第6回、第7回と恐竜の定義、進化と絶滅、鳥への進化、恐竜恒温説について触れてきました。これらは恐竜をめぐる話題の中でもとくにホットなものですので、ずいぶんと気合を入れたレポートになりましたが、これからは新館恐竜展示室の個別の紹介となります。
まずは、肉食恐竜から。
1.「大恐竜展〜失われたゴンドワナの支配者たち」 in 1998
この国立科学博物館新館は完成した1998年に「大恐竜展〜失われた大陸ゴンドワナの支配者たち」が開催された。これは南半球ゴンドワナの恐竜を大体的に紹介するもので、南米・アフリカ・オーストラリアのあまり日本で紹介されていなかった恐竜たちが一同に会した。1999年に常設展示がオープンした時に、ゴンドワナの恐竜の一部も展示されることになったのである。
以下は98年に展示された恐竜の一部である。これらは部分骨格(頭骨など)は、現在常設展示に引き継がれている。
(画像は当時の図録より)
(ギガノトサウルス全身骨格:南米アルゼンチン産:白亜紀、”無駄に太ったアロサウルス”っていう印象である。)
(アフロベナル全身骨格:ニジェール(アフリカ)産:白亜紀) (デルタドロメウス全身骨格:ニジェール(アフリカ)産:白亜紀)
(マラウィーサウルス全身骨格:ニジェール(アフリカ)産:白亜紀)
2.最大の肉食恐竜:ギガノトサウルス&カルカドロンサウルス
史上最大の肉食恐竜といえば長らくティラノサウルスが保持していたが、1990年代に入り南半球の旧ゴンドワナ大陸に属していた南米やアフリカ、インドの発掘調査が進むにつれ続々とティラノサウルスを超える巨体を持つ巨大肉食恐竜が発見されてきた。一時期はインドのブルスカヨサウルスのように体長40m(それじゃ怪獣とほとんど変わらない)という大物も報告されたが、ある程度全身の骨格がそろって見つかっているのはカルカドロンサウルス科のギガノトサウルス、カルカドロンサウルスである。
【ギガノトサウルス&カルカドロンサウルス頭骨】
国立科学博物館の新館の常設展示ではこの二大恐竜の頭骨が展示されている。
(結局、超大型肉食恐竜ブルスカヨサウルスについては後でカミナリ竜の骨を誤認していたことが判明しました。)
(ギガノトサウルス頭骨) (カルカドロンサウルス頭骨)
ギガノトサウルスは白亜紀半ば9750万年前〜9100万年に南米に生息し、カルカドロンサウルスはほぼ同時期にアフリカに生息していた。
共に体長約13m、ティラノサウルスが体長12〜13mだから最大の肉食恐竜の一つである。系統的には両者は非常に近く、分類ではアロサウルスに近いテラヌタ類になる。つまり、彼らはジュラ紀の巨大肉食恐竜の子孫にあたる。
頭骨の大きさはティラノサウルスよりもギガノトサウルス、カルカドロンサウルスが若干大きい。2mぐらいあるのではないだろうか。が人間を人のみにできるように見えず、全体として華奢な印象を受ける。
またギガノトサウルスの頭骨は近縁のカルカドロンサウルスに比べ不自然に後ろに長い印象をうける。カルカドロンサウルスはほぼ完全な頭骨化石が見つかっているので、ほぼ正確な復元といっていいだろう。それに比べギガノトサウルスは目の後ろの穴が不自然に大きい。この部分は化石が見つかっておらず、世界最大のタイトルを取るため復元の際、意図的に大きさ水増しさせたと言う疑惑があると言われている。
(参考:テイラノサウルス頭骨)
【ギガノトサウルスVSティラノサウルス】
ギガノトサウルスとティラノサウルス戦ったらどちらが強いのだろうか?
