旧制第一高等学校寮歌解説

偸安の春も

大正10年第31回紀念祭寄贈歌 東大

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1、偸安の春もしとやかに  向陵(をか)の櫻に訪れて
  夕方(ゆふべ)の鐘も惱なく     十字の星をしたひ行く
  苔蒸す(しろ)は光榮の    その歴史(こしかた)を歌ふなり

2、もえし若葉に口付けて   三年の春を橄欖の
  森に歌ひし友人が     眞理(まこと)の道に惱む時
  うもる綠の僧院に      (ゆら)(のり)()祈るらん

4、物皆静かに移り來て    今宵又見る紀念祭
  戰勝ちし西洛の       歡喜(よろこび)搖ぐ花影に
  (ともしび)したふ若き子の     樂しき團樂(まとい)に醉はん哉
イ長調・4拍子。途中の不完全小節は、次のとおり修正した。①3段1小節1音 8分音符に付点を付けた。 ②3段2小節1音 8分音符を4分音符とした。 ③4段1小節1音 8分音符を4分音符とした。4段4小節の音符下歌詞「おか」は歌詞本文では「しろ」。
 平成16年寮歌集でも譜はそのままである。


語句の説明・解釈

 「この歌は一度だけ寮歌集に載って削除されている。50年版掲載は疑問」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)
寄贈されたという年の大正10年寮歌集はじめ、関東大震災で復刊された大正14年寮歌集(正確には大正13年11月1日版)、五線譜に譜を書き直した昭和10年寮歌集など基本となる寮歌集はじめ、私の有する過去の寮歌集に一度もこの寮歌は掲載されたことはない。井下一高先輩がいうように正規の一高寮歌ではない可能性が高いが、現実に平成16年寮歌集に「一高寮歌」として掲載されたままであるので、本ページでも除かず紹介することとする。なお、従来から問題とされてきた、4番歌詞の「戰勝ちし西洛の歡喜」の「西洛」は、京都の西・神楽が岡における架空の対三高戦勝利でなく、東の都の西・駒場と解すれば、駒場運動会の優勝の歓喜となり、問題なく解釈できる。また、難解とされる3番歌詞にも、一応の解釈を試みた。先輩諸兄のご意見・批評をお願いしたい。

語句 箇所 説明・解釈
偸安の春もしとやかに  向陵(をか)の櫻に訪れて 夕方(ゆふべ)の鐘も惱なく 十字の星をしたひ行く 苔蒸す(しろ)は光榮の その歴史(こしかた)を歌ふなり 1番歌詞 うれしい紀念祭の春が静かに向ヶ丘に訪れて、丘の桜が咲いた。夕べの鐘の音を聞いても、もの悲しくなることもなく、十字の星に祈りをささげる。古い伝統の向ヶ丘の栄光の自治の歴史を讃えて、一高生は寮歌を歌うのである。

「偸安の春もしとやかに 向陵の櫻に訪れて」
 うれしい春が静かに訪れて、向ヶ丘の桜が咲いた。紀念祭当日の1月30日は、冬のさ中であり、桜が花開くのは、あくまでも詩の世界のことである。「偸安」は、安きをぬすむの意で、目先の安楽をむさぼること。一時しのぎ。ここでは、本来の意ではなく、「うれしい紀念祭の春」ほどの意。「春」は、紀念祭の春。
 「『偸安』は一時の安楽を貪ること。一時しのぎ。この語自体は、悪い意味に用いる語であるが、ここでは単に『安らか』の意味に誤用したか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「1月30日 天気晴朗にして武香陵頭瑞氣漲る。第三十一回紀念祭は例によって盛んなり。自治燈の灯影も赤く祭の宴は樂しく更けゆく。」(「向陵誌」大正10年)

「夕方の鐘も惱なく」
 暮六つの鐘の音を聞いても、春愁に悩まされることなく。紀念祭が来てうれしいからか、また信仰心のせいか。両方であろう。
「夕方の鐘」は、季節により異なるが夕方の6時頃に撞く暮れ六つの鐘。

