旧制第一高等学校寮歌解説

雲ふみ分けて

大正5年第26回紀念祭寄贈歌 東北大

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、雲ふみ分けて訪ひ入りし 向ヶ丘の高殿に
  廿あまり六の年      年古る今日の曙を
  花の滴の清くして     昔ながらの橄欖樹
  富士とつくばね紫に    黛引くや武蔵野の
  緑の野邊をはるばると  流れて下る川波に
  春の光は汲むがまゝ   散るや櫻の花ふヾき
*「黛」のルビ「かきまゆ」は最初はなく昭和10年寮歌集から。

2、吹雪に迷ふ道のくの    偲ぶにあまる初旅路
  狭霧のひまを船出せば  紺青ひたす金華山
  秋また春のながめには  月の波立つ松島や
  紅葉にもゆる衣川     駒打ち入るゝ宮城野に
  謠ふ遊子の旅の情     つたへおくらんふるさとへ
  彌生が丘の柏木の     頂遠く空遠く                                  
この原譜は、現譜と同じで変更はない。


語句の説明・解釈

東北帝國大學からの初めての寄贈寮歌である。東北帝國大學は明治40年に創設され、札幌農学校を母体とする農科大學と新設の理科大學を置いた。大正4年には醫科大學が新設された。作詞者は不明であるが、新設の醫科大學に進学した一高卒業生であろう。

語句 箇所 説明・解釈
雲ふみ分けて訪ひ入りし  向ヶ丘の高殿に 廿あまり六の年 年古る今日の曙を 花の滴の清くして 昔ながらの橄欖樹 富士とつくばね紫に 黛引くや武蔵野の 緑の野邊をはるばると 流れて下る川波に 春の光は汲むがまゝ 散るや櫻の花ふヾき 1番歌詞 天を摩して聳え立つ向ヶ丘の一高寄宿寮に、雲を下に見ながら登って訪れた。寄宿寮は、今日、開寮26周年を迎え、紀念祭を祝う。橄欖は、昔と同じように本館前に聳え、きれいに咲いた花には、朝日があたって雫が清く光っている。
西に富士山、東に筑波山の霊峰が、関東平野に紫色の黛を引いたように霞んで見える。その広大な緑の平野をはるばる下って流れる利根川の川波に、春の光は、燦々と降り注ぎ、満開の桜が吹雪となって散っている。

「雲ふみ分けて訪ひ入りし 向ヶ岡の高殿に」
 天を摩して聳え立つ向ヶ丘の一高寄宿寮に、雲を下に見ながら登って訪れた。「雲を踏む」とは、雲を下にみること。すなわち雲より高い富士山に昇ったり、比喩的に雲の上の宮中に住むことを言う。ここでは、向ヶ丘の寄宿寮を富士山や宮城になぞらえる。現在住む俗世間から見れば、向ヶ丘は雲の上、天をも摩す高さにあるので、向ヶ丘を訪ねるには「雲ふみわけて」登らなくてはならない。「高殿」は、三層樓などと称した一高寄宿寮。一高生の意気が高く、向ヶ丘に聳え立つ。

「年古る今日の曙を」
 寄宿寮が、今日、26回目の誕生日を迎え。「年古る」は、年を積み重ねて。「曙」は、夜がほのかに明けようとして、次第にものの見分けられるようになる頃をいうが、寄宿寮の誕生日、紀念祭の意を含む。

「花の滴の清くして 昔ながらの橄欖樹」
 寮生が学芸に励み、昔と変わらず清廉潔白に過ごしているさまをいう。「橄欖」は、本郷一高の本館前に植栽されていたすだ椎(スダジー)。ただし、寮歌の橄欖は、現実にある木とは関係なく、あくまでも一高の文の象徴として描く。

「富士とつくばね紫に 黛引くや武蔵野の」
 西に富士山、東に筑波山の霊峰が、関東平野に紫色の黛を引いたように霞んで見える。富士山と筑波山は「西の富士 東の筑波」と称され、古来の歌枕。「黛」は、連山の遠景を喩えていう語。「紫」は、紫色。霊峰にたなびく紫嵐(山の紫色のもや)。
 夫木抄 「青柳の葛城かけて霞むなり 山は緑の春の黛」
 「西に富士東に筑波の俊峯ながめ」(明治28年「西に富士東に筑波の」1番)
 「西に富嶽白扇を倒にし、北に筑波翠黛を畫く」(「向陵誌」明治24年)