これは科学的に無意味な問いである。
ギガノトサウルスは白亜紀中期の約9500万年前、ティラノサウルスは6500万年前の白亜紀末期に生息し、両者には3000万年の時間差が存在する。また生息域もギガノトサウルスが南米、ティラノサウルスは北米と地理的な違いも
ある。
しかし、ジュラシックパークのようなフィクションでは両者の対決は興味の尽きない話題だ。実は、化石記録から推測される両者のライフスタイルから対決の結果を推測することは可能である。そのキーとなるのは彼らの歯である。
左の写真はティラノサウルスとカルカドロンサウルスの歯の比較展示のコーナーである。
ギガノトサウルスもそうだが、カルカドロンサウルス歯の断面は薄い板状になっている。これは、剃刀のように肉を引き裂いたり、骨から肉をそぐのに適した形である。強度の方はあまり強くない。また肉や内臓を主に食したのでアゴの筋肉はさほど発達していなかっただろう。
また彼らの獲物はタイタノサウルス科やアルゼンチノサウルスといったカミナリ竜である。彼らは図体はでかいが特に角やヨロイといった武装を持っているわけではない。南米にサルタサウルスのような装甲したカミナリ竜が登場するのは、ギガノトサウルスよりもやや後の時代である。よって、カミナリ竜らに対向するためにはある程度彼らにあわせて巨大化しておけばいいのである。また、彼らはジュラ紀に大型化の道をたどったテラヌタ類の子孫であるため、巨体で体温を維持する慣性恒温動物であったのだろう。そのため彼らは巨体の割りに以外と小食だったか知れない。また彼らの獲物になるカミナリ竜は大物も多く一度狩りに成功すれば十分という生活を送っていたのだろう。そういった条件であればあまり戦う能力を発達させる必要はなかったと思われる。
一方、ティラノサウルスの歯の断面はD型になっている。これはティラノサウルス類の特長であり、白亜紀前期の祖先動物も同じ特長を持っている。これは、どうやら骨まで噛み砕いて食べるための適応のようである。「T・REXの糞はトリケラトプスの骨の塊だった。」と糞化石の研究家カレン・チンも語っている。骨は肉よりも栄養価が高いと言われてる。祖先動物から歯の進化が始まっていたということから考えると、どうやらティラノサウルス類は進化の初期の段階から骨を食べることへの適応を指向していたようである。この歯は骨を噛み砕くためのものなので、当然強度はある。またティラノサウルス類のあごの筋肉は骨を恐ろしいまでに発達している。一説にはティラノサウルス、の目が正面を向いているのは、ものを立体的に見るためではなく、アゴの筋肉が発達しすぎたために目が前を向くようになったと言う説もあるくらいである。
また、ティラノサウルスはおもに口を使って狩をしたといわれ、かなり戦闘能力はかなりのものがあったと考えられる。しかし、一方ではジャック・ホーナー博士のように骨を砕くための適応はティラノサウルスがハイエナのような死体掃除人だった証拠だったと考える研究者もいる。しかし、現生生物の観察でもハイエナも狩りをするし、ライオンがハイエナの獲物を強奪することも多いという。(むしろライオンが強奪を行うほうが多いとの観察結果もある。)このような、ことからティラノサウルスもハンター兼死体掃除人と言うような生態だったと考えるほうが自然であろう。その場合、ティラノサウルスはトリケラトプスのような武装した大型の角竜を獲物とし、また他のティラノサウルスや肉食恐竜から獲物を強奪するようなライフスタイルを持っていた可能性が高い。死体掃除人であっても戦う生物として進化する圧力はあったようだ。
ここまで見ればおおよその勝敗は予想できるだろう。ティラノサウルスはギガノトサウルスよりも強力なアゴと歯と言う武器を持ち、戦うために進化した。勝負は完全にティラノサウルスの勝利になるに違いないだろう。
ここ国立科学博物館新館にもティラノサウルス・レックスの骨格標本が展示されている。展示の標本はお台場のダイノソアファクトリーと同じく雄の”スタン”であり、東京では2箇所で同じ個体の標本を見ることができるのである。しかし、国立科学博物館ではティラノサウルスの起源、生態を考えさせる展示がされており。他の標本との比較が容易にできるところがうれしい。
以下でティラノサウルスの起源と生態について見ていってみよう。
以下は全身骨格写真と頭骨の分解展示の様子。
頭骨の分解展示をみて分かるように恐竜の頭骨はいくつかの骨の集合体で、割と柔軟な構造に
なっている。
1.ティラノサウルスの起源
ティラノサウルスはこれまでアロサウルスなどジュラ紀の大型肉食恐竜の子孫と言われてきたが、最近の研究の結果ジュラ紀の大型肉食恐竜とは類縁関係はなく、小型のコエロサウルス類が北半球での大型肉食恐竜の絶滅後に生態系の空白を埋めるために巨大化したという説が有力である。
