旧制第一高等学校寮歌解説
青葉山 |
大正6年第27回紀念祭寄贈歌 東北大
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1、青葉山。 |
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1段2小節、2・3・4段各1小節、および4段5小節の音符は4分音符であったが(不完全小節)、付点4分音符に訂正した(現譜に同じ)。 昭和50年寮歌集で、「青葉山 冬にもだせる暁の」の部分が、16音符の連符をなくし、ゆったりとしたリズムに変更された。その他は変更なし。具体的には、タータータタ ターーのやや落ち着かないリズムをタタータータ ターー(あおーばーや まーー)に変更した。2段(雲もいつしか)以降は変更はない。なお、曲頭の「ユルヤカニ」は昭和10年寮歌集で削除されたが、昭和50年寮歌集で復活した。 |
語句の説明・解釈
各節の第1句(青葉山。春は來ぬれ。なつかしや。)は、各節の主題を示すもの。その意味で、句点をつけ、ハーモニカ譜では、別段としたのだろう。みんなで歌う時でも、各節第1句は情感を込めたリーダーのソロで、第2句以下は、間を少しとって合唱としたらどうか。こんなに、いい寮歌なのに、今は誰も歌わない。もったいない限りである。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
青葉山。 冬にもだせる暁の 雲もいつしか紫に そめて静かにゆるぎ出て 春もしばしと近きぬ。 |
1番歌詞 | 青葉山。 冬の間、厚い雲に閉されて姿を見せなかった暁の太陽が、いつの間にか黒い雲を紫色に染めて、静かにゆらゆらと雲を割って天に輝くようになった。春は、もうすぐそこに来ている。 「青葉山」 作者が進学した東北大学や仙台城址のある丘陵。特定の山はなく、仙台平野の西を縁取る丘陵群の一つである。 「青葉の山に 杜鵑鳴き 玉と澄みたる 廣瀬川」(昭和4年「小萩露けき」2番) 「冬にもだせる暁の 雲もいつしか紫に」 冬の間、厚い雲に閉ざされて姿を見せなかった暁の太陽が、いつの間にか雲を紫色に。「もだせる」は黙せる。黙っていた。姿を見せなかったと訳した。後の句の「静かにゆるぎ出て」に対す。「る」は完了の助動詞「り」の連体形。 「曉」は、夜が明けようとして、まだ暗いうち。ちなみに、夜の白んでくる時刻を曙という。 「そめて静かにゆるぎ出て」 (暁の太陽の光が雲を染めて)静かにゆらゆらと雲間から出て。雲を紫色に染めるのは、暁の太陽の光である。「染む」には、四段に活用する自動詞と下二段に活用する他動詞があるが、「染めて」は他動詞の連用形。「ゆるぐ」は、全体が振動する。威風あたりを払う様子にもいう。 「春もしばしと近きぬ」 春は、すぐそこに近づいてきた。春は、もうすぐそこに来ている。「しばし」は少しの間、ちょっとの間。「近きぬ」は、昭和10年寮歌集で「近づきぬ」に変更された。 |
春は來ぬれ。 人沈滞の夢と追ふ 北の都の旅枕 南の空のはれやかに。 |
2番歌詞 | 春は、この仙台にも来たけれど。 大学の学問研究は盛んとはいえず、これといった業績なく、人は汚れた世に浮華の夢を追っている。遊学中の北の都仙台の実態だ。わが故郷の空はは、あんなに晴れやかなのに。 「思想の華の榮えもなく」 学問研究は盛んとはいえず、これといった業績もなく。 「藝文の花咲きみだれ 思想の潮湧きめぐる」(明治43年「藝文の花」1番) 「人沈滞の夢と追ふ」 人は、汚れた世に浮華の夢を追う。「沈滞」は、汚れた状態のまま。 「清き流れを汚しつゝ 沈滞こゝに幾春秋」(明治34年「アムール川」4番) 「任侠の風跡を絶つ 冶容の俗に交われば 我が自治寮を夢む哉」(明治36年「比叡の山に我立ちて」3番) 「『夢と追ふ』は『夢を追ふ』の誤植ではないか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「北の都の旅枕」 遊学中の北の都仙台のこれが実態である。「旅枕」は、自分のいつもの住み家以外の所で寝ること。旅寝。ここでは遊学中と訳した。 拾玉集三 「草枯れて今朝行く野辺の初霜に さびしかるべき旅枕かな」 「南の空のはれやかに」 「南の空」は、わが故郷向ヶ丘の空。 |
なつかしや。 古城の春の夕まぐれ 散り布く花を褥にて 三年の夢の清らけき 彌生が丘を偲ぶかな。 |
3番歌詞 | ああ、向ヶ丘がなつかしい。 向ヶ丘の自治の城の夕暮れ、一面に散り敷いた橄欖の花を床にして、すなわち橄欖の花が薫り、柏の葉が青々と茂った自治寮で、真理を追究し、人間修養に励んできた。向ヶ丘の三年間は、俗塵を絶った汚れのない清いものであった。向ヶ丘が懐かしく思い出されてならない。 「古城の春の夕まぐれ」 2番歌詞で「南の空のはれやかに」と作者の思いは既に南の空向ヶ丘へ行っており、これを承けて3番冒頭「なつかしや」で句点を打って改行し、全句向ヶ丘を偲ぶ。「古城」は向ヶ丘と解す。仙台を指すとする一高同窓会「一高寮歌解説書」の見解と異なる。「夕まぐれ」は、夕方、薄暗くてよく見えないこと。また、その頃。「まぐれ」は「目暗れ」の意。 「散り布く花を褥にて」 一面に散った花を床にして。「褥」は、ふとんの雅語的表現。一高生は人生の旅の途中、三年間、向ヶ丘に旅寝して、真理を追求し、人間修養に励む。「散り布く花」は、旅寝の宿の床を美化して表現したものである。「花」は、一高の象徴である柏の花ともなり、橄欖の花ともなり、桜の花の時もある。すべてフィクションの世界である。ここでは一高の文の象徴橄欖の花としておく。 「綠もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて 夕べ敷寝の花の床」(明治36年「綠もぞ濃き」1番) 平忠度 「行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵のあるじならまし」 「彌生が丘」 向ヶ丘に同じ。 |