旧制第一高等学校寮歌解説

ゆれて漂ふ

大正3年第24回紀念祭寮歌 中寮

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1、ゆれて漂ふ陽炎(かげろふ)に     細流にうつる行潦(にはたずみ)
   春は昔の高殿に      うつろふ花の夕霧や
   鐘より結ぶ朝露に     聖者の夢も醒めやすし。
                               
2、草野は野火につくるとも   日は旗手まく雲にもえ
  尾越(をこし)の路に行きなやむ  若き旅人(たびと)に照りやせむ
  旅寝をしばしこの丘の   森の(やかた)安眠(やすい)せよ。

5、木の實はみのる橄欖の   丘には春の淺綠
  力におごる若人は      重き鉛の扉によりて
  祭の宵を待ちかねつ    花の(うたげ)に醉ひやせむ


*1・2・3番歌詞の最後の句読点「。」は大正14年寮歌集で削除。
音符下歌詞の「ゆふぎりや」「かねより」は、それぞれ「ゆうぎく」「かねよく」とあったが、誤りであり訂正した。

変ホ長調・4分の2拍子ほか、譜の変更はまったくない。ただし、曲頭の速度文字「早過ギヌ様ニ」は、 昭和10年寮歌集で削除され現譜にはない。
                                       


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
ゆれて漂ふ陽炎(かげろふ)に 細流にうつる行潦(にはたずみ) 春は昔の高殿に うつろふ花の夕霧や 鐘より結ぶ朝露に 聖者の夢も醒めやすし。 1番歌詞 春の天気のよい穏やかな日に野に揺れて漂う陽炎も、また、にわか雨が降って地上にたまった水も小さな流れとなって、やがて消えてゆくはかないものである。春、高楼の花の宴に咲き誇った桜の花は、やがていろあせ、たちこめる夕霧の中に消えてゆく。その昔、祇園精舎の鐘の音に諸行無常の響ありと悟った聖者も、秋、朝結んだ露がはや朝日に消えてゆくはかない命を目にすれば、鐘の音よりも朝露に、世の無常、はかなさを一層感じるのではないか。

「ゆれて漂ふ陽炎に」
 去来 「陽炎や さされにうつる 柴の門」

細流(さゝれ)にうつる行潦(にはたずみ)
 にわか雨が降って地上にたまった水が流れて小さな流れとなって、やがて消えてゆく。、「行潦」は、ニは俄か、タヅ(原詩のルビはタズ))は夕立のタチ、ミは水の意で、 雨が降って地上にたまり流れる水。「うつる」を「移る」解すか、「映る」と解するかで、この句の意味は違ってくる(後掲の森下達朗東大先輩の解釈参照)。
 蕪村 「春雨や 数珠落したる にはたずみ」
 蕪村 「あぢきなや 椿落うづむ にはたずみ」
 「うつりゆく定まらぬものとして『陽炎』『行潦』を挙げる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『たまり水が、ゆれる陽炎に映って細流のように見える』と解する。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「春は昔の高殿に うつろふ花の夕霧や」
 春、高層樓(一高寄宿寮)の姿形は何の変わりもないが、咲き誇る桜の花はやがていろあせ、たちこめる夕霧の中に消えてゆく。「昔の」は、そのまま。高殿は一高寄宿寮。「うつろふ」は、色が変わる、あせると解した。
 土井晩翠 「春高楼の花の宴」
 「『古今集』でも『伊勢物語』でも『梅の花ざかり』『あばらなる板敷』とある。その『板敷』もかっての『高殿』であり、『梅の花ざかり』はやがて『夕霧』の中に『うつろ』うていく、といった意味であろう。「一高同窓会『一高寮歌解説書』」
 在原業平 「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」