右の図はイギリスのワイト島の白亜紀前期(1億2000万年前)の地層から発見されたティラノサウルスの祖先恐竜:エオティラヌスの復元骨格である。体長4mでティラノサウルの1/3の大きさである。前足の指は3本あり、すねの骨が長いため早く走ることができただろう。おそらく小型の恐竜や動物を追いかけて捕らえる生活をしていたと考えられる。また、彼らはすでにティラノサウルス類特有のD字型の断面をした歯や口の大型化が始まっている。どうやらこの頃から骨まで砕いて食べる生活をしていたようである。
このほか、同じ白亜紀前期(1億1900万年前〜1億1300万年前)のタイの地層からシャモティランヌスという体長5mほどのティラノサウルス類の腰と尾の化石が発見されている。これはティラノサウルス類としては最古のものである。同じく日本の白亜紀初期(1億4000万年前)の手取層桑島化石壁(石川県)からは、ティラノサウルス類と思われる歯の化石が見つかっている。歯の大きさか推測するに体長3mぐらいの小型恐竜だったらしい。このようなことからティラノサウルスの起源はアジアではないかと言う説もある。しかし、ポルトガルのジュラ紀の地層からAviatyrannis jurassica (アヴィアティラニス・ジュラシカ)というティラノサウルスの祖先恐竜の化石が見つかったと言うニュースが伝えられた。またアメリカ(ユタ州)のジュラ紀の地層から腰の骨の化石が発見されたStokesosaurus(ストケソサウルス?) もティラノサウルスの祖先恐竜の一種では問いいわれている。どうも”ティラノサウルスのアジア起源説”は怪しくなってきたが、その起源はジュラ紀までさかのぼれるのは確実なようである。
【参考】
1.日本の恐竜(手取層群:白亜紀初期〜前期)
ティラノサウルス類の歯が見つかった同じ桑島化石壁からはドロマエオサウルス類やオビラプトル類など白亜紀の恐竜の化石のほかに、三畳紀に繁栄した獣弓類の化石も見つかっている。当時は新旧の動物が入り混じった複雑な生態系だったらしい。
ただし、見つかったティラノサウルス類は生態系の頂点に立つと言うわけではなかったようである。なぜなら、彼らが生きていた時代はアロサウルスの仲間のフクイラプトルが生態系の頂点に立っていたのだ。
このほか福井、石川、富山、岐阜の4県にまたがる手取層群から見つかっている恐竜はイグアノドン科のフクイサウルス、初期のティタノサウルス類と思われるカミナリ竜、ヒプシロフォドン類、初期の角竜の仲間、トウジャンゴサウルスに似た剣竜など多様な恐竜の化石が見つかっている。
興味深いことだが、エオティラヌスが発見されたワイト島でも同じような恐竜が見つかっている。やはり似た様な環境であったの
だろうか?
2.日本の恐竜(双葉層群:白亜紀後期)
日本でティラノサウル類の化石が見つかっている地層はもう一つ福島県の太平洋沿岸、いわき市から広野町に広がっている双葉層群がある。双葉層群は約8000万年万年前の白亜紀後期の地層であり、第2回〜第3回で取り上げた神流町恐竜センターに展示されているヴェロキラプトル、プロトケラトプス、フォマレケファレ、モノニクス、サイカニアといった恐竜たちが生きていた時代とほぼ同時代である。ここではフタバスズキリュウ、イワキリュウのような首長竜やモササウルスなどの海竜やアンモナイト、サメの歯化石が見つかる。(鉄腕DASHで発掘していたのもフタバスズキリュウに近縁な首長竜である。またTVに出ていた高橋先生は地学の先生で管理人が高校生のとき授業を受けていたのである。)ここは海で堆積した地層なのである。
しかし、虫入りの琥珀の化石や木の葉、流木の化石も見つかるので、近くに森があったようである。そして、その森に生息していた恐竜の化石も見つかっている。ハドロサウルス類のヒロノリュウ、カミナリ竜のヒサノハマリュウ、そしてティラノサウルス類のフタバリュウである。フタバリュウはスネの骨が見つかっているが大きさから子供の化石と見られている。子供の化石があるということは案外、彼らは日本で繁殖していたのかもしれない。
・日本の恐竜化石についてはこちらを参照してください→日本の恐竜データベース
3.タイの恐竜事情
タイでは白亜紀初期〜前期の地層からシャモティラヌスのほかに、スピノサウルス類、プシッタコサウルス、分類不明なカミナリ竜:プウィアンゴサウルスの化石が見つかっている。東南アジアは白亜紀、北半球:ローラシア大陸の南岸にあり南半球のゴンドワナ大陸との境界にあった。また、これまで東南アジアでは恐竜の研究はされておらず、今後研究でティラノサウルスの起源だけではなく、アジアのカミナリ竜の進化、当時の南半球:ゴンドワナ大陸と北半球:ローラシア大陸の恐竜の分布の謎をとく鍵になるのではと期待されている。
・サイエンスライター金子隆一氏のタイの恐竜についての詳しい考察はこちら。
