旧制第一高等学校寮歌解説
あゝ炳日の |
大正2年第23回紀念祭寮歌 西寮
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1、あゝ炳日の影かくれ 世は幽闇に沈めども 殘 露綾なせる曙は 萌ゆる新草光あり 2、花瓔珞の森深く 鐘永劫の音を刻む 響の歩み遲くして 水に絶えざる 涙に映る春あれば 今日の恨を |
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1段3小節3音は、略譜に下線なく付点4分音符であったが、誤植とみて付点8分音符に訂正した。 原譜は現譜と全く同じで、変更はない(昭和10年寮歌集で、3段2小節ドードにタイを付けただけ)。 |
語句の説明・解釈
明治天皇崩御の諒闇の歌。諒闇については、同年東寮々歌「さゝら流れ」参照。 後に菊池寛とならぶ人気劇作家・小説家となった久米正雄の作詞寮歌である。久米の詩的表現の秀抜さを再認識させる歌詞であるが、同じ諒闇の歌である「さゝら流れ」 「ありとも分かぬ」 「春、繚亂の」に比べ歌われることは滅多にない。惜しい寮歌である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
あゝ炳日の影かくれ 世は幽闇に沈めども 殘 |
1番歌詞 | 明治天皇が崩御され、国中が悲しみにくれ闇に沈んでいるが、明治時代の残照に春は甦り、明治天皇の偉業は大正の新しい世に多くの分野で花開くことになろう。夜明けの野には、露が玉を敷き詰めたように色美しく結んで、芽吹いたばかりの新草は朝日に光っている。 「あゝ 明治45年7月30日、明治天皇が崩御したこと。「炳日」は、太陽の輝く光。「炳」はあきらか、いちじるしいの意。 「世は幽暗に沈めども 殘 今は明治天皇の死で、国中が悲しみに暮れているけれども、明治時代の残照に春は蘇り。「殘暉」は、夕日の光、また入日の余光。残照。 「遺芳萬朶の花と咲く」 明治天皇の遺業は、大正の新しい世に多くの分野で花開くことになろう。「遺芳」は、故人の業績。「萬朶」は、多くの垂れ下がった枝。 「露綾なせる曙は」 「露綾なせる」は、露が玉を敷き詰めたようにきれいな文様を作っている。「曙」は、大正時代の幕開け。 「明治天皇の崩御の為、明治の人達は闇に沈んでいるが、明治時代に培われたもろもろの要素は、今や大正の新時代を迎えて、生々発展の兆を示しているという考え方を、華麗を極めた表現でうたっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
花瓔珞の森深く 鐘永劫の音を刻む 響の歩み遲くして 水に絶えざる |
2番歌詞 | 桜が珠を連ねたように満開になった美しい森の深く、真理の鐘が鳴る。しかし、鐘の響は遅く、真理はなかなか一高生に伝わってこない。これから先も真理を得られないのではと常に不安が付きまとう。春の景色を見て、もの悲しくなって流す涙もあるので、今日の愁いは、眞理が得られない愁いなのか、なんとなく物悲しい春ゆえの愁いなのか、はっきりさせたいものだ。 「花瓔珞の森」 桜が珠を連ねたように満開になった森。向ヶ丘のこと。 「瓔珞」は、珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具、また仏像の天蓋、建築物の破風などにつける垂飾りをいう。 「鐘永劫の音を刻む」 真理を告げる鐘。「永劫の音」は、真理。 「響の歩み遅くして」 真理の鐘の音は、歩みが遅く、真理を求める一高生に伝ってこない。 「水に絶えざる嘆きあり」 これから先どうなるか常に不安が付きまとうの意か。真理追求は解き得ぬ謎である。 「水」は、「水の流れと人の身」(前途の知れにくい喩え)の意と解す。 近松・日本西王母三 「水の流れと人の身の知れぬ憂世の習ひ」 「涙に映る春あれば」 春愁。春の景色を見て、もの悲しくなって流す涙もあるので。 「今日の恨を頒たなむ」 今日の愁いは何の愁いか、はっきりさせたいものだ。 「このまま『頒ってもらいたい』の意と解してよいのか、『頒ちなむ」とあるべきところを言い誤ったかは、容易に判定しがたい。が、後者の可能性の方が大きい。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
