旧制第一高等学校寮歌解説

御代諒闇の

大正2年第23回紀念祭寄贈歌 九大

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1、御代諒闇の春今宵、   袖が浦廻(うらわ)におりたちて、
  都の空を仰ぐとき、    朧の闇は深きかな。

2、闇の沈黙(しじま)を聞けや君、  松の(こころ)のさヾめ言、
  浪の御靈(みたま)秘小言(ひめこごと)、   なげきに(むせ)ぶひヾきあり。

5、いざや若人現世(うつしよ)の、   闇の扉を開かなむ、
  來ん文月の雲はれて、  御代の光の渡る日に


*句読点は、大正14年寮歌集で削除された。

原譜のハーモニカ譜の調はハ調で表示記載。短調であるので、ハ短調で五線譜に直した。譜中の本位記号はハ長調では♯である。

現譜は、ハ調(ハ短調)からヘ短調に移調した。昭和10年寮歌集で、違和感のあった4段3小節3・4音は、1オクターブ低く訂正、その他、2段2小節3音2分音符レが4分音符レレに、4段1小節2音レ(誤植?)がミに、また。原譜の速度文字「稍々緩徐」も削除された。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
御代諒闇の春今宵、袖が浦廻(うらわ)におりたちて、都の空を仰ぐとき、朧の闇は深きかな。 1番歌詞 諒闇に沈む春の宵、袖が浦の浜辺を廻りながら、東の都の空を仰いでも、霞が立ち込め月も朧でよく見えない。諒闇の闇は深い。

「諒闇」
 「まことに暗し」の意。天子が父母の喪に服する期間。その期間は1年と定められ、国民も服喪した。明治天皇は明治45年7月30日に薨去。

「袖が浦廻」
 「袖が浦」は、古く平清盛が日宋貿易のために築いた博多の港。中国、朝鮮との貿易港として栄えたが、慶長年間には埋没した。袖の湊。「浦廻」は、海辺の曲って入りこんだところ。また、海岸をめぐりながら進むこと。万葉集の「浦廻」(うらみ)の誤読から生まれた語と言う。
 「筑紫の富士にくれかゝる 夕の色の袖が浦」(明治45年「筑紫の富士に」1番)
 「袖が濱邊の夕潮に」(明治40年「袖が濱邊の」1番)
伊勢物語26 「思ほえず袖に湊の騒ぐかな もろこし舟の寄りしばかりに」
 新古今集以後、この歌を本歌にした歌が多くなり、「袖の湊」という成句が生まれた。
闇の沈黙(しじま)を聞けや君、 松の(こころ)のさヾめ言、 浪の御(たま)(ひめ)小言、 なげきに(むせ)ふひヾきあり。 2番歌詞 闇の静寂の中にそっと耳をすましてみよう。松の精や浪の霊が小さな声でひそひそ話しているのが聞こえる。闇の世を歎き悲しんで咽び泣いているのだ。

「松の精のさゞめ言」
 風で松の小枝・松葉が触れあってざわざわと立てる音。「さゞめく」は、ざわざわする。類似語の「さゝめく」は、声をひそめて話すこと。ここでは、ささめ言(ひそひそ話)に近い意か。

「浪の御靈の秘小言」
 浜辺の波の音もひそひそ話のように小さい。
御代のみならで若人よ、 運命の神のもてあそぶ。 性の異形のあやなせる、 この現世は闇ぞかし。 3番歌詞 若者よ心せよ。闇は諒闇の闇だけではない。この世こそが、運命の神がもてあそぶ、また人間の心が作り出す魔性があやつる闇なのだ。

「御代のみならで」
 諒闇の御代だけではなく、いつの世も(この現世は闇である)。「ならで」は、連語で、・・・でなくて。・・・以外に。

「性の異形のあやなせる」
 人間の心が作り出す魔性があやつる。性をこころ、異形は、その心がこの世にあやしい姿となって現れた化身、すなわち魔性、悪魔と解した。あやなすは、あやつるの意。
 
 「天魔、魔神が、異なる姿で色々に入りくんだしわざをする。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『性の異形』 ー ギリシャ神話に登場する、牛頭人身の怪物ミノタウロスのことだと考えられる。ミノタウロスは、『人性』と『獣性』という二面を持つ。クレタ島のミノス王の妻パシバエが牛と交わった結果生まれたミノタウロスは、迷宮に閉じ込められ、人間の子供を餌食としていたが、アテナイの王子テセウスによって殺された。本寮歌では、国民大衆は、諒闇の悲しみだけではなく、現実の生活そのものが社会矛盾の深い闇の中にあるため、なげきに咽んでいるとして、その状況をミノタウロスによってもたらされる苦しみに喩えていると解する。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
松の(こゝろ)や浪の靈、 こは同胞(はらから)の権化なり。 闇をなげきて泣く聲は、 日ざしを欲する力なり。  4番歌詞 松の精や浪の霊が咽び泣いているのは、とりもなおさず、世の不正や貧困に喘いでいる一般大衆の嘆き悲しむ声である。一般大衆は、声を振り絞って救いの手を求めているのだ。

「同胞の権化なり」
 「同胞」は、一高生ではなく、不正や貧困に喘ぐ一般大衆。「権化」は、ある抽象的特質を具体化または類型化したもの。松や浪が咽び泣いているのは、とりもなおさず、不正や貧困に喘いでいる一般大衆の嘆き悲しむ声である。
 「前句にいう『松の精』や『浪の御霊』と思われることも、これは、われわれ同胞(はらから)の思いがおこさせているのだ。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「日ざしを欲する力なり」
 「日ざし」は、正義。救いの手。
いざや若人現世(うつしよ)の、 闇の扉を開かなむ。 來ん文月の雲はれて、 御代の光の渡る日に。 5番歌詞 やがて7月が来れば先帝の諒闇の闇は明けて、新しい大正の世の光が輝く。さあ、そうであるから、いざ一高生よ。一般大衆を救うために、この世の闇の扉を開こうではないか。

「闇の扉を開かなむ」
 この闇は諒闇の闇というより、正義が通らないこの世の闇。一般大衆を救うために起とうではないかの意。

「來む文月の雲はれて」
 明治天皇崩御から1年たって、諒闇の喪があけることをいう。 明治天皇は明治45年7月30日没。文月は陰暦7月の称。寮歌では多く、陰暦・陽暦を区別しないで陰暦の呼称を使う。
                        

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