旧制第一高等学校寮歌解説

つめたき冬の

大正6年第27回紀念祭寄贈歌 九大

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1、つめたき冬の(トバリ)()け  彌生の吐氣(イキ)の香り來ぬ
  野に若草の萠えさかり 水際に集ふ白鷗の
  あえかに結ぶ夢にさへ 春の心は表現(アラハ)るれ

2、遙かに遠き山の端に  かゝれる雲もその往時(カミ)
  春のかたみと歌ひてし  我等が若き心ぞや
  一とひら散りし花びらも 丘の名殘の惜しまるれ
*「一とひら」は昭和10年寮歌集で「一ひら」に変更。
昭和10年寮歌集で、「つどー」(4段2小節)、「ころはー」(6段2小節)に2箇所スラーが付いたほかは、全く変更はない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
つめたき冬の(トバリ)()け 彌生の吐氣(イキ)の香り來ぬ 野に若草の萠えさかり 水際に集ふ白鷗の あえかに結ぶ夢にさへ 春の心は表現(アラハ)るれ 1番歌詞 寒い冬が明けて、彌生三月となった。東風に乗って懐かしい彌生が岡の梅の香がここ筑紫の果に運ばれてきた。野には若草がさかんに芽吹き、水ぬるむ水辺には、白鷗が集まって、これから帰る北の故郷にほのかな思いを寄せているようだ。これらの景色を見るにつけても、ああ春になったのだなあと感じさせる。

「つめたき冬の帳開け」
 寒い冬が明けて春が来た。大正天皇の即位式、裕仁親王立太子礼でもって、明治天皇・照憲皇太后の諒闇が真に明けた意も込める。
 「眞闇の影は消え失せて」(大正6年「眞闇の影は」1番)

「彌生の吐氣の香り來ぬ」
 春、東風が吹くと懐かしい彌生が岡の梅の香が風に乗って運ばれてくる。「彌生」は、彌生三月と彌生が岡の意をかねる。
 「東風ふくのべに薫りきて 筑紫のはても春めきぬ」(明治37年「曉がたの」4番)

「水際に集ふ白鷗の あえかに結ぶ夢にさへ」
 「水際」は、袖が濱邊。千代の松原の磯づたいである。「白鷗」はカモメ、ユリカモメ等の白い鴎。翼上面が黒いか濃青灰色のトウゾクカモメ・オオセグロカモメやウミネコは留鳥であるが、他の翼上面が淡青灰色ないし青灰色で身体の白いカモメやユリカモメは、最近、留鳥もかなり見られるようになったが、冬鳥とされる。春、繁殖のために北のシベリア・カムチャッカ・カナダなどに帰る。「白鷗の夢」とは、故郷のシベリア等に帰る夢。「あえか」とは、さわれば落ちそうなさま。かよわいさま。
 「袖が濱邊の夕潮に 浮ぶ鷗の夢さめて」(明治40年「袖が濱邊の」1番)
遙かに遠き山の端に かゝれる雲もその往時(カミ)に 春のかたみと歌ひてし 我等が若き心ぞや 一とひら散りし花びらも 丘の名殘の惜しまるれ 2番歌詞 東の空、遙か遠くの山の稜線にかかった白雲を眺めていると、向ヶ丘のことが思い出されてならない。その昔、向ヶ丘の寮生であった時、どんよりした冬空から、空に刷いたような白い薄雲が現れたら、その雲は、向ヶ丘の春を告げる雲だと心に刻みつけておいたからである。春に何となくもの悲しくなる我等の若い心のせいであろうか、桜の花が一片散る毎に、向ヶ丘が思い出され、向ヶ丘が名残惜しく思われてならない。

