旧制第一高等学校寮歌解説

野路の小百合の

大正4年第25回紀念祭寄贈歌 九大

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1、野路の小百合(さゆり)の夢さめて 今あかつきの空の色
  うす紫の下草に        おく露さへもなにとなく
  春の生命(いのち)のよろこびは   つくしがたなき心かな

4、年のあゆみは二十五の  同じ思ひの庭にたち
  朧月夜に梅は飛び     櫻は春の夜の匂ひ
  そのしたかげに打集ひ   今宵の祭祝わなん

 昭和10年寮歌集で、6箇所にタイがかけられたが、その他は全く変わってない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
野路の小百合(さゆり)の夢さめて 今あかつきの空の色 うす紫の下草に おく露さへもなにとなく 春の生命(いのち)のよろこびは つくしがたなき心かな 1番歌詞 春が来て、野中の道ばたの百合の球根が冬の眠りから醒め、芽を出し葉が伸びてきた。これから夜が明けようとする薄暗い空の下、うす紫色の下草に置く露は、やがて太陽が昇ればはかなく消える短い命であるが、その露にさえ何となく説明のし難い春の命の喜びを感じる筑紫の春である。

「野路の小百合の夢さめて」
 「野路」は、野中の路。のみち。「小百合」は、百合に同じ。小(さ)は接頭語。球根性の多年草で、夏に開花(季語は夏)。「夢さめて」は、冬の間、地中に埋もれ眠っていた球根が春になり芽を吹き、葉がたくさん伸びてくること。

「うす紫の下草に」
 「うす紫」は、まだ薄暗いため薄紫色に見えるということであろう。「下草」は、木蔭に生えている草。ここでは球根から伸びた百合の葉のことか。

「つくしがたなき心かな」
 「尽くし」と「筑紫」をかけたか。
ながれのほとり野の子らが 摘む花の名もとりどりの ふるへる心おさへつゝ 強き希望(のぞみ)のひとすぢに 青き小鳥をたづねては 深きもだえもとけがたし 2番歌詞 小川のほとりで野の子等が、花の名前もとりどりの花を摘んでいる。振るえる心を抑えつつ、必ず探し出すと強い望みを持って、幸福の青い鳥を尋ねるが、見つけることが出来ない。野の子等の深い悩みや苦しみは解消しない。

「野の子らが 摘む花の名もとりどりの」
 「野の子ら」は、向ヶ丘に学ぶ一高生。「摘む花」は、「藝文の花咲きみだれる」向ヶ丘で真理追求や人間修養のために励む学問や心身の鍛錬。
 
「青き小鳥をたづねては」
 メーテルリンクの「青い鳥」(1908年作)。作者のメーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞したので、当時、話題の書だったのだろう。明治43年5月には早くも「青い鳥」の日本語訳が出ている。幸福の青い鳥は、すなわち人生の意義・真理であり、これを追究することは、人間修養とともに、向陵生活三年の目的である。しかし、追究しても追究しても、その解は得られない。

「深きもだえもとけがたし」
 幸福=人生の意義・真理の追究の答えはどうしても得られないので、悩み苦しみから解放されない。
見よ玄海の水淡く 洋々としてかぎりなし みどりにとくる西の空 筑紫の富士の影しづか やがて夕の風吹かば 潮の遠鳴りかぞへつゝ 3番歌詞 見よ、玄海の海の色は淡く、洋々として、どこまでも広がる。しかし太陽が沈み西の空が次第に暗くなると、空は、深い藍色となった海に融けるように空と海の区別がなくなって、西の方、糸島半島の筑紫の富士のシルエットが静かに浮ぶ。やがて夕凪は終わって、海に向かって陸風が吹くころ、潮騒の音が遠くまで鳴り響く。

「みどりにとくる西の空 筑紫の富士の影しづか」
 太陽が沈み西の空は次第に暗くなって、海の色と区別がなくなって、筑紫の富士のシルエットが静かに浮ぶ。「みどり」は、本来草木の新芽のことをいうが、ここでは海の深い藍色。「筑紫の富士」は、一高同窓会「一高寮歌解説書」にいう背振山(南の山方向)ではなく、西の海方向にある糸島半島の可也山である。
 天草本伊會保  「海のみどりのながやかなをみれば」
 「筑紫の富士にくれかゝる 夕べの色の袖が浦」(明治45年「筑紫の富士」1番)

「やがて夕べの風吹かば」
 夕凪が終わって、昼間とは逆に陸から海に向かって風が吹けば。

「潮の遠鳴りかぞへつゝ」
 「遠鳴り」は、遠くまで鳴り響くこと。「かぞへつゝ」は、暮れかかる筑紫の富士を眺めながら、袖ケ浦に佇み、潮騒の音を聞いていたということであろう。
年のあゆみは二十五の 同じ思ひの庭にたち 朧月夜に梅は飛び 櫻は春の夜の匂ひ そのしたかげに打集ひ 今宵の祭祝はなん 4番歌詞 寄宿寮の25周年を福岡でも同じ思いで祝おうと、朧月夜の東風に自治の梅花の香を嗅ぎ、桜の花に紀念祭の宵の匂いを偲んで、その花蔭に一高関係者が集まって、今宵、紀念祭を催す。

「年のあゆみは二十五の」
 寄宿寮開寮二十五周年をいう。

「同じ思ひの庭にたち」
 場所は本郷と福岡と離れていようとも、寄宿寮の誕生を同じ心で祝うの意か。

「朧月夜に梅は飛び」
 「梅は飛び」とは、大宰府天満宮本殿に向かって右前にある梅樹「飛梅」のこと。飛梅伝説を踏まえる。菅原道真が大宰府に左遷されて家を出る時、庭の梅に別れを惜しみ、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだが、その梅が後に道真を慕って大宰府まで飛んでいったという。伝説では、飛んだのは紅梅殿の紅梅ということだが、太宰府天満宮の飛梅は白梅である。
 「西に離れて三百里 筑紫の果に迷ふ時 自治の梅花に東風吹かば 遙かに『匂ひおこせ』かし」(明治45年「筑紫の富士」5番)
                        

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