「鐘より結ぶ朝露に 聖者の夢も醒めやすし」
 祇園精舎の鐘の音に諸行無常の響ありと悟った聖者も、朝結んだ露がはや朝日に消えてゆくはかない露の命を目にすれば、鐘の音よりも、なお世の無常、はかなさを感じるのではないか。「鐘」には、諸行無常の響きがあるとされる入相の鐘でもよいが、聖者とあるので祇園精舎の鐘とした。「朝露」は、秋の季語。はかない人の命のたとえ。
 「うつろう花にかかる夕霧や、夕暮を告げる鐘の音よりも、草に結ぶ朝露の消え易さに、仏道の悟りを得た聖人も眠りから醒め、はかないこの世をしみじみと感じずにはいられない、の意をあらわす。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「(謡曲『井筒』のフィナーレになぞらえて『在原寺の明けの鐘も鳴って夜が明けるとともに朝露が結び、その朝露に衣が濡れて、旅の僧の夢は覚めてしまう』と結び、うつりゆく世のはかなさを強調したものと解釈したい(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
草野は野火につくるとも 日は旗手まく雲にもえ 尾越(をこし)の路に行きなやむ 若き旅人(たびと)に照りやせむ 旅寝をしばしこの丘の 森の(やかた)安眠(やすい)せよ。 2番歌詞 草野は野火に焼き尽くされ黒煙が天を蔽うとも、太陽はまとわりつく雲を真っ赤に染めて輝き、真理追求の旅の途中、尾根越えで難儀している若い旅人一高生に照り注ぎ行く手を示すであろう。一高生よ、人生の旅の途中、真理の追究と人間修養のために、しばし向ヶ丘の寄宿寮で安らかに過ごそうではないか。

「草野は野火につくるとも」
 草野は野火に焼き尽くされ。黒煙が天を蔽うとも、と補足した。

「日は旗手まく雲にもえ」
 太陽は、まとわりつく雲をものともせず真っ赤に燃えている。「旗手」は、長旗の末端の風になびき翻る所。「雲」は、野火で舞いあがる黒煙、黒雲のことであろう。
 蕪村 「わたり鳥 雲の機手の にしき哉」

尾越(おこし)の路に行きなやむ 若き旅人に照りやせむ」」
 真理追求の旅の途中、尾根越えで難儀している若い旅人一高生に照り注ぎ行く手を示すであろう。「尾越」は、山の稜線を越すこと。困難を乗り越える意。
 「じりじりと照りつける太陽を『若き旅人』(=一高生)の前途を阻もうとする苦難に喩え、一高の寮生活で将来のために英気を養おう(『森の館に安眠せよ』)と呼びかけている。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「若き旅人」
 人生の旅を行く一高生。

「この丘の森の館」
 向ヶ丘の一高寄宿寮。人生の旅の途中、三年の間、真理追求と人間修養のため向ヶ丘で過ごす。
高つ瀬なして荒潮の 牡鹿の灘に流るれは ()るさの月に水霧(みづきら)う 雲の気象(けはひ)の悲しさよ 此の(たゝむき)に力こめ 流轉(るてん)の波をわけ行かむ。 3番歌詞 牡鹿半島と金華山の間を流れる金華山瀬戸は、浅瀬で幅が狭いために流れは早く、波が荒い。夜明け前の海は、白い波の穂が立ち、月が沈む方向の山の端には海霧が流れて雲のように立ち込めている。そのため、辺りに月の明りはなく、視界はきかず寒々としてもの悲しい。しかし、やがて日は昇り、輝かしい朝をを迎える。低迷する一高運動部に、再び栄光を取り戻すために、日頃鍛えた腕に力を込め、この試練を乗り越えよう。