「十字の星をしたひ行く」
 「十字の星」は白鳥座のこと。南十字星は北半球の東京では見えない。キリスト教ではキリストの十字架と重ねて考えることがある。「したひ行く」は十字架の前に跪くキリスト信者の姿が目ぬ浮ぶ。この星は夏の代表的な星座で、春を歌う寮歌には普通は登場しない。
 「『十字星』は、天の北半球では白鳥座、南半球では南十字星を指す。北極星が指標となることから、これと混同したか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「苔蒸す陵は光榮の その歴史を歌ふなり」
 「苔蒸す陵」は、古い伝統の向ヶ丘の自治寮。「陵」を「しろ」と読ませているのは、籠城して俗界の俗塵を防ぐ城の意である。「その歴史を歌ふなり」は、自治の歴史を歌う、すなわち寮歌である。


もえし若葉に口付けて  三年の春を橄欖の 森に歌ひし友人が 眞理(まこと)の道に惱む時 うもる綠の僧院に  (ゆら)(のり)()祈るらん
2番歌詞 芽吹いた若葉を口にあて草笛を吹きながら、向ヶ丘の三年(みとせ)を橄欖の森で寮歌を歌って過ごしてきた友が、真理追求の道に悩む時には、橄欖の緑に蔽われた寄宿寮の自治の燈に救いを求めて、祈ることであろう。すなわち、向ヶ丘の自治の寄宿寮で三年間過ごして、真理を求めてきた友が、行き詰まり悩む時には、真理を秘めた寄宿寮の自治の教えに救いを求めて祈ることであろう。

「もえし若葉に口付けて 三年の春を橄欖の 森に歌ひし友人が」
 芽を吹いた若葉を口にあて草笛を吹きながら、向ヶ丘の三年を橄欖の森で寮歌を歌った友が。すなわち、向ヶ丘の寄宿寮で、三年の間、自治を讃えてきた友が。「橄欖」は、一高の文の象徴。「橄欖の森」は向ヶ丘。「歌ひし」は、寮歌を歌った。寮歌は自治を讃える歌である。「友人」は、後輩の一高生。
 「『若葉に口付け』という表現は、寮歌として適切とは思えない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「『口付けて」は。「クチヅケ」ではなく、「クチツケテ」で、若葉を草笛として吹くさまを表現したものであろう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

眞理(まこと)の道に惱む時」
 真理を求めて悩む時。真理追究と人間修養は、向ヶ丘三年間の一高生の運命(さだめ)である

「うもる綠の僧院」
 橄欖の緑に蔽われた一高寄宿寮。「うもる緑の」は、橄欖の緑に包まれた。橄欖の緑は常緑、不滅の真理を象徴する。「僧院」は一高寄宿寮のこと。古代寺院は全寮制の学問寺であった。多くの僧侶が教義を究めるため戒律厳しく僧坊で起居をともにした。一高寄宿寮をこの古代寺院・僧坊になぞらえた。今も南都西ノ京の唐招提寺には礼堂・東室として往時の僧坊が残る。
 「今はた丘の僧園に 晨の鐘も鳴り出でて」(大正2年寮歌「ありとも分かぬ」3番)

「搖ぐ法の燈祈るらん」
 自治の教えに救いを求めて祈ることであろう。「法の燈」は、自治燈。自治の教えのこと。古代寺院の法燈を踏まえる。法燈とは、仏の正法が世の闇を照らすのを燈に喩えていう語で、仏の教え。「祈る」は、自治の教えに真理を求めて祈るのである。「らん」は推量の助動詞。今頃はさぞかし・・・のことであろう。
世は平常の草枕 荊棘床作るとも 芳蘭の花に光あり (おもひ)(しほ)希望(のぞみ)あり 新世萌(あらたよきざ)さん若人の  尊き天職(つとめ)思ふ哉 3番歌詞 第一次大戦が終わって、世の中は、ごく普通の平穏な世に戻った。大戦の苦い経験から世界の人々は、永続的な世界の平和を願って、国際連盟を設立した。平和を求める世界の人々の思いに希望が出てきた。世界の人々の希望を実現して新しい平和な世界を生み出して行くのは我々若者をおいて他になく、この尊い使命をつくづくと思うのである。

