旧制第一高等学校寮歌解説

眠れる獅子の

大正7年第28回紀念祭寮歌 朶寮

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、眠れる獅子の塔かげに 殘雪(のこんのゆき)の融けゆけば
  しめれる土の匂かぎ   丘の若草目覺めきて
  空にみなぎる外光(ひかり)吸い  小鳥の胸はわななきぬ
*「わななきぬ」は、昭和50年寮歌集で「わなゝきぬ」に変更。

4、あゝ舊寮よ幸あれや   涙を血もてしるしたる
  うら若き日の(あこが)れと   力の跡の金字塔
  今宵かぎりに誕生の   饗宴(うたげ)(ともし)消ゆるとも

原譜の1段3小節4音シを1オクターブ上げた。大正14年、昭和3年寮歌集を参考に訂正した。

 昭和10年寮歌集でニ長調から変ロ長調に移調(3度キーを落す)し、2段を除く各段4小節の付点4分音符を2分音符に改め8分休符を削除したが、メロディーは不変である。

 作曲者は箕作秋吉、作曲者名は発表の大正7年寮歌集では記載無く、大正10年寮歌集では楽譜の裏に「北二 箕作」とあるのみだったが、関東大震災後の復刊寮歌集で「箕作秋吉作曲」と記載された。
 大正5年京大寄贈歌「わがたましひの」といい、この寮歌といい、メロディー構成がきちんとしていて、素人にもわかりやすい曲である。3部形式の歌曲で、2・3段のAメロディーと3・4段のBメロディーはほぼ同じ(1・3段は全く同じ、4段は2段の変形メロディー)、5・6段のCメロディーはAメロディーとは異なるメロディーでクライマックス、「ひかりすい」、「ことりのむれは」と2回盛り上がりを作り、「わななきぬ」と低く収めている。ただ、この寮歌は大正6年南寮「若紫に」のようには、寮生に歌われなかった。
 曲頭の「拍手」は何を意味するか不明だが、取り壊しの決まった東寮に感謝と別れの意を表するための拍手か? 大正14年寮歌集で削除された。音楽的には不要ということであろうが、曲頭「拍手」の記載は、鬼才箕作の性格の一端を垣間見るようで愉快である。


語句の説明・解釈

「大正7年3月の紀念祭の時点で、最も旧い東寮の改築が既に決まっていたので、第四節に示されている血を吐くような思いの表現には、多少の誇張はあるにしても、本寮歌の中では最も痛切な響きを響かせている」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

語句 箇所 説明・解釈
眠れる獅子の塔かげに 殘雪(のこんのゆき)の融けゆけば しめれる土の匂かぎ 丘の若草目覺めきて 空にみなぎる外光(ひかり)吸い 小鳥の胸はわななきぬ 1番歌詞 将来の雄飛を期して一高健児が雌伏する一高寄宿寮の軒下に、春になっても融けないで残っていた雪が融け出した。露わになった土の湿った匂いを嗅いで、向ヶ丘の若草は春に目覚めて、芽を吹いた。空にみなぎる柔らかな陽射しを翼に浴びて、小鳥は、春の喜びに胸を振るわせ、高らかに囀り始めた。

「眠れる獅子の塔かげに」
 「眠れる獅子」は、趨鵬や臥龍と同じ意で、将来、大業を果たすために、向ヶ丘で修養・研鑽に励む一高生を百獣の王・獅子に喩える。なお「眠れる獅子」は、一般的には、日清戦争以前の中国・清が持っていた巨大な中国の潜在的力量に対する西欧列強の畏怖の念をいう。
 「闇に吼ゆれば一聲に 大地おびゆる師子王も 牙まだならぬ時のまを 潜むか暫し此洞に」(明治32年「一度搏てば」2番)
 「塔」は、一高のシンボル時計台ではなく、「獅子の眠る」一高寄宿寮。一高生の意気高く、向ヶ丘に聳え立つ”塔”である。この塔を、旧寮とするか、六寮全般とするか、意見が分かれる。私見は、歌詞が早春の向ヶ丘全体の情景を描写していることから、強いて旧寮に限ることはないと解す。
 「塔かげ」の「かげ」は、木蔭と同じ意味で、日光や雨の当らないところ、すなわち軒下である。
 「塔かげ」は塔の蔭の意であろう。熟しない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「作者としては、旧寮の三層樓が日を遮り、いかにも膨大に見えるのを指されたものと承るが、それはまた、今は眠っていても、一度目覚めれば、大いに獅子吼するであろう向陵の健児を象徴したものとも見ることが出来る。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「丘の若草目覺めきて」
 丘の若草が春に目覚めて芽吹いてきて。