・SF作家:野尻抱介先生のタイ恐竜レポートはこちら
で、ここまで見てもらってティラノサウルス類の起源がジュラ紀までさかのぼり、祖先はそんなに大きな動物ではないと言うことがご理解できたと思う。そこで、次に思い浮かぶのはティラノサウルスはどんな動物から進化したのだろうかという疑問である。
国立科学博物館ではある仮説を自分の目で確認できるような展示がされている。
上の写真は右がティラノサウルスの足の甲、左がダチョウ恐竜ストルチムミスの足の甲の模型である。ちなみにその隣にあるのはディノニクスの足の甲の模型である。ストルチムミスの模型で青く色が塗られている足の甲の真ん中の骨に注目して、ティラノサウルスの足の甲を見てほしい、左右の骨に挟まれてているのが分かると思う。ディノニクスの足の甲にはそのような特徴はない。またアロサウルスでも同様である。このことはティラノサウルスとディノニクスが同じ特長を共有する仲間であることを示している。このほかダチョウ恐竜とティラノサウルスは腕の骨、手の爪の形などで共通点をもつ。
信じがたいことだがダチョウ恐竜とティラノサウルスは共通の先祖を持った仲間と考えられるのだ。
どうやら彼らは共通の先祖は早く走ることに先ず適応し、その後、骨まで砕いて食べる肉食動物のティラノサウルス類とより速く走ることに適応し、雑食性から草食性に進化したダチョウ恐竜に分かれたようだ。
最近中国で発見された羽毛恐竜:シノサウロプテリクスはティラノサウルスとダチョウ恐竜よりも原始的な特長を残している。またティラノサウルスとダチョウ恐竜よりも進化した特徴を持つテリジノサウルス類のベイヒャオサウルスでも羽毛の存在を確認されている。進化の前後の系統で羽毛が確認されていると言うことはティラノサウルスにも羽毛が生えていて、恒温動物であった可能性が高い。
ティラノサウルスが恒温動物だとしたら、同じ体重の慣性恒温動物のギガノトサウルスに比べ大量の餌を必要としただろう。また効率良く栄養を取る必用があっただろう。そのため彼らは骨を砕いて食べるための適応を進化の早い段階で遂げていたのかもしれない。ただ、ティラノサウルスは巨大化するにつれ効率の悪い生き物になっていたのだろう。彼らは巨体を維持するために大量の餌を必要としたため、もし生態系のバランスが崩れ餌となる草食恐竜の数が減るようなことがあればすぐに絶滅の危機にさらされただろう。
最強の生物であったティラノサウルスも自然の微妙なバランスの上に繁栄していた、危うい存在だったかもしれない
2.ティラノサウルスはどのくらい早く走れたのか?
映画「ジュラシックパーク」ではティラノサウルスが車を猛スピードで追いかけたり、猛ダッシュで逃げるダチョウ恐竜のガリミムスを追跡して狩りをする場面があった。
しかし、そんなことは可能なのだろうか?
アメリカスタンフォード大のジョン・ハッチソンの試算ではティラノサウルスが時速40〜70km(自動車なみのスピード)で走るためには全身の筋肉の40%以上(場合によっては90%)を足に集中する必要があるとのこと。それはあまり現実的ではないので、現在の動物の筋肉量をもとに計算すると時速20〜24km(自転車程度のスピード)になるという。つまり、車であれば確実に逃げれて、自転車では全力でぎりぎり、走って逃げる場合はOUTというスピードである。
国立科学博物館の展示でもティラノサウルスが本当に早く走れたかどうかを骨格から推論できるような展示がされている。
写真は右から1枚目がティラノサウルスの後ろ足、2枚目の手前がデルタドロメオスの後ろ足、奥がアフロベナルの後ろ足、3枚目がトリケラトプスの全身骨格である。
一般に骨からその動物が早く走れるかどうか判断するためには、爪先立つの場合、モモの骨(大腿骨)とヒザより下の骨の長さ(スネの骨+足の甲の長さ)の比率で決まると言う。つまりモモの骨よりもヒザより下の骨が長ければ長いほど早く走ることに適しているのである。
早く走る事に適応したデルタドロメオスの場合はヒザから下のスネと足の甲の骨の長さが長くなっている。一方、あまり早く走れなかったアフロベナルはモモの骨が長い。これを参考にティラノサウルスの後ろ足を見ると、その比率はのモモの骨が長くデルタドロメウスよりはアフロベナルに近い。つまり、ティラノサウルスは骨から見てもあまり足の速い動物ではないことが分かる。たぶん、ジョン・ハッチソンの試算のとおり時速20〜24km(自転車程度のスピード)しか出せなかったのだろう。
しかし、それはティラノサウルスがのろまな生き物であったということではない。
彼らはそれで十分だったのだ。
トリケラトプスの骨格を見てほしい。彼らは同じ4本足の現生動物の馬や鹿とは違いモモの骨が長く、スネの骨が短い。ティラノサウルスと比べても比率がモモの骨に偏っているのがお分かりになるだろう。彼らはのしのしとゆっくりと動く動物だったