旧制第一高等学校寮歌解説

杳かなる日の

大正14年第35回紀念祭寮歌 

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1、(はろ)かなる日のうれしさに 小草は(あは)く靑みつゝ
  あゝ春三度丘に來ぬ   さみしき夢はのこれども
  故郷去る日近ければ   別離(わかれ)の歌の絶えぬかな

3、時のうらみのわびしらに 天のひめごと極むべく
  夕幾度野に出でし     世のいつはりに露踏みて
  尋ねし春も仇なれや    智慧に老いゆく涙のみ

4、智慧の綾衣(あやぎぬ)いざさらば  今ぞ鐵鎖を切り捨てゝ
  久遠の理想(のぞみ)清ければ   劫火に消えぬ生命(いのち)もて
  さめて立てよと呼ばん時  新人何ぞ他を待た
昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。

1、音の変更
 「たえぬかー」(6段3小節)  「か」の音を上げて、ラーラソードーレに。
2、スラー
 各段3小節の4・5音にスラーを付けた(昭和3年寮歌集原譜でも、2音にまたがり数字譜の下の下線があり、これがスラーの意味であれば変更はない)。
3、その他調・拍子
 変更はない。

各段各小節のリズム(音の長さの間隔)は全く同じ。単調さをカバーするために、出だし「杳かなる日の」と高音で出て、途中も「さみしき夢は」、「故郷去る日」と高音部のメロディーを適宜に配置している。リズム的には同じ3拍子で弘田龍太郎の作曲である「彌生ヶ丘に洩れ出づる」に似ている。この「彌生ヶ丘に洩れ出づる」でも原譜は各段各小節同じであった。それを寮生が見事にリズム・メロディーとも歌い崩してしまったが、この寮歌はそれほどは歌われなかったので、原形のままである。最後の「たえぬかーな」は「か」の音がソからドに高く変更になったので、「ぬ」と「か」の間にも階段が欲しいところ。すなわち、個人的には「たーえぬーかーなーー」と歌い崩したくなる。


語句の説明・解釈

一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「第三節、第四節は共に難解で、作者の真意を明確に補足することは難しい」とする。
 私見は、この寮歌は、文部省の要請に基づき、高等学校校長会議が各高校の社会科学研究団体の解散措置を決定したことに基づき、校長が一高社会思想研究会(大正8年11月4日創立)に対し、解散を要請したことを踏まえると解す。一高社会思想研究会は、学校当局の要請にもかかわらず解散はせず、しかし「一時沈黙を守り時宜を待つこと」にして、表面的な活動を自粛した(学校も解散は命じなかった)。実際に、学校当局のさらなる強い要請により、社会思想研究会が解散したのは、大正14年9月25日のことである。
 この寮歌をごく普通に、真理追求の愁いや苦悩を述べたものとして解釈しようとすると、一高同窓会「一高寮歌解説書」がいうように難解で無理である。キーワードは、4番歌詞の「さめて立てよと呼ばん時 新人何ぞ他を待たん」の「新人」である。「新人」は、東大の社会主義思想団体「新人会」の新人であり、一高社会思想研究会の会員(所謂「隠れ会員」を含む)であろうと解した。
 この頃から当局の社会思想取締りが厳しくなった。いままでも、一高寮歌には、1、2の寮歌(明治41年「紫淡く」、大正6年「比叡の山の」など)に、社会主義思想に立って、社会の矛盾、貧民救済、決起をただ叫ぶものはあった。大正末から昭和へと社会主義思想の取締りが厳しくなるに従い、若さゆえ、逆に社会的正義を貫きたいという信念が強まって、苦悩し、時に反発する、なんとも暗くてつらい一高寮歌が出現するようになる。この寮歌は、そのはしりであると捉えたい。

 「全國學生運動は、極めて順調に展開され來たったが、突如、文部大臣の名によって全國高等學校社会科學研究會に對する解散は命ぜられた。風雲急を告げ、反動は全國を席捲してゐる。・・・
學校當局の命は、研究會に秘密結社的色彩を帯ばしめ、返って研究會設立の趣旨にもとる結果を生むに至るべき事を力説して、今一度の考慮を費されん事を懇願したが、妥協點を發見し得ず、且つ、当局の好意と立場とを酌みて、一時沈黙を守り時宜を待つことにした。」(「向陵誌」一高社会思想研究會大正13年度)
 一高社会思想研究会は、大正12年12月2日、8日、12日の3回にわたり、1、東大新人會との連絡の有無。 2、學生聯合会との連絡方法。3、軍事教育反對聯盟への加盟の有無。の3項目に就き、校長、教頭、幹事より訊問された。

語句 箇所 説明・解釈
(はろ)かなる日のうれしさに 小草は(あは)く靑みつゝ あゝ春三度丘に來ぬ さみしき夢はのこれども 故郷去る日近ければ 別離(わかれ)の歌の絶えぬかな 1番歌詞 寄宿寮の誕生日を祝う日のうれしさに、向ヶ丘の草は芽吹いて青ずんできた。一高に入学して、早いもので春が三度、丘に訪れた。大震災で時計台が爆破される等、哀しい思い出も残ったが、向ヶ丘を去る日が近づいてきたので、寄宿寮のあちこちで別れを惜しんで歌声が絶えない。

