旧制第一高等学校寮歌解説

晴るゝおもひに

大正4年第25回紀念祭寄贈歌 東大

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、晴るゝおもひにいく春の  こくう悠々にみちゆけば
  花萬年の盃に        薫る運命(さだめ)を祝ふかな。
*「盃」は、昭和50年寮歌集で「杯」に変更。

6、夢に若さは流すとも     まつりの旗の時しぐに    
   赤きを時の(れい)たちて    (うた)へ嗚呼名は力よと。  
*「時しぐに」は、昭和10年寮歌集で「時じくに」に変更。

*各番歌詞末の句読点「。」は大正14年寮歌集で削除。
2段2小節4音に付点がなかったが、誤植であり、付点8分音符に訂正した。音符下歌詞「さかーづきーを」(3段から4段)は、「さかーづきーに」の誤りであるが、そのままとした。

最初と最後の小節が不完全小節のアウフタクトの曲である。大正14年寮歌集で、2段2小節3音ドが、付点8分音符と16分音符の二つのドに分解されたことと、昭和10年寮歌集で9箇所にスラーが付された他は、原譜に変更はない。一高生が歌うのを聞いたことがない寮歌の一つである。4段「薫る運命をー」を低く歌い、いったん息継ぎして、ミからミへ1オクターブ一挙に上げて「祝うかな」と歌うのは、普通の寮生には無理な気がするメロディーもリズムも伝統的な寮歌のものではなく、一般寮生には高尚過ぎかつ難解で、ちょっと近寄りがたい曲でもある。
                                    


語句の説明・解釈

この寮歌は、一高同窓会「一高寮歌解説書」の語訳がほとんど全ての項目で「意味不明」とあるように、難解である。敢えて解釈・説明に挑戦する。訪問者諸兄のご批判・ご指導を乞う。

語句 箇所 説明・解釈
晴るゝおもひにいく春の こくう悠々にみちゆけば 花萬年の盃に 薫る運命(さだめ)を祝ふかな。 1番歌詞 晴れがましい思いが、行く春の空に限りなく満ち満ちてゆき、向ヶ丘は紀念祭の日を迎える。幾久しい自治の彌栄を祈って盃を酌み交わしながら、先人から今日まで連綿と伝えられてきた輝かしい自治を祝おう。

「晴るゝおもひにいく春の こくう悠々に満ちゆけば」
 「晴るゝ思ひに」は、晴れがましい思い。「いく春」は、幾春か行く春か。紀念祭の3月1日は、春季の3ヶ月(1月、2月、3月)でいえば晩春で、行く春となる。

「こくう」は虚空で、空間、空のこと。「悠々に」は、はるかに限りないさま。

「花萬年の盃に」
 幾久しい自治の彌栄を祈って盃を酌み交わし。「花」は自治。「盃」は、昭和50年寮歌集で「杯」に変更された。

「薫る運命(さだめ)を祝ふかな」
「運命」は、多く三年経てば向陵を離れなくてはならない意に用いられるが(下記例)、ここの運命(さだめ)は、先人から受継ぎ、後輩へと引継いでゆく伝えの自治のこと。
 「三とせの春のうつろひに 悲しきさだめありとても」(大正9年「のどかに春の」3番)
 「君と見し輪廻の月の 掟とは覺悟すれども」(昭和6年「彩雲」6番)
何ぞや博愛(めぐみ)をかたらひの 邦やみどりの血に肥えて 無慚の花のまとふべく いま吟酸の春の日に。 2番歌詞 何ということだろう、博愛を掲げる西歐キリストの強国が弱肉強食の貪欲な本性を現して、何ら恥じらうこともなく、自国だけの利益のために悲惨な戦いを繰り広げている。今は、麗らかな春というのに、歐州での悲惨な戦争を思うと、詩など思い浮かんでこない。

