旧制第一高等学校寮歌解説

圖南の翼

大正6年第27回紀念祭寮歌 東寮

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1、圖南の翼千萬里      高粱實る満洲の
  遼河のほとり月落ちて  蕭々班馬啼くあたり
   此處絶東の柏の蔭    乾坤遠く夢は飛ぶ

2、白玉山に夕日落ち    異疆の鐘は響きけり
  老鐵山に草深く      蒼々暮るゝ山河の地
  胡沙吹く風に恨みあり   夢に咽ぶか朧月

3、黒雲(クロクモ)躍る南溟の     (サヾナミ)白き椰子のかげ
  落日海に流る時      鴻雁(ハス)に掠めゆく
  見よ海原は暮れんとす   闇にきらめく北斗星
音符下歌詞(2段1小節)「高粱」は、現在(大正14年寮歌集以降)は「こうりょう」と歌うが、この原譜では「かうりゃん」、この方が満州らしい。1段3小節の「せんばんり」は、平成16年寮歌集で「せんまんり」と変った

昭和10年寮歌集でハ長調からハ短調に移調(ハ長調の譜に♭を三つつけた)、満州や南洋に夢を翔ける詞にふさわしく2拍子で力強く、短調で抒情性に富んだメロディーとなった。譜は次のとおり変更された。譜は、ハーモニカ譜のハ長調読み。

1、「となんの」(1段1小節)   ドードレーミ
2、「かうりゃん」(2段1小節)  ソーソソーソ
3、「まんしう」(2段3小節)    レードレーミ
4、「つきおち」(3段3小節)   ラードラーソ
5、「しょうしょう」(4段1小節)  ドレ
6、「なくあた」(4段3小節)    ミーミレード
7、「こゝぜっ」(5段1小節)    ソーソソーソ


語句の説明・解釈

大正3年に勃発した第一次世界大戦で、日本は日英同盟に基づき、8月23日ドイツに宣戦、10月14日 日本海軍は赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領、また11月7日には日本陸軍は青島を占領した。さらに大正4年1月には、時の中華民国大総統袁世凱に提出した対華21ヶ条で、ドイツの山東省における権益の継承、南満洲・東部内蒙古における権益の拡大強化等を要求した。中国は日本の軍事力に屈しこれを受諾した。その後、中国はあらゆる機会に本条約の廃棄無効を主張したが、大正6年3月1日の紀念祭の時点では、イギリスは講和会議で山東省のドイツ権益、赤道以北のドイツ領諸島に関する日本の要求支持を約束した(2月12日、その後、フランス、ロシアも支持)。*大正11年のワシントン会議で、米英の斡旋により日本はドイツの山東省権益の放棄などを余儀なくされた。

 本寮歌は、袁世凱死亡(大正5年6月)後、事実上満洲王となった馬賊出身の軍閥張作霖が奉天督軍として歴史に登場し、風雲急を告げ始めた満洲(1・2番)、後に日本の委任統治領となった南洋諸島(3番)に思いをはせ、作詞されたものである。

語句 箇所 説明・解釈
圖南の翼千萬里 高粱實る満洲の 遼河のほとり月落ちて 蕭々班馬啼くあたり 此處絶東の柏の蔭 乾坤遠く夢は飛ぶ 1番歌詞 日本は、東洋の盟主として、第一次大戦に参加して、ドイツ領であった山東省の青島と赤道以北の南洋諸島を占領した。また中国に要求して山東省におけるドイツ権益の継承、南満洲・東部内蒙古における権益の拡大強化を認めさせた。国民の意気は大いに上がり、若い一高生の新天地に対する憬れとロマンは大きく膨らんだ。昔、鵬という大鳥が、大業をなそうと一飛び千万里も飛んで南の島に飛んでいったという。高粱の稔る満洲の遼河の辺りでは、月が落ちて、放れ馬がもの悲しく鳴いている。東の果ての日本の向ヶ丘から、一飛び千萬里の圖南の翼とともに、夢は、天地を遙か遠く満洲から南洋へと駆け巡る。