「緑の野邊をはるばると 流れて下る川波に」
 「緑の野邊」は、関東平野。「川」は、坂東太郎の異名を持つ利根川。
 
吹雪に迷ふ道のくの 偲ぶにあまる初旅路  狭霧のひまを船出せば 紺青ひたす金華山 秋また春のながめには 月の波立つ松島や 紅葉にもゆる衣川 駒打ち入るゝ宮城野に 謠ふ遊子の旅の情 つたへおくらんふるさとへ 彌生が丘の柏木の 頂遠く空遠く        2番歌詞 新設されたばかりの醫科大學では相談すべき先輩もなく、今振り返れば苦労の多い東北の大学への進学であった。しかし、今は落ち着いて、霧の晴れた夏の日には、舟に乗り紺碧の海太平洋に浮かぶ金華山に遊び、秋や春には、日本三景の松島を訪れ、波立つ海面に影を落として揺れる月を観賞した。また、燃えるように真っ赤に紅葉した平泉の衣川を訪れ、義経の最後を偲んだりしている。遠く東北大学に学ぶ先輩の心情(おもい)を一篇の詩にまとめ故郷に寄贈することとしよう。彌生が岡の柏木のてっぺん遠く空遠くにある陸奥から。

「吹雪に迷ふ道のくの 偲ぶにあまる初旅路」
 新設の大学で相談すべき先輩も少なく、今振り返れば苦労の多い東北大学への進学であった。「吹雪に迷ふ」は、困難に遭遇し苦労したこと。「偲ぶ」は忍ぶの意か。「初旅路」は、向ヶ丘を離れ東北帝國大學醫科大學に進学したこと。醫科大學の創設は大正4年のことであり、作者が醫科大學の学生とすれば、第一期生である。
 「若き友等を初旅に 乗せ行く船ぞ舫ひする」(大正3年「黎明の靄」1番)

「狭霧のひまを船出せば」
 梅雨の頃から夏にかけて、三陸沖に海霧が発生し、牡鹿半島や石巻湾に移流霧となって流れ込む日が多い。その霧の晴れ間をぬっての意。霧の季語は秋であるが、ここでは海霧の発生する夏をいうと解す。金華山への船便は現在、女川港からと鮎川港からの2ルートがあるが、当時の交通事情を勘案すれば、鮎川港から船に乗ったか。

「紺青ひたす金華山」
 紺碧の太平洋に海に浮かぶ金華山。「金華山」は、宮城県牡鹿半島の南東沖合の島山。山頂に大海祇神社、山腹に黄金神社がある。
 「高つ瀬なして荒潮の 牡鹿の灘に流るれば」(大正3年「ゆれて漂ふ」3番)

「月の波立つ松島や」
 名勝松島では波立つ海に月が影を落とし揺れている。松島は日本三景の一つ。
 伊達正宗  「いづる間もながめこそやれ陸奥の 月まつ島の秋のゆふべは」

「紅葉にもゆる衣川」
 衣川は岩手県南部の川、平泉で北上側に注ぐ。藤原秀衡が義経のために平泉に築いた城館「衣川館」はこの衣川で、義経最期の場所と伝える。

「駒打ち入る宮城野に」
 「宮城野」は、仙台市の東郊、昔は萩などの秋草の名所として有名(歌枕)。ここでは東北大学のある青葉山やその近辺をいう。「駒打ち入る」とは、作者を武者にたとえ、東北大に進学したことをいうものであろう。
 「心の旅の宮城野の 萩手折りてし友垣よ」(二高昭和8年「嗚呼扁舟に」4番)

「謠ふ遊子の旅の情」
 「遊子」とは旅人、向ヶ丘を離れ東北大の仙台に遊学する作者をいう。「旅の情」は、向ヶ丘を離れ東北大学に学ぶ心情(おもい)

「柏木」
 「柏木」の葉は、一高の武の象徴。
                        


解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