旧制第一高等学校寮歌解説

比叡の山に

大正6年第27回紀念祭寄贈歌 京大

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。

 1.比叡の山に雲消えて    花嵐峽に咲きにけり
   ノックの響木靈せし     向陵の春忍ばるる
 *「雲消して」は大正14年寮歌集で「雪消えて」に変更。
 *「咲きにけり」は大正14年年寮歌集で「さきにけり」に変更。
 *「忍ばるる」は昭和50年寮歌集で「忍ばるゝ」に変更。

                                       2.
我れ陵の上に人となり   雄獅子の意氣を養ひつ
   世を思ふわざ學びにき   向陵の人今如何に

10.頽癈(クズ)れ行く世に押し立てし 向陵の城とことはに
   強く正しき益良雄の     修道院と殘れかし

 昭和10年寮歌集で、タタ(連続8分音符)のリズムがタータ(付点8分音符・16分音符)に訂正されたほかは、変更はない。
この寮歌は、ミファソ、ファミレ、ソラシド等ドレミファソの音階を上下させただけのシンプルなメロディーに、接続詞としてララ、ドド、ミミ、ファファと連続音をおくのも効果的である。最後が主音でなく、属音ソで終わっているのもこの寮歌の特徴で、何か落ち着かないのはそのためである。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
比叡の山に雲消えて 花嵐峽に咲きにけり ノックの響木靈せし 向陵の春忍ばるる 1番歌詞 春となり、比叡の山の雪が消え、嵐峡に桜が咲いた。対三高野球戦に備え、野球部が練習に励むノックの響きが寄宿寮まで聞こえて来た向ヶ丘の春が懐かしい。

「比叡の山に雪消して」
 「消して」は、大正14年寮歌集で「消えて」に変更された。

「花嵐峽さきにけり」
 「嵐峡」は、京都・嵐山の麓を流れる大堰川の峡谷。大堰川は、行政的には桂川であるが、通常、丹波亀岡から渡月橋までを保津川または保津峡、渡月橋から下流を桂川と呼ぶ。保津峡の川下りは有名で、屋形船から見る春の桜、秋の紅葉は絶景である。「咲きにけり」は、大正14年寮歌集で「さきにけり」に変更された。

「ノックの響木霊せし 向陵の春忍ばるゝ」
 野球部が対三高戦に備え、練習に励んでいた向ヶ丘が懐かしい。野球部は春、例年4月に行なわれる対三高野球戦に備え、猛練習を行っていた。向陵は向ヶ丘のこと。「忍ばるる」は、昭和50年寮歌集で「忍ばるゝ」に変更された。
 「彌生ヶ岡の春の夕 ノックの響雲に入り」(明治36年「野球部部歌」2番)
我れ陵の上に人となり  雄獅子の意氣を養ひつ 世を思ふわざ學びにき 向陵の人今如何に 2番歌詞 向ヶ丘に上り、一高生となって、百獣の王のような雄々しい意気を養い、どうしたら世の人を救い、世の中をよくすることができるかを学んできた。向ヶ丘の今の一高生は、何を学んでいるのだろうか。

「我れ陵の上に人となり」
 私は一高に入学し、一高生となって。「陵」は、向ヶ丘。一高に入学することを「丘に上る」、卒業することを「丘を下る」などという。

「雄獅子の意氣を養ひつ」
 「大地おびゆる師子王も 牙まだならぬ時のまを 潜むか暫し此洞に」(明治32年「一度搏てば」2番)

「世を思ふわざ學びにき」
 どうしたら世の人を救い、世の中をよくすることができるかを学んできた。「世を思ふわざ」は、救民済世の術。
 「三とせは岡に佇みて 煙る下界を眺めやり 濁れる波を清むべき 深き想に培はん」(大正5年「朧に霞む」5番)
見よ國と云ふ國挙げて 戰の庭にひしめけば 力の前に法も無く 必要の下道義(みち)絶えぬ  3番歌詞 欧州では国という国が二つの陣営に分かれて、戦場で壮絶な戦いを繰り広げている。中立国のベルギーを侵略したり、毒ガス兵器を使うなど、勝つためには手段を選ばず、国際法を無視し、非人道的手段に訴えている。誠に遺憾ながら、道義は地におちてしまった。嘆かわしい限りだ。


