旧制第一高等学校寮歌解説

あしたの星の

大正15年第36回紀念祭寮歌 

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1、あしたの星のうすらぎて  紅匂ふ朝風に
  橄欖の香の漂へば    奇しきひヾきの囁きて
  夢まどかなる若人が    安けき眠り醒すかな

2、ゆうべの星の瞬きて    丘の靑葉に夕月の
  光ほのかに流るれば   若き心の竪琴(たてごと)
  霞の森の湖の        底に秘めたる歌を()

3、思ひ出づればはろかなる 華かなりしありし日は
  消えて跡なくなりにけり   (はえ)の歴史を語るべき
  時の(うてな)も影見えず     向ふが岡は荒れ果てぬ
*「華かなりし」は昭和50年寮歌集で「華やかなりし」に変更。
調は嬰ハ長調と珍しい。これを昭和10年寮歌集でキーを上げて、ニ長調に、昭和50年寮歌集でハ長調に変更した。寮歌を歌う場合、リーダーの調・キーに合すので、楽譜の表示はあまり関係がないが、MIDI演奏で、嬰ハ長調とハ長調の微妙な違いが確認できますか。私には無理ですが、ちょっと違うようですね。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
あしたの星のうすらぎて 紅匂ふ朝風に 橄欖の香の漂へば 奇しきひヾきの囁きて 夢まどかなる若人が 安けき眠り醒すかな 1番歌詞 夜明けとともに、東の空に輝いていた明の明星がだんだん見えなくなった。代わりに朝日が紅に色美しく照り出し、朝風が吹くと、向ヶ丘に橄欖の香が漂う。明の鐘の霊妙な音が轟いて、気持ちよく夢を見ていた一高生の眠りを醒ますのであった。

「あしたの星のうすらぎて 紅匂ふ朝風に」
 「あしたの星」は、明けの明星(金星)、「紅」は朝日の光の色。「匂ふ」は赤く美しく映える。

「橄欖の香の漂へば」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。本郷では本館前に大きな橄欖(すだ椎(スダジー))を植栽。この橄欖の木は今も東大農学部正門を入ってすぐの所にある。駒場では、本館に向かって右側に橄欖の木があるが、あまり目立たない。ファカルテ―・ハウスの庭に、オリーブの橄欖が一高同窓会の手により最近植樹された。興味のある向きは、三つの種類の橄欖を見比べてみてはどうか。

「奇しきひゞきの轟きて」
 「奇しきひゞき」は、上野・寛永寺、浅草・浅草寺などの明けの鐘(ほぼ午前6時頃)であろう。この頃、紀念祭に花火を打ち上げていたが(大正15年は『鍵屋』の花火15発)、花火の打ち上げは夕であったと思われる。
 「花散る床のまどろみや 枕に通ふ明の鐘」(大正6年「若紫に」2番)
ゆうべの星の瞬きて 丘の靑葉に夕月の 光ほのかに流るれば 若き心の竪琴(たてごと)は 霞の森の湖の 底に秘めたる歌を() 2番歌詞 西の空に宵の明星が瞬いて、そよ風に揺れる向ヶ丘の木々の青葉に夕月の光がほのかに照ると、多感で繊細な若い一高生は感動して、湖のように向ヶ丘に低く立ち込めた霞の底に秘めた歌、すなわち寮歌を奏でるのである。

「ゆふべの星の瞬きて」
 「ゆふべの星」は、宵の明星。太陽が沈むとすぐ、西の空に輝き出す。

「丘の靑葉に夕月の 光ほのかに流るれば」
 「丘」は、向ヶ丘。「夕月」は、夕方に出る月。上弦の月か満月か。「光ほのかに」とあるので、陰暦7日頃の上弦の月であろう。「流るれば」は、青葉に照った月の光が、そよ風に揺れているさま。

「若き心の竪琴は」
 「竪琴」は、若い一高生の心の奥に秘められた感動し共鳴する微妙な心情を喩える。

「霞の森の湖の 底に秘めたる歌を弾く」
 「霞の森の湖」は、木の間に低く立ち込めた霧を湖に喩える。「底に秘めたる歌」は、一高寄宿寮の傳統・精神、すなわち自治の歌、寮歌である。
 「智惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ 彌生が岡を慕ひつゝ」(大正15年「煙争ふ」1番)
 「木の間に霧ふ草いずみ」(大正12年「夕月丘に」2番)
思ひ出づればはろかなる  華かなりしありし日は 消えて跡なくなりにけり (はえ)の歴史を語るべき 時の(うてな)も影見えず 向ふが岡は荒れ果てぬ 3番歌詞 振返って思い出せば、一高の華やかだったのは、随分と昔の事で、もうその痕跡すら消えてなくなっている。栄光の歴史を語ることのできる時計台の姿も今はなく、向ヶ丘の栄光と伝統は地に墜ちてしまったままである。

「華かなりしありし日は」
 明治の昔、一高野球部が天下に敵なしと覇を唱えていた頃、一高端艇部が隅田川の対高商ボートレースで高商(現一ツ橋大学)を六連覇したことなど一高の黄金時代をいう。「華かなりし」は、昭和50年寮歌集で「華やかなりし」に変更された。

「時の臺も影見えず 向ふが岡は荒れ果てぬ」
 「時の臺」は、時計台。大正12年9月1日の関東大震災で、一高のシンボルであった時計台は、大きく傾き、また亀裂甚だしく、10月9日に爆破され、再建されることはなかった。「向ふが岡は荒れ果てぬ」は、時計台は別として、震災で廃虚となってしまったということでなく、運動部、特に天下の覇権を失って久しい野球部の凋落など栄光の歴史、伝統をいう。4番歌詞の「さはれ跡なく消え去りし 古き夢のみ追ふなかれ」と続く。
さはれ跡なく消え去りし 古き夢のみ追ふなかれ 若き腕に曉の 望の鐘の綱とりて 空もとよめと雄々しくも 力のかぎり打てよかし  4番歌詞 そうではあるが、跡なく消え去った昔の夢ばかり追うのは止めよう。若い力で、望みに満ちた暁の鐘の綱をとって、空をも破るつもりで、雄々しく力の限り鐘を打ち鳴らして見よ。

「さはれ跡なく消え去りし 古き夢のみ追ふ勿れ」
 「さはれ」はサハアレの約。そうではあるが。 
「古き夢」は、3番歌詞の「華かなりしありし日」。一高運動部の黄金時代。

「若き腕に曉の 望の鐘の綱とりて 空もとよめと雄々しくも 力のかぎり打てよかし」
 この頃から議論された新向陵の建設・駒場移転を踏まえる。大正12年11月30日、帝大から駒場への移転問題につき正式交渉があった。若い力で新しい向ヶ丘を復興・建設してほしいの意。「かし」は、強く相手に念を押す終助詞。
 
 「今や駒場移転を前に控へて、新向陵建設の確固たる基礎を築き上ぐべき我等の使命は極めて重大なるものあり。彌ヶ岡(そのまま)に於ける向陵の最後をして光輝あらしめ、空しき形骸を捨て、虚僞の殿堂を破壊し、新しき向陵の建設、創造に努力すべき時は來りぬ。嗚呼、起てよ友、八城の友よ。向陵亦漸く多事なる哉。」(「向陵誌」大正14年)
いざさらば友今宵こそ 望みに滿てる若き子が 遙けき旅路祝はむと 自治の灯影(ほかげ)に夜もすがら 杯あげて躍れかし 樂しき今宵この祭り 5番歌詞 いざさらば友よ。今宵こそ向ヶ丘との別れの日だ。前途洋々として希望溢れる若者の、遠い旅路の旅立ちを祝おうと、自治の灯影に集まって、今宵は夜が明けるまで、友と杯を交わしながら大いに歌い語って、紀念祭を楽しもう。

「いざさらば友今宵こそ」
 三年生にとって、紀念祭の日が向ヶ丘最後の日ではないが、寮歌では、この日を最後の別れと詠うものが多い。ちなみに、大正15年の例では、2月11日に三年生送別のための昼餐会(いつもの晩餐会に代わって)が開かれている。

「望みに滿てる若き子が」
 前途洋々として希望溢れる一高生が。

「遙けき旅路祝はむと」
 「遙けき旅路」は、卒業後の進路。向ヶ丘三年が過ぎると、一高生は、また新しい遙かなる旅に出発する。
                        

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