旧制第一高等学校寮歌解説
紫の暁 |
大正4年第25回紀念祭寮歌 中寮
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1、紫の曉望に満ちて いや紅き日のほぎ歌に |
3段2小節・4段4小節は、4分の3拍子の不完全小節のままとした。2分音符に付点が欠落しているのかも知れぬ。 これが私の大好きな「紫の暁」の楽譜かと疑うほど、原譜は現譜と全く違う。第2段から第3段にかけてのメロディーなどに類似点を見出すのみである。歌い継がれて変ったというだけなく、作曲者か誰かが後に相当に手を加えたのだろうと前々から思っていた。 譜は大正14年寮歌集で、ほぼ全面的に書き換えれた。その後、昭和10年寮歌集、平成16年寮歌集で一部手直しされ、現在に至っている。譜はハーモニカ譜のハ長調読み(移調前の読み)。 1、大正14年寮歌集(大正13年11月1日復刊の寮歌集増刷版)の変更 1)調 ハーモニカ譜の表記は「ハ調」である。実質ハ短調で歌ったかも知れない。 2)拍子 4分の4拍子を3拍子に変更したが、途中、次のように調を変えた。1番歌詞で、「いや紅き」で2拍子に、「波は離れゆく」で3拍子に戻し、「はらい彌生ついたち向陵を」は2拍子で終わる。タータタタのリズムの寮歌になれた者にとって、この寮歌はかなり変則的なリズムであった上に、拍子も次から次へ変えたわけだから、相当に変則的なリズムの寮歌である。馴れれば大波小波に乗るサーファーと同じで、この変則的なリズムを楽しむことが出来る。 3)具体的な変更箇所 タタ(連続8分音符)を全てタータ(付点8分音符・16分音符)に変えたほか、ほぼ全ての小節の音を変えた(詳細は略すが、昭和10年寮歌集、平成16年寮歌集の変更箇所も大正14年寮歌集の変更の一部訂正にとどまる)。 2、昭和10年寮歌集の変更 1)調 五線譜となりハ長調からハ短調に移調。基本的に大正14年寮歌集の譜に、♭を三つ付けた。 2)拍子 最後の2拍子の開始を「はらい彌生ついたち」から、「彌生ついたち」に1小節遅らせた。 3)音の変更 ①「あかつきのぞみにみちて」 ラーソミーーレ ドーミド高ーード高 レ高ード高ソーーに変更。 ②「いまかーきはらい」 ラード高ラソファー ソーラソーーに変更。「はらい」の最後の四分音符に付点が付き、8分休符を置いたので、この小節は自動的に2拍子(大正14年の変更)から3拍子となった。 3、平成16年寮歌集の変更 ①「ついたちこーりょー」 レ高ード高ラーソ ミーミレーミ(ハ短調でシーラファーミ ドードシード)に変更。 |
語句の説明・解釈
一高同窓会「一高寮歌解説書」では、語釈の中で「文全体に脈絡が無く、論理的でない。繰り返しの『彌生ついたち向陵を』も言葉足らずである」と酷評するが、解説の中の「全篇、3月1日紀念祭を迎えた喜びを、洗練された辞句をもって情感豊かに歌い上げており、ユニークな一篇といえよう」とする。この方が評価としては妥当であろう。紀念祭当日の暁、昼、夕、宵を順番に詠う。その意味では、大正10年「彌生ヶ丘に洩れ出づる」の先がけの寮歌である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
紫の曉望に満ちて いや紅き日のほぎ歌に |
1番歌詞 | 目出度い紫雲の棚引く夜明け、望みに満ちた真っ赤な太陽が向ヶ丘に昇る。栄えある古い年は去り、日の出の太陽の祝福を受け、新しい年が夜の闇をかき拂って明けた。3月1日、栄えある古い年の波は向ヶ丘を離れて行く。 「紫の曉望に満ちて」 「紫の曉」は、紫雲たなびく夜明け。紫雲はめでたい雲である。 「いや紅き日のほぎ歌に 榮ある波は離れゆく 」 真っ赤に輝きながら昇る太陽の祝福を受け、栄えある古い年は向ヶ丘を去ってゆく。 「榮ある波」は、古い年。「波」は年。 「濁れる夜をいまかき拂ひ 彌生ついたち向陵を」 3月1日、向ヶ丘に、夜の闇をかき拂って新しい年が明ける。「彌生」は、向ヶ丘と三月を懸ける。ただし、この年の紀念祭は、昭憲皇太后の諒闇中のために、3月1日は記念式典のみを嚶鳴堂で行い、行事は諒闇明けを待って、4月25日に行われた。 |
