旧制第一高等学校寮歌解説

生命の泉

大正15年第36回紀念祭寄贈歌 

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1、生命の泉綠の野     露けき丘の故郷に
  昔ながらの歌たかく    戰、宴、をたけびや
  とよむ響は變らねど    かの剛健の跡何處

2、うす紫のいざなひは   男の子を白き墓とせん
  むなしき形骸(むくろ)やきすてて 白がね天に燃ゆるとき
  赤裸となりて眺むれば  我が世のさまはあゝ如何に
*「やきすてて」は昭和50年寮歌集で「やきすてゝ」に変更。

3、黄金の濁波渦を巻く   阿諛と卑屈の世の姿
  自由の影に惡鬼あり   博愛の名に刃あり
  人は苦しみ天は泣く   此の現實を見ずや友

5、成否を誰かあげつらふ  のぞむカナンは遠からじ
  翼はよしや破るとも    遂に止むべき我ならず
  棺をおほはん其の日まで 暗所(くらき)にひそむ敵を射ん
昭和10年寮歌集で、ト長調からハ長調に移調した。すなわち、ソの音をドに5度下げた。ト長調のままでは、高音が続き、特にサビの「とよむ響は変わらねど かの剛健の跡何処」と声の出る一高生は当時もそれほどいなかったのではないか。MIDI演奏を聞き比べていただければ、現在の歌い方が、随分とキーが低くなっていることが実感できると思う。

語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
生命の泉綠の野  露けき丘の故郷に 昔ながらの歌たかく 戰、宴、をたけびや とよむ響は變らねど かの剛健の跡何處 1番歌詞 我らの生命を育む緑の野の故郷向ヶ丘に露が玉敷いて美しく光っている。向ヶ丘には昔ながらに寮歌の歌声は高く、対三高戦に向う選手の激励の宴で響きわたる雄たけびの勇ましい声も昔と変らないが、端艇・陸運・野球・庭球戦の全てに敗れて、四部全敗を喫するとは誠に情けない。陸運・野球部がともに大正10年から3連勝し、「生命の限り三勝の 光榮を祝はん三十四」と感激して歌った、あの怒濤の勢いはどうしたというのだ。

「生命の泉綠の野 露けき丘の故郷に」
 「生命の泉綠の野」は、7番歌詞の「カナンの地」にも喩えられる理想の地。向ヶ丘。
 「露けき」は、露に濡れている。
 「丘の故郷」は向ヶ丘。大正6年京大寄贈歌「わがたましひの」のあたりから、向ヶ丘を故郷と慕う「ふるさと意識」が高まった。大正14年5月24日、一高同窓会が正式に発足し、8月1日には、一高同窓会会報が創刊された。作詞者の郡 祐一は、前年寮歌「杳かなる」に続き、向ヶ丘を「故郷」と呼んだ。
 「知惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ 彌生が岡を慕ひつゝ」(大正15年「烟争ふ」1番)
 「つきぬ藝術の力もて つきぬ泉を汲まんかな 淋しさはあゝ生命の泉」(大正12年「流れ行く」7番)

「かの剛健の跡何處」
 対三高戦で陸運、野球部が大正10年から3連勝した、あの剛健はどうしたのか?
大正14年8月30日 対三高端艇競漕、3挺身半で敗れる。この年、陸上・野球・庭球も敗れ、四部全敗。この年の1月には対三高初のラグビー戦でも三高に3-39で大敗。逆に一高が念願の四部全勝を果たしたのは昭和9年のことである。
 「生命の限り三勝の 光榮を祝はん三十四」(大正13年「白陽に映ゆる」5番)
 「對三高戦の戰雲は茫然として兩京の天を蔽ひ、7月26日、先ず陸上運動部は43對41を以て京都に惜敗し、8月28日、野球部は駒澤に於いて2A對1の接戦裡に敗退し、次いで庭球部は5對4を以て帝大コートの敗殘の恨みを呑み、最後に端艇部は三艇身半の敗差を以て、隅田河上寮生一千の希望を絶てり。全敗!全敗!向陵健兒は齊しく白旆を大地に伏し、哭泣して言ふ處を知らず。」(向陵誌」大正14年)
うす紫のいざなひは 男の子を白き墓とせん むなしき形骸(むくろ)やきすてて 白がね天に燃ゆるとき 赤裸となりて眺むれば  我が世のさまはあゝ如何に 2番歌詞 地位や名誉など世俗の誘惑に負けるような男児は、外見は頬紅の美しい一高生と何ら変わらなくても、心は汚れ偽善に満ちてしまっている。一高生は志操を堅固にして世俗の誘惑などに負けてはいけない。白熱の太陽が空高く輝いて燃える時、その熱で世俗の誘惑を焼き捨てて清い心で、太陽の正義の光に照らされた世の中を眺めれば、我が世の様がどんなに悲惨になっているか、はっきりと分かるというものだ。

