旧制第一高等学校寮歌解説
彌生が岡に |
大正3年第24回紀念祭寄贈歌 京大
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1、彌生が岡にまかれにし 種は生ひけり洛陽に 比叡の山もほのうるひ 春としなれば思はるゝ わが魂の故郷に 2、山河幾重へだつれど 東の京やわが郷や 同じ島根の春日和 ひとつ心に照らさるゝ 光りに醉ひて歌ふかな 自治の教の高鳴を *「光り」は昭和10年寮歌集で「光」に変更。 3、月の嵯峨野や嵐山 櫻かざせしそのかみの 大宮人は 思ふは三年春秋の 交はりに得し力なれ |
この寮歌の楽譜には、音符下歌詞の記載はない。曲頭の「dolce」とは、「柔らかに」という意味である。6段2・4小節には、スラー、タイは付されてないが、誤植かも知れぬ。現在の歌い方のMIDI演奏には、強弱記号は反映させていないが、譜には残る。 昭和10年寮歌集で、3段・4段1小節の各4・5音は、他の段1小節と同じようにそれぞれ付点8分音符と16分音符に変わり、滑らかなリズムに統一された。他に各段3小節、6段2小節にスラー、6段4小節の2音がタイで結ばれた。 タータとタータの間に8分音符のタが入る。タータタータの多くの寮歌とリズムが異なる。歌のリズムになれればなんともない曲だが、歌いこなすまで随分苦労した寮歌である。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
彌生が岡にまかれにし 種は生ひけり洛陽に 比叡の山もほのうるひ 春としなれば思はるゝ わが魂の故郷に |
1番歌詞 | 向ヶ丘に蒔かれた種は、京都で大きくなっている。すなわち第一高等学校を卒業して、大学は京都の京都帝國大學に学んでいる。比叡の山の草木が芽吹いてみずみずしく生気づく春ともなれば、わが魂の故郷である向陵では、紀念祭の日を迎え、歓喜に沸き返っているだろうなあと、懐かしく思い出す。 「種は生ひけり洛陽に」 一高から京都大学に進学したこと。洛陽は京都。 「比叡の山もほのうるひ」 比叡の山もみずみずしく生気づいて。春らしく草木が芽吹いてきて。「うるひ」は、ここでは、みずみずしく生気づくの意。 「わが魂の故郷に」 母校に変え、この「わが魂の故郷」の言葉が京大寄贈歌に登場。東大寄贈歌では、明治39年「春は櫻花咲く」で「武香ヶ陵わが故郷」と使われていたが、京大は多く母校と呼んでいた。そして大正6年寄贈歌「わがたましひのふるさと」が出るに及んで、向陵を故郷と呼ぶ習わしが定着した。 「祭の日」 一高寄宿寮開寮紀念祭のことである。下鴨神社・上賀茂神社の葵祭ではない。4番の祭も紀念祭。 |
山河幾重へだつれど 東の京やわが郷や 同じ島根の春日和 ひとつ心に照らさるゝ 光りに醉ひて歌ふかな 自治の教の高鳴を | 2番歌詞 | 自分は今、幾つもの山河を隔てた遙か遠くの地に遊学しているが、若き三年間を過ごした向ヶ丘はわが魂の故郷である。同じ日本の春日和の下、どこにいようと一高生は、同じ心を通わして寄宿寮の誕生を祝い、自治を讃えて寮歌を高誦する。 「同じ島根の春日和」 「島根」とは、「同じ日本の」という意味。 「ひとつ心に照らさるゝ」 寄宿寮の誕生を祝い、自治を讃える一高生の同じ思い。離れていても、互いに顔を知らなくても、一高生は向ヶ丘で三年の寄宿寮生活を送った同胞であり、同じ思いがかよう。 「同じ柏の下露を くみて三年の起き臥しに 深きおもひのなからめや」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番) 「橄欖香る岡を去り 山の都と隔つれば かたみに面は知らねども 同じ思ひのかよふかな」(大正4年「散りし櫻を」4番) 「光りに醉ひて歌ふかな」 自治を讃えて寮歌を歌う。「光り」は、自治の光。昭和10年寮歌集で「光」に変更された。 |
月の嵯峨野や嵐山 櫻かざせしそのかみの 大宮人は |
3番歌詞 | その昔、公卿たちは、のんびりと、秋は観月の宴を開いて嵯峨野や嵐山に遊び、春は花見の宴を開いて桜の小枝を頭にかざして遊んだ。その古い伝統を引く京都で暮らしてみて思うことは、向ヶ丘三年間に友との交わりで得た力、すなわち友情である。 「月の嵯峨野や嵐山」 京都の月の名所。嵯峨野は嵯峨天皇が離宮を造営し、その庭園の池(大覚寺大沢池)に舟を浮かべて、文人達と観月の夕を開いたことで、また嵐山は亀山上皇が、月が恰も橋を渡っていくようだと述べたことから名づけられた渡月橋が有名である。 「櫻かざせしそのかみの 大宮人は暇ありし」 「かざす」は、髪または冠にさすこと。「そのかみ」は、その昔。「大宮人」は、宮中に仕える人。公卿。 万葉1883 「ももしきの大宮人は暇あれや 梅を插頭してここに集へる」 新古今104 「ももしきの大宮人は暇あれや 櫻かざして今日もくらしつ」 |
加茂の社頭の高杉の 幾千代經とも變らざる 色に輝く友垣に さしそへらるゝ柏葉の 下に祝はむ大正の 大典もある今年の祭 | 4番歌詞 | 賀茂神社前に高く聳える杉の木は、大昔と同じように今も鬱蒼と茂って色を変えない。その杉のように永遠の友情を柏葉の下で誓って、大正天皇の即位の礼が行われる意義ある今年の紀念祭を祝おう。 「加茂の社頭の高杉の」 「加茂神社」には、上賀茂神社と下鴨神社がある。どちらの社頭か?幕末、孝明天皇の賀茂行幸に警護の役を仰せつかった将軍家茂に対し、高杉晋作が「いよ!征夷大将軍!!」と声をかけたと伝説の残るのは下鴨神社である。この神社の南、加茂川と高野川の合流点には、「糺すの森に霧たけて 加茂の瀬々らぎ音をなみ」と大正4年京大寄贈歌にある「糺すの森」がある。平安以前の原始林をそのまま今に残す森であるが、針葉樹は少ないという。 「友垣に さしそへらるゝ柏葉の 下に祝はむ大正の 大典もある今年の紀念祭」 「友垣」は、交わりを結ぶのを垣を結ぶのに喩えていう。友達。「柏葉」は、一高の武の象徴。「友垣にさしそへらるゝ柏葉」とは、友との友情が、紀念祭の一高を思う心でさらに強まっての意か。永遠の友情を柏葉の下で誓ってと訳した。 「大正の大典」は、大正4年11月10日京都御所紫宸殿で挙行される大正天皇の即位礼をいう。 |