旧制第一高等学校寮歌解説

無言に憩ふ

大正4年第25回紀念祭寮歌 北寮

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1、無言(しヾま)(いこ)ふ向陵の     柏の梢音もなく
  魔性の如く立てる樹の   深みに闇は震へども
  (たま)思索(おもひ)の深くてか     見よ六寮の灯は(あか)し。

2、銀漢遠く十萬里       際涯(はて)白雲の御空より
  聲ありあはれ若人よ    我は奏でんそのかみの
  義憤の風に櫻花       舞ひし彌生の花語り。

4、思へ柏の蔭に來て     まこと生命(いのち)詩人(うたびと)
  運命(さだめ)(にな)ふ子羊よ     牧場を亘る角笛の
  「さめよ」と(なれ)(わが)胸の   緒琴は()しう響けるを。

*「鳴ば」は昭和50年寮歌集で「鳴れば」に訂正
*各番歌詞末の句読点「。」は大正14年寮歌集で削除。

4分の2拍子は変わらないが、調は昭和10年寮歌集で、ハ長調の譜に♭を三つ付けてハ短調となった。譜の変更箇所は概要次のとおり。譜はハーモニカ譜(ハ長調)読み。

1、大正14年寮歌集(関東大震災後の復刊寮歌集)
 「おともなく」(2段3・4小節)   レードレーミ ドーに変更。

2、昭和10年寮歌集
前述のとおりハ長調からハ短調に移調したほか、
1)「いこふ」(1段2小節)   レードレーに変更。
2)「こーりょーの」(1段3・4小節)   ドーミソーラ ソーに変更。
3)「やみは」(4段2小節)   ソーソソーに変更。
4)「をもひの」(5段1・2小節)   レミーソラーに変更。
5)「ふかくて」(5段3小節)   ソーソドーレに変更。
6)「みよりく」((6段1小節)   ソーソドードに変更。

 以上のように、メロディーは多くの箇所で変更になったが、何よりも短調に移調したことが、「男の子の魂を震わせる魔性」の寮歌となった。 出だしが三高「紅萌ゆる」に似ているのが多少気になる。 


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
無言(しヾま)(いこ)ふ向陵の 柏の梢音もなく 魔性の如く立てる樹の 深みに闇は震へども (たま)思索(おもひ)の深くてか 見よ六寮の灯は(あか)し。 1番歌詞 向ヶ丘は、ひっそりと静まり返って、柏の梢をそよぐ風の音も聞こえない。魔性の立ち樹が寮生をたぶらかそうと闇の奥深く誘うが、一高生は、ものの道理を深く弁えていて、そんな誘いには動じない。各寮の灯火の下では、寮生が机に向かって、真理とは何か、人生の意義とは何かを真剣に探究しているのである。見よ、暗闇の中、六寮の灯は赤々と輝いている。

「無言に憩ふ向陵の」
 夜、ひっそりと静まり返った向ヶ丘の。

「柏の梢音もなく」
 「柏葉」は、一高の武の象徴。「音もなく」は、柏の梢を揺らす風もなく、すなわち自治は順風満帆で、自治の礎を揺るがすような問題がないこと。

「魔性の如く立てる樹の 深みに闇は震へども」
 魔性の立ち樹が寮生をたぶらかそうと闇の奥深くに誘うが。魔性は悪魔のように人を惑わす性質。「魔性の女」などと使う。

「靈の思索の深くてか 見よ六尞の灯は明し」
 一高生は、ものの道理を深く弁えていて、そんな誘いには動じない。各寮の灯火の下では、寮生が机に向かって、深更、真理とは何か、人生の意義とは何かを真剣に探究しているのである。
 「靈」は、真理、あるいは、その真理を追究する一高生。「六寮」は、東・西・南・北・中・朶寮。
銀漢遠く十萬里 際涯(はて)白雲の御空より 聲ありあはれ若人よ 我は奏でんそのかみの 義憤の風に櫻花  舞ひし彌生の花語り。 2番歌詞 最果ての白雲よりさらに遙かかなたの天空から、先人の「日夜苦技を練り磨き、常に北天の一角を望む」と叫ぶ痛ましい声が心に響く。明治43年4月6日、一高柔道部は、大塚の高師大講堂で、二高柔道部と戦い惨敗した。栄光ある「大塚の古戦場を、敗辱の泥にて汚し」てしまった。