「戰の庭にひしめけば 力の前に法も無く 必要の下道義絶えぬ」
 第一次世界大戦を踏まえる。勝つためには手段を選ばず、国際法を無視し、非人道的手段に訴えている。道義は地におちた。中立国ベルギーへの侵攻、毒ガス兵器の使用(イープルの戦い)、英客船ルシタニア号の沈没等をいう。大正4年11月3日には、日本の山下汽船靖国丸が地中海で独軍艦により撃沈された。「道義」は、人の行うべき正しい道。
永世(とは)協約(チギリ)は今いづこ ルウヴェンの花踏み荒らし 雪崩れ入るなる醜の勢 弱きは何の(トカメ)ぞや 4番歌詞 国際的に承認されていた永世中立国宣言は一体何だったのだろうか。凶悪なドイツ軍は、永世中立の協約を破って、ベルギーに侵攻し、学園都市ルウヴェンをはじめ無防備な各都市を怒濤の勢いで次々に蹂躙していった。弱小国ベルギーに、何の責められるべき罪があるというのか。

「永世の協約は今いづこ ルウヴェンの花踏み荒らし」
 「永世の協約」は、永世中立国ベルギー。「ルウヴェン」は、ブリュッセルの東北約20数キロにある学園都市。「雪崩れいる」は、怒濤の勢いでと訳した。「醜の勢い」は、凶悪なと訳した。
 第一次世界大戦が始まると、ドイツはシュリーフェン作戦計画にのっとり、緩慢なロシアが東部戦線に出てくる前にフランスを壊滅させるべく、兵力を西部戦線に集中し、国際的に承認されていた永世中立国ベルギーを協約を破って侵略した。ドイツ軍は、中立国ベルギーの無防備な各都市を踏破してフランス国境に迫った。結果は、ロシア軍の迅速な動員とマルヌの戦い(パリ東方マルヌ河畔)でのフランス軍の反攻で南下を阻止され、両戦線共に膠着状態となった。
三千年の文明の 理想は夢ぞ國民(クニタミ)に 糧の争絶えざらむ あらま欲しきは力なり 5番歌詞 我国の名の「豐葦原の瑞穗の国」とは、瑞々しい稲穂が稔る豊かな国のことである。皇国三千年にわたる豊かな国づくりの理想は夢だったのか。食糧難は、この世に絶えることはない。第一次大戦下のインフレの進行と買占めにより、米価は高騰して、庶民は、食料を手に入れることすら難しくなっている。その昔、仁徳天皇が貧しい民の暮し振りを見て、民の暮しを豊かにするために三年間税金を免除し仁政を行なったという。今、自分に欲しいのは、この世を正す済世救民の力である。

「三千年の文明の理想」
 三千年にわたる豊かな国づくりの理想。「三千年」は皇紀三千年。ちなみに大正6年は、皇紀では2577年である。「文明」は、野蛮ではない、開化した、生活水準の高い、人道が行われているなどの意。
仁徳天皇 新古今707 「高き屋に登りて見れば けぶり立つ 民の竈はにぎはひにけり」
 「豐葦原の瑞穗の國といふ我が國名は、國初に於ける國民生活の基本たる農事が尊重せられたことを示すものであり、年中恆例の祭祀が農事に關するものの多いのもこの精神の現れである。天照大神を奉祀する内宮に竝んで外宮に豐受大神を奉祀し、上、皇室を始め奉り、國民が深厚なる崇敬を捧げ來つてゐることにも深く思を致すべきであろう。」(「國體の本義」)
 「畏くも肇國の當初に於て、皇祖が親しく生業をさづけ給ひ、經濟即ち産業が國の大業に屬することを御示し遊ばされた。神武天皇は「苟も民に(くぼさ)あらば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)(たが)はむ」と宣ひ、更に崇神天皇は「農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり。」と仰せられ、歴代の天皇は常に億兆臣民の生業を御軫念遊ばされた。」(「國體の本義」)