「杳かなる日のうれしさに」
 「杳か」遠い。他に暗い、静かなどの意だが、遠い日に誕生した意に解した。

「小草は淡く青みつゝ」
 大震災の廢墟にも草が芽吹いた感激をいう。「青む」は、草木が芽吹くこと。

「さみしき夢はのこれども」
 大震災の惨事、特に一高のシンボル時計台が大正12年10月1日に爆破され、今はないこと。

「故郷去る日近ければ」
 卒業で向ヶ丘を去る日が近くなったので。「故郷」は、向ヶ丘。
 大正5年(京大「わがたましひの」、九大「われらの命の」、東北大「雲ふみわけて」)、6年(東大「とこよのさかえ」)の各寄贈歌で、向陵を「故郷」と詠った。今度は、現役の寮生が卒業を前に向陵を「故郷」と詠った。
 「大正13年11月、同窓会組織の企画が寄宿寮委員石田久市から建議され、大正14年3月、総大会に議案提出、満場一致で可決、その翌日初めて『同窓会名簿』を発行した」(「一高同窓会小史」)

「別離の歌の絶えぬかな」
 「別離の歌」は、寮歌。友との別れを惜しんで、寄宿寮のあちこちで歌声が起きる。
(しほ)のひゞきの高けれど ま黑き(いは)に夜もすがら 強き誇のたうとさを 守りて叫びし若人の ひとり北斗を指しつ 濁世救ひし幾度ぞ 2番歌詞 世の中は騒々しくなって、向ヶ丘にも荒波が寄せている。一高生は、大震災で真っ黒に焼けた向ヶ丘に立って、一高生の強い誇りである自治と清い心を守るため、夜を徹して濁った波を防いでいる。一高生は、世の正義のために、今まで幾度、濁世を救って来たことであろうか。

「潮のひゞきの高けれど」
 国内では、第二次護憲運動、各高校の社会科学研究会の解散。海外では、米国の排日移民法の成立、校内的には駒場移転問題など、この頃の内外の情勢は騒々しかった。
 大正13年 1月10日 政友会・憲政会・革新倶楽部の三派、清浦内閣打倒運動開始。
         3月 5日 駒場移転を決める生徒大会、移転を満場可決。
         5月28日 米、排日移民法成立。
        11月10日 高等学校長会議、各高校の社会科学研究団体の解散措置を決定。

「ま黑き巖に夜もすがら」
 「ま黑き巖」の「巌」は自治の砦。大震災で時計台は爆破され、真っ黒になった自治の城・向ヶ丘をいうと解する。「夜もすがら」は、一晩中。魔軍が自治の城に押し寄せるのは夜であるので、「夜もすがら」と言ったのであろう。
 「『ま黑き巌』は、誇り高い若人たち(一高生)が濁世を救う拠り所とした、一高のゆるがぬ姿を『黑き巌』に喩えた。」(一高同窓会「一高寮解説書」)
  
「強き誇のたうとさを」
 「誇」は、自治であり、一高生の清い心である。「たうとさ」は、昭和10年寮歌集で「たふとさ」に変更された。

「ひとり北斗を指しつ 濁世救ひし幾度ぞ」
 「北斗」は北極星。日周運動によってその位置をほとんど変えないので、方位および緯度の指針とされる。寮歌では正義・真理・理想を指針する星。「ひとり北斗を指さしつ」は、ただただ正義の実現を目指して。「指しつ」は、昭和50年寮歌集で「指さしつ」に変更された。
 「自治の光は常暗の 國をも照す北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番)
 「第二節では、一高の歴史には、強い誇りに充たされた一高精神に基づく指導力によって、濁世を救った事例が幾度も見出されることを歌い」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。
 
時のうらみのわびしらに 天のひめごと極むべく 夕幾度野に出でし 世のいつはりに露踏みて 尋ねし春も仇なれや 智慧に老いゆく涙のみ 3番歌詞 向ヶ丘の三年は間もなく終わろうとしている。このまま真理が得られないのではと心細くなったので、宇宙の真理を求めて、夕べ幾度、真理追求の旅に出かけたことか。しかし、智惠に惑わされて、むなしく探し求めた真理は得られなかった。真理を追究する智惠が衰えていくのが悲しい。
 
「時のうらみのわびしらに 天のひめごと極むべく」
 「時のうらみ」は、向ヶ丘三年があっというまに過ぎ去っていくこと。「わびしら」は、心細く、気落ちすること。「ら」は接尾語。形容詞語幹などを承けて、その状態を表す。「天のひめごと」は天が秘めて人に知らせない事柄。すなわち真理・真相。

「夕幾度野に出でし」
 真理追求の旅のこと。観念的な旅である。

「世のいつはりに露踏みて 尋ねし春も仇なれや」
 「世のいつはり」は、智惠。常識。4番歌詞の「智慧の綾衣」「鐡鎖」のことと解す。「露踏みて」は、むなしくはかないものを踏んで。むなしく。「尋ねし春」は、探し求めた真理。
 