「高つ瀬なして荒潮の牡鹿の灘」
 「牡鹿の灘」は、宮城県三陸海岸の牡鹿半島と金華山の間を流れる金華山瀬戸(瀬戸は狹い海峡のこと)をいう。半島と島の間の距離は1kmにも満たなく、水深も浅い。先の東北大地震の時には海底が見え、川のような様相になったほどである。「高つ瀬」は、浅瀬。「灘」は風波が荒く航海の困難な海。金華山沖は、三陸海岸に沿って南下する千島海流(寒流)が、黒潮(暖流)とぶつかるところで、日本屈指の漁場となっている。
 「宮城県牡鹿半島の荒い海辺の海。荒い潮流を意味する『荒潮』と黒潮をからませて三陸沖の海流を示そうとしているのだが、いささか唐突の感は免れない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「没()るさの月に水霧う」
 白い波の穂が立ち、月が没する方向、すなわち西の山の端に霧が立ち込め。「いるさ」(入りさ)は入りぎわ。「さ」は方向を表す接尾語。「霧ひ」は、霧に反復継続のヒが付いた形。「霧う」は、昭和50年寮歌集で「霧ふ」に変更された。この霧は海霧のことか。三陸沖から北海道の東海岸などで暖流上の空気が移動して、海霧が発生する。海霧は移流霧で、持続時間が長い。釧路の海霧はとくに有名。
 平家九 小宰相「月のいるさの山の端を そなたの空とや思はれけん」
 蕪村 「菜の花や月は東に日は西に」
 張若虚『春江花月夜』 「斜月沈沈として海霧に(かく)る」
 「月の没する方向に、海面には霧がかかっている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「沈まんとする月に向って、霧がかかったように(牡鹿灘の荒潮の)水しぶきが立ち続ける。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
 「牡鹿の灘を流れる荒潮のはやさとひびきに、その沖に沈まんとする下弦の月を配し、悲壮な情景を先ず読む者に与えておいて、一転この荒潮に等しい人生の波を、向陵生としてみずからきたえ上げた力で乗り切ってゆこうと、景情相俟って沈痛な調を成している。」(井上司朗一高大先輩「一高寮歌私観」)
 ところで、牡鹿半島は太平洋側に南東に突き出た半島で、金華山はその先端黒崎の東に位置する。月の沈む方角を西とすれば、月が沈むのは半島側の山の端(あるいは石巻湾)となろう。従って、「水霧う」を、月が荒潮の海に没し、あたかも水しぶきを立てるかのような情景と解するには、地理的にいささか無理があるようである。海霧が発生し、月沈む山の端に流れていったということか。金華山から見て西の牡鹿半島方向に沈む月は、牡鹿の灘の海に沈むのか? 幅1kmにも満たない瀬戸に沈むとは考えられない。海に沈むとしても、比較的波静かな石巻湾方向であろう。当地の地理に詳しい方にお教えを乞いたい。日本海側のように、あるいは瀬戸内海の四国側であれば、一般的に日も月も山から昇り海に沈むが、太平洋側では逆である。
 井上司朗大先輩は、上掲のように、この月を下弦の月と見る。下弦の月は深夜に昇り、日の出の頃一番高く、その後、西の空に薄く見え、昼頃に沈む。午前中、輝く太陽の下、薄くしか見えない月を、「没るさの月に水霧う」と歌うであろうか。新月は日の出と共に昇り、太陽の近くに位置しながら日没とともに沈むが、ほとんど見えない。また上弦の月は正午頃に昇り、日没頃一番高くなり、その後、西に進んで、深夜に沈む。私は、この月は太陽とは逆に、日没とともに東から昇り、日の出とともに西に沈む満月であると素直に解したい。

「雲の氣象(けはい)の悲しさよ」
 三陸沖では、梅雨の時期から夏の季節、暖流上の空気が移動して海霧が発生し、牡鹿半島や石巻湾に押し寄せる。非常に長続きする霧で、視界はきかず気温が上がらない。「雲」は、雲状に立ちこめ流れる海霧であろう。「没する月」も「雲」も、一高運動部の最近の度重なる敗北・不振を暗喩するか。
 