「國民の糧の争絶えざらむ」
 「糧の争」は、食糧難。
 第一次大戦下、インフレが進行し物価、特に米価が高騰した。翌7年には有名な富山の米よこせ運動が勃発し、全国的に波及した。一高寄宿寮でも大正6年2月、実に11年ぶりに食費を値上げ、その後も矢継ぎ早に値上げせざるを得ない異常事態となった。米の買占め・不正販売が横行した。

「あらま欲しきは力なり」
 「あらまほし」(形シク)は、こうあってほしい。「ほ」を漢字の「欲」として意を強調した。「力」は、6番以降の歌詞、特に、8番の「のどには死なじ他人の爲」、9番の「男さびせよ蟷螂も 龍車に向ふ意氣地あり」等から、「欲しいのは、この世を正す済世救民の力である。」と訳した。
さはれ我が友人の世の 悲しき姿君見ずや 貧しき者は力無く 富みたる者ぞ驕りたる  6番歌詞 それにしても我が友一高生よ、社会の底辺で、生活に困窮し苦しんでいる人を見たことはないか。貧しい者は生活に疲れ力なく、富者は恣に贅沢な暮しをしている。

「さはれ我が友人の世の」
 「さはれ」は、そうではるが。それにしても。

「貧しき者は力無く 富たる者ぞ驕りたる」
 大正5年9月11日 河上肇の「貧乏物語」が大阪朝日新聞に連載、翌年単行本が刊行。海外ではこの年、レーニンが亡命先のスイスで「帝国主義論」を執筆し、戦争を内乱に転化せよと主張し、ロシア革命を主導した。
 「まづしきものゝ血をすゝり 肉をはむてふ鬼ぞすむ」(明治41年「紫淡く」3番)
 「富者は貧者の血を啜り 強者は弱者の肉をはむ」(明治45年「天龍眠る」3番)
人人として差別(ワカチ)なし 女男(オミナオノコ)になど劣る せめて愛しき同胞(ハラカラ)に 自由と平和あらしめよ 7番歌詞 人は人として男女に差別はない。女性は男性にどうして劣るの云うのか。せめて愛しい女性が、人並みの自由で平穏な生活が出来るようにしてあげようではないか。

「人人として差別なし 女男になど劣る」
 大正5年6月友愛会、婦人部設置。10月21日大阪婦人矯正会、大阪府の飛田遊郭地指定に反対、府庁へ初の母親デモ。平塚らいてう・市川房江が女性の団結・進歩向上・権利獲得を目指して、「新婦人協会」の創立を声明したのは、この後、大正8年11月のことである。

「せめて愛しい同胞に、自由と平和あらしめよ」
 「せめて愛しい同胞」は、女性のことだが、借金や人身売買で苦界に身を沈めた女性を念頭においているようである。公娼廃止を訴えているか。「自由と平和」は、人間として自由で平穏な生活。
君夜半にして燈に 心映して歡取(クワンシユ)せよ 「のどには死なじ他人の爲」 さやかに(タマ)はつぶやかむ 8番歌詞 夜中に、灯火に君の心を照らして、君のほんとうの心をじっくりとよく見てみよ。「無駄には死なない。世のため、他人のために、命を捧げよう」と君の魂は、はっきりとつぶやくことだろう。

「君夜半にして燈に 心映して歡取せよ」」
 「夜半」は、よなか。「歡取」は、誤植か。昭和50年寮歌集で「観取」に変更された。

「のどには死なじ他人の為め」
 「のどに」とは、長閑にという意味。続記・宣命に 「海行かば水漬く屍・・・・・・・大君の辺にこそ死なめ、能杼爾(のどに)は死なじ」とある。無駄には死なない、世のため他人のため命を捧げようの意。大正14年「弓術部部歌」1番に「長閑には死なじ海行かば 水漬く屍と武士が」と同様の引用がある。
(参考)大伴家持 万葉4092
 「海行かば 水漬 山行かば 草す屍 大王の にこそ死なめ 顧みは せじと言立てて 大夫の 清きその名を よ 今のに 流さへる・・・」 

