旧制第一高等学校寮歌解説

月は老ゆるを知らねども

大正7年5月東寮告別歌

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1、月は老ゆるを知らねども 萩には秋の定めあり
  時あればこそ日の本の  誇の丘の舊寮も   
  世を去る今日の寂しさよ  健兒涙のなからめや

2、花散る中にそゝり立つ   古き姿のなつかしき
  薄に冴ゆる月あびて    偉大の影の尊さよ
  日出づる國に二つなき   惜しき寶の逝く日かな

3、星清くして花匂ふ      舊寮夜も灯は紅く
  窓てふ窓に友の歌     響くを聞けば故しらず
  唯感激の湧き來り      思はず仰ぐ高樓(たかどの)
*「灯は」昭和50年寮歌集で「燈」に変更された。

4、されど勇圖は遂に成り   昔を今にかへしたる
  覇者光恢のときの聲    天下に溢る今宵なり
  東寮之を聞き知りて     心安けく逝くらんか

5、よし名槍は錆をくも      傳へ殘さん名は錆びじ
  寶の寮は崩るとも      盡きぬ天下の名は一つ
  さらば我が友永久(とことは)に     語りつがんか此のほまれ
大正7年寮歌集はもちろん、大正14年、昭和3年の寮歌集にも掲載されなかったが、昭和10年寮歌集で初めて寮歌集に載った。上の原譜はその時のもの。現在の譜もこれに同じで、変更はない。*大正7年4月は平成16年寮歌集で同年5月に変更された。


語句の説明・解釈

大正7年5月27日、東寮告別式を嚶鳴堂で行う。風雪28年の三層樓取り壊しを前に、東寮告別式を歌って別れを惜しみ、東寮前庭で篝火をたき告別の宴を開いた。
 「既に舊寮改築の議なりしが此年7月東寮先づ影を失ふ。哀借の情に堪へず。」(「向陵誌」大正7年)
 「東西二寮、彌生ヶ岡に其の雄姿を現はしてより、此處に二十有八年、星は移り、人は變ると雖も巍然たる其の姿は依稀として雲表に聳え立てり。美しき幾多の傳説を有する此の歴史的建物も、歳月の力には抗すべからず、改築の議愈成りて、東寮は本年に於て、西寮、又、來年を以て、其の三層の雄姿を永へに没せんとする。其の間、育める人材の數知れず、其の功や没すべからざるものあり。何等かの方法を以て舊寮に記念せんとの聲起こるに至れり。」(「向陵誌」大正7年ー興風會記事)
 

語句 箇所 説明・解釈
月は老ゆるを知らねども 萩には秋の定めあり 時あればこそ日の本の 誇の丘の舊寮も 世を去る今日の寂しさよ 健兒涙のなからめや 1番歌詞 月は老いることがなく昔とちっとも変わりがないが、置く露に月の光をうけて美しく輝く萩の花は、秋になると散る運命にある。ものには寿命というものがあるので、この日本に誇る向ヶ丘の東寮も取り壊されることになったのは仕方がない。しかし、二度と東寮の姿が見られないのは、ほんとうに寂しい限りだ。今日、東寮に最後の別れを告げる一高健児の目に、涙がなかろうはずがない。

「月は老ゆるを知らねども」
 月は昔と変わりなく、老いることはない。
 「星は老ゆるを知らねども わが世の花は散り易し」(大正4年「廣野をわたる」4番)
 新渡戸校長の処世訓 「みる人の心々に任せ置きて 高嶺にすめる秋の夜の月」
 伊勢物語 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」
 西行 「風さそふ花のゆくへは知らねども 惜しむ心は身にとまりけり」

「萩には秋の定めあり」
 萩の花は、秋になると散る運命にある。萩から、その上に置く朝露を連想させる。朝露は朝日が射せば消えてしまう短くて果敢ない命である。明治43年の寄宿寮創立20周年記念として、桜百本とともに、校庭に萩が植栽されていた。
 落合直文 「萩寺の萩面白しつゆの身の おくつきところここに定めむ」*「おくつき」は墓所。
 藤原定家 「秋といへば空すむ月を契りおきて 光まちとる萩の下露」

「時あればこそ」
 ものには寿命というものがあるので。盛者必衰の無常、すなわち、姿あるものは、必ず消滅する。東寮もその例外ではあり得ない。

「誇の丘の舊寮」
 「丘」は向ヶ丘。「舊寮」は東寮。

「世を去る今日の寂しさよ」
 二度と東寮の姿が見られないのは、ほんとうに寂しい限りだ。「世を去る」は、哀惜の情から東寮を擬人化した表現。
花散る中にそゝり立つ  古き姿のなつかしき  薄に冴ゆる月あびて  偉大の影の尊さよ 日出づる國に二つなき 惜しき寶の逝く日かな 2番歌詞 春、東寮前の大桜樹の桜が散る中に、そそり立つ東寮の姿をもう二度と見ることは出来ない。桜の大樹は、昨年9月の台風で倒れてしまい今はなく、今日また東寮を失うのは悲しい限りである。秋、月が澄んだ光を放って白い薄の穂をゆらし、東寮を照らし出している。その姿のなんと偉大で尊いことか。我が日本に二つとない惜しい宝の東寮と今日、悲しい告別の日を迎えたのだ。

「花散る中にそゝり立つ  古き姿のなつかしき」
 春、東寮前の大桜樹の桜が吹雪く中に、そそり立つ東寮の姿をもう二度と見ることは出来ない。昨年9月の台風で桜の大樹を失い、今また東寮を失うのは悲しい限りである。
 「寮生の觀賞措く能はざりし分館横及東西二寮前の大櫻樹の倒れたるは怨殊に深きものなり。」(「向陵誌」大正6年9月)
 
「薄に冴ゆる月あびて 偉大の影の尊さよ」
 「冴ゆる」は、冷たく澄む。月の光に照らされて白い薄の穂が闇に浮かんで見えるように、東寮が月光のスポットライトを浴びて、誇らかに偉大な姿を見せている。

「日出る國に二つなき」
 「日出る國」は日本。推古7年(607年)、小野妹子は、最初の遣隋使として渡海。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を呈し、隋の煬帝の怒りをかった。*隋書では第2次遣隋使

惜しき寶の逝く日かな」
 「惜しき寶」は東寮。「逝く日かな」は、前述のとおり東寮を擬人化。
星清くして花匂ふ 舊寮夜も灯は紅く 窓てふ窓に友の歌 響くを聞けば故しらず 唯感激の湧き來り 思はず仰ぐ高樓(たかどの) 3番歌詞 夜空に星が澄んで瞬き、地に桜の花が美しい。夜が更けても東寮の窓は明るく灯がともったままで、窓という窓から、最後の別れを惜しむ友の寮歌の声が聞こえてくる。寮歌を聞いていると、何という理由もないのに、唯、感激が胸にこみ上げてきて、思わず三層樓の東寮を仰ぐのである。

「星清くして花匂ふ」
 「匂ふ」は、色美しい。「花」は桜。桜の花びらが、月、星、寄宿寮の灯の光に照らされて色美しく映えている。

「舊寮夜は燈も紅く 窓てふ窓に友の歌」
 東寮との別れを惜しみ、他寮の寮生も東寮に泊まりこんで夜通し寮歌を歌って過ごした。「燈」は、昭和50年寮歌集で「灯」に変更された。

「故しらず 唯感激の湧き來り 思はず仰ぐ高樓よ」
 「高樓」は三層樓の東寮。何という理由もないのに、感慨がこみ上げてきて、思わず東寮を仰ぐのである。
されど勇圖は遂に成り  昔を今にかへしたる 覇者光恢のときの聲 天下に溢る今宵なり 東寮之を聞き知りて 心安けく逝くらんか 4番歌詞 しかし、多年の悲願は遂に成り、昔の黄金時代を今に再現することができた。すなわち、一高野球部が早慶両野球部を遂に降し、再び天下の覇権をこの手に握ったのだ。今宵は、覇者奪還の勝鬨をあげる一高生の声が天下に響き渡っている。東寮もこれを聞いて心安らかに逝くことであろう。