「世は平常の草枕 荊棘床作るとも 芳蘭の花に光あり」
 「荊棘床作るとも」は、荒れ地に苗床を作っても。第一次世界大戦で荒れ果てた土地にも。「芳蘭の花に光あり」は、香りのよい蘭の花が咲く。国際連盟の発足を踏まえる。第一次大戦の苦い経験から、二度と戦争を起こさないために、米大統領ウィルソンの提唱により、大正9年1月10日、世界で初めての国際的な平和維持・国際協力機関として国際連盟は発足した。「光あり」と、国際連盟に強い期待を寄せる。

「思の潮に希望あり 新世萌さん若人の 尊い天職思ふ哉」
 「思ひの潮」は、平和を求める世界基調。「希望あり」は、平和を求める世界の人々の思いに希望が出てきた。国際連盟に対する世界の平和を求める人々の希望をいうものであろう。「新世萌さん若人の」は、新しい世の中を生み出そうとする若人の。平和な世界を生み出すのは時代を担う若者をおいて他にいない。「天職」は、天から命じられた職。英語ではCALL、神の声である。キリスト教のプロテスタンティズム的職業倫理感を想起させる。
 「『荊棘床』は意味曖昧。『思の潮に希望あり』も具体的にどういう思潮を指しているか不明確」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「一月大會には最近歸朝の先輩青木得三氏『戦争より平和』と題して流麗玉の如き音色を以て、氏が歐州に目撃せる事實を語り、軍國主義の末路を述べ、世界平和の基調に説き及ばるるや、聽者恍惚として深き感激に浸りぬ。」(「向陵誌」辯論部部史大正10年)
 「思想の潮湧きめぐる」(明治43年「藝文の花」1番)
 
物皆静かに移り來て 今宵又見る紀念祭 戰勝ちし西洛の 歡喜(よろこび)搖ぐ花影に (ともしび)したふ若き子の 樂しき團樂(まとい)に醉はん哉 4番歌詞 ものみな静かに時は過ぎ、今宵、また紀念祭が廻って来た。駒場運動会の優勝の喜びに揺れる灯の下、友との歓談に名残は尽きない。今宵一夜、紀念祭の宴で楽しく酔おうではないか。
              
「戰勝ちし西洛の 歡喜揺ぐ花影に」
1.対三高戦勝利説(通説)
 「西洛」を西洛陽、京都・神楽が岡と解し、対三高戦勝利の歓喜を踏まえたものとするが、対三高戦で該当する一高勝利の戦いはない。京都に遠征しての対三高戦は、大正10年1月6日、3-4Aで敗北。3-2で雪辱勝利したのは同年8月28日で紀念祭の7ヶ月後である。この寮歌の寄贈の時期に問題が残る。
 「何部の何年何月の対三高戦勝利を指すのか不明。因みに大正9年4月と大正10年1月の対三高戦野球試合は連敗。大正9年4月の陸上運動部の対三高戦(注:場所は京都ではなく東京の東大グラウンドである)も敗退している。(本寄贈歌が大正10年のものか疑問のようである。)」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「この歌は一度だけ寮歌集に載って削除されている。50年版掲載は疑問。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」)

2.駒場運動会優勝説(新説)
 「西洛」は、京都ではなく東の都の西と解し、勝利を大正9年11月21日の陸上運動部の駒場運動会優勝とする。陸上運動部は、この大会後も、次々と各運動会で優勝し、一高健児の意気大いに上がったという。
 通説によれば、この歌詞の解説は不能であるので、上の解説は、駒場運動会優勝説に拠った。
 「秋城西の鬨の聲 金鼓の響き轟きぬ」(大正10年「東海染むる」3番)
 「此の秋は帝大に惜敗したけれど駒場に勝ちその他早大に明大に學習院に各運動會に勝を制し又インターカレッヂ競技會には島村活躍して我部の権威は大いに上がった。」(「向陵誌」陸上運動部部史大正9年度) 

「燈したふ若き子の」
 灯の下にいつまでもいたい若い子の。すなわち名残尽きない一高生の。

「樂しき團樂に醉はん哉」
 楽しい紀念祭に酔おうではないか。「團樂」は、人々が円く並び座ること。ここでは紀念祭。
                        

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