「殘雪の融けゆけば」
 「向陵誌」(大正7年3月)に「雪景色の中に記念祭も樂しく過ぎて」とあるように、この年の紀念祭は、寸余りの積雪があり、それが融けて、一高校庭は泥濘となったので、急遽、筵300枚を用意したという。寮歌は紀念祭の前に、応募選定されるので、紀念祭当日の残雪を詠んだものではないが、3月1日は、暦の上で春とは言っても、実際は寒く、降雪あり、積雪ありの冬であった。

「小鳥の胸はわなゝきぬ」
 「小鳥」は一高生を喩える。「わななきぬ」は、昭和50年寮歌集で「わなゝきぬ」に変更された。春が来た喜びに、胸を振るわせて囀っている。
 
死せる虚榮の(まち)黎明(あけ) 力あふるゝ腕もて 若き男の撞く鐘が 春の復活(おとづれ)つたふれば 光榮の歴史の二十八 今日追憶(おもひで)の紀念祭 2番歌詞 死んだように眠っている虚栄の街・東京の眠りを醒ますのは、春を告げて、向ヶ丘にどよめく若き一高生の叫び声である。今日は、一高寄宿寮の光栄ある28周年を祝い、数々の思い出を偲ぶ紀念祭の日である。

「死せる虚榮の市の黎明 若き男の撞く鐘が 春の復活つたふれば」
 「死せる虚榮の市の黎明」は、死んだように眠っている虚栄の街の夜明。「市」は、イギリスの作家ウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説「Vanity Fair」(邦名「虚栄の街」)に拠ったものであろうが、ここでは東京市を暗喩する。なお、サッカレーの小説(「Vanity Fair」)は、日本では大正3年に「虚栄の市」として刊行された。
 「若き男」は、一高生のこと。「撞く鐘」は、紀念祭を知らせる鐘。実際に鐘を撞くわけでなく、鐘は向ヶ丘にどよめく叫び声を喩える。「春の復活」は、春が甦ったこと。春が来たこと。
 「この芽も春の朝ぼらけ 都下百萬の花の夢 破る叫は武香陵 我自治寮の花の夢」(明治35年「この芽も春の」1番)

「光榮の歴史の二十八 今日追憶の紀念祭」
 今日は、一高寄宿寮の光栄ある28周年を祝い、数々の思い出を偲ぶ紀念祭の日である。
晨に光る柏葉の 綠玉(みどりのたま)の露に醉ひ 夕に薫る橄欖の 赤き木の實を味ひて 若き生命(いのち)の杯を ()せや若人(そこひ)まで 3番歌詞 朝には、柏葉の上に結んだ玉露が朝日を受けて緑色に輝くさまに見惚れ、夕には、薫り床しい橄欖の赤い木の実を味わう。すなわち、武では、燦然として輝く優勝旗を手にした一高運動部の活躍に歓喜し、文では、香り高く藝文の花を咲かせた一高の学問文芸に親しむ。若人よ、青春を讃えて、乾杯しよう。

「晨に光る柏葉の綠玉の露に醉ひ」
 朝日を受けて光る柏葉の緑に光る露に見惚れ。すなわち、燦然と輝く優勝旗を手にした運動部の活躍に歓喜し。「柏葉」は、一高の武の象徴。「緑玉の露」は、柏葉の上に結んだ露の玉に、柏葉の緑の色が透き通って見えるさまをいう。
 大正6年の運動部の成績は、野球部は対三高野球戦に2-12Aで大敗、陸上運動部は、秋の駒場運動会には敗れたが、帝大運動会では優勝した。
 
「夕に薫る橄欖の 赤き木の實を味ひて」
 夕に橄欖の香の漂う赤き木の実を味わって。橄欖は一高の文の象徴。一高の学芸文学に親しんで。本郷一高の本館前には橄欖の木(すだ椎(スダジー))が植栽されていた。椎の実は茶色で美味である。実際は紀念祭の頃には実はならない。あくまでも抽象的な詩の世界のことである。
 「橄欖の實の熟むかげに」(大正3年「春の光の」4番)