「何ぞや博愛(めぐみ)をかたらひの 邦やみどりの血に肥えて 」
 第一次世界大戦を踏まえると解す。
 何ということだろう、博愛を掲げる西歐キリストの強国が弱肉強食の貪欲な本性を現して。「みどりの血」の「みどり」は青・萌黄などに通じ使われた。「青色の血」とすれば、BLUE BLOOD 。働くことがないので色が白く静脈の青い血が浮き出た人たちの意から貴族、名門の血統、特にハプスブルグ家をいう。ここでは第1次世界大戦の独墺陣営を指す。具体的には中立国ベルギーへの侵攻、毒ガスの使用(イープルの戦いで初使用)、中立国船舶への攻撃の可能性(大正4年2月4日「戦争領域に関する宣言」)など非人道的戦争手段を念頭に置いてか。あるいは、「赤い血が流れていない」非情の人の血の意味で、「みどりの血」といったか。いずれにしろ、「みどりの血に肥えて」は、帝国主義的領土拡張の野望をむき出しにし、領土や特殊権益を世界に拡げてきたことをいうものであろう。
 「『みどりの血』 - 『碧血』。中国の故事(周の忠臣萇弘が王を諌めて自殺すると、その血が碧血になったという)から、信念に基づいて死んだ人が流した血を『碧血』と呼ぶようになった。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「無慚の花のまとふべく」
 罪を犯しながら何の恥じらうこともない、まさに厚顔無恥を絵に描いたような国だ。「まとふ」を「纏う」と解したが、これを「惑う」と解した場合は、無残にも強国に踏みにじられた国は悲惨な状態となり、国民は路頭に迷っている。「無慚」は、もともと僧が罪を犯しながら心に恥じることの無いことをいう。

「いま吟酸の春の日に」
 「吟酸」は、詩興が起こらず苦しむこと。酸は辛酸。苦吟(苦心して詩歌を作ること)
人のつくりし冠の もろきを誰かあひそひし 文明(さかへ)それはた僞の  富のおごりの跡おもふ。 3番歌詞 この世の地位・名誉などという、消えてはかないものを誰が大切にするであろうか。そんなものはどうでもいいではないか。今を盛りの文明も、長い人類の歴史から見れば、一時のものでしか過ぎず、いずれ廃墟となって、かって繁栄した跡を残すのみである。

「人のつくりし冠の」
 「人のつくりし」は、人の社会が作った。現世の。「冠」は人の頭の上にかぶるもの、つまり地位・名誉をいう。

「もろきを誰かあひそひし」
 消えてはかないものを誰がこだわるのであろうか。「あひそふ」は、普通は夫婦になること、ぴったり寄り添うことの意だが、意訳していつもそばに置いて大切にする、さらに執着する意に解する。平成16年寮歌集で、「あひそひし」は「あらそひし」に変更された。

文明(さかえ)それはた僞の 富のおごりの跡おもふ」
 今を盛りの文明も一時のものでしか過ぎず、古代エジプトやギリシャの文明がそうであるように、いずれ廃虚となって、かって繁栄した跡を残すのみである。
暗と光を生みわけむ もろきを誰かあひそひし 生ける歴史の宣るべきは 未來の命は力なり 4番歌詞 神様は、この世に偽りの闇と真理の光を作られた。消えてはかない偽りを誰が大切にするであろうか。現実の世界を注意深く観察し、そこから真理を探り出し、未来に生きる力とすべきである。

「暗と光を生みわけむ」
 神様は、この世に闇と光の世界を作られた。「暗」は不正・偽り。5番歌詞の「守るつれなく暗くれば」の「暗」と同じ意味であろう。「光」は正義である。

「生ける歴史の宣るべきは 未來の命は力なり」
 「未來の命」は、「光」、真理である。

 「『生ける歴史』の展開の中に力ある『未来の命』を見出そうとしているようである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
蕭墻(まがき)(その)の春にして 守るつれなく暗くれば うたがひは唯人にあり 桃の流や汲まざらむ 5番歌詞 向ヶ丘の守りの(かきね)があえなく破れ、俗界の塵埃の侵入を許すとき、侵入の原因は、春に浮かれた人の心にある。向ヶ丘が俗界の塵埃に汚された時は、ここ桃源郷に湧く桃花水を飲もう。そうすれば、桃の水の力で俗界の邪気を払ってくれる。すなわち一高精神である勤倹尚武・質実剛健、誠の心を取り戻せる。

