旧制第一高等学校寮歌解説

しろがね遠く

大正14年第35回紀念祭寮歌 

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1、しろがね遠くましろみの  希望の峯にまたヽけば
  幻あはく曙の野に     ゆらめきそめて若き日の
  黙示の胸にさヽやきぬ
*「ましろみの」は昭和50年寮歌集で「まどろみの」に変更。

2、語りて盡きぬ吉き日なれ さやめく梢うるほひて
  今しもきらふ岡の邊に   追憶の楯かるしつつ
  在りし其の日をしのぶかな
*「かるしつつ」は昭和10年寮歌集で「かざしつつ」に、昭和50年寮歌集で「かざしつゝ」に変更。

3、若きは君が誇りなり    愁にしづむ胸あらば
  友地のささやきに聴け   生命の泉湧き出でて
  光は來る永劫に
*「友地のささやきに聴け」は昭和10年寮歌集で「友よ聴け地のささやきに」に、昭和50年寮歌集で「地のさゝやきに聽けよ友」に変更。

6、嗚呼向陵よ幸あれや   紀念の祭めぐり來て
  ひろでる夢に若き兒の   喜び交す燈の下に
  宴の宵はほぐれ行く
*「ひろでる」は昭和10年寮歌集で「ひろごる」に変更。
調・拍子その他、変更はない。この原譜のままである。MIDIの演奏も全く同じである。*厳密にいうと、昭和3年寮歌集原譜には、8分音符の連符のところには(例えば「まどろみーの」(1段3小節)、現在使われているスラーの楽譜記号はついていない。しかし、数字符下線を共有させている(例えば2 1)ので、これをスラー表示と解した。付点8分音符と16音符にかかるスラー記号は現在のスラー記号が使われている。ハーモニカ譜時代は、特に寮歌では楽譜記号はそれほど厳密ではないようである。

 ドーミソードーー シーラードソーーの主メロディーを1・3・5段で繰り返す。それでいて2・4段は別メロディーで持ってくるので、また各段のリズムは絶妙に異なるので飽きが来ない。一部の寮歌愛好者に好まれる所以であろう。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
しろがね遠くましろみの 希望の峯にまたヽけば 幻あはく曙の野に ゆらめきそめて若き日の 黙示の胸にさヽやきぬ 1番歌詞 遠くの空が銀白色に白々と明け、真白の霧に蔽われた希望に溢れる向ヶ丘に輝き出した。すると朝日の光が立ち込めた霧に映えて、野にうっすらと幻のような影がゆらぎ初めて、若き一高生の胸に黙示をささやいた。

「しろがね遠くましろみの 希望の峯にまたゝけば」
 「しろがね」は太陽。白い光は、普通、真昼の太陽をいうが、「遠く」「希望の峯に」とあるので、朝日である。「ましろみ」の「み」は接尾語(「卵のしろみ」の「み」に同じ)。朝霧のことと解す。昭和50年寮歌集で、「ましろみの」を「まどろみの」に変更された。この場合は、寮生が眠っている意。「希望の峯」は、向ヶ丘とする。同年寮歌「烟争ふ」にも同じ「希望の峯」の語が使われれている。希望の峯はヴァスコ・ダ・ガマのインド洋航路発見を想起させる語であるが、特に意味があるか不詳。
 「希望の峯に辿りえし 盡きぬ祝宴の歡喜に」(大正15年「煙り争ふ」2番)

「幻あはく曙の野に ゆらめきそめて若き日の 黙示の胸にさゝやきぬ」
 「幻」は、かげろう。朝霧に朝日が映えてゆらゆらと揺れているさまをいう(チンダル現象)。
語りて盡きぬ吉き日なれ さやめく梢うるほひて 今しもきらふ岡の邊に 追憶の楯かるしつつ 在りし其の日をしのぶかな 2番歌詞 語り尽くすことが出来ないほど今日はよき日である。ざわざわと音を立てる梢が湿って、向ヶ丘は、ちょうど今霧が立ち込めている。霧に浸せば昔の思い出が浮ぶというミネルバの楯を霧にかざしつつ、向ヶ丘に時計台が聳えていた頃を偲ぼう。

「語りて盡きぬ吉き日なれ」
 「吉き日」は、寄宿寮の誕生日。毎年2月1日(大正9年以前は3月1日)に紀念祭を催して祝う。
 「(この)短い1句にふかく心を惹かれる。之は記念祭に対する我々の心を写してあまるところがない。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「さやめく梢うるほひて 今しもきらふ岡の邊に」
 「さやめく」は、ざわざわと音を立てる。「きらふ」は霧らひで、霧りに反復・継続の接尾語ヒのついた「きらひ」の連体形。霞や霧が立ち込める。「岡の邊」は、向ヶ丘。

「追憶の楯かるしつつ 在りし其の日をしのぶかな」
 「追憶の楯」は、ミネルバの楯。ミネルバは一高の文の守り神。一高の歴史・記録のデータベースを楯に保有している。この楯を霧にかざすと、過去の日の思い出が霧に浮ぶという。大正12年「夕月丘に」の「かざしの楯」の描写に似る。もちろん観念の中の世界のことである。「かるしつつ」は昭和10年寮歌集で「かざしつつ」に、昭和50年寮歌集で「かざしつゝ」に変更された。「在りし其の日」は、時計台があった頃。時計台は、大正12年10月9日、大震災で傾き防災上危険であったために爆破された。
 「木の間に霧ふ草いづみ 楯をひたせば立のぼる」(大正12年「夕月丘に」2番)
 「マルスの神は矛執りて ミネルバの神楯握り 我等を常に守るなり」(明治35年「混濁の浪」4番)
若きは君が誇りなり 愁にしづむ胸あらば 友地のささやきに聴け 生命の泉湧き出でて 光は來る永劫に 3番歌詞 若さは一高生の誇りである。真理探究に行き詰まり愁いに沈むことがあれば、向ヶ丘の大地がささやく一高の崇高な精神に耳を傾けよ。若い力が五体に漲って、愁に沈んだ胸に希望の光が射して消えることはない。

「若きは君が誇りなり」
 「思へば若きいのちこそ 我等がつきぬ誇なれ」(明治45年「光まばゆき」1番)

「愁にしづむ胸あらば 友地のささやきに聴け」
 「愁にしづむ胸」は、真理の探究に行き詰まりさ迷い悩む胸。「地のささやき」の「地」は向ヶ丘で、「ささやき」は、一高の崇高な精神、すなわち真理のささやきである。
 「友地のささやきに聴け」は昭和10年寮歌集で「友よ聴け地のささやきに」に、昭和50年寮歌集で「地のさゝやきに聽けよ友」に変更された。
 「土の郷愁に掘り入りて しゞなる懐疑身にしめど」(大正9年「春甦る」5番)

「生命の泉湧き出でて 光は來る永劫に」
 「生命の泉」は、生きる力の源。若さを誇る一高生の生命の泉は豊かに勢いよく湧く。「光」は、1番歌詞の「希望の峰」に輝く光。愁に沈んだ胸に希望の光が射す。
 「生命の泉綠の野 露けき丘の故郷に」(大正15年「生命の泉」1番)
たまゆらの夢追ふ勿れ まことの魂をおのがじし 汝の奥底(おくてい)に秘め行かば 三年の契あだならず ゆかしく燃えむ汝が焰 4番歌詞 一時の快楽に夢中になってはいけない。向ヶ丘で培った誠の心をめいめいの胸の奥深くに秘めておれば、向ヶ丘三年に契った友との友情の花が開き、熱き友情の焰は、これからも消えることなく燃え続けるであろう。

「たまゆらの夢追ふ勿れ」
 「たまゆら」は、ほんの一瞬の。短い間。「夢」は、楽しみ。快楽。

「まことの魂をおのがじし 汝の奥底に秘め行かば」
 「まことの魂」は、誠の心。「おのがじし」は、めいめい、それぞれ。「奥底(おくてい)」のルビは、昭和50年寮歌集で「おうてい」に変更された。
 「『奥底』は心の底。一高生活の追憶が心の中にいっぱい秘蔵されるならば。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「三年の契あだならず ゆかしく燃えむ汝が焰」
 「三年の契り」は、向ヶ丘三年で契った友との友情。「あだ」は、花の実が結ばないこと。
歳華は去りぬ三十五 流れて早き星霜も 眞我の覺醒(さとひ)はぐくめば 不滅の余韻とてとはに 久遠の理想(おもし)憧憬れぬ 5番歌詞 年月は流れ、一高寄宿寮は開寮以来35年となった。時は光陰矢のごとく過ぎて行くが、自治を守りこれを発展させ行くことが一高生の使命であると固く自覚しているので、寄宿寮35年の伝統を絶やすことなく伝えて、理想の自治に向け、この寄宿寮を永遠に繁栄させたいと願うようになった。

「歳華は去りぬ三十五」
 「歳華」は、年月、歳月。華は日月の意。「三十五」は、寄宿寮開寮35年のこと。

「流れて早き星霜も」
 「星霜」は、星は1年に天を1周し、霜は年毎に降ることから、歳月。
 「星霜移り人は去り」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)

「眞我の覺醒はぐくめば 不滅の余韻とてとはに 久遠の理想憧憬れぬ」
 「眞我の覺醒」は、真の自我に目覚めること。寄宿寮の自治を守り、これを発展させて行くのが一高生の使命であるとの認識を持つこと。「不滅の余韻」は、寄宿寮35年の伝統を絶やさないこと。「余韻」を伝統と解した。「久遠の理想」は、理想の自治を永遠のものとすること。「覺醒」のルビは、昭和10年寮歌集で「さとり」に変更された。「とてとはに」は、昭和10年寮歌集で「とことはに」に変更された。「理想(おもし)」のルビは、昭和10年寮歌集で「おもひ」に変更された。
 
嗚呼向陵よ幸あれや 紀念の祭めぐり來て ひろでる夢に若き兒の 喜び交す燈の下に 宴の宵はほぐれ行く 6番歌詞 ああ我が向ヶ丘に幸多かれと祈ろう。今年も紀念祭が廻って来て、自治燈の下で、若い一高生が夢をふくらせて友と喜びの言葉を交わす。記念祭の祝宴の宵は、和やかに更けて行く。

「紀念の祭めぐり來て」
 「紀念の祭り」は、第35回紀念祭。

「ひろでる夢に若き兒の」
 「ひろでる」は、昭和10年寮歌集で「ひろごる」に変更された。「ひろごる」は、ひろがるに同じ。

「宴の宵はほぐれ行く」
 「ほぐれ行く」は、打ちとけていく。和やかになっていく。
                        

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