旧制第一高等学校寮歌解説

實る橄欖

大正5年第26回紀念祭寮歌 北寮

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1、實る橄欖芳ばしく     けぶる綠の柏蔭
  靈氣の光(ヲカ)に滿つ    こゝ東海の別天地
*「芳ばしく」は昭和10年寮歌集で「芳しく」に訂正。

4、世の濁流は寄するとも  皮相の風は荒むとも
  屈することのあるべしや 起てよ一千柏葉兒

9、自治寮淡く夜は更けて  嚶鳴堂上月高し
  あゝ自治寮よ永へに   清き譽をとめよ
昭和10年寮歌集で、ヘ長調から4度キーが下げハ長調に移調したが、譜は殆んど変っていない。各段1小節のリズムをタータタータに統一しただけで(1段3小節、2段1小節、3段1小節の各3・4音の8分音符が付点8分音符と16分音符に変更)、他は全く変更はない。


語句の説明・解釈

大正4年中の第一次世界大戦の主な出来事として、
            2月 4日  独、潜水艦による対英封鎖を宣言
            4月22日  独軍、イーブルの戦いで初めて毒ガス使用
            5月 4日  伊、三国同盟破棄宣言、墺に宣戦
            5月 7日  英客船ルシタニア号、独軍潜水艦Uボートにより撃沈される。
            8月 5日  ロシア軍ワルシャワ放棄
           10月14日  ブルガリア、対セルビア宣戦
 英客船ルシタニア号は、アイルランド沖でドイツ潜水艦に無警告で撃沈された。乗員乗客1959名中、1198名が水死した。うち100名以上がアメリカ人で、アメリカの世論を刺激し、1917年アメリカの参戦となった。ロシア軍のワルシャワ放棄で、ロシア民間人だけで避難民は100万人に達し、ドイツ軍の方も追撃戦で6万人の死傷者を出したという(史上、ロシアの撤退を「大撤退」という)。戦傷者60万人を数えたヴェルダンの戦いは、大正5年2月21日から12月18日。紀念祭の3月1日は、ヴェルダン要塞の攻防戦が始まって間もない頃である。

語句 箇所 説明・解釈
實る橄欖芳ばしく けぶる綠の柏蔭 靈氣の光(ヲカ)に滿つ こゝ東海の別天地 1番歌詞 橄欖の実が芳しく漂い、柏の木がほのかに緑に芽吹いて、向ヶ丘に霊気の光が満ちている。ここは、日本の別天地、桃源郷である。

「實る橄欖芳ばしく けぶる綠の柏蔭」
 橄欖の實の香が芳しく漂って、柏の木がほのかに緑の芽を吹いて。向ヶ丘。「橄欖」は文の、柏葉は武の一高の象徴。「芳ばしく」は、昭和10年寮歌集で「芳しく」に変更された。「けぶる」は、ほのかに芽を吹くこと。

「こゝ東海の別天地」
 ここは日本の桃源郷。「東海」は、中国から見て東の海に浮ぶ日本。「別天地」は、俗界の俗塵を嫌って健兒1千は向ヶ丘に籠城した。中国の桃源郷伝説にちなむ。
 「うべ桃源の名にそひて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空」4番)
熱き涙と赤き血の 清き歴史に染められし 六寮の影あこがれて 集ふ丈夫千餘人 2番歌詞 先人の涙と血の滲む努力で綴られた清い歴史に輝く一高寄宿寮に憬れて、千余人の一高健児が、ここ向ヶ丘に集まった。

「熱き涙と赤き血の 清き歴史に染められし」
 「清き」は、俗塵を絶って清くの意。汚れない。
 「ましてわれらが先人の 愛寮の血の物語」(大正4年「あゝ新緑の向陵に」3番)
魔軍禦ぎし金城の 昔の姿かはらねど 時世空しく流れては 健兒の誇今いづこ 3番歌詞 これまでに幾度か攻め寄せた自治の敵を見事に防いできた防備堅固な寄宿寮の姿は、昔と何ら変わりはないが、移り変わる世の中の流れに空しく流されて、頑なに伝統の校風を守ってきた一高健児の誇は、いったい何処に失せてしまったのか。

「魔軍禦ぎし金城の」
 「魔軍」は、自治を妨げ自治に反対する勢力。自治の敵。
 「世を汝が足に踏み据ゑて 勝に荒ぶる魔軍勢 寄せなば寄せよ我が城に」(明治35年「混濁の浪」2番) 「金城」は、鉄壁の城。防備の堅固な城。

「時世空しく流れては」
 「時世」は、時代。移り変わる世の中。

「健兒の誇今いずこ」
 「健兒の誇」は、籠城主義・自治共同・勤儉尚武といった伝統の校風を守ってきた一高生の誇。「今いづこ」と、軟弱に流れ行く校風を歎く。

「昔の姿かはらねど 健兒の誇今いづこ」
 歌詞3番は、土井晩翠「荒城の月」の詩を踏んでの作か。
世の濁流は寄するとも  皮相の風は荒むとも  屈することのあるべしや 起てよ一千柏葉兒 4番歌詞 向ヶ丘に塵世の濁流が押し寄せようとも、如何に徳義を欠く悪風が吹き荒ぼうとも、決して許すべきではない。我が伝統ある校風を守るため、一千の一高健児よ、起つべき時が来た。

「世の濁流は寄するとも 皮相の風は荒むとも」
 塵世の濁流が向ヶ丘に押し寄せようとも、徳義の感情の甚だ薄い悪風が吹き荒れようとも。「皮相の風」は、徳義の感情の甚だ薄い感情。具体的には、次の5番歌詞の「世の軟風」、すなわち「校友会雑誌」の軟文学化をいうものであろう。
 「櫻の匂ひ衰へて 皮相の風の吹きすさび」(明治34年「アムール川の」4番)
 「塵世の巷よそにして 皮相の風に逆ひつ」(明治36年「かつら花咲く」4番)
 「近来我邦の風俗漸く壞敗して禮儀將に地に墜ちんとし殊に書生間に於ては徳義の感情甚だ薄く、試みに其下宿屋に在る狀況を察すれば放縦横肆にして殆んど言ふに忍びざるものあり。」
「苟も此惡風に染まざらん事を欲せば宜しく此の風俗に遠ざかり、此書生との交際を絶たざるべからず。而して此目的を達せんが爲には籠城の覺悟なかる可からず。我校の寄宿寮を設けたる所以のものは此を以て金城鐡壁となし世間の惡風汚俗を遮斷して純粋なる徳義心を養成せしむるに在り。決して徒に路程遠近の便を圖り或は事を好みて然るに非る也。」(「向陵誌」明治23年2月24日木下校長訓辞)
 
「起てよ一千柏葉兒」
 立て一千の一高生。「柏葉兒」は柏葉の健兒、すなわち一高生。
 「我は歎息かじ柏葉兒 永遠に慕はん武香陵」(昭和14年「光ほのかに」3番)
 「乾坤胸に抱きつゝ 四海にふるへ柏葉兒」(大正5年「春、繚亂の」5番)
嘲笑、讒訴何かせむ 世の軟風を蹂躙し 高き校風護りてん たゆたふことのあるべしや 5番歌詞 人にあざけり笑われようとも、陰口をたたかれることがあっても、「校友会雑誌」の軟文化はいかなる手段を用いても阻止し、自治共同の伝統ある校風を守らなくてはならない。努々、文芸部員に同情して、動揺することがあってはならない。

「嘲笑、讒訴何かせむ」
 「嘲笑」は、あざけり笑うこと。「讒訴」は、人を陥れるために事実を曲げ。また偽って目上の人に、その人を悪く言うこと。蔭口をたたくこと。

「世の軟風を蹂躙し 高き校風護りてむ」
 「世の軟風」は、「校友会雑誌」の軟文化。「高き校風」は、自治共同・勤儉尚武・籠城主義。伝統ある一高の校風。「蹂躙」は、踏みにじる。通常、暴力・金力などで他人の権利を侵害する時に使う。ここではいかなる手段を以ても軟風を阻止せよぐらいの意か。
 大正4年5月13日発行の「校友会雑誌」(小説特集)の軟文学化に批判が高まり、総代会に「校友会雑誌発行の無期停止」を求める建議案が提出され、議論白熱、結論が出なかった。臨時総大会では、興風会会員は文芸部員の辞職勧告を提出、これに文芸部員は猛反発した。結局、寮委員と文芸部委員が話合い、6月3日、文芸委員が「校友の意に沿うよう努力する」と約束したため一応決着した。
 「3月号を詩歌号とし4月号を小説号として発刊せし委員は、更に5月号を以て戯曲号となさんとすりやの風評を聞く。かゝる編輯をなして得々たる委員の心事は誠に了解に苦しむ所なり。校友会全体の機関雑誌たる校友会雑誌が文芸部の独占に非ざることは論を俟たずして明らかなり。」(「向陵誌」-興風會記事)

