旧制第一高等学校寮歌解説
とこよのさかえに |
大正6年第27回紀念祭東大寄贈歌 東大
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1、とこよのさかえに かがやくひかり |
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4段4小節2音は下線のみで数字が欠落していたが、大正7年寮歌集のドを当てた。 平成16年寮歌集で、1・2・3段各1小節のタイが削除された他は、現譜はこの原譜と全く同じである。 |
語句の説明・解釈
日本で、ベートーヴェンの第九が、初めて演奏されたのは大正7年6月1日、徳島県板東収容所におけるドイツ軍捕虜による演奏であったといわれている。この寮歌は、それに先立つこと1年以上も前に作られた。当時としては、非常に斬新な寮歌であった。作者の矢崎美盛は、後の東大教授。美学・美術史を教えたが、ヘーゲル哲学の大家でもあった。ドイツ語に堪能で(一高は文乙)、一高・東大とヘーゲル等ドイツ哲学、宗教、藝術一般に関心があり勉強していたので、いち早くベートーヴェンの第九を知ったのではなかろうか。日本において第九の全楽章が初めて公式に演奏されたのは、この寮歌の約8年後の大正13年11月、東京音楽学校関係者による演奏であった。また、第九が恒例のように年末に演奏され、日本中に知れ渡ったのは戦後のことである。終戦間もない頃、困窮した楽団員が年を越せるように収入を得るため、日本交響楽団(当時)が年末に第九を演奏しするようになってからである。(楽団員の困窮については、群馬の交響楽団を描いた映画「ここに幸あり」を思い出す。) 今から20年も以上の昔、徳島の捕虜収容所跡(「ドイツ村」とか称していた?)を訪れたことがある。その時、まだ、この寮歌を知らなかったので、「歡喜の歌」を口ずさんできた。次に彼の地を訪ねることがあったら、この寮歌を声高らかに歌いたいものである。 「シラーの詩にも基本的にキリスト教の影響があるが、さらにこの寄贈歌の大要はむしろ讃美歌により近いものがあり」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)、また、井上司朗大先輩がいうように「その人のキリスト教的信仰の一端がほの見える」寮歌である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
とこよのさかえに かがやくひかり いらかにはえそふ わがふるさとの けふしもはたちと ななとせのはる いしくもこゑあげ うたはざらめや |
1番歌詞 | 永遠の栄に輝く光が我が魂の故郷・一高寄宿寮の甍に映える。寄宿寮は、今日開寮27周年の晴れの記念日を迎えた。大きな声をあげて、自治を讃える寮歌を歌おうではないか。 「とこよのさかえ」 永遠の栄。 「とこよにつきせぬめぐみの主よ、朝日とかがやくひかりの主よ」(讃美歌4番、以下、讃美歌・シラー「歡喜の歌」の原詞は、一高同窓会「一高寮歌解説」の引用である。) 「はたちとななとせのはる」 開寮27周年紀念祭。 「いしくもこゑあげ」 大きな声をあげて。「いしくも」よくも。けなげにも。 「みそらにきこゆるたへなるうたに あはせてわれらもうたはざらめや」(讃美歌550番) |
かしはのかげの まきばのみとせ みちをしもとめて さまよひしひに ただしきふえのね ひびきわたりて のぞみのほしかげ わがみにあれぬ。 |
2番歌詞 | 向ヶ丘の寄宿寮での三年は、ひたすら道を求めて、さ迷う日々であったが、神のお導きにより、我が身に希望の光が灯った。 「かしはのはかげの まきばのみとせ」 向ヶ丘の一高寄宿寮での三年間の起伏し。「まきば(牧場)」は学園。向ヶ丘。「かしはのかげ(柏の蔭)」は一高寄宿寮。「柏葉」は一高の文の象徴。 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」追懐3番) 「主はわがかひぬしわれそのひつじ(中略)みどりのまきばにわれをふさしめ」(讃美歌276番) 「みちをもとめて さまよひしひに」 道を求めて彷徨った日に。「みちをもとめて」は求道、真理を求めることであるが、この寮歌全般に宗教的なものを感じる。「みち」は、3番歌詞の「かたきまさみち」をいうものであろう。 「行方も知らず迷ひけん 丘の夕もありしかな」(大正6年「若紫に」4番) 「強き意志の一すぢに 進まむ道を語らずや」(大正6年「あゝ青春の驕樂は」5番) 「ただしきふえのね」 創造主が吹く道を導く笛の音。創造主を飼い主、一高生を牧場の羊に喩える。 「わがみにあれぬ」 我が身に生じた。「あれぬ」は生れぬ。 |