「遙かに遠き山の端に かゝれる雲もその往時に 春のかたみと歌ひてし」
 「山の端」は、山を遠くから見た稜線。また、そのすぐ下の部分。一高のある東の方角であろう。
 「雲」は、春の白雲。春の雲は、春が行くに従い、空を刷毛で刷いたような、ありとも分かぬうす雲(巻層雲)から青空にぽっかり浮かんだ白雲(積雲)へと変っていく。遠くの山の端にかかる雲は、春を告げる空を薄く刷いた「ありとも分かぬ薄雲」と解す。ちなみに、雲の高さは、積雲が地上附近から2000m程度、巻層雲が、はるかに高く5000mから13000mといわれる。雲の高さからも、「遙かに遠き山の端にかゝれる雲」は、刷毛で刷いたような白雲・巻層雲であろう。
 「ありとも分かぬ薄雲に 彌生の春もほのめけば」(大正2年「ありとも分かぬ」1番)
 「かたみ」は死んだ人や別れた人を思い出すよすがとしてみるもの。ここでは向ヶ丘の春、すなわち紀念祭を思い出すよすが。春の白い雲のこと。
 「てし」は連語。テは完了の助動詞ツの連用形、シは過去の助動詞キの連体形。・・・しておいた。・・・ておいた。従って「歌いてし」は、歌っておいた。心に刻みつけておいたと訳した。
 「ぞや」も連語。係助詞ゾに間投助詞ヤが添った語。ここでは、自問する気持ち、・・・だろうか。「若い心」は、春に何となくもの悲しくなる若い心。

「一ひら散りし花びらも 丘の名殘の惜しまるれ」
 一片散った桜の花びらにも、すなわち、桜の花が一片散る毎に、向ヶ丘のことが思い出され、名残惜しく思われてならない。「名殘」は、波の引いた後、なおも残るもの。さらに、あることの過ぎ去った後までも尾を引く物事や感情をいう。「一とひら」は、昭和10年寮歌集で「一ひら」に変更された。
 「『心は表現るれ』、『丘の名殘の惜しまるれ』と、係助詞「こそ」がなく、また逆接の意味をこめた用法でもないのに、已然形で結ぶのは語法的にはおかしい。音数の関係と、『表現れるものだ』というような含みを持たせるためかと考えられる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
筑紫のはまに思ふとぢ  歌ふ祭の花筵 宰府の宮に照る月も 朧に霞む春なれば 昔語りに梅の歌 (アヅマ)の人に捧げなむ 3番歌詞 筑紫の浜に福岡の一高関係者が集まって、心を一つにしてはるか向ヶ丘を偲びながら寮歌を歌って紀念祭を祝う。大宰府天満宮に照る月は、春の今宵、朧に霞んで情趣深い。昔、こんな夜、菅原道真なら、道真を慕って都から飛んできた飛梅を眺めては、遠く離れた都を偲び歌の一つも詠んだことであろう。我らも向ヶ丘を想う懐旧の情を一篇の詩にまとめ、後輩の君らに寄贈歌として贈ろう。詩拙くも、止み難き我らが衷情を掬んで欲しい。

「筑紫のはまに思ふとぢ」
 「筑紫のはま」は、袖が浜辺。九大医学部の近くの浜辺で、今は埋め立てられていると思われる。いずれにしろ、その一部が現在福岡市の東公園となっている「千代の松原の磯づたひ」(明治45年「筑紫の富士」2番)の浜であろう。平清盛が築いたという袖が湊は、一部に那珂川と御笠川に挟まれたどこかというが特定されていない。「とぢ」は、昭和50年寮歌集で「とき」に変更された。「とぢ」は「綴ぢ」で、一つに縫い合わせる。「思ひとぢ」の意か。心を一つにして。
 「一つ心に東路の 自治の根城の語草」(明治40年「袖が浦邊の」7番)
  