「銀漢遠く十萬里」
 「銀漢」は、銀河のこと。天の川のはるかかなた。

「我は奏でんそのかみの」
 私は語ろう、その昔の。「かみ」は昔。

「義憤の風に櫻花 舞ひし彌生の花語り」
 明治43年4月6日(於高師大講堂)、一高は対二高柔道戦で、二高3人を残して敗れた。この昔語りである。義憤は、こんな間違ったことがあっていいものかと、世のため人のために憤慨すること。4月6日は陰暦3月彌生である。その後、大正3年1月7日にも、一高は、二高柔道部と戦い敗れているが、「彌生の花語り」とあるので、この試合ではない。
 「會ては6人または2人を残して克ちたる大塚の古戦場を、敗辱の泥にて汚す。嗚呼何たる弱輩ぞ。されど乞ふ幸ひに意を安うせられよ。我等十有八名、日夜苦技を練り磨き、常に北天の一角を望むあるを」(「向陵誌」-柔道部史)
 「明治43年4月6日の第3回対二高柔道試合に敗れたことを指す。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
 「嘗って、伝統主義と近代的個人主義との大論争のあった事態を歌った寮歌の意か。尚、調査の必要あり。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 
あゝ濁り世の空高く (きよ)き尊き天狼星(シリアス)の 救世(すくひ)の色にまたゝけば 義戰の刃鋭くも 取りし其日の若武者が 鎧にちりし血の涙 3番歌詞 この汚れきった濁り世に、悪を焼き焦がし、また人々にナイル川の氾濫の時期を教え幸福をもたらすシリウス星が冬の夜空にひときわ青白く光輝いている。雪辱に燃える正義の一高が北の豎子二高に必ず勝つと信じ、大正3年1月7日、青葉城下の柔道戦に臨んだが、結果は、誠に残念ながら二高に返り討ちにあってしまった。

(きよ)き尊き天狼星(シリアス)の 救世(すくひ)の色にまたゝけば」
 天狼星は、シリウスの中国名。日本ではその色から青星、おおぼしと呼ばれる。大犬座の主星。「聖き尊き」とは、この星が光輝全天随一の青白色恒星であり、古代エジプトにおいてナイル川の氾濫の時期を知らせる星として崇められ、太陽暦の生れる基準になった。シリウスは、ギリシャ語で「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」の意という。 また「救世の色にまたゝけば」は、前述のようにシリウスが、ナイル川の氾濫の時期を教える星であることを踏まえた表現であろう。ナイル川は氾濫により肥沃な土を上流から運んできて,エジプトの農業を,そして生活の全てを潤した。

「義戰の刃鋭くも 鎧にちりし血の涙」
 大正3年1月7日(於二高講堂)の対二高柔道戦で二高大将を残して一高が、前回に続きまたも敗れたことをいう。他に、大正2年5月、野球部が早慶に連敗し、王座奪還の夢が断たれたこととする説もある。
 「義戰」は、正義のために起こした戦。明治43年4月6日に行われた前回の対二高柔道戦は一高の負け。今回は、その雪辱戦であった。「鎧にちりし血の涙」は、負戦をいう。「若武者」は、青葉城下の対二高柔道戦に臨む一高柔道部員。
 「仇敵北に壘して幾その春を占めにけん、豎子徒に名をなせば向陵花は訪れず、鋨衣のまゝに臥する夜は昔も見する夢もなし」として、必死の覚悟を以て対二高柔道戦に臨んだが、「雨晴れたれど黒雲重疊陰鬱の氣濛々として廣瀬川の水聲咽ぶが如く泥濘の路程蜿々戰士頻に苦しむ、顧れば二高の校舎は巨然として闇黒の中に聳へ勝利を壽ぐ太鼓の音静かに響き亘る、校友相續いて柔道部部歌を合唱す、涙喉を通れば調屢々消えなんとし語を交ふる者喃々聲次第に沈む、・・・嗚呼人生敗者たること勿れ、吾人は血を啜り骨を削って捲土重来を期せざるべからず。臥薪嘗胆は由來向陵健兒の氣魂なり矣。」(「向陵誌」ー柔道部史)
思へ柏の蔭に來て まこと生命(いのち)詩人(うたびと)と 運命(さだめ)(にな)ふ子羊よ 牧場を亘る角笛の 「さめよ」と(なれ)(わが)胸の 緒琴は()しう響けるを。 4番歌詞 一高寄宿寮の寮生となって、一高生は、三年の間、自治を讃え、真理を追求し、人生の奥義を究めんと修養に励む。向ヶ丘で、栄華の巷を見下ろして聳え立つ寄宿寮に暮らすことで、はかない浮世の夢から醒め、一高生の胸は感動してふるえる。