「圖南の翼千萬里」
 「圖南の翼」の「圖南」は、南海に行くことを企てる意。鵬(ほう)という大鳥が9万里も高く舞い上り、南の大海に飛んで行こうと企てた話。「荘子、逍遥遊」に基づく。大志をいだいて南方に行くこと。 遠征または大業を企てること。ここでは北に青島を占領し、南に南洋諸島を占領した日本軍を暗喩する。なお、第一次大戦で、史上初めて飛行機が軍用機として投入された。日独の戦いでも、青島で実際に空中戦があった。圖南の翼は、軍用機として投入された飛行機を連想させる。
 荘子逍遥遊 「水撃三千里、搏扶搖而上九萬里」 
 「尚武の風にはゞたきて 圖南の翼ふるふべき」(明治36年「春まだあさき」2番)
 「一度搏てば三千里 み空を翔くる大鵬も」(明治32年「一度搏てば」1番)
 「一搏翺翔三萬里 猛鷲されど地に落ちて」(大正8年「一搏翺翔」1番)

「高粱實る満洲の」
 「高粱」は、中国北部で栽培される背の高いモロコシ。高粱酒は、高粱を原料として造った酒。
 
「遼河のほとり月落ちて」
 中国東北地区(旧満州)南部の大河。内蒙古の興安嶺の東側に発源し、渾河・沙河・太子河などを合せ、盤山県で双台子河となり遼東湾に注ぐ。全長1390km。 

「蕭々班馬啼くあたり」
 「蕭々」は、ものさみしいさま。「班馬」は、群れを離れた馬。「班」は別れる、離れるの意。
 李白 友人を送る詩 「青山北郭に横たわり 白水東城をめぐる この地一たび別れをなし 孤蓬万里にゆく 浮雲遊子の意 落日故人の情 手をふるひてここより去れば 肅肅として班馬鳴く
 「(班馬は)詩経の『馬に乗るも班如たり』、また、春秋左伝の『(わか)るる馬の声有り』から、『別れを惜しんで進みかねている馬』のことである」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)

「此處絶東の柏の蔭 乾坤遠く夢は飛ぶ」
 ここは東の果て日本の向ヶ丘、天地はるか遠く満州に南洋に夢は大鳥とともに翔け飛ぶ。「柏の葉」は、一高の武の象徴。「柏の蔭」は、向ヶ丘、ないし一高寄宿寮。圖南の翼故、一飛びで満州から日本へ、日本から満州、南洋へと飛んでいく。「乾坤」は、天地。
 「黑潮たぎる絶東の 櫻花の國に生れ來て」(明治43年「時乾坤の」5番)
白玉山に夕日落ち 異疆の鐘は響きけり 老鐵山に草深く 蒼々暮るゝ山河の地 胡沙吹く風に恨みあり 夢に咽ぶか朧月 2番歌詞 日露戦争の旅順攻防戦で戦死した英霊を祀る白玉山に夕日が落ちて、英霊を弔う鐘の音が異郷の地に響く。難攻不落といわれた老鉄山の要塞も、今は夕暮にさびしく青々と茂る草に埋もれてしまって、「兵どもが夢の跡」を見てるようだ。夕凪が止んで、屍の山を築いた戦いの跡に、もの悲しい音を立てながら風が吹きだした。むなしく戦場の露と消えた日露両軍英霊の恨みの声であろうか、朧に霞む月も咽び泣いているようだ。

「白玉山に夕日落ち」
 「白玉山」は、旅順中部の丘陵(130m)、北嶺に旅順攻囲戦時の戦死者納骨祠、南嶺に表忠碑(東郷平八郎と乃木希典の提案、高さ66.8m)があった。表忠碑は白玉塔と呼ばれ現存。

「異疆の鐘は響きけり」
 「異疆」は、異郷。「疆」は土地の境。

「老鐵山に草深く 蒼々暮るゝ山河の地」
 「老鐵山」とは、旅順西南の山(466m)、日露戦争時、露軍の難攻不落といわれた要塞があった。露軍兵舎・弾薬庫・砲台跡などが今も残る。「蒼々」は、青々としたさま。草木などの茂るさま。「山河」は、自然。日露戦争の「兵どもが夢の跡」というところか、
 杜甫 春望「国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書万金に抵る 白頭掻けば更に短かく 渾べて簪に勝えざらんと欲す」