「若き生命の杯を 乾せや若人底まで」
 「若い命は」は、青春。「杯を乾せや若人底まで」は、乾杯して飲み乾すこと。
あゝ舊寮よ幸あれや 涙を血もてしるしたる うら若き日の(あこが)れと 力の跡の金字塔 今宵かぎりに誕生の  饗宴(うたげ)(ともし)消ゆるとも 4番歌詞 ああ、東寮よ、永遠なれ。東寮は、近く取り壊される予定であるので、今宵限りで東寮の誕生を祝う宴の灯火は、今後二度と灯されることはない。しかし、東寮は、一高生が、うら若き日に憬れ、先人が血の滲む努力で以て、今日まで連綿と守ってきた自治の足跡を語る金字塔として一高寄宿寮の歴史に燦然と輝く。

「あゝ舊寮よ幸あれや」
 「舊寮」は、建直しが決まっている東寮。三層樓(三階建て)で、明治23年3月1日開寮。西寮とともに一高寄宿寮の中では最も古い。大正7年5月27日、東寮告別式、大正8年1月21日、新寮二寮(東・和寮)が完成した。
 「既に舊寮改築の議成りしが此年7月東寮先づ影を失ふ。哀惜の情堪へず。」(向陵誌」大正7年)
 「東西二寮、彌生ヶ岡に其の雄姿を現はしてより、此處に二十有八年、星は移り、人は變ると雖も巍然たる其の姿は依稀として雲表に聳え立てり。美しき幾多の傳説を有する此の歴史的建物も、歳月の力には抗すべからず、改築の議愈成りて、東寮は本年に於て、西寮、又、來年を以て、其の三層の雄姿を永へに没せんとする。其の間、育める人材の數知れず、其の功や没すべからざるものあり。何等かの方法を以て舊寮に記念せんとの聲起こるに至れり。」(「向陵誌」大正7年ー興風會記事)

「涙を血もてしるしたる」
 先人が血の滲む努力で以て、今日まで連綿と守ってきた
 「ましてわれらが先人の 愛寮の血の物語」(大正4年「あゝ新緑の」3番)

「力の跡の金字塔」
 自治の足跡を語る金字塔である。「力」は、自治。

「今宵限り誕生の 饗宴の燈火消ゆるとも」
 今宵限りで、東寮の誕生を祝う宴の灯火をともすことがなくなるけれども。「誕生の饗宴」は、東寮の誕生を祝う紀念祭の宴。

丘の王國傳統の 権威(ほこり)に驕るわが友よ (きよ)生活(いのち)は淋しくも 世紀の頽廃(みだれ)高踏みて 強き男は空あふぎ たかうたわずや自治の曲 5番歌詞 向ヶ丘の伝統である籠城主義に名を借りて、寮内で酔歌乱舞してはストームを繰り返す豪傑気取りの我が友よ。修道院のように禁酒して清貧な生活を送ることは淋しいものであるが、世紀の頽廃ともいうべき不健全な気風が横行している汚れた世の中にあって、我々一高生は、地位名誉などに執着せず気高く身を処さなければならない。そうしてこそ、一高生は、真に強い男といえる。一高生よ、高い理想に向かって、寮歌を高誦さもう。