「うす紫のいざなひは 男の子を白き墓とせん」
 「うす紫の誘い」は、紫は高貴な色。世俗の地位や名誉の誘惑。「白き墓」は、マタイ伝にある「外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている墓」を踏まえる。地位や名誉で飾った豪華な墓。
 マタイ23:27-28 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」

「むなしき形骸やきすてて」
 「形骸」は、「うす紫のいざなひ」、すなわち、世俗の誘惑を取り払って。「やきすてて」は、昭和50年寮歌集で「やきすてゝ」に変更された。

「白がね天に燃ゆるとき」
 「白がね」は、白熱の昼の太陽。正義の光で世の中を照らす。太陽は正義や真理を象徴する。

「赤裸となりて眺むれば 我が世のさまはあゝ如何に」
 「赤裸」は、「むなしき形骸やきすてて」の結果。清い心で。「あゝ如何に」の答は、3番歌詞の「人は苦しみ天は泣く 此の現實」である。

 「第二節では何を言わんとしているのか曖昧なのが惜しまれる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「(白き墓を)外面は美しいが内面は醜悪な人間の比喩的表現に用いて、世俗の誘惑にまどわされないよう、一高生の自覚を求めている。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
 
黄金の濁波渦を巻く 阿諛と卑屈の世の姿 自由の影に惡鬼あり 博愛の名に刃あり 人は苦しみ天は泣く 此の現實を見ずや友 3番歌詞 今の世の中は、資本家が恣に労働者を搾取し、貧しく力を持たない労働者は、なすすべなく資本家におもねりへつらって小さくなっている。中国では、イギリスはじめ西欧列強が、反帝国主義運動に起ちあがった中国の労働者やデモ隊に対し流血の弾圧を行った。これが自由と博愛をかかげるキリスト教の列強のすることであろうか。このように我が国でも中国でも、正義は消え失せ、民衆は、塗炭の苦しみに喘いでいる。この悲惨な現実を君は見ようとしないのか。

「黄金の濁波渦を巻く 阿諛と卑屈の世の姿」
 「黄金の濁波渦を巻く」は、資本家が労働者を搾取する資本主義社会。「阿諛」は、おもねりへつらうこと。おべっか。
 大正14年7月10日に細井和喜蔵が自らの紡績工経験を基に「女工哀史」を刊行。僅かの前借金に始まり、虐待に等しい過酷な労働と非人道的な寄宿生活、さらに少女たちの心の側面を描き、社会的に大きな反響を呼んだ。

「自由の影に悪鬼あり 博愛の名に刃あり」
 イギリスなどが中国の反帝国主義運動に対し流血の弾圧を行った5・30事件および沙基事件を踏まえる。
 『5・30事件』
 大正14年5月30日、上海で起こった学生・労働者、内外綿争議弾圧に抗議する1万人のデモ隊に対し、イギリス人警部の命令で発砲、流血の弾圧を加えた事件。
 『沙基事件』     
 大正14年6月23日、広州の5.30運動を支援する労働者、学生、市民、軍人のデモ隊5から6万人に対しイギリス軍が発砲、これに中国人軍人が応戦、さらにイギリス・フランス・ポルトガルの砲艦も参戦して、多数の死傷者を出した事件。
 「欧米列強の帝国主義的アジア政策を暗に批判しているものと解される。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」