雲に光はうつろひて 入日に花はとゞまらず |
3番歌詞 | 落日に雲は赤く燃え、桜の花は次第に黒い 「 宮殿・社寺・廊下・橋等の端のそり曲った欄干。ここでは、窓辺の手すりの意。 「花はとゞまらず」 美しく輝いていた桜の花は、次第に黒い花影となって姿を消す。「とゞまる」は、消えずにある意、従って「とゞまらず」は消える。 「夢の綾絹」 この頃、購入した幻灯機の影響により、星の光を受けて昔の出来事を映し出すスクリーンのようなものを考えてか。「綾絹」は、綾織の白または無地染めの絹。ここでは銀幕。 明治44年5月11日開催の「海外視察講和会」で鶴見祐輔他の講話者が、新購入の幻灯機でスライドを多数使用して講話した。 「古りにし榮を思ふ時」 東都をわかせた対高商ボートレースで、一高は6連勝したこと。ただし、そのボートレースも明治32年を最後に終わり、大正9年の東大主催第1回ボート・インターハイ参加まで、端艇部は対校試合無く、脾肉の嘆をかこっていた。 明治37年、早慶に敗れるまで14年間王座に君臨した野球部のこととも考えられるが、4番の歌詞から、端艇部のことと解す。 |
あした小暗き江流の 棹にまつはる花 |
4番歌詞 | 早朝、薄暗いうちから隅田川で一緒にボートを漕いで練習した厳しきも懐かしい思い出。高校三年間の隅田川でのボートの練習や競漕で友情が芽生え、友と固い契りを交わした。この友情が一生涯変わらないことを誓って、紀念祭寮歌の歌声は途切れることはない。 「江流の棹にまつはる花有情」 隅田川で一緒にボートを漕いだ厳しきも懐かしい思い出。江流は隅田川。「あした小暗き」というから、艇庫に寝泊まりして朝早くから練習に励んでいたのだろう。この頃、艇庫は厩橋にあった(その後、大正4年に向島艇庫、さらに昭和7年尾久艇庫へと移った)。 「三年岸べのさすらひに」 高校生活三年間の隅田川でのボートの練習や春・秋の競漕会(校内対抗ボートレース)のこと。前述したように、この時期、ボートの対校試合はない。校内の競漕会に併せて全国の中学を招き「中學来賓優勝競漕」を主催していた。 「友垣」 交わりを結ぶのを垣を結ぶのにたとえていう。友達。 「いや濃き綠」 一生変ることない深い友情をいう。永遠の友情。 「綠もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて」(明治36年「綠もぞこき」1番) 「春の曲長し」 「春の曲」は、紀念祭寮歌。友情が長く続くことを喩える。 |
いま諒闇の春淺み 愁は雲に迷ヘども 自治の灯影のさやけさに 誓の |
5番歌詞 | 今は諒闇中で春まだ浅く、ただでさえ春の愁いが深いのに、友との別れで愁いはさらに深まり、芭蕉が奥の細道で同行者の曽良との別れの際、「隻鴨のわかれて雲に迷うがごとく」といったように、我が魂は悲しみのあまり雲のように空をさ迷う。飾り物・余興こそないが、自治灯を明るく点して紀念祭を催した。寮歌を低く誦する一高生の胸に、惜別の情が溢れる。 「 (「まことに暗し」の意)天子が父母の喪に服する期間。その期間は1年と定められ、国民も服喪した。 「愁は雲に迷へども」 奥の細道の伊勢長島に於ける芭蕉と曽良との別れ(あるいは匈奴に捕らえられた蘇武と李陵の別れ)を踏まえる。友との別れを前に、惜別の情止み難く、心が乱れるさまをいう。 芭蕉・奥の細道 「行ものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鴨のわかれて雲にまよふがごとし。」(蘇武と李陵とが匈奴に捕らえられていたのに、蘇武だけが漢に召喚されることになり、「 「誓の團樂催せば」 紀念祭の宴。 「諒闇中なるを以て此日總ての裝飾、餘興を廢し、又先輩以外の人を入れず爲に六寮寂として聲なし。宵の茶話會は例によりて演説に始まり、新作各寮歌を歌ひ、特に請うて谷山生徒監の蘇文朗誦、先輩の朗讀歌謡あり。會を終る午前三時、蓋し未曽有の記念祭なり。」(「向陵誌」大正2年3月) 「胸をこぼるゝ花白し」 白い花は別れの花。友との惜別の情をいう。 「当時の普通の高校生の及びもつかないハイカラさである。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |