旧制第一高等学校寮歌解説
霞一夜の |
大正7年第28回紀念祭寮歌 中寮
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1、霞 光の下にまどろめば 柏の蔭の 6、あゝ |
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昭和10年寮歌集で、スラー・タイが7箇所付されたほかは、まったく変更はない。 |
語句の説明・解釈
作詞者は大正14年以来寮歌集で倉田 勝であったが、昭和50年寮歌集で副島 勝に改められた。作曲は中寮1番中野 勇で変わりはない。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
霞 |
1番歌詞 | 向ヶ丘には霞が明け方まで立ち込め、空は、なかなか明るくならなかったが、ようやく緑の草木に朝日が降り注ぐようになった。朝の光が射しこんだ寮室の床に、一高生がうとうとと寝ていると、朝日に赤く映えた美しい雲が天から降りてきた。寄宿寮に旅寝する一高生を真っ白な翼の生えた天使とでも思って、天から迎えにきたのであろうか。 「霞一夜の明け難てに」 霞が明け方まで立ち込め、夜が明けてもなかなか明るくならない。 『明け難てに』には『なかなか明けない』の意」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「緑に灑ぐ黎明の 光の下にまどろめば」」 緑の草木に降り注ぐ朝日の光の下で、うとうとと寝ていると。場所は寮室の床であろう。 「彩雲天を下り來て」 朝日に赤く映えた美しい雲が低く降りてきて。立ち込めた霞に朝日が映えて、天から光雲が降りてきたさまを、彩雲が天を降りてきたと表現したのであろう。「彩雲」は、朝日や夕陽に照らされて色どりの美しい雲、または霞。 「柏の蔭の客人に 眞白き翼生ふと見ぬ」 彩雲は、向ヶ丘に旅寝する一高生を真白い翼の生えた天使とみてお迎えにきた。上の訳では、「であろうか」と表現を和らげた。柏の蔭は一高寄宿寮。「客人」は一高生。人生の旅の途中、真理追求と人間修養のために、柏の蔭(向ヶ丘の一高寄宿寮)に旅寝する。 「『眞白き翼』の意未詳。『白」は賢い、清い、正しい、の意に用いたか」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
春はも丘の |
2番歌詞 | 春ともなれば向ヶ丘の一高生は、寄宿寮の誕生を祝う紀念祭の宴に集いする。開寮以来28年間の栄光ある歴史を偲びつつ、紫色の美しい酒を酌んでは、燃える若さを鎮めるために、酒を浴びるように飲むのである。 「春はも丘の若人は」 春ともなれば向ヶ丘の一高生は。「はも」は係助詞の連語、特に取り立てて提示しようというものについて、強い執着や深い感慨を持ち続けている場合に使う。 「夢の園生に團樂して」 寄宿寮に親しく集まって。すなわち、寄宿寮の誕生を祝う紀念祭の宴に集いして。「團樂」は親しく集まり合うこと。「園生」は、草木の生えている園。ここでは寄宿寮。 「二十と八の古の 榮の跡を偲びつゝ」 開寮以来28年間の輝かしい歴史の跡を偲びつつ。 「紫匂ふ酒酌みて 燃ゆる若さを浸すかな」 紫色に美しく映える酒を酌み交し、燃える若さを鎮めるのである。「紫匂う酒」は、色からいうと葡萄酒となるが、紫は帝王・神仙の色とされる。別天地桃源の向陵に相応しい神仙の酒。また鎧の上部を紫糸でおどし、下部を次第に薄い紫糸でおどしたものを紫匂という。鎧の紫匂を踏まえているとすれば、武士の酒の意にもとれる。「浸す」は濡らす、しめすこと。「酒浸り」とは、まるで酒の中に浸っているように、始終酒をのんでいることをいう。従っ、て「燃ゆる若さを浸すかな」は、燃える若さを酒に浸して鎮火させるために、酒を浴びるように飲むのである。「燃ゆる」は、昭和50年寮歌集で「もゆる」に変更された。 |
若き兒ゆゑに春されば 力を |
3番歌詞 | 一高生は若いので、春になると、元気が出て、大きな声が出るように口を大きく開けて、力強く我が紀念祭寮歌を歌う。そうではあるが、君は、寮歌も歌わないで、独り嘆き続けるというのか。「真理を求めても求めても得ることの出来ない我が真理追求の旅は、行方の定まらない漂泊の旅である。この寂しくて辛い旅路を思うと、寮歌など歌う気になれない。」というのだな。 「若き兒ゆゑに春されば」 「春されば」は、春になると。「去る」は、時・季節が移り巡ってくる意。 万葉1871 「春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かずふふみてもがも」 山上憶良 「春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ」 「力を唇の音に籠めて」 力を声を出す口にこめて。すなわち、大きな声が出るように口を大きく開けて。 「誦するは強き我が調べ」 歌うのは、力強い我が寮歌である。 「君嘆かふか、しかすがに『我が行く方の漂泊の 寂しき旅路思ふ』とや」 そうではあるが、君は、独り嘆き続けるというのか。「真理を求めても求めても得ることの出来ない我が真理追求の旅は、行方の定まらない漂泊の旅である。この寂しくて辛い旅路を思うと、寮歌など歌う気になれない。」というのだな。 「嘆かふ」は、嘆クに継続反復の接尾語ヒのついた「嘆かひ」の終止形。「しかすがに」は、そうではるが。「とや」は連語で「とや云ふ」の略。問い返しまたは伝聞を確かめて、・・・というのか。伝聞を相手に伝えて、・・・とかいうことだ。 |
旅にしあらば |
4番歌詞 | 君が遠い海に旅したとすると、君は外海の激しい荒波が打ち寄せる浜辺に泣き崩れて、波に濡れながら、真理追求の辛い運命を不満に思い嘆くことであろう。しかし、少しの間、嘆くのを止めて、懐かしい向ヶ丘の思い出に浸ろう。三年の間、向ヶ丘で追い求めてきた理想を、長い人生を乗り切る大きな力として守り活かしていこうではないか。 「旅にしあらば遠つ海の」 遠い海の旅であったならば。「し」は強意の助詞。「つ」は位置とか場所を示す助詞。「遠つ海」は、遠い海。外海。「旅にしあらば」は未然形であるが、已然形の「旅にしあれば」には、有名な有馬皇子の下の歌がある。 有馬皇子 「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」 「辛き運命を喞つとき」 辛い 「暫し床しき思ひ出に 丘の三年のその夢を 長き力と守り行かむ」 少しの間、嘆くのを止めて、懐かしい向ヶ丘の思い出に浸ろう。三年の間、向ヶ丘で追い求めてきた理想を、長い人生を乗り切る大きな力として守り活かしていこう。 「嗚呼紅の陵の夢 其の香其の色永劫に 旅行く子等の胸に生き 強き力とならん哉」(大正3年「黎明の靄」2番) |
老ひし |
5番歌詞 |
年老いた聖が、「何時までも若くいたかったのに、若い時は一瞬に過ぎ去り、もうこんなに老いてしまった。」と嘆いたという。友よ、嘆いてばかりいたら、青春はすぐに終わってしまう。涙を拭って、我らのもとに来たまえ。向ヶ丘の桜の花咲く木下陰に集まって、向ヶ丘に学ぶ我が幸せを心を込めて意気高く歌おう。 「老ひし聖者が嘆きけむ 若き誇のたまゆらと」 年老いた聖者が嘆いたという、「若さを誇るのも一時のことだ。老いはすぐ来る」と。「聖者」は、日のように天下の物事を知る人(日知りの意)。聖人、高徳の僧など。 ヘルマン・ヘッセの「青春は美し」が頭に浮かぶが、具体的引用文献は不知。 「特定の人物を想定する必要は無いであろう。盛者必衰の無常観を踏まえてか」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「花の木蔭に笛とりて 心を籠めて我が幸を 強き生命の音に吹かむ」 向ヶ丘の桜花咲く木下陰で、一緒に元気よく声を出して、向ヶ丘に学ぶ我が幸せを心を込めて意気高く歌おう。 「花の木陰」は、桜の木下陰。向ヶ丘の一高寄宿寮。「笛とりて」は、歌声をあげるために集まって。「我が幸」は、向ヶ丘に学ぶ幸せ。「強き生命の音」は、感動した声。意気高揚した声。笛を歌声に変えて訳した。 |
あゝ |
6番歌詞 | 紀念祭の春今宵、一高寄宿寮には、燭台の灯が明るく赤々と燃えている。静寂に包まれた向ヶ丘の夜、一晩中、窓辺に倚り添った友と我は、、腕を組んで侃々諤々、高い理想を語り合おう。 「あゝ高殿の春今宵」 「高殿」は一高寄宿寮。なかでも東・西寮は三階建ての高層樓であったが、実際の高さというより、一高生の意気の高さでもって、向ヶ丘に聳え立つなどと表現する。 「銀燭明くくゆるとき」 「銀燭」は光り輝く燈火。「くゆる」は、燃えて煙が立つこと。燃えると訳した。春の霞の中でも、赤々と明るく輝いているという意か。 「欄干に立つ君と我」 「 「夜の静寂のよすがら」 「よすがら」は、夜一晩中。 「腕を抱き眉揚げて」 腕を組んで侃々諤々。「眉をあげる」は、普通、不動明王のような憤怒の様をいうが、侃々諤々、真剣に議論することの意であろう。 「高き理想をかたらなむ」 「なむ」は、活用後の未然形を承ける希望の終助詞。語り合おうと訳した。 「『語らなむ』は『語りなむ」の誤。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) そうだとしたら、「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は推量の助動詞(終止形)か。「語りあったことであろう。」の意である。ちなみに、「語る」の活用は四段。 |