旧制第一高等学校寮歌解説
蘇る春の |
大正7年第28回紀念祭寄贈歌 東大
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1、蘇る春の 草の丘また訪ひくれば ものなべて夢見るさまに 輝ける ふとわれもみる美しき 光こぼるゝまなざしよ *「記念祭」は昭和10年寮歌集で「紀念祭」に変更。 2、わが眼にも涙あふるゝ 美しき心の春を とこしへに生きてよろこべ 湧きかへる 幻と愛と あゝうら若きおもひでの なつかしきかなかぎりなく |
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6段2小節2音は4分音符であったが、誤りとみて8分音符に改めた(現譜に同じ)。 現譜は、この原譜と変わりなく、変更はない。ただし、曲想文字Langsam(ゆっくり、遅くという意味)は昭和10年寮歌集で「緩かに」と改められた。最後の6段「光こぼるゝまなざしよ」の高音部分が年とともに声が出なくなってきた。素人の私の目から見ても楽曲構成がしっかりしていい曲だと思うが、やはり寮生はタータタータの寮歌の伝統的リズムを基本に、短調であれ長調であれ寮生の感性に訴えるものがないと歌ってくれないということか。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
蘇る春の |
1番歌詞 | 今年もまた春の紀念祭が廻って来た。紀念祭を祝おうと若草が青く伸びた向ヶ丘を訪ねてみると、ものみな夢みてきた昔のままの姿だ。輝ける昼の陽射しは、暖かく頬を照らす。ふと寮生の顔を見ると、なんと美しいまなざしをしているのだろう。目が輝いて光がこぼれそうだ。 「草の丘また訪ひくれば」 若草が青く伸びた向ヶ丘を訪ねてみると。「草の丘」は若草が青く伸びた向ヶ丘。 「ものなべて夢見るさまに」 ものみな夢みてきた昔のままの姿だ。 「輝ける白晝のひざしは あたゝかく頬にながれぬー」 懐かしいふるさと向ヶ丘を訪れて、ほっと心なごんだ様をいっている。 「ふとわれもみる美しき 光こぼるゝまなざしよ」 ふと寮生の顔を見ると、なんと光輝いた美しいまなざしをしているのだろう。 |
わが眼にも涙あふるゝ 美しき心の春を とこしへに生きてよろこべ 湧きかへる |
2番歌詞 | わが目にも涙が溢れてきた。このように若々しく美しい青春の心は、いつまでも大切に持ち続けたいものだ。思いの潮が駆け巡るに従い、夢幻だった思い出は甦り、向ヶ丘への郷愁は益々募って、感激が胸にこみ上げてくる。今や向ヶ丘の三年は、かけがえのない宝ものである。ああ、うら若き日は、限りなく懐かしい。 「美しき心の春を とこしへに生きてよろこべ」 「美しき心の春」は、いつまでも若々しく美しい青春の心。 サムエル・ウルマン 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう」 「湧きかへる空想のまゝに」 思いの潮が駆け巡るまま。 「幻と愛と生命の 花咲ける丘の三年よ」 「幻」は夢幻の思い出。「愛」は向ヶ丘への郷愁・思慕。「生命」は感激と解した。 丘の三年の思い出は、わが宝であり、『幻』・『愛』・『生命』と、それぞれ異なる表現を連ねて、丘の三年の思いを強調したものである。 「東大にはいって見て、今更に向陵三年の生活と人との純粋さに、限りなく湧く郷愁と思慕とが、なだらかな表現の中にこめられている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |