旧制第一高等学校寮歌解説

朧に霞む

大正5年第26回紀念祭寮歌 西寮

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1、朧に霞む月の宴    玉杯花を泛べては
  緑酒に燃ゆる春の色 花(リク)寮に崩れては
  玉に塵なきふた昔   六とせの光榮(ハエ)を偲ぶ哉

2、ふりさけ見れば追憶(オモヒデ)の 綾絢爛の唐衣
  今向陵の初嵐      亂れて飛ぶや花吹雪
  濡れて佇む若人(ワカウド)の   眉に(カス)けき愁あり

5、男の子は人の誇にて  青春君に幾時ぞ
  三とせは岡に佇みて  煙る下界を眺めやり
  濁れる波を清むべき  深き想に培はん

6、大刀振りかざし眺むれば 行く方跫けき旅枕
  今初旅の餞別(ハナムケ)に    (ツド)へる男子千餘人
  劍の樂を奏づれば    春の夜白う更けて行く

*「跫けき」は昭和10年寮歌集で「(はる)けき」と変更。
*「大刀」は大正14年寮歌集で「太刀」に変更。
譜の変遷は次のとおりである。

1、調・拍子
 昭和10年寮歌集で、ハ長調からハ短調(音符の位置をそのままに、♭を三つ付けた)に移調。拍子は2拍子で変わらず。

2、リズム・音
1)リズム
 タタ(連続8分音符)はすべてタータ(付点8分音符・16分音符)に変更(昭和10年)。
2)音(ハ長調読み)
①「おぼろに」(1段1小節)・「ぎょくはい」(2段1小節)    ドーレミードに変更(昭和10年)。
②「はなりく」(4段1小節)       ソーソラーソに変更(昭和10年)。
③「くずれて」(4段3小節)       ソーソミーレに(大正14年)、さらにソーミレーミに変更(昭和10年)。
④「たまにちりなき」(5段1・2小節) ドーレミーミ レーミドーに変更(大正14年)。
⑤「ふたむかし」(5段3・4小節)   ラーソラード ソーに(大正14年)、さらにラードラーラ ソーに変更(昭和10年)
⑥「しのぶか」(6段3小節)      レーミドーレに(大正14年)、さらにレーレレーミに変更(昭和10年)
 昭和10年は、昭和10年発行寮歌集、大正14年は大正14年発行寮歌集のこと。

短調化して哀調を増したことが大きいが、タータ タタあるいはタタ タータのリズムをタータ タータのリズムに統一したことで、メロディーが円やかとなって、それでいて2拍子のドスの利いた寮歌となった。歌曲形式は大楽節三つのABCの構成。Aメロは低く出て、Bメロは低く受けて途中上げるが、もとの低音に戻す。サビのCメロは高く受け、高く終わる。メロディーもリズムもポン!ポン!ポン!と調子がいい、思わず「太刀を振りかざしたく」なるような「男の子の魂」をくすぐる歌詞にぴったりの曲となった。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
朧に霞む月の宴 玉杯花を泛べては 緑酒に燃ゆる春の色 花(リク)寮に崩れては 玉に塵なきふた昔 六とせの光榮(ハエ)を偲ぶ哉 1番歌詞 朧に霞む月光の下、紀念祭の宴を開く。なみなみと酒の注がれた杯には、散る桜の花びらが落花して浮び、春爛漫の風情を湛えている。桜は枝もたわわに満開となり、花びらは寄宿寮に散りかかっている。向ヶ丘に俗塵を絶って籠城して26年、今、玉玲瓏の光栄ある一高寄宿寮の歴史を偲ぶ。

「玉杯花を泛べては 緑酒に燃ゆる春の色」
 杯には桜の花が浮び、春爛漫の風情を湛えている。杯に映る景色は、上方向の空や桜の木の景色で、横方向の若草の萌える春景色を広く映すことはない。桜の花蔭の宴では、杯に花びらが落花するとともに、満開の桜の影が映っていたのではないか。これを「緑酒に燃ゆる春の色」といったと解する。「緑酒」は、酒の美称。
 「嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし」(明治35年「嗚呼玉杯」1番)

「花六寮に崩れては」
 満開の桜の花びらが六寮に散りかかる。崩れるは、整った形が乱れること。六寮は東西南北中朶の六棟の一高寄宿寮である。

「玉に塵なしふた昔」
 「玉に塵なし」は、俗塵を絶って向ヶ丘に籠城したことを踏まえる。「玉」は、一高生を喩える。
 「(たま)に塵なし玲瓏の 蒼穹仰ぎつゝ若き日の」(大正6年「眞闇の影は」4番)

「六とせの光榮を偲ぶ哉」
 「六とせ」は、前の句の「ふた昔」と合わせ、第26回紀念祭までの寄宿寮26年間の歴史をいう。
ふりさけ見れば追憶(オモヒデ)の 綾絢爛の唐衣 今向陵の初嵐 亂れて飛ぶや花吹雪 濡れて佇む若人(ワカウド)の 眉に(カス)けき愁あり 2番歌詞 振返って見るに向陵26年の歴史は、綾で彩られた豪華絢爛の衣服のように、輝かしいものであった。それなのに、今、向陵の歴史に汚点を残す未曽有の恥ずべき事件が発生した。大正4年6月17日払暁から18日早朝にかけ、寮生の必死の警戒をよそに前後3回、西寮に放火と思われる怪火が続いた。寮生は、消火の水に濡れながら、不安を隠せないで佇むのであった。

「ふりさけ見れば追憶の 綾絢爛の唐衣」
 向陵26年の歴史は、綾で彩られた豪華絢爛の衣服のように、輝かしいものであった。(それなのに、今、向陵の歴史に汚点を残す未曽有の事件が発生した)
 古今業平 「からころも着つつ慣れにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
 「前々年(大正3年)4月、作詞者が1年生の時に、対三高野球戦(三高球場)で、延長13回、4対1で勝った、京都遠征の思い出を指す。ここでは『唐衣』で旅を含意したのであろう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「今向陵の初嵐 亂れて飛ぶや花吹雪 濡れて佇む若人の 」
 西寮怪火事件のこと。大正4年6月17日払暁から18日早朝にかけ前後3回、西寮に怪火があり、いずれも消し止めたが、犯人不明のままで終わった。「向陵の初嵐」は、寮内に火を出した向陵史上かってない初めての不祥事。「亂れて飛ぶや花吹雪」は火花、「濡れて佇む若人の」は消火活動にあたった寮生をいう。
 「自治寮創立以来廿有五年其間幾多の事件の起るありしと雖も未だ曽て寮内に火を発せしことは非ざりしに今や即ちこの事あり、誰か悲しむべき不祥事と謂はざるものあらむや、況んや放火の形跡歴然たるものあるをや」(「向陵誌」)
 「『初嵐』の意味不明。前年5月総会における校友会雑誌の軟文学化に反対する発行無期停止決議案、文芸部委員の辞職勧告等の一連の事件を指すか。」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)
 「前年(大正4年)4月、作詞者が2年生の時に、対三高野球戦(一高校庭)で6対0で勝った思い出を指す。・・『花吹雪』→『濡れて佇む』は不自然である。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「眉に幽けき愁あり」
 眉をひそめる。向陵始まって以来の不祥事に寮生は不安を隠せない。
 万葉19-4291 「我が屋戸のいささ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕べかも」
時運の流れ強うして 流轉の(ナミ)の高鳴りや 月寒草に傾けば 露六寮に滋からむ 眉を掠めて散る花に 悲しき歌のなからめや 3番歌詞 時は大きく変り、今、激動の世を迎えた。月が西に沈もうとして枯草を照らす深更、六寮には露がたくさん降りることであろう。桜の花びらが顔をかすめて散るのを見れば、誰だって悲しくなるのではないか。
難解であるが、これを日本の中国に対する対華21ヶ条の要求を踏まえたものとして説明すれば、次のとおりとなる。
 大正4年1月、日本は、中国の袁世凱大総統に対し、法外な対華21ヶ条の要求を突き付けた。これに対し、中国は猛然と反発し、国内外で反日の大運動が起こった。東京でも2月11日、中国の留学生24人が、対華21ヶ条要求に反対して大会を開いた。中国留学生は、明治維新後、いちはやく近代化をすすめ、日露戦争に勝利し、アジアで唯一列強入りを果たした日本に憬れ、日本の諸制度を中国に採り入れようと学ぶべく勇んで日本に留学してきた。その尊敬してきた憧れの日本が、他の列強と変わらない帝国主義的野心をむき出しにして無茶苦茶な要求を祖国中国に突き付けるとは、到底、信じがたいことだ。このような中国留学生の心情は、一高生として察するに余りある。
 中国留学生は、深更、寄宿寮の窓から、月が祖国中国の西の方向に沈んでゆくのを眺めては、列強の餌食となってますます衰退して行く祖國の惨めな現状に涙していることであろう。留学先の日本に夢破れた中国留学生は、本当に悲しそうで、同情を禁じ得ない。
 
「時運の流れ強うして 流轉の濤の高鳴りや」
 時は大きく変り、今、激動の世を迎えた。
 「時運」は、その時々の世の中の成り行き。「流轉」は、限りなく移り変ること。
 「時運の歩み世のすがた 止めん術はなけれども」(明治39年「波は逆巻き」3番)
 具体的に意味するところを確定するのは難しいが、3番歌詞全体が、大正4年1月18日に、日本が中国大総統袁世凱に対して要求した「対華21ヶ条の要求」を踏まえると解す。

 「月寒草に傾けば 露六寮に滋からむ」
 月が西に沈み枯草を照らす深更、六寮に多くの露が結ぶ。
 「寒草」は、枯れかけた寂しい草、また枯草。袁世凱大総統の下、なお内乱が続き衰退してゆく中国を暗喩する。「傾く」は、日や月が中国のある西方に沈みかけること。「六寮」は、東・西・南・北・中・朶の六棟の一高寄宿寮。日本の近代化を学ぼうとはるばる留学した中国留学生が在寮。「露」は、中学留学生の涙を喩える。
 「月寒草を照しては 藝術の跡に涙あり」(明治43年「笛の音迷ふ」3番)
 「獵箭か胡地の客人は 二十六歳の光住む 光の郷に夢やれぬ」(大正5年「闇に陰れる」1番)
 「つちかはんとて唐人も はるばる來り宵々を 一ついらかの月影に 夢安らかにありときく」(明治42年「玉の臺の」4番)

「眉を掠めて散る花に 悲しき歌のなからめや」
 桜の花びらが顔をかすめて散るのを見れば、誰だって悲しくなるのではないか。「花」は、日本の近代化を学ぼうと来日した中国留学生の日本に対する憧れ、尊敬の心。祖国中国に対する法外な対華21ヶ条の要求で無残にも消えた。「眉を掠めて」は、顔をかすめて散ると、元気を奪うと二重の意。
 
花散る蔭に歡樂の 痴人(シレビト)狂ふ春の夜を 美酒(ウマキ)に醉はぬ若人は 無反(ムソリ)の鞘を拂ひけり 水したゝらむ太刀の冴え 眉紅霓(こうげい)の意氣を吐く 4番歌詞 愚かにも俗人は春の夜を歓楽に耽っているが、一高生は、歓楽の酒に溺れることなく、身を清く保って、勤倹尚武に励んでいる。一高生が勤倹尚武の心を発揮する時、無反りの剣が切れ味鋭く水も滴る耀きを放つように、その意気は竜が火を吐きながら真っ直ぐに天に昇るが如く勢いがあり高い。

痴人(しれびと)狂ふ春の夜を」
 愚かにも俗人は春の夜を歡樂に耽っているが。
 「痴人の懈怠顯華の惰眠」(明治38年「香雲深く」3番)

「美酒に醉はぬ若人は 無反りの鞘を拂ひけり」
 俗人のように歓楽の酒に溺れず身を清く処している若人は、刀身に反りのない真っ直ぐな刀の鞘を払うのである。春の歡樂に溺れることなく、一高生は勤倹尚武の心を発揮するである。「無反り」は、直刀。真っ直ぐで清い真の心を喩える。「拂ふ」は、刀を抜き放つこと。
 「古代中国、日本の剣には反りの無いまっすぐなものがあった。そのような剣を指すか。それとも第6節の表現からみて、竹刀をとって剣舞を舞ったことをいうのかもしれない。」(一高同窓会「一高寮歌解説」)

「眉紅霓(こうげい)の意氣を吐く」
 意気は竜が火を吐きながら真っ直ぐに天に昇る如く勢いがあり高い。「紅霓」は、虹のことだが、古くは竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・蜺といった。
男の子は人の誇にて 青春君に幾時ぞ 三とせは岡に佇みて 煙る下界を眺めやり 濁れる波を清むべき 深き想に培はん 5番歌詞 この世に男子として生を得たのは、人の子の誇りである。しかし、男子が男子として、命火と燃える青春時代は、そんなに長くない。その貴重な三年間を向ヶ丘の一高寄宿寮に過ごすのである。向ヶ丘では、俗塵煙る栄華の巷を下に眺めながら、濁世の濁った波をどうしたら清めることができるか、じっくりと考えようではないか。

「男の子は人の誇にて 青春君に幾時ぞ」
 「青春君に幾時ぞ」は、火と燃える青春時代は短いということ。
 歩兵の本領 「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵線の花と散れ 」

「三とせは岡に佇みて 煙る下界を眺めやり」
 一高三年間は向ヶ丘に籠城して、栄華の巷を低く見て。岡は向ヶ丘。
 「治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て」(明治35年「嗚呼玉杯」1番)
大刀振りかざし眺むれば 行く方跫けき旅枕 今初旅の餞別(ハナムケ)に (ツド)へる男子千餘人 劍の樂を奏づれば 春の夜白う更けて行く 6番歌詞 剣舞を舞いながら太刀を振りかざし、向ヶ丘から旅の行方を眺めると、旅の目的地はまだまだ遙か彼方の先である。今宵、荒波騒ぐ世間に旅立つ卒業生を見送ろうと千余人の健兒が紀念祭に集まった。余興に剣舞を舞い、寮歌を高誦して楽しく過ごせば、春の夜は白い霧が流れて更けて行く。

「大刀振りかざし眺むれば 行方跫けき旅枕」
 人生を旅と見る。向陵三年間の仮寝の宿を引払うにあたり、勇み奮い立って、これからの旅の行方を眺めると、まだまだ旅の目的地は、はるか先である。「大刀」は、大正14年寮歌集で「太刀」に変更された。「大刀振りかざし」とは、紀念祭余興の剣舞を踏まえた表現として、上の解説は訳した。旅立ちを前の武者震い、勇み奮い立つ心をいうものであろう。籠城の扉を開ければ、城の外は矢玉飛び交う醜い争いの濁世である。「跫けき」は、昭和10年寮歌集で「杳けき」と変更された。はるか遠いのほかに、暗い・奥深いの意。「旅枕」は、旅寝。道中。
 「あくがれ出ん城の扉を 叩けば開く矢の響」(明治40年「思ふ昔の」2番)
 「われらが籠る高城の 木戸押しあげて打ち出でん 時はや近し吾友よ」(明治36年「春まだあさき」5番)

「今初旅の餞別に」
 旅立つ卒業生を見送ろうと。「初旅」は、一高を卒業し、初めて向陵を離れ世間(大学)に旅立つことをいう。「餞別(はなむけ)」は、旅立つ人の馬の鼻を行くべき方向に向けて見送った習慣による。
 「若き友等を初旅に 乗せ行く船ぞ舫ひする」「今し船出の餞別に 二十四年の追憶を」(大正3年「黎明の靄」1・5番)

「劍の樂を奏づれば 春の夜白う更けて行く」
 春の夜に尚武の心の寮歌を歌えば、ついつい白い霧が立ち込める深更となる。向陵誌によれば、第1回紀念祭では、余興として勇壮なる剣舞を披露したとあり、その後の紀念祭でも剣舞が舞われた記録がある。大正3年の「向陵誌」の該当記事を紹介する。
 「嚶鳴堂に於ける記念式を了るや一般觀覽者を入場せしむ。珍奇を凝らせる各寮の飾物を初め劒舞大神樂野試合相撲、或ひは各寮假裝行列等興味津々として盡きず一日の歡樂に醉へる寮生は同夕の茶話會に雪崩れ込み徹宵して之を祝けり。」(「向陵誌」大正3年)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩 ・・・黒坂さんは毎夜のように帰室する時、私共の室の前を通る。賑やかに通る。『男の子は人の誇にて・・・』胴間声なのだ。殆んど毎夜だ。一度会って訊いてみた。『”朧に霞む”お好きなんですね』、彼曰く、『それ何の歌?』 黒坂さんは、この五番の歌詞にだけ惚れ込んで、これだけ歌って事足れリとしているらしかった。だから、一番を言われても分からないのだ。曲も大事だが、詞はもっと大事だと感じたのはその時だ。 「寮歌こぼればなし」から。


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