「丘の王國傳統の 権威に驕るわが友よ」
 「丘の王国」は、向ヶ丘に聳え立つ一高寄宿寮。「驕る」は、間違ったエリート主義、具体的には寮内で飲酒しては酔歌乱舞してスートムを繰り返す等の偽豪傑主義的態度をいうものであろう。後の語句「聖き生活」に対すると解す。「傳統の権威に驕る」は、伝統に名を借りて。「傳統」は、籠城主義(皆寄宿制)・勤儉尚武・自治共同をいう。
 大正6年11月、弁論部と興風会の共催で行なわれた「校風問題演説討論会」(於第二大教場)を踏まえるものであろう。
 「登壇者實に十有七名。そぞろに『校風沈滞の聲聞こゆる間校風は敢て沈滞せず。此聲絶ゆる時こそ向陵の爲悲しむべし』と叫べる某君の言の眞なるを思はしめられぬ。最後に平野委員登壇。要するに衷心の自覺なり眞面目なりと重ねて校友の注意を喚起し、願はくば本日の事をして單なる議論に終らしむる勿れ。」(「向陵誌」大正6年11月辯論部史」)
 少し古いが、参考までに、和辻哲郎の「精神を失いたる校風」(明治41年2月発行の『校友会雑誌』に発表)を紹介する。籠城主義の守旧派を徹底的に批判する。
 「四綱領は立派な道徳律である。しかし、籠城主義が四綱領を意味するわけではない。通学生が増加し、また、医者の診断書を手に入れるなど苦心惨憺し通学を望む校友がいかに多いかを見よ。静かに人生を考えようと欲する者が相携えて寮を出て行くのは大きな意味がある。
 向陵は歴史の天地である。伝統・歴史を軽んずる者は異端視され、その言論は認められない。自治寮が帝都運動会覇権の地としてのみ意味をもち、豪傑的態度と駒場運動会や隅田川のボートレース、野球の勝敗のみが校風の重要部分とされるに至っては、われわれは絶対に反対せざるを得ない。校風とは、”一千寮生の個人性格”である。運動家が校風を作るものではない。なぜ、古びた校風に恋々とするのか。なぜ、古い籠城主義を打破しないのか。
 寮歌は籠城主義と自治寮の賛美歌である。世は混沌なりと言い、正義の声は枯れたりと言い、高き理想の夢に酔うと言う。このような誇大な章句を毎日口にして恥ずかしくないのか。寮内の規約などはただ有るというだけで、全く無視されている。酔漢が白昼横行し、足駄で公然室内を横行、布団の上、頭の上をさえ蹂躙する。しかも委員は何ら機能を発揮できず、したがって制裁の方法もない。
 さらに見るに堪えないのは、色々な美名ににかくれた諸種の宴会である。選手の慰労会も慰労に名を借りた鯨飲馬食に過ぎない。酒にこと寄せていたずらに騒ぎ回るストームも、絶対に許す訳にはいかない。ストームのために神経衰弱となり寮を出る者さえいるではないか。」(「一高自治寮60年史」が引用する明治41年2月発行の『校友会雑誌』に発表された和辻哲郎の論文「精神を失いたる校風」抜粋)

「聖き生活は淋しくも」
 修道院のように酒を口にすることのない清貧な生活は淋しいものであるが。
 「この世のいのち一時に こめて三年をたゆみなく 淋しく強く生きよとて 今はた丘の僧園に」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)

「世紀の頽廃高踏みて」
 世紀の頽廃ともいうべき不健全な気風が横行しているが、我々一高生は、地位名誉などに執着せず気高く身を処さなければならない。「高踏」は、地位や名誉などに執着せず、世俗を抜け出て気高く身を処すること。
 具体的に世紀の頽廃とは何か。大正7年2月18日、官営八幡製鉄所長官押川則吉が鋼片払下げ問題が衆議院予算員会で問題化されたことを苦に自殺。また米価高騰下、不正枡使用で東京市・府下の米穀商683人が逮捕されたこと等をいうのであろう。その他社会面をにぎわした事件としては、大正5年11月9日、大杉栄が伊藤野枝との三角関係が原因で神近市子に刺された事件が起きた。

「空あふぎ たかうたわずや自治の曲」
 「空あふぎ」は、真理を求めて、あるいは高い理想に向っての意。太陽は真理、遠くの白雲は理想を象徴することが多い。「自治の曲」は、自治を讃える寮歌。「うたわずや」は、昭和10年寮歌集で「うたはずや」に変更された。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 冒頭の『眠れる獅子の塔かげに』は、作者としては旧寮の三層楼が日を遮り、いかにも厖大に見えるのを指されたものと承るが、それはまた、今は眠っていても、一度目覚めれば、大いに獅子吼するであろう向陵の健兒を象徴したものとも見ることができる。・・・・・・・・・この寮歌の神髄は、その第四節にあり、それは『ああ旧寮よ幸あれや 涙を血もてしるしたる うら若き日の憧れと力の跡の金字塔 今宵かぎりに誕生の 饗宴の燈消ゆるとも』と。一語一語、血を吐くような響きをもつ言葉でつながれている。第一行は、切ないまでの旧寮への愛情の叫びがあり、更に第二行の『涙を血もてしるしたる』という表現は命にひびくもので、之こそこの旧寮の歴史によって象徴される向陵の伝統の矜りを護持するため、我々の先輩達が、或は思索に、或は対校試合に、いかに血みどろな挺身と自己犠牲と健斗を重ねてきたかに対する無上の理解を示す言葉であり、一高精神の一端は、この短い一行の中にこめられている。 「一高寮歌私観」から


解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