「たゆたふことのあるべしや」
 「たゆたふ」は、ゆらゆらと動く。ぐずぐずする。動揺する。
綱領の炬火かざしつゝ  正義の劍打ちふりて 理想の光望みつゝ 摯實の道辿らずや 6番歌詞 四綱領を自治の導として、勤儉尚武の精神で、理想の自治に向って、真摯に堅実な道を歩むべきではないのか。

「綱領の炬火かざしつゝ」
 「綱領」は、四綱領。寮開設にともない木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四つの項目のことで、次のとおり。
   第一  自重の念を起して廉恥の心を養成する事
   第二  親愛の情を起して公共の心を養成する事
   第三  辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事
   第四  摂生に注意して清潔の習慣を養成する事
 「炬火」は、松明。自治の行く手を照らして導く。

「理想の光望みつつ」
 「理想の光」は、理想の自治。
 「我のる船は常へに 理想の自治に進むなり」(明治35年「嗚呼玉杯に」4番)

「摯實の道辿らずや」
 真摯に堅実に道を歩もう。
腥風高く空に舞ひ 暗雲低く地に迷ふ 千里の山河(アケ)に染み 北歐の人狂ふ時 7番歌詞 第一次大戦の戦場には、なまぐさい風が吹き荒び、硝煙が低く地を漂う。山や川は、将兵や避難民の屍で延々として血に染まってしまった。ドイツ軍がイーブルの戦いで、毒ガスを使ったり、Uボートにより民間の英客船ルシタニア号が撃沈され、1959名にのぼる多数の民間人の死者が出た。またロシア軍のワルシャワ撤退では、ロシア民間人だけ百万人の避難民が出て、ばたばたと斃れ死んでいる。日頃、博愛を唱えるキリスト教のヨーロッパの国の人達は、狂ってしまったのだろうか。

「北歐の人狂ふ時」
 7番歌詞は、第一次世界大戦を踏まえる。
 「北歐の人狂ふ時」の句から、アイルランド沖での独軍潜水艦による英客船ルシタニア号の沈没、ワルシャワ陥落によるおびただしい避難民や戦傷者の発生をいうものと思われる。歌詞冒頭の「腥風」は生臭い風、また殺伐な気。
二十六(トセ)の記念祭 迎えて固し自治の基 國の(カタ)めに任ずべき 健兒の意志(コゝロ)鐡なれや 8番歌詞 寄宿寮の誕生を祝う紀念祭も第26回を迎えた。開寮以来、自治の礎は、ますます固くなり、護国の使命を負う一高健児の意志は鉄のように堅い。

「二十六歳の記念祭」
第26回紀念祭をいう。「記念祭」は、昭和10年寮歌集で「紀念祭」に変更された。

「健兒の意志鐡なれや」
 「一致共同守れる健兒ぞ勇ましき 四海に覇たらん大和丈夫 石心磨き鐡腸きたへ」(明治35年「我一高は」2番)
自治燈淡く夜は更けて  嚶鳴堂上月高し あゝ自治寮よ永へに 清き誉をとよめかし 9番歌詞 自治燈の灯は、淡く燃えて夜は更けてゆく。月は、はや会場の嚶鳴堂の上にきたが、祝賀の宴は延々と続く。あゝ、一高自治寮よ、これからも幾久しく天下に清くて栄えある名声を轟かせよ。

「嚶鳴堂上月高し」
 「嚶鳴堂」は、全寮茶話会や弁論大会などを開いた一高の会堂。明治36年2月、当時の狩野校長が命名し、塩谷時敏教授筆の額を掲げた。『嚶鳴』とは、鳥が睦まじく泣きかわすこと。「月高し」とは、祝賀の宴が延々と長時間続く様を表現。
 「嚶鳴堂に照る月よ 今宵は意氣を照せかし」(大正4年「愁雲稠き」5番)

「清き誉をとよめかし」
 「とよめ」はあたり一面に響かせること。「かし」は、相手に強く念を押す意を表す。また、相手に対する依頼の下にもつく。「譽」は、名声。
                        

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