「宰府の宮に照る月も」
 「宰府の宮」は、太宰府天満宮。

「昔語りに梅の歌 東の人に捧げなむ」
 「梅の歌」は、菅原道真の「東風吹かば」の歌を踏まえる。「東の人」は向ヶ丘の一高生。
 菅原道真 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」(初出の拾遺集1006では、「春をわするな」)
 「ここでは都を偲ぶ道真に託し、まことに道真の歌のように遠い昔の思い出となってしまったが、都へ、向陵へと懐かしさの溢れてくるこの気持ちを、後輩たる『東の人』に伝えたいというのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
千代の松原砂青く 寶滿の山雪白し 千古をかたる秘事(ヒメゴト)に  松の調もさやかにて かたみにかはす杯に さす月影も清きかな 4番歌詞 月の光に照らされて、春霞がかかった千代の松原の砂浜は青く、振返れば霊峰寶滿山の雪は白く光っている。寶滿山には、神功皇后の三韓征伐など千古の伝説があるが、この伝説を千代の松原に語りかけるように、山方面から海に向かって陸風が吹く。風を受けた松の梢は、夜の静寂(しじま)にざわざわと澄んだ音を立てている。互いに酌み交す杯に、月も清々しい影を落している。

「千代の松原砂青く」
 「青く」は、夜の砂浜には霞がかかり月光に青く映えている意か。夜の霧(霞に同じ)は、よく青いと描写される。
 「青き霧降る中にして 赤き灯もゆる驕樂の」(大正2年「ありとも分かぬ」4番)
 「千代の松原」は、福岡県筑紫群千代の松原(、その一部は福岡市東公園)。鉄道唱歌に、天の橋立、美保の浦とともに三松原の一つと歌われた。鉄道唱歌の文句によれば、当時は多々良濱から博多まで綺麗な松原が続いていたという。
 「千代の松原をちこちに もしほの煙長閑さよ」(明治42年「をぐろき雲は」2番)

「寶滿の山雪白し」
 「寶滿山」は、大宰府天満宮の北東にあり、標高829.6m、英彦山・背振山とならぶ修験道の霊峰。山頂の巨岩の上には竈門神社の上宮がある。別名御笠山、竈門山。博多は意外と寒く、冬には雪も降り、寶滿山には雪が積もる。

「千古をかたる秘事に」
 修験道の霊峰寶滿山には、神功皇后の三韓征伐や応神天皇の誕生、役の行者等にまつわる伝説が残る。海辺では、夜は陸風となるため、寶滿山方向から海辺の松原に向って風が吹く。

「松の調もさやかにて」
 「さやか」は、声・音が澄んではっきりと聞こえるさま。ざわざわと澄んだ音と訳した。
 「千代の松原磯づたひ 梢をわたる譜のしらべ」(明治45年「筑紫の富士」2番)
 「松の伶人音をあはすかな」(大正3年「まだうらわかき」
 「松の精のさゞめ言」(大正2年「御代諒闇の」2番)
 「小琴の調べかすかにて 千代の松原霞こめ」(明治37年「曉がたの」1番)

「かたみにかはす杯に さす月影も清きかな」
 互いに酌み交す杯に、月も清々しい影を落している。この時、月は霞が晴れて冴えていたのだろうか。「月影も清きかな」は、一高生の清い心に似て、月の光も清いということであろう。
あゝ靈光の一條(ヒトスヂ)に 柏の蔭にひらめきて 幸に浴せる六寮の 今宵の祭しのびつゝ 奇しき縁に若人の つきせぬ矜思ふかな あゝ霊妙なる自治の光が向ヶ丘に閃いて、自治は連綿と今日まで一高寄宿寮に伝えられている。今宵は、自治の恩恵に浴する六寮が、自治を讃えて祝う紀念祭である。遠く筑紫の果から、紀念祭を偲びつつ、不思議な縁で結ばれた一高生の、つきることのない誇りを思う。

「あゝ靈光の一條に 柏の蔭にひらめきて」
 「靈光」は、霊妙な光。ここでは自治の光。「一條に」は、一本の光が連綿と。「柏の蔭」は、向ヶ丘。

「幸に浴せる六寮の 今宵の祭しのびつゝ」
 自治の恩恵に浴する六寮の今宵の紀念祭を偲びながら。六寮は、一高の東・西・南・北・中・朶六棟の寮をいう。
 「我等はいかなるともがらぞ 自治に浴する學生よ」(明治31年「我等はいかなる」1番)

「奇しき縁に若人の」
 不思議な縁で結ばれた一高生の。
 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)

「つきせぬ矜思ふかな」
 「矜」は、自治の誇。一高自治寮の寮生であることの誇。
                        


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