「智慧に老いゆく涙のみ」
 「智慧」は、真理を追究する智惠。「智慧に老いゆく」は、智惠が衰える。あるいは、情熱を失って理性的になってゆく自分が悲しくなったの意にもとれる。

 「第三節では、真実を受けつけようとはしてくれない時流に対するうらみから、眼を宇宙の神秘に向け、永遠の真理を探ろうとしても、そのような知的努力も無駄に終わる悲しみを詠み」「(左傾化してゆく新人会を念頭に置けば)社会の現実から遊離した宗教的、哲学的探究の空しさを暗に歌っているとも取れよう。しかし以上は推測であり、断定はできない。)(一高同窓会「一高寮歌解説書」
智慧の綾衣(あやぎぬ)いざさらば 今ぞ鐵鎖を切り捨てゝ 久遠の理想(のぞみ)清ければ 劫火に消えぬ生命(いのち)もて さめて立てよと呼ばん時 新人何ぞ他を待た 4番歌詞 智惠で表面を取り繕って本心を包み隠すのは止めて、今こそ、自分を束縛している鎖を切り捨てよう。我らの理想は正しく清いものであるので、社会の矛盾に目覚めて起てと呼びかけられた時は、社会思想を勉強する者は、世界を焼き尽くすという劫火でも焼き尽くすことの出来ない強い使命感をもって、真っ先に起つべきだ。

「智慧の綾衣いざさらば 今ぞ鐡鎖を切りすてゝ」
 智惠で表面を取り繕って本心を包み隠すのは止めて、今こそ、自分を束縛している鎖を切り捨てよう。いい恰好などしないで、社会の制約から自由になろうの意。
 「(推測であり断定はできないとしつつも、左傾化してゆく新人会を念頭に置いて解釈すれば)階級社会の束縛を絶ち切って、の意味に解しえよう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「久遠の理想清ければ」
 「久遠の理想」は、5番歌詞の「闇の帷を開くべき 雄々しきねがひ」。すなわち済世救民の理想。具体的には、社会思想研究会が理想とする社会主義社会の実現のことであろう。現実にソビエト政権がロシアに出現し、世界の労働者、インテリゲンチアの夢は大きく膨らんだ。
 大正14年1月20日 日ソ基本条約調印(2月27日 日ソ国交回復)

「劫火に消えぬ生命もて」
 「劫火」は、人の住む世界を焼き尽くして灰燼とするという大火。「生命」は、使命感。
 「今懲罰の劫火には」(大正13年「白陽に映ゆる」3番)

「さめて立てよと呼ばんとき 新人何ぞ他を待たん」
 「さめて立てよ」は、社会の矛盾に目覚めて起て。「呼ばふ」は、こちらに注意を向けるように何度もよぶこと。「新人」は、東大新人会ないしその信奉者。一高社会思想研究会の一高生。「新人会」は、大正7年12月5日に吉野作造・麻生 久らが後援し、赤松克麿・宮崎竜介らによって結成された東京帝國大學内の社会主義思想団体。大正8年3月に機関誌「デモクラシイ」を発刊。民本主義から急激に社会主義に傾斜していった。昭和4年11月、日本共産青年同盟の指導の下に解散した。「何ぞ他を待たん」は、世の魁となって起とうではないか。
 「落暉に叫ぶ新人が 願ふ心は濁世に 維新再びあるべきぞ」(大正9年「あかつきつぐる」2番)

 「第四節では、今や新時代の若者は、そのような高踏的な知的探究は断念し、精神の自由を縛る世俗の鉄鎖をも切りすてて、世界を焼き尽くすという劫火にも消えぬ旺盛な生命力をもって、久遠の理想を目ざし、濁世との戦いに奮い立つべきことを歌っている、とでも言えようか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
闇の(とばり)を開くベき 雄々しきねがひさりながら わが行く旅の遠ければ ほのかに匂ふ月影に 胸の高鳴り語り合ふ 今宵の祭盡じかし  5番歌詞 我が人生の旅は、まだまだ遙か彼方まで続くので、暗黒の世の扉を開いて、世の中を明るくしたいという雄々しき願いは、ひとまず置いておこう。今宵は、月の光がほのかに色美しく照っているので、友と語り合うにも胸が高鳴って、紀念祭は、なかなか終わりそうにない。

「闇の帷を開くべき」
 「闇の帷」は、暗黒社会の扉。「開くべき」は、暗黒の扉を開いて、世の中を明るくすること。世直し。具体的には、資本主義社会を倒して、真に自由で平等の社会を実現すること。

「雄々しきねがひさりながら」
 「さりながら」は、サアリナガラの約。それはそのままにして。

「ほのかに匂ふ月影に 胸の高鳴り語り合ふ」
 ほのかに色美しく照る月光の下で。「匂ふ」は、色美しい照る。

「今宵の祭盡じかし」
 「盡じ」は、昭和10年寮歌集で「盡きじ」に変更された。「かし」は、強めの終助詞。

 「第五節では雄々しく高遠な願いを胸に秘めつつ、胸の高鳴りを語り合う紀念祭の夜の感激が直かに歌われている」(一同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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