「さやかに魂はつぶやかむ」
 「さやかに」は、はっきりと。
ああ慷慨(ナゲカヒ)のしげきなか 鐵拳(コブシ)振ひて濁世に 男さびせよ蟷螂も 龍車に向ふ意氣地あり 9番歌詞 ああなんと世の中には不義不正の多いことかと憤り嘆くことしきりである。この濁世を正すために男らしく拳を振り上げて行動に立ち上がろう。小さなカマキリでさえ前足を斧のように上げて、天子の車に向っていく意気地を持っているではないか。

「ああ慷慨のしげきかな」
 ああなんと世の中には不義不正の多いことかと憤り嘆くことしきりである。「慷慨」は、世の中の不正不義を見聞きして、絶対許せないと怒ること。「しげき」は、繁きで、絶え間のないこと、しきりに。「ああ」は、昭和50年寮歌集で「あゝ」に変更された。

「鐡拳振ひて」
 「鐡拳」は、固く握りしめた拳。世の中を正すために実力行動をするの意か。次の句の「蟷螂の斧」に対する。カマキリが前足をあげて、権力に向って云ったように、君も拳を振り上げての意。

「男さびせよ 蟷螂(とうろう)も 龍車に向ふ意氣地あり」
 「男さびせよ」とは、男らしくせよ。「蟷螂」はカマキリのことで、よく「蟷螂の斧」といわれるように、自分の微弱な力量をかえりみずに強敵に反抗すること、はかない抵抗のたとえに使われる。
 「龍車」は、天子の車。古代中国やアッシリアで戦闘用に馬に引かせて使用した車でもある。ここでは、権力を喩える。
 6、7、8番の歌詞を受けてこの句を解釈すれば、相当に過激な思想、すなわち「社会主義活動の先頭に立って権力に立ち向おう」となる。前述のとおり、ロシア革命を主導したレーニンが「帝国主義論」を執筆し、暴力革命を説いたことを踏まえるか。「龍車」を日本のツアー「天皇」と解釈すれば、革命の扇動ともとれる。作者の心は、まさに「あらま欲しきは力なり」というところであろうか。
頽癈(クズ)れ行く世に押し立てし 向陵の城とことはに 強く正しき益良雄の 修道院と殘れかし 10番歌詞 正義が崩れ悪風が吹き荒ぶ濁世を遮断して、超然と向ヶ丘に立つ一高寄宿寮は、永遠に強く正しい一高健児が人間修養に励む修道院として残って欲しい。

「頽廢れ行く世に押し立てし」
 正義が崩れ廃れていく世に、濁世の塵芥を断つために向ヶ丘に建てたの意。
 「塵世の巷をよそにして 皮相の風に逆ひつ」(明治36年「かつら花咲く」4番)
 「苟も此惡風に染まざらん事を欲せば宜しく此の風俗に遠ざかり、此書生との交際を絶たざるべからず。而して此目的を達せんが爲には籠城の覺悟なかる可からず。我校の寄宿寮を設けたる所以のものは此を以て金城鐡壁となし世間の惡風汚俗を遮斷して純粋なる徳義心を養成せしむるに在り。決して徒に路程遠近の便を圖り或は事を好みて然るに非る也。」(「向陵誌」明治23年2月24日木下校長訓辞)

「強く正しき益良雄の 修道院と殘れかし」
 「益良雄」は、男らいい立派な男子。一高健児。「修道院」は、厳格な戒律の下に共同生活を営んで修道を積むキリスト教の修道士の僧院。全寮制の一高寄宿寮をなぞらえる。
 「淋しく強く生きよとて 今はた丘の僧園に」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)  
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