旧制第一高等学校寮歌解説

われらの命の

大正5年第26回紀念祭寄贈歌 

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1、われらの命の芽生への地  われらの心のみのれる地
  かのふるさとをし忘れめや  向ヶ陵をし忘れめや
*「芽生へ」は、昭和50年寮歌集で「芽生え」に変更

2、浮華輕薄の風すさむ     此の世の巷にたゝづみて
  われらが來し方見かへれば 三年の月日の尊しや
*「たゝづみて」は昭和10年寮歌集で「たゝずみて」に変更。      

この原譜は、現譜と同じである。ただし、第4段曲頭の曲想文字「一層緩カニ」は、昭和10年寮歌集で削除された。rit.(だんだん遅く)と重複するからであろう。


語句の説明・解釈

大正5年の寄贈歌は、京大「わがたましひの」、九大「われらの命の」、東北大「雲ふみ分けて」と、本郷に隣接する東大を除きすべて「向ヶ陵」「彌生ヶ陵」を「ふるさと」と呼ぶ。突然として「ふるさと」ブームが起きた背景に何があったのであろうか? 大正5年「わがたましひの」を参照。

語句 箇所 説明・解釈
われらの命の芽生への地 われらの心のみのれる地 かのふるさとをし忘れめや 向ヶ陵をし忘れめや 1番歌詞 我等が一人前の人間として生れ変わった地、我等の心を豊かに育んでくれた地。あの故郷をどうして忘れることができようか。どうしてわが故郷向ヶ丘を忘れることができようか。忘れることなど、できはしない。

「われらの命の芽生への地 われらの心のみのれる地」
 旧制高等学校の教育全般が人間教育を重視するものであったが、多感で繊細な若者の人格形成の上で、寮生活、なかんずく全寮制の一高寄宿寮の果たした役割は大きかった。
 「命」は、一人前の人間としての命。「芽生へ」は、昭和50年寮歌集で「芽生え」に変更された。 

「かのふるさとをしわすれめや」
 どうしてわが故郷向ヶ丘を忘れることができようか。
浮華輕薄の風すさむ 此の世の巷にたゝづみて われらが來し方見かへれば 三年の月日の尊しや 2番歌詞 うわべだけ華やかで軽々しい行為や考えが横行している栄華の巷に佇んで、我等一高生が向ヶ丘で過ごした三年の月日を振返ると、それは質実剛健の真に尊いものである。


「浮華輕薄の風すさむ」
 うわべだけ華やかで軽々しい行為や考えが横行している。

「此の世の巷にたゝづみて」
 「此の世の巷」は、栄華の巷、俗世間。「たゝづみて」は、昭和10年寮歌集で「たゝずみて」に変更された。
あゝこの三年の思出に 搖がぬ信こそ湧き出づれ 時ふるにつれてひとしほに 彌生ヶ岡こそ偲ばるれ 3番歌詞 この三年の思い出こそ、尊く貴重なものであるとの確信が湧いてきて、時が経つにつれ、ますます彌生が岡を懐かしく思うようになった。

「あゝこの三年の思出に 搖がぬ信こそ湧き出づれ」
 向ヶ丘の三年の思い出こそ、尊く貴重なものであるとの確信が湧いてきて。

「彌生ヶ岡こそ偲ばるれ」
 「彌生ヶ岡」は、向ヶ丘に同じ。当時の一高は、本郷区向ヶ岡彌生町にあった。
今宵ぞ二十と六年の 紀念の祭にうちつどひ 榮ことほぎ歌ふかな とこしへに若く清かれと 4番歌詞 今宵、寄宿寮開寮26年の紀念祭に集い、寄宿寮に栄えあれと祝って、また我等が幾久しく若く清かれと寮歌を歌うのである。

「とこしへに若く清かれと」
 「若く」は、年はとっても、若い頃の情熱は失わずの意。
                        

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