「流轉の波をわけ行かむ」
 かって栄光を誇った一高運動部の現在の低迷を乗り越えて、再び栄光の一高運動部の復活を成し遂げようの意。「流轉の波」は、栄枯盛衰、無常。勝つときも負けるときもある勝負の世界。すなわち一高運動部の低迷。具体的には、同年東寮々歌「彌生が岡の夕まぐれ」で既述のとおり、大正2年から3年初め、一高運動部は野球部が早慶に連敗し、陸運も駒場運動会・帝大運動会で敗北、さらに柔道部も対二高戦で敗北した。運動部のこのような相次ぐ敗北・不振をいうものであろう。
春は榮ある若人(わかうど)の 鳥冠(とさか)に誇る幸なくも 希望と犠牲に燃えゆけば 花を吹雪にまかせつゝ 火盞に紅き血をもりて 櫻月夜(さくらづくよ)高誦(たかづ)せん 4番歌詞 本来なら春に意気洋々とするはずの一高健児に、野球部も陸上運動部も柔道部も、ことごとく対校試合に敗れ、今は誇るべき何の地位も栄誉もない。王座奪還を目指して、ただ一高の勝利のために、「撃ちてし止まん」と全寮生が血の滲むような猛練習に励んでいる。情熱の熱き血で篝火の炎を赤々と燃やして、夜桜の綺麗な紀念祭の今宵、寮歌を大きな声で歌って、意気を高めよう。

「鳥冠の誇る幸なくも」
 誇るべき何の地位も栄誉もない。
 「鳥冠」は、勝利、名誉を意味する桂冠、あるいは官を辞する意味の挂冠を懸けたか。「鳥冠」は昭和10年寮歌集で「鷄冠」に変更された。
 「挂冠」とは、後漢書で王莽が逢萌の子を殺した時、萌は冠を解いて東都の城門に()け、国を去った故事に基づき、官を辞すること。

「希望と犠牲に燃えゆけば」
 「犠牲」は、身命を捧げて他のために尽くすこと。ただ一高の勝利のために全寮生あげて血の滲む猛練習に励むこと。

「花を吹雪にまかせつゝ」
 勝利のためには命尽きようともの意か。「撃ちてし止まん」と訳した。

「火盞に紅き血をもりて」
 灯火の皿に情熱の血を注いで。情熱の熱き血で篝火の炎を赤々と燃やして。
 「吹雪のように散る紅の花びらを血に喩え、またそれを盃に受けたさまを火が燃えると見る」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「火盞は『油皿』(灯油を盛って火をともすに用いる小さい皿)のことで、盃ではない。(啄木の使用例)『火を待つばかりに紅血油を盛った青春の火盞』を踏まえた表現であろう。」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「櫻月夜に高誦せん」
 「櫻月夜」は、夜桜の綺麗な三月の宵。「櫻月」は、陰暦三月の異称でもある。
 与謝野晶子 「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき」
木の實はみのる橄欖の 丘には春の淺綠 力におごる若人は 重き鉛の扉によりて 祭の宵を待ちかねつ 花の(うたげ)に醉ひやせむ 5番歌詞 優秀な生徒が学んでいる向ヶ丘に、春の若草が芽生え、紀念祭の時を迎えた。いくら力自慢の若人でも、鉛のように重い紀念祭開始の扉を勝手に開くことは出来ない。すなわち3月1日と決められた紀念祭の日を早めることは出来ない。今か今かと紀念祭の宵を待ちかねている。飾付も余興も一切なかった昨年の紀念祭祭と違い、華々しい今年の紀念祭に、一高生は、きっと酔い痴れることであろう。

「木の實のみのる橄欖の丘」
 「橄欖の丘」は、向ヶ丘。「橄欖」は、一高の文の象徴。「木の實のみのる」は、豊かな人材を育てる。優秀な生徒が学んでいる。

「重き鉛の扉によりて」
 重い鉛の扉を開くのが難しいように、3月1日と決められた紀念祭の日を早めることは出来ない。紀念祭の日が一日も早く来ないかと待ち遠しく感じている形容。
 蕪村 「大門の おもき扉や 春の暮」
 「ここでは現実の扉をさすのではなく、一高生の真理探究の努力と懐疑の前に立ちはだかる頑強なバリアを喩えたものと解する。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
                        


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