旧制第一高等学校寮歌解説

櫻眞白く

大正6年第27回紀念祭寮歌 朶寮

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1、櫻眞白く咲きいでゝ    悲しき春の立ち來れば
  黄金(こがね)を溶かす夕映えに  (りく)寮の窓燃ゆる時
  彌生ヶ丘の若人(わかうど)は     高歌ふなり自治の歌。
*「いでゝ」は昭和10年寮歌集で「いでて」に変更

2、その自治の曲(すゑ)遠み   流れて今日は(きた)れども
  湧き立つ血潮青春の   (きよ)眞摯(まこと)と力こそ
  深山(みやま)に秘めし玉のごと   今に傳へて吾が誇。

3、あゝ東よりはた西ゆ     柏の森に集ひ來て
  あはれ人生(このよ)強者(つはもの)と    雄々(をゝ)しく叫ぶ同胞(はらから)
   指導(しるべ)の旗は翻り      軍鼓は高く鳴り出でぬ。

4、されば吾が友太刀を佩け  汝が緋縅を(よろ)へかし
  過去の夢よりさめ出でゝ  ()()黎明(あけ)の門開き
  日出づるところ大いなる   理想の國を指呼(しこ)せずや。

5、廿年(はたとせ)あまり七年(なゝとせ)の      光榮(はえ)の歴史は(めぐ)り來て
  今宵(こよひ)向陵火は赤し      朱玉の杯に(くち)づけて
  同じ理想(おもひ)に相よれる     友と(ゑま)ひを()はさんか

*各番歌詞末の句読点「。」は大正14年寮歌集で削除。
 大正14年寮歌集(正しくは大正13年11月1日関東大震災後の復刊寮歌集)で、発表7年後に早くも現在の歌い方に譜が改められた。よほど人気寮歌で歌い崩しが早かったのだろう。平成16年寮歌集で、一音だけ先祖帰りの訂正があったが、大正14年以降は変更がないといっていい。

 大正14年の変更箇所は、次のとおりである。
  1、「さくらましろく」(1段1・2小節)    ソーソドーレ ミーミミー。「ましろく」は弱起に変わった。「さくらまろく」と歌う。
  2、「たちくれば」(2段3・4小節)     ファーミレーミ ドー(平成16年で、後のミがドに変更)
  3、「りくりょー」(4段1小節)        ソーソ
  4、「ふなり」(6段2小節)         ドードソーソ
 調(変ホ長調)、拍子(2拍子)ともに不変、出だしのメロディーが変った程度で、原型をよく留めている。今も「快活に」歌われている愛唱歌である。


語句の説明・解釈

 「その歌意たるや、何らの屈折も含まない簡明直截を極めたもので、要するに青春の湧き立つ情熱と直結した『聖き眞摯と力』の強調であり、その具体的顕現としての護国の精神の発揚であり、理想の国への指呼であった。   (『太刀を佩け』『緋縅』等の表現について)軍国主義的イデオロギーを感じ取る向きもあるかもしれないが、それは拡大解釈で、作者の真意は決して武力の誇示ではなく、良き意味での武士道的モラルの顕現であったと見るべきであろう」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。
  

語句 箇所 説明・解釈
櫻眞白く咲きいでゝ 悲しき春の立ち來れば 黄金(こがね)を溶かす夕映えに (りく)寮の窓燃ゆる時 彌生ヶ丘の若人(わかうど)は 高歌ふなり自治の歌。 1番歌詞 桜の花が真っ白に咲いて、今年もまた、別れの悲しい春がやって来た。黄金色に輝く太陽を溶かして真っ赤に燃える夕焼けに、一高寄宿寮の窓が燃えるように照り映える夕暮、彌生ヶ丘の一高生は、意気高く自治を讃えて寮歌を高誦する。

「櫻眞白く咲きいでゝ」 
 「いでゝ」は、昭和10年寮歌集で「いでて」に変更された。桜の色は、寮歌により白くも紅色ともなる。ここでは別れの意味で「白く」としたか。本郷一高の桜はソメイヨシノではなく、吉野の山桜と同じヤマザクラ系統のどちらかというと白い桜だったという(園部大先輩の話)。
 「歌聲低き若人の 胸にこぼるゝ花白し」(大正2年「あゝ炳日の」5番)
 本郷一高には、当初「前園は梅松繁りて茂林深く後庭を遊園とす。」(「向陵誌」明治24年)とあるように、文の神菅原道真に因んで梅の木が植えられ、桜の木は、「春は櫻花咲く 彌生ヶ陵」(明治39年)と詠われてはいるが、それほど多くはなかったようだ。そうはいっても、東西二寮前には、桜の大樹が植わっていた。「櫻真白く」と歌われた桜は、この桜をいうのかもしれない(この桜の大樹は、大正6年9月の台風で倒れてしまった)。
 寮生の桜は明治43年に寄宿寮創立20年記念事業の一つとして、校庭に萩と共に櫻百本が植えられた。この寮歌の時には、植樹から7年を経過しており、見事に花を咲かせていたことであろう。この頃から、梅よりも圧倒的に多く桜が一高寮歌に歌われるようになった気がする。ちなみにソメイヨシノが日本中に広がったのは日露戦争の戦勝記念に日本各地に植栽されてからという。
 「寮生の觀賞措く能はざりし分館横及東西二寮前の大櫻樹の倒れたるは怨殊に深きものなり。」(「向陵誌」大正6年9月)
 
「悲しき春の立ち來れば」
 春は卒業・去寮の時期で、友との離別の時期である。だから「悲しい春なのである。」
 「何故『春』が『悲し』いのか分からない。特に春愁といった気分も感じられない。おそらく『悲しき春』の意であって、切実な思いがする、いとしい、といった意味なのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「黄金を溶かす夕映えに」
 「黄金を溶かす」は、昼間、黄金色に光り輝いた太陽を真っ赤に燃やして溶かし去ってしまう夕焼けに。 「黄金」は、黄金色に輝く太陽のこと。「夕映え」は、夕日に照り輝く姿。夕焼け。
 「金色のまひる誇に滿ちて」(大正4年「紫の曉」2番)

「六寮の窓燃ゆる時」
 寄宿寮の窓が夕陽に真っ赤に映える時。血潮に燃える一高生の意気を表現する。六寮は、東・西・南・北・中・朶の六棟の一高寄宿寮。

「彌生ヶ丘の若人」
 一高生。本郷一高は、本郷区向ヶ岡弥生町にあった。向ヶ丘は、また彌生ヶ丘ともいう。
その自治の曲末流(すゑ)遠み 流れて今日は(きた)れども 湧き立つ血潮青春の (きよ)眞摯(まこと)と力こそ 深山(みやま)に秘めし玉のごと 今に傳へて吾が誇。 2番歌詞 今日、我々が先人から伝えられた自治は、これから先、我々が連綿として伝えて行かなければならない。自治は、深山の奥深くにあって、なかなか見つけることの出来ない玉のように貴重なものである。この自治を、青春の湧き立つ血潮と清き誠の心で、先人が今に伝えて来たのは、我等一高生の誇りである。

「自治の曲末流遠み 流れて今日は來れども」」
 (伝えの自治を自治の流れとして捉え)自治は今日、先人からの伝えにより、ここに流れてきたが、自治の行きつく先は、遙か遠い先である。すなわち、今日、我々が先人から伝えられた自治は、これから先、我々が連綿として伝えて行かなければならない。
 「自治の曲」は自治を讃える寮歌。明治23年に自治寮が開寮されて以降、自治は寮歌と共に今日まで、先人から連綿として伝えられてきた。「末流」は、はるかな行先。 「遠み」の「み」は形容詞の語幹について、接続助詞とすれば「・・・のゆえに」、「・・・なので」の意。接尾語とすれば、「遠み」は体言となって、遠いところの意。次の「ども」は、已然形によって已に成立している条件から当然に起る順当な結果とは逆の状態を導く接続助詞である。ここに「流れて今日は來れども その自治の曲末流遠み」と句を逆転して解釈して、「遠み」の「み」は接尾語、遠い先と訳した。

「深山に秘めし玉のごと」
 深山幽谷でしか見つけることのできない宝石に似て。「玉」は、宝石。珠に対して美しい石をいう。「嗚呼玉杯」の玉である。
あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て あはれ人生(このよ)強者(つはもの)と 雄々(をゝ)しく叫ぶ同胞(はらから)よ 指導(しるべ)の旗は翻り 軍鼓は高く鳴り出でぬ。 3番歌詞 日本全国から、我こそは天下の秀才と誇る若人が、ここ向ヶ丘に集まってきて、人生を強く逞しく生きていくと雄々しく叫ぶ友は、さすがである。自治の導の四綱領の旗は翻り、自治を守る戦いの出陣を命じる太鼓が鳴り響いている。

「あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て」
 日本全国から、我こそは天下の秀才と誇る若人が、ここ向ヶ丘に集まってきて。「柏葉」は一高の武の象徴であることから、「柏の森」は、向ヶ丘を意味する。一高は旧制高等学校の中でも最も歴史が古く、最難関の学校であった。

「あはれ人生の強者と 雄々しく叫ぶ同胞よ」
 人生を強く逞しく生きていくと雄々しく叫ぶ友はさすがである。「あはれ」は、事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持ちを表す語。力強い讃嘆は促音化してアッパレという。「同胞」は友、一高生。「人生の強者」は、人生を逞しく生きるということであって、「人生の勝者」の意ではない。
 「こめて三年をたゆみなく 淋しく強く生きよとて」(大正2年「ありともわかぬ」3番)