「されど勇圖は遂に成り 昔を今にかへしたる 覇者光恢のときの聲 天下に溢る今宵なり」
 しかし、多年の悲願は遂に成り、昔の黄金時代を今に再現することができた。覇者奪還の勝鬨が天下に響き溢れる今宵である。「光恢」の恢は、恢復(かいふく)の恢で光を回復するの意。すなわち、早慶から野球部の王座を奪還したことをいう。

「『光』は『さかえ(栄)』、『恢』は『とりかえす』の意味であり、『栄光を取り戻す』ことを表現している」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
「『光恢』の例を見ず。『光』も『恢』も大きい、広いの意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 永く低迷を続けていた一高野球部が名投手内村裕之を擁し、対三高(大正7年4月6日10-1)、対早稲田(5月4日7-0)、対慶應(同18日4A-0)の各戦に勝利し、15年振りに天下の覇権を奪還したことをいう。その喜びが如何に大きかったかは、5月26日、恵比寿ビール庭園で開かれた野球部戦勝祝賀会に先輩・生徒が1000名も参加したことでも分かる。
 「3月 雪景色の中に記念祭も樂しく過ぎて野球部征西の軍を送り續いて柔道部選手團北征の行を盛にす。向陵花深うして時漸く多事ならんとす。
 4月 北征の師時非にして敗れたれ共西下の軍意氣大いに擧り茲に積年の怨を晴らす。越えて5月、斯界の重鎮たる早慶両大學チームを零敗せしめて天下の覇権を握る。」(「向陵誌」ー大正7年)

「ついに慶應をも撃破した一高應援團一千は、隊伍を整え、三田の球場から寮歌を高唱しつつ球場前広場に向かった。宮城前で両陛下の万歳を三唱して解散し、午後9時から向島のサッポロビール庭園で大祝賀会を開いた。集まる者三百余。祝賀の演説と寮歌と凱歌と、そして乱舞が続いて12時閉会。先輩青木得三は、『白旗と太鼓の力で勝ったのではないことを百六十万市民の前に絶叫せねばならぬ』と演説した。
 散会するや、深更の浅草から上野まで街頭ストームに踊り狂った。この夜、委員は強硬な電灯係・須藤伝次郎教授と折衝を重ね、ようやく午前3時までの点灯延長を許可してもらった。向陵には払暁まで祝勝ストームが吹き荒れたことはいうまでもない。」(「一高應援團史」)

「心安けく逝くらんか」
 東寮も野球部覇権奪還の報を聞き、心安らかに逝くことであろう。「か」は否定を含まない推量の助動詞「らむ」を受け、疑問の意はやわらぎ感嘆の意となる。「逝くらんか」は、前述のとおり東寮を擬人化した表現。
よし名槍は錆をくも 傳へ殘さん名は錆びじ 寶の寮は崩るとも 盡きぬ天下の名は一つ さらば我が友永久(とことは)に 語りつがんか此のほまれ 5番歌詞 たとい名槍がさびてしまってもかまわない。伝え残す名前は、決して錆びることはない。そのように宝の寮が崩れ去ろうとも、天下に東寮という名は一つ、その名は永遠に忘れられることはない。そうであるから、我が友よ、東寮の名を誇り高く永久に語り継いでいこうではないか。

「よし名槍は錆をくも」
 「よし」は、形容詞ヨシの転用の副詞。たとい・・・でも(かまわない)。「名槍」は東寮を喩える。
 端唄「槍さび」を踏まえる。
 「槍は銹びても名はさびぬ 昔ながらの落しざし」(明治42年「緋縅着けし」7番)
 端唄『槍さび』 「槍はさびても名はさびぬ 昔忘れぬ落とし差し」
 江戸時代の文政年間(1818~1830)の流行歌「与作踊り」の音頭をもとに、幕末に歌沢笹丸が歌詞を改め、節付けしたものという。主家を去り、禄を失った侍の意気地をうたう。

「寶の寮は崩るとも」
 日本の宝ともいえる東寮が取り壊されても。

「さらば我が友永久に」
 「さらば」は、「さあらば」で、そうであるから。
                        

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