蕭墻(まがき)(その)
 厳かで威厳のある垣根のある園。向ヶ丘、一高寄宿寮。

「守るつれなく暗くれば うたがひは唯人にあり」
 向ヶ丘の守りの(かきね)があえなく破れ、俗界の塵埃の侵入を許すとき、侵入の原因は、春に浮かれた人の心にある。「つれなく」は、効果なく。「暗」は、俗界の塵埃。悪風。
 「『守るつれなく』は単に『無情にも』という意味か、それとも『大事に思ってくれる友人がいない』ことを指すか。『暗』はここでは友への不信という『心の闇』をいうのであろう。 『うたがひは唯人にあり』は、謡曲『羽衣』に『いや疑ひは人間にあり 天に偽りなきものを』(いいえ疑うということは人間界にあること、天上にはそもそも偽りということはありません)とある。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「桃の流や汲まざらむ」
 向ヶ丘が俗界の塵埃に汚された時は、ここ桃源郷に湧く桃花水を飲もう。そうすれば桃の水の力で俗界の邪気を払ってくれる。すなわち一高精神である勤倹尚武・質実剛健、誠の心を取り戻せといっている。
 「桃の流」は、桃の花の咲く頃、雪どけや春雨でみちあふれて流れる川の水。ここでは、別天地桃源郷になぞらえられた向陵の水(一高精神)。奈良纏向遺跡の発掘で桃の種が多数出てきたように、古代より桃には邪気をはらう力があると信じられていた。
 「桃の林の露華茲く 靈香高き武香陵」(大正5年「黄昏時の」5番)
 「うべ桃源の名にそひて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番)
 「この桃源の村人たちは、下界から迷い込んできた闖入者を何の警戒感も抱かずに暖かく迎えいれて歓待した。一高生である自分たちも、これに倣って素直に人を信じようといっているのであろう。なお、『桃の流れ』を『桃花水』(桃花の咲くころ、雪解けや春雨でみちあふれて流れる川の水)と解したのでは、全体の意味が通じない。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 
夢に若さは流すとも まつりの旗の時しぐに 赤きを時の(れい)たちて (うた)へ嗚呼名は力よと。   6番歌詞 若者の理想は、たとえ夢で終わろうとも、消えることなく真っ赤に燃える護國旗の情熱の炎に負けないように、寮生達よ、立て。情熱を込めて大きな声で歌おうではないか。「我等が求めるものは真理の力である」と。

「まつりの旗の時じくに 赤きを時の(れい)たちて 謳へ嗚呼名は力よと」
 真っ赤に燃える護國旗の赤に負けないように、寮生達よ、立て。情熱を込めて大きな声で歌おうではないか。「我等が求めるものは力である」と。「まつりの旗」は、唐紅の護國旗。「時しぐに」は、常に。昭和10年寮歌集で「時じくに」に変更された。「時の靈」は寮生と解した。「力」は、5番の「未來の命は力なり」の未来の命、すなわち真理である。これを若い情熱を以てあくなく追い求めるのである。
 「集ひ寄る和魂の群 壽の酒掬まんかな」(昭和12年「新墾の」結)
 「生靈放け揚ぐる呼ばはひ 海丘にどよもひ荒れて」(昭和19年6月「曙の」もとめ2番)
 
 「『時の霊』は『時代精神』をさすと解する。『時の霊たちて 謳へ嗚呼名は力よと』とは、『権力への意志』を全世界の原動力であるとしたニーチェ思想のの中にも見られるように、19世紀から20世紀にかけての『時代精神』が『力への信仰』であるとの作詞者の認識を示したものであろう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
                        


解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