誇っているというより、京都には桜の木が多くあるが、彌生が丘から移された桜の木が老い木になったのでと続く意と解す。
 「『一目千本」は、普通には吉野山についていう。嵐山の桜は吉野以上であることを誇っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『名にし負ふ』は、ここでは『非常に高名な』の意であろう。また、『千本ひと目に餘れども』は、当時の京大生の数が千人を超えていることを指しているのではないか。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「彌生が丘ゆ移されし」
 一高から京都大学に進学した。「ゆ」は、…からの意。

「やよ東風よ心して」
 「やよ」は呼びかける声。やあ、おい、もしもし。「東風」は、春になって東から吹く風。すなわち、向ヶ丘から西の京都方向に吹く風。
菅原道真 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(初出の拾遺集1006では、「春をわするな」)
 後鳥羽院 「われこそは新島守よ 隠岐の海のあらき波かぜ心してふけ」

「枝はやうやく老いんとす」
 作詞者の牧 亮吉は大正4年医科卒であるので、大正7年3月には医学部3年であったと思われる。帝国大学医学部の修業年限は4年(他学部は3年)であり、作詞者は卒業まで、あと1年を残していた。ちなみに、この頃の帝國大學の入学時期は、今話題の秋入学であった。

「若木の種を吹き送れ」
 「若木の種」は、一高生。京都帝國大學への勧誘と思われる。
汲むや心もいさぎよき 加茂の川瀬の清ければ 月も流れを尋ね來て 住めば光も明らけき こゝろ一つに古郷の 今日の宴を懷ひやる 4番歌詞 その昔、心の清い秦の氏女が朝な夕なにこの川の水を汲み神に手向けたという言い伝えのある加茂川の瀬見の小川は、水が清いので、賀茂の神がここに鎮座されたように、月もこの流れを慕って尋ねてきて、澄んだ影を川面に落としている。故郷向ヶ丘の同胞と心を一つにして、瀬見の小川のように清い心で、今日の紀念祭の宴を遠く京都から偲んでいる。

「汲むや心もいさぎよき」
 「昔この地に住んでいた秦の氏女という女性が、朝な夕なこの川の水をくみ、神にたむけていた」という下鴨神社縁起の話を踏まえる。「いさぎよし」は、イサは勇ましい、キヨシは汚れがない清いの意。清浄である。清々しい。「昔この地に住んでいた秦の氏女という娘が、朝な夕な御手洗川(瀬見の小川)の水をくみ、神にたむけていた」という下鴨神社の伝説を踏まえる。
 「御手洗や清き心に澄む水の加茂の河原にいづるなり」(謡曲「賀茂」)

「加茂の川瀬の清ければ 月も流れを尋ね來て」
 3番歌詞は、後掲の鴨長明の歌を踏まえる。
 「加茂の川瀬」は、瀬見の小川。下鴨神社の糺の森(大正4年「散りし櫻を」参照)を流れる小川。かつては加茂川の分流で、河合神社のそばを流れていたという。「川瀬」は、川の中の底の浅いところ。
 加茂川は、京都市街東部を貫流する川。水源は北区雲が畑に発し、糺の森で高野川を合せて、鴨川となって、桂川(3番歌詞で説明した大堰川の下流)に合流する(歌枕)。
 「加茂の川原の眞清水も 塵の巷にけがされて」(明治38年「比叡の山の石だたみ」1番)
 鴨長明 新古今1894 「石川や瀬見の小川の清ければ月もながれをたづねてぞすむ」*「石川」は加茂川の別称。
 「謡曲『賀茂』に『賀茂の川瀬も変る名の・・・瀬見の小川の清ければ、月も流れを尋ねてぞ』とあるを踏まえている。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 

「月も流れを尋ね來て」
 月も清らかな加茂川を見ようと姿を現して。

「住めば光も明らけき」
 月も清らかな加茂川を見ようと姿を現して。「住めば」は、「澄めば」を懸ける。すなわち、賀茂の神の鎮座と、月の光が澄むことを懸ける。
                        

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