2番歌詞 | 真昼の太陽は、誇りに満ち、頭上高く黄金色に輝く。向ヶ丘での起伏しは、真昼の太陽に似て、誇りに満ち、夢のように楽しい。しかし、思い出は哀愁の彼方に過ぎ去ってゆく。一高寄宿寮は、数々の思い出を積んで、輝かしい25年の歴史を刻んできた。3月1日、思い出の波は向ヶ丘を離れて行く。 「金色のまひる誇に滿て」 「金色」のルビは、平成16年寮歌集で「こがねいろ」に変更されたが、昔どおり「こがね」と歌う人も多い。「滿て」は、昭和10年寮歌集で「滿ちて」に変更された。 「嗚呼歡樂の哀愁に 思出の浪叫びゆく」 夢のように楽しかった向ヶ丘の出来事も、哀愁の思い出となって過ぎて行く。 「廿五年の光榮ふりかざし」 輝かしい寄宿寮二十五年の歴史を刻んで。 |
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赤き日の夕 |
3番歌詞 | 辺りを真っ赤に染めて沈む夕日は、力に満ちている。その勇壮で雄叫びにも似た夕陽を受けながら、一高生は、輝ける未来を切り開くべく世間の荒波に打って出ようとしている。3月1日、戦いの波は向ヶ丘を離れて行く。 「赤き日の夕晩」 「夕晩」は、昭和10年寮歌集で「夕映」に変更された。「夕映」は、夕日を受けて照り輝くこと。 「もゆる夕日の歡聲に」 大きく真っ赤に燃えて水平線(あるいは地平平線、浪とあるので水平線とする)に沈む夕日の勇壮な姿に感嘆しての意か。青森県の黄金崎不老不死温泉で、海辺の露天風呂に入りながら日本海に没する夕日を眺めたことがある。日が没する時に「ジューンとする音が聞こえるようだ」との宣伝文句があった。もちろん、そのような音はなかった。 「戰の浪」 向陵を離れ、新たに経験する一般世間(普通は大学進学)を戦いの場と見る。 「河口間近くわだつみの 荒浪をきくわれ等かな」「戰ならぬものやある」(明治43年「藝文の花」3・4番) |
4番歌詞 | 白い霧の立ち込める春の夜は、さまざまなことに思いが及ぶ。朧月夜に見え隠れする月の光にも、思ひは廻る。空の遙かかなたにあるもの、すなわち真理を慕いながら、3月1日、思索の波は向ヶ丘を静かに離れて行く。 「白銀の春の宵」 白い霧の立ち込める春の宵。 「たゞよふ月の微笑に 思索の波はすべりゆく」 「たゞよふ月の微笑」は、朧月夜に見え隠れする月のことか。この「月」は、大正2年4月、多くの寮生に惜しまれながら一高を去った新渡戸校長を思い出してのことかも知れぬ。「微笑」は、月の光。 新渡戸校長が処世訓とした歌 「見る人の心々にまかせ置きて 高嶺にすめる秋の世の月」 「いと遠きみ空遥に慕ひ」 空の遙か彼方にあるもの、すなわち幸福、真理を慕いの意か。 |
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波は波を追ひ一とせ毎に 自治の光に照り映えて 二十五年を流れ來ぬ 柚の綠いよもえたちて 彌生ついたち向陵を。 | 5番歌詞 | 年は去り、また新しい年を迎える毎に、自治の礎は強固となって、一高寄宿寮は開寮以来、25年の年を経た。柏葉は、理想の自治を求めて、ますますもぞ濃く、3月1日、新しい年の波は、今年も向ヶ丘に流れ来た。 「波は波を追ひ一とせ毎に」 波は年。年は去り、また新しい年を迎えて、一年ごとに。 「柚の綠いよもえたちて」 「柚」はミカン科の常緑低木。大正14年寮歌集で「柏」に変更された(大正7年寮歌集でも「柚」となっているが、ともに誤植であろう)。「いよもえたちて」は、自治が益々隆盛であることをいう。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | この寮歌は、作曲者と或程度打ち合わせて、作曲し易くということを相当頭に入れて作詞されたと思われ、そういう点では、寮歌の歌詞の中では一番工夫が凝らされているといえよう。即ち、第一節を基本にすると「紫の暁 望に満ちていや紅き日のほぎ歌に 栄ある波は離れゆく 濁れる夜をいまかき払い 弥生ついたち向陵を』の斜体の個所が、節毎に変化を見せつつ韻を踏んで居り(例えば紫が金色、赤、白銀に変り、望が誇、力、思と変化し、いや紅き日が『もゆる夕日』『ただよふ月』と対置されている。以下、ほぎ歌、栄あるも、同様) 更に赤字の「波」と「弥生ついたち向陵を」の個所は、五節を通じてリフレイン(繰り返し)されている。この寮歌の音楽性を考えての作詞上の苦労は大変だったろうと思う。ただ、そのため、寮歌の思想性が単調化することはやむ得ない。 *強調は、●字、○点であったが、フォントの関係上、斜体、赤字に変えた。 |
「一高寮歌私観」から |
井下登喜男先輩 | 全篇に「波」ないし「浪」が、1番から3番には「滿」。この歌の主題はナミ。年の象徴として用いる | 「一高寮歌メモ」から |