ほしてるみそらの いみじきたくみ わがたつだいちの かたきまさみち これこそわれらが ををしきちかひ ありそのいはほと とはにゆるがじ。 |
3番歌詞 | 宝石を散りばめたように星が輝く空は、何と素晴らしい造形であろうか。我が立つ大地は、人が道を踏み外すことがないように固い。その天地を創造した神のお導きにより正しい道を歩むことこそ、我らが雄々しく誓った誓である。荒波が押し寄せても磯辺に高く突き出した巌が頑として動かぬように、この誓は、永久に破られることはない。 「ほしてるみそら いみじきたくみ」 「いみじきたくみ」は、すばらしい造形。 「兄弟よ、星空のかなたに愛する父は住み給うのだ。(中略)創造の主を感じられるか、世界の民よ! 星空のかなたに主を求めよ、星の遙かに主は住み給うのだ。」(シラー「歡喜の歌」) 「あまつおほぞらはみさかえをしめし かぎりなきほしは御法則をあらはす」(讃美歌168番) 「かたきまさみち」 固き正道。人の踏むべき正しい道。 「これこそわれらがををしきちかひ」 「これ」は、前の句の「かたきまさみち」。 「ありそのいはほと」 荒磯の巖の頂き、荒磯に立つ巖。「ほと」は穂所で、陰所ではない。 「主の真理は荒磯のいは、さかまく波にもなどかうごかん(中略)あな尊きかなとこしへの主(讃美歌78番) 「底もとゞろの 千重男波 われてくだけて ちる中に ゆるがず立てる 巌とも たとへつべしや」(明治45年「荒潮の」1番) |
よろこびあふるる たかきほぎうた うれしきはらから けふもつどひて わがたまふるさと さきはひあれと いしくもあはせて うたふうれしさ。 |
4番歌詞 | 喜びに溢れて高く響き渡る祝歌、晴々とした友らは今日も紀念祭に集まって、我が魂の故郷に幸いあれと、見事に声を合せて歌ううれしさよ。 「わがたまふるさと さきはひあれと」 わが魂の故郷に幸いあれと。 「いしくもあはせて うたふうれしさ」 見事に声を合せて歌ううれしさよ。「いしく」は、見事に。立派に。 「いざやともにこゑうちあげて くしきみわざほめうたはまし(中略)かみによりてよろこびあり」(讃美歌356番) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 前年大正5年の寄贈歌で唯一「ふるさと」の語を用いなかった東大だが、この寮歌で一高を「ふるさと」と詠んだ。「ベートーヴェンの交響曲第九の一節をかり、之に歌詞を合わせているが、その人(作詞者)のキリスト教的信仰の一端がほの見える。 | 「一高寮歌私観」から |
園部達郎大先輩 | 昭和4年入寮して寮歌教授に熱中している折、先輩に連れられて、『音楽喫茶』なる処へ行った。入る前に、『ここは、クラシックをのべつ掛けており、皆黙して聴いている。一言も喋るじゃないぞ。』 私共はコーヒーを啜りながら一曲一曲聴いていった。父がカルーソーなど少しレコードを所有していたから、至極ゆっくりと聴いていた。と、突然、『寮歌だ』と叫んでしまった。先輩は凄い顔をして、私を外に連れ出し帰寮した。父の蔵板の中に、この『第九』は入っていなかった。ので、知る由もなかった。とんだ失敗をした『第九』で、私は「とこよのさかえ」の方を先に覚えてしまったという失敗の代物である。 | 「寮歌こぼればなし」から |
森下達朗東大先輩 | 「第九」の旋律がわが国の讃美歌に初めて登場したのは昭和6年版『讃美歌』の中の讃美歌140番で、それまで別の曲に使われていた「あめには |
「一高寮歌解説書の落穂拾い」から |