「柏の蔭に來て」
 一高生となって。柏葉は一高の武の象徴で、「柏の蔭」は一高キャンパスないし一高寄宿寮をいう。
 「柏蔭に憩ひし男の子」(昭和11年「新墾の」3番)
 「あゝ護國旗の下に來て」(大正4年「愁雲稠き」5番)

「まこと生命(いのち)詩人(うたびと)と 運命(さだめ)を荷う子羊よ」
 若き日の三年、向陵に旅寝し、定めとして人生の意義と真理の追究に没頭する一高生。 「生命の詩人」は、自治を讃美する寮歌の歌い手。「生命」は、自治。
 「生命を愛づる子羊の ちひさき涙人知るや」(大正2年「ありとも分かぬ」2番)

「牧場を亘る角笛の 『さめよと』と鳴れば我胸の 緒琴はく奇しう響けるを」
 はかない浮世の夢から「覚めよ」と角笛が鳴れば、その音は霊妙に我胸の琴線を振るわせる。「牧場を亘る角笛」は、一高の伝統精神、ないし自治。「牧場」は向ヶ丘。「緒琴」は、胸の琴線。感動し共鳴する微妙な心情。「『さめよ』と鳴ば」は、次の5番歌詞「あだし浮世の夢」から覚めよ、ということ。
 
されば(ことほ)げわが城の 櫓に通ふ(あけ)の鐘 あだし浮世の夢さめて とぎし操の色深み 今そ時なり弓張の 放つは海の西東。 5番歌詞 そうであるから、一高寄宿寮に響く覚醒の鐘を歓迎しよう。はかない浮世の夢から醒めて、日頃鍛えた勤倹尚武の心を第一次大戦が始まった今こそ世界に示す時である。

「わが城の 櫓に通ふ(あけ)の鐘」
 「櫓」は、寄宿寮、または本館・時計台。「明の鐘」は、覚醒の鐘である。
 「花散る床のまどろみや 枕に通ふ明の鐘」(大正6年「若紫に」2番)

「とぎし操の色深み 今ぞ時なり弓張の 放つは海の西東」 
 日頃鍛えた勤倹尚武の心を今ぞ世界に示す時である。第1次世界大戦参戦に対する一高生の意気をいう。
 大正3年8月23日、日本は英国の要請に基づき、独逸に宣戦布告(第1次世界大戦に参戦)。9月2日、日本陸軍は山東省瀧口に上陸開始。10月14日、日本海軍は、赤道以北の独領南洋諸島占拠。11月7日には日本陸軍は青島を占領した。
見よや輝く寮の灯の 今宵は二十五年祭 文武の綾にをどしたる 鎧の袖に花受けて ()むや生命(いのち)詩筵(うたむしろ) 響はゝるか(あめ)(はて) 6番歌詞 宵に灯をともし輝く寄宿寮の灯を見よ。今宵は寄宿寮の二十五周年祭である。文武両道に秀でた一高生の肩に桜の花が散り落ちる中、寮歌祭で酒を酌み交しながら寮歌を高誦すれば、歌声は天まで響きそうである。

「今宵は二十五年祭」
 開寮二十五周年紀念祭。

「文武の綾におどしたる」
 文武両道を鍛えた。一高生は単なる秀才ではなく、文武両道に秀でることを求められた。「おどす」は緒を通す意で、鎧の札(サネ)を紐や革で結びつけること。「綾」は、模様。技巧。

「鎧の袖に花受けて」
 「鎧の袖」は、鎧の上の肩の上を蔽い、矢・刀剣を防ぐもの。

「響はゝるか(あめ)(はて)
 「響はゝるか」は、昭和10年寮歌集で「響ははるか」に変更された。

「酌むや生命(いのち)詩筵(うたむしろ) 響ははるか(あめ)(はて)」
 寮歌祭で紀念祭寮歌を大きな声で歌って、歌声は天まで響きそうである。「生命の詩」は寮歌、「詩筵」は詩の宴会、すなわち寮歌祭(紀念祭)である。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 この歌の第二節後半がわが柔道部の対二高第三回戦(明治43年4月) 第三節後半がその第四回戦(大正3年1月)乃至野球部の早慶に対する悲痛なる連敗を暗にうたったものである。
・・・夜の六寮を描いて、かくの如くふかさを湛えたものは、すくない。『霊の思ひ(そのまま)の深くてか、見よ六寮の灯は明し』という寮を外から見た描写は、そのままその内部の自習室の机の上に垂れ下がる電灯のした、時に静かに頁をくる音や、時に眼をつぶり窮理の思索に心を凝らしている寮生の吐息まできこえさせる。
「一高寮歌私観」から


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