「胡沙吹く風に恨みあり」
 「胡沙」とは、北方の蛮地の沙漠。蒙古地方の沙漠。蒙古軍の南下と吉林各地での日中間の衝突を踏まえる。清朝滅亡後、蒙古に独立の動きが出た。大正4年6月に露中蒙の間にキャフタ協定が結ばれ、外モンゴルは中国の宗主権下に自治が認められたが、なお独立を目指す動きがあった。日本はこの第二次蒙古独立運動を支援、蒙古パプチャップ軍と連携して大正5年8月13日には、鄭家屯で奉天軍(奉天督軍は張作霖)と衝突した。しかし、上の訳では、このことには触れず、「胡沙吹く風」を旅順攻防の戦いの跡に吹く風、「恨み」を、戦死した日露両軍英霊の恨みの声とした。
 「蒙古パプチャップ軍の南下で事漸く急を告げ始めた満洲を意識」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)
黒雲(クロクモ)躍る南溟の (サヾナミ)白き椰子のかげ 落日海に流る時 鴻雁(ハス)に掠めゆく 見よ海原は暮れんとす 闇にきらめく北斗星 3番歌詞 台風が発生する、遙か遠くの南洋の海は、今は静かで、漣が白い砂浜に打ち寄せ、椰子の木が、黒い影を落としている。水平線の彼方、真っ赤に燃えた太陽が海に沈もうとして、海面には金波銀波の波が立って、光り輝いている。南の海に行くという目的を果たした大鳥(日本軍を暗喩)は、翼に夕陽を浴びて、さっそうと飛び去って行く。海は、今まさに暮れようとして、夜空には北極星が燦然と輝いているではないか。

「黒雲躍る南溟の」
 「黒雲躍る」は、颶風(熱帯性低気圧)、あるいは南アジアに於ける民族主義運動の萌芽をいうか。第一次大戦下で、ドイツ領の南洋諸島で戦争のあったことをいうかの説もあるが、この寮歌が作られた時には、日本軍が南洋諸島を占領した後で、既に軍政を敷き、黒雲は晴れていた。3番歌詞は、占領地の気候・情景を表現したものと解し、颶風とする。すなわち台風の発生する、はるか遠くの南洋の地という意である。
 「颶風を孕み雨を呼ぶ」(明治43年「颶風を孕み」1番)
 大正5年 5月 3日 (ベトナム)中圻で光復会の反仏蜂起の兆候 
        6月17日 (インドネシア)バンドンでイスラム同盟第1回全国大会。
              1910年代の民族主義運動の高揚を担った。
       12月26日から31日 インド国民会議派とムスリム連盟が、ともに
              ラクナウで大会を開き、協力を取り決めた。

 「南溟」は、南の方にある大海(荘子 逍遥遊)。日本が占領したドイツ領南洋諸島のこと。
 大正3年10月14日、日本が赤道以北の独領南洋諸島を占領し支配下においたのを機会に、学術研究の名の下に、翌4年7月に、全国の高校生80名と教師12名が海軍御用船加賀丸で9月6日まで南洋巡航を行なった。南洋に対する憧れ・ロマンが高校生の間に、いやがうえにも盛り上がっていたのではないか。  
 「『南溟』が南洋諸島をさしている可能性は高いものの、後述の『鴻雁』や『北斗星』との関係で、なお疑問は残る。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「漣白き椰子のかげ 落日海に流る時」
 「漣白き椰子のかげ」は、漣が打ち寄せる白浜に椰子の木の影が落ち。藤村の詩が思い浮かぶ光景である。
  藤村 「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の實一つ 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月 舊(もと)の樹は生ひや茂れる 枝はなほ影をやなせる われもまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の浮寢の旅ぞ 實をとりて胸にあつれば 新(あらた)なり流離の(うれひ) 海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙 思ひやる八重の汐々(しほじほ) いづれの日にか國に歸らむ」

 「落日海に流るとき」は、太陽が西の海に沈んでいく様。日没の光が海上に反射し綺麗な金波銀波が生じる。当然のことながら海が西方向にないと、この現象は見られない。日本では日本海側で海に流れる綺麗な落日を見ることが出来る(不老不死温泉など)。

「鴻雁斜に掠めゆく」
 「鴻雁」とは、かり(カモ目の鳥のうち、白鳥を除く大型の水鳥の総称)。大を(おおとり)、小を雁という。一説に大きいかり。「雁」は、北半球の渡り鳥で、秋に日本に来て、春にシベリアに帰る。南洋諸島にはいない。ここでは、大きな水鳥・鴻で圖南の翼の想像上の大鳥(鵬)と解す。南洋諸島を占領し、大業を達成した日本を暗喩する。
 「大きな雁が、ななめにかすめ飛んでいく。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「斜に」の「ななめ」は、単純に「斜めに」と解する説もあるが、「ななめならず」の意で、機嫌・喜びなどがひととおりでなく、はなはだしいこと(「岩波古語辞典」、「広辞苑」)。「ななめ」は、「ご機嫌ななめ」などと逆の意味にも使うが、これは「ななめならず」の逆の意にして使ったもの。南の海に行くという目的を果たした大鳥が「さっそうと」と訳した。
 「掠めゆく」は、「霞めゆく」で、見えなくなる。飛び去るの意と解した。一飛び千萬里も飛ぶ鳥なので、一瞬にして飛び去って行く。
 「管見では専門書で雁の渡来地として南洋諸島を挙げるものは見当たらず、あっても稀なケースと見られる。また、南洋でも赤道より北であれば、北斗星も低い方向に何とか見えるらしいが、やはり『鴻雁』「北斗星』と『南洋』とは相性が悪いようだ。
 何れにせよここでは、『南溟』の実景を示すものとして鴻雁や北斗星をうたったわけでなく、次に掲げるように古来の漢詩(省略)に『雁と北斗』、『落日雁』を組み合わせて詠じた例があることを踏まえ、そのイメージを総合して第三節をさくししたものではなかろうか。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「闇にきらめく北斗星」
 「北斗星」は、極点にあって動くことのない北極星。北極星の周りをまわる周極星である北斗七星ではないと解する。先輩から南洋では北極星は見えないと聞いてきたが、日本が占領した南洋諸島は、ドイツ領ニューギニアの赤道以北の北半球である。北半球では、その土地での北極星の高度が緯度と同じ数字になる。東京付近は北緯35度なので、北極星の高度は35度。赤道上では、緯度が0度なので、北極星の高度も0度という具合である。グアム・サイパン・テニアンなどのマリアナ諸島は北緯約13度から21度の位置にある。北緯約35度の東京に比べ、北極星は地平線上、かなり低い位置に見えることになる。
 ちなみに「北斗七星」の七つの星のうち、北極星から最も離れた星は、南半球のオーストラリアからも見ること出来るという。この星が北極星から約40度の角度で離れているのに対し、オーストリア大陸が赤道から南の方に約10度から40度の位置にあるからである。
 
空飛ぶ鳥の定めなき 行衛を偲ぶ若人の 夢()れる時暁の 明星光褪せゆけば 紫雲に昇る旭日(キヨクヂツ)に 春訪れて風薫る 4番歌詞 空を自由に飛び回る圖南の大鳥は、次はどこへ飛んで行くのかと期待に胸膨らませていたが、夜が明け、夢から覚めた。夜明けの空に輝いていた明星の光が次第に消えて行き、かわって紫色のめでたい雲の間から、朝日が差して太陽が東の空に昇った。向ヶ丘に春が来て、さわやかな風が吹き始めた。

「空飛ぶ鳥の定めなき 行衛を偲ぶ若人の 夢破れる時」
 「空飛ぶ鳥」は、圖南の翼の大鳥。夢の中で、満州に南洋に「此處絶東の柏の蔭から」遠く思いを馳せていたが、その夢から醒めた時。

「紫雲に昇る旭日に」
 紫色のめでたい雲の間から、朝日が射して太陽が東の空に昇る。
新春光り輝きて (ノコ)んの雪に色()ゆる 向ヶ丘にそゝり立つ 我等が城の(ウタゲ)の日 銀燭のもと影うごき 思ひ出深し永久(トコシヘ) 5番歌詞 春が甦って、向ヶ丘にやわらかい光が降り注ぎ、若草が残雪に色美しく映えている。向ヶ丘にそそり立つ、我が一高寄宿寮の、今日は紀念祭の日である。光り輝く燭台の光りに、数多くの一高生の影が揺れて、紀念祭を祝っている。永久に心に残る思い出深い紀念祭である。

「新春光り輝きて」
 「新春」は、普通、新年のことだが、ここでは季節の春の初め。

「我等が城の宴の日」
 一高寄宿寮の紀念祭の日。「城」は、一高寄宿寮。

「銀燭のもと影うごき」
 「銀燭」は、銀製の燭台の意味もあるが、ここでは光輝くともしび。「影」は、紀念祭を祝う一高生の影。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 高粱、班馬、白玉山、老鉄山、胡沙、椰子の蔭、海の流れる落日、鴻雁、北極星等と、それぞれ好点景を拉し来り、引き緊った叙景力を示している。そして、それらを第四節で『空飛ぶ鳥の定めなき 行衛を偲ぶ若人の』と、多分にロマンチックな、大陸や南方へあこがれる若人の夢としている. 「一高寮歌私観」から
森下達朗東大先輩 この寮歌の作者は、前年の大正5年に満州旅行に出かけており、その折に日露戦争の旧跡である白玉山・老鉄山などを訪れたことを踏まえて、この寮歌の第一、二節を作ったと思われる。 「一高寮歌解説書の落穂拾い」から


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