「人は苦しみ天は泣く 此の現實を見ずや友」
 「人」は、虐げられた国内外の民衆。「天は泣く」は、正義が通らないこと。「此の現實」は、資本家、西欧列強に搾取され虐げられている悲惨な現実。「見ずや友」は、このような社会の底辺で塗炭の苦しみに喘ぐ民衆の実態を直視せよということ。
 おそらく作詞者は東大新人会の会員ないしその信奉者だったと推測される。
 「新人会」は、大正7年12月5日に吉野作造・麻生 久らが後援し、赤松克麿・宮崎竜介らによって結成された東京帝國大學内の社会主義思想団体。大正8年3月に機関誌「デモクラシイ」を発刊。民本主義から急激に社会主義に傾斜していった。昭和4年11月、日本共産青年同盟の指導の下に解散した。
 大正13年11月10日 高等学校長会議で、各高校の社会科学研究団体の解散措置が決定された。一高でも、学校側の強い要望で一高社会思想研究会は、大正13年12月に活動を自粛、大正14年9月25日、第四大教場で解散式を開き解散した。以後、地下組織「一高社会科学研究会(略称IS)として活動したが、昭和2年以降の数次にわたる取締りにより、昭和8年3月、一高における左翼学生組織は壊滅し、運動は終息したといわれる。

「第二節から第三節にかけて、大正期末に既て萌した国内世相の汚獨と、自由博愛の仮面の下に迫る外圧とを激しく指摘し」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
朝の息吹の身にしみて 此の現實に目覺めては 杯を地に投げうちし 若人の血のいきどほり 巖も溶かす熱に滿ち 照る日も呑まん気慨あり 4番歌詞 朝日のまばゆい光に照らされて、悲惨な現実を打開すべく起たんとして目が覚めた。杯を地に投げつけ、義憤に若い血は煮え滾った。その気概は、巌をも溶かす熱を帯び、照る日も呑まんばかりである。

「朝の息吹の身にしみて」
 「朝の息吹」は朝日。朝日がまぶしくて。「朝日」は、真理、正義を象徴する。

「此の現實に目覺めては」
 「此の現實」は、3番歌詞の「現實」。民衆が資本家や権力に搾取され悲惨な目にあっている現実。

「第四節で、かかる時、之を救うは向陵健児の堅節と意気のみと激励」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
成否を誰かあげつらふ のぞむカナンは遠からじ 翼はよしや破るとも 遂に止むべき我ならず 棺をおほはん其の日まで 暗所(くらき)にひそむ敵を射ん 5番歌詞 人生意気に感じては、成功するかどうかなど誰が論じたてようか。我々の目指す理想とするところは遠くはない。たとい翼は破れて飛ぶことができなくなっても、それで諦めるような自分ではない。棺を蓋って死ぬ日まで、撃ちてし止まんと、闇にひそむ敵を射ってやる。

「成否を誰かあげつらふ」
 「成否」は、事の成否。成功するかしないか。「あげつろう」は、是非・可否を論じたてる。 
 「人生意氣に感じては 成否を誰か論ふ」(昭和17年「曙に捧ぐ」9番)
 魏徴『述懐』 「季布に二諾無く、侯は一言を重んず。人生意氣に感ず、功名誰か復た論ぜん。*季布は、漢初の楚人。項羽と劉邦の間で天下を争った楚漢戦争では、項羽の部将として活躍した。任侠の士として有名。
 晩翠『星落秋風五丈原』 「人生意氣に感じては 成否をたれかあげつらふ」

「のぞむカナンは遠からじ」
 「カナン」は、聖書におけるパレスチナの称。神がアブラハムとその子孫に与えると約束した地。前1500年頃、ヘブライ人が定住。 転じて、楽土。理想郷。ここでは理想とするところ。目標。地上に現実に出現した理想郷(ユートピア)といわれたソビエト・ロシアの成立を念頭におく。

「翼はよしや破るとも 遂に止むべき我ならず」
 「翼はよしや破るとも」は、官憲に逮捕されるなど、社会主義運動が抑圧され弾圧されようとも。「よしや」は、たとい・・・でも。「遂に止むべき我ならず」は、運動を決してあきらめない。

「棺をおほはん其の日まで」
 死ぬその日まで。社会主義思想に殉死する覚悟。撃ちてし止まんの意気を示すものであろう。
 蓋棺事定(カンをおほひて こと さだまる)。死体を棺に納め、蓋をした後に初めて、その人の真の価値がきまる。生前の譽やそしりは、あてにならないの意(晋書、劉毅伝)。

「暗所にひそむ敵を射ん」
 「暗所にひそむ敵」は、社会主義の理想を達成するために倒さなければならない資本主義国家、権力、資本家など。
 作詞者の郡 祐一は弓術部遠征歌「西のくらいのに」の作詞者。

「終節に於て青年は、正義のため、『棺をおほはんその日まで 暗所にひそむ敵を射ん』と、破邪の気魄を示している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        

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