旧制第一高等学校寮歌解説
人の世の |
大正15年第36回紀念祭寄贈歌 東大
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* 人の世の、 ふとも來し、みどりなる丘 地はなべて姿うれしく 朗らかに若く、あやしき 神々の * こゝぞ 日に若き、ふるさとびとは 花むしろ、今も打ち敷き ほこりかに、破帽を振りて 青春の * あゝ丘よ、彌生ヶ丘よ 御身こそは、かくも美し いざ今宵、ひと夜をゆるせ 夢老いし、われらもともに 酒乾して、春をおどらむ ありがたき、春をうたはむ * *「おどらむ」は昭和10年寮歌集で「をどらむ」に変更。 |
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4段1小節上の「爽快に」の文字は、昭和10年寮歌集で削除された。音符下歌詞の漢字は昭和10年寮歌集で、平仮名に改められた。 譜の変更はほとんどない。昭和10年寮歌集で、5段4小節の二つのスラーのうち3・4音にかかるスラーが削除された。 作曲者弘田龍太郎は、前年寮歌「橄欖の梢」で、連続16音符の小節を挿入したが、この寮歌では、同じ高さの連続8分音符中心のの譜を付けた。実験でもしたのであろうか? 新しい試みは、寮生の受け入れるところとはならなかったようである。サビ、エンデイングの第4段、第5段は変化があって面白いが(ただし歌うに難しい)、前半3段も単純過ぎ、早口で寮歌としては合わない。井上司朗大先輩は、「弘田先生の作曲も名曲、大正の掉尾の名寮歌」(「一高寮歌私観」)と高く評価しているが、卒業後に作られたこの寮歌を大先輩は歌ったことがあったのだろうか。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
人の世の、 |
1番歌詞 | 人の世の暗くて険しい山道を何年か踏み迷って、急に思いつて、若草燃える向ヶ丘にやって来た。春のみ神が、紀念祭の祭りの庭に訪れ、辺り一面に微笑んでいるので、丘は、晴れやかな春の景色となって、やわらかくてのどかな春の陽射しが霊妙に燦々と丘に降り注いでいる。 「人の世の、小昏き山路 いくとせか、踏みも迷ひて ふとも來し」 「人の世の、小昏き山路」は、暗くて険しい人生の道。一高卒業後の大学生活をいう。「ふと」は、何の用意も前ぶれもなく行動を起こすさま。 「みどりなる丘 地はなべて姿うれしく」 「みどりなる丘」は、若草が萌えて緑の向ヶ丘。「うれし」は、晴々といい気もちだ。 「朗らかに若く、あやしき 神々の 「あやしき」は、霊妙な。「神々」は、① 一高の文武の守り神であるミネルバの神とマルスの神。 ② 春のみ神が考えられるが、ここは、向ヶ丘の春の景色を描写したものと解し、②の春のみ神とす。「神々の哄笑」は、燦々と降り注ぐ春の陽射し。「充てる」は、充て(自動詞四段已然形)+完了存続の助動詞「り」の連体形。「哄笑ぞ」を承けて連体止めとなっている。 「春のみ神は今日こゝに 祭りの庭に訪づれぬ」(明治36年「筑波根あたり」 |
こゝぞ |
2番歌詞 | ここだ、ここだ。どうして忘れることが出来ようか。我らが向ヶ丘三年を過ごした寄宿寮だ。若い元気な寮生達は、茣蓙を今も敷いて紀念祭の祝宴を催し、誇らしく破帽を振って、青春を謳歌している。 「ありし日のわれらが棲處」 「棲處」は、寄宿寮。一高在学の時は、ここで寝起きして暮らした。 「日に若き、ふるさとびと」 「日に若き」は、日の少ない、すなわち若い。「ふるさとびと」は、寮生 「花むしろ、今も打ち敷き」 「花むしろ」は、御座。上等の座席用の筵。例えば 「ほこりかに、破帽を振りて」 誇らしく、破れた帽子を振って。旧制高校生は、質実剛健の姿として弊衣破帽をよしとした。 |
あゝ丘よ、彌生ヶ丘よ 御身こそは、かくも美し いざ今宵、ひと夜をゆるせ 夢老いし、われらもともに 酒乾して、春をおどらむ ありがたき、春をうたはむ | 3番歌詞 | あゝ丘よ。彌生が岡よ、貴方はほんとうに 「あゝ丘よ、彌生ヶ丘よ」 「彌生ヶ丘」は、向ヶ丘。本郷一高は本郷区向ヶ岡」彌生町にあった 「夢老いし、われらもともに」 「夢老いし」は、年を取った。先輩である自分のこと。2番歌詞の「日に若き」に対す。 「春をおどらむ ありがたき、春をうたはむ」 「春」は、紀念祭の春。「ありがたき」は、久しぶりに。「『あることの難い』の意で、めったに存在しがたいほど美しく、かつ祝福すべき、というような意味。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「おどらむ」は、昭和10年寮歌集で「をどらむ」に変更された。 |