「指導の旗は翻り 軍鼓は高く鳴り出でぬ」
 自治の導の四綱領の旗は翻り、自治を守る戦いの出陣を命じる太鼓が鳴り響いている。
 「指導(しるべ)」は「知る()へ」の意で、道案内。ここでは自治の方向を導く四綱領のこと。「軍鼓」は戦陣で用いる太鼓、陣触れ太鼓、出陣の命令。
 「四綱領」とは、寮開設にともない木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四つの項目のことで、次のとおり。
          第一  自重の念を起して廉恥の心を養成する事
          第二  親愛の情を起して公共の心を養成する事
          第三  辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事
          第四  摂生に注意して清潔の習慣を養成する事
されば吾が友太刀を佩け 汝が緋縅を(よろ)へかし 過去の夢よりさめ出でゝ ()()黎明(あけ)の門開き 日出づるところ大いなる 理想の國を指呼(しこ)せずや。 4番歌詞 そうであるから一高生よ、昔、若武者が出陣の時に太刀を佩き、緋縅の鎧を身につけたように、勤倹尚武の心を奮い立たせて、自治の戦いの準備をしようではないか。すぐさま惰眠の夢から目を醒まし、起ち上がって、自治の敵を打ち破り、新しい寄宿寮を築こう。東海の日出づる国日本で、理想の大自治寮を目指そうではないか。

「されば吾が友太刀を佩け 汝が緋縅を鎧へかし」
 自治の敵を成敗するために出陣の準備をせよ。第一次世界大戦に参加せよということではない。「大刀を佩け」、「緋縅を鎧へかし」は、勤倹尚武の心を奮い立たせという意。
 「縅(おどし)」は、鎧の札(さね)を糸または細い革でつづること。「緋縅」は、はなやかな緋色に染めた革・綾・糸組の緒でおどしたもの。明治38年「王師の金鼓」、明治42年「緋縅着けし」の項参照。「かし」は、強く相手に念を押す意の終助詞。

「過去の夢よりさめ出でて疾く起ち黎明の門開き」
 惰眠の夢から目を醒まし、すぐさま起ち上がって、自治の敵を打ち破り、寄宿寮に新しい夜明けをもたらそう。すなわち新しい寄宿寮を築こう。「黎明の門」は、寄宿寮の新しい夜明け。改革。

「日出づるところ大いなる」
 「日出づるところ」は、日本。 607年(推古7年)小野妹子は、最初の遣隋使として渡海。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を呈し、隋の煬帝の怒りをかった。*隋書では第2次遣隋使

「理想の國を指呼せずや」
 「指呼」は、指さして呼ぶことだが、ここでは目指そうの意。「理想の國」は、理想の自治寮。
廿年(はたとせ)あまり七年(なゝとせ)の 光榮(はえ)の歴史は(めぐ)り來て 今宵(こよひ)向陵灯は赤し 朱玉の杯に(くち)づけて 同じ理想(おもひ)に相よれる 友と(ゑま)ひを()はさんか。 5番歌詞 光栄の歴史は廻って来て、今宵、向ヶ丘は27回目の記念祭を迎え、赤々と灯が灯った。熱い友情に燃える杯に唇をつけて、同じように自治を讃え、理想の自治を求めて集まった友と談笑しようではないか。

「今宵向陵灯は赤し」
 今宵、寄宿寮に灯は赤くともって。寮生の紅き血潮が、さらに寄宿寮を赤くする。
 「夕さり來れば若人が 紅き血潮の滾るかな」(大正6年「若紫に」5番)
 「五寮春今自治燈に 宵を灯ともす紀念祭」(明治36年「綠もぞ濃き」6番)

「朱玉の杯に唇づけて」
 「朱玉の杯」は、朱玉に珠玉(真珠と玉)を懸けたか。「朱」は、灯に映え赤く輝くの意か、あるいは熱い友情を表す意か。後者と訳した。「玉の杯」は、杯の美称。

「同じ理想に相よれる」
 (理想という漢字から)自治を讃え、理想の自治を求めて集まった。
 「かたみに面は知らねども 同じ思ひのかよふかな」(大正4年「散りし櫻を」4番)
 「我のる船は常へに 理想の自治に進むなり」(明治35年「嗚呼玉杯に」4番)
 「同じ柏の下露を くみて三年の起き臥しに 深きおもひのなからめや」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 第三節の『ああ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ来て あはれ人生の強者と 雄々しく叫ぶ同胞よ』は有名な章句で、この強者は志操を指すと解すべきであろう。ただ第六行の軍鼓、第四節の『太刀を佩け』『緋縅』等の表現が若干全体のムードとそぐわない感じで、之がよりソフトな表現をとったら更に秀れた詩となったであろう。 「一高寮歌私観」から
園部達郎大先輩 これは『解説』のとおり、『直ちに歌意が胸中に伝播してくる作品で』でよく歌った。『寮歌レコード吹込』の折、『若チーム』の担当歌のうち、最初をどれにしようかと協議した時、寄せ集め連中でもこれなら最初から合うだろうときめたのが、この『桜真白く』だった。案の定、よく合ったし、その後の吹込みにも効果十分だった。 「寮歌こぼればなし」から
井下登喜男先輩 最終句『自治の歌』の部分のmelodyは、野球部凱歌最終句「はれ戦」と酷似していることもあって『勝ったほうがエエ』が加えられるようになった。                  「一高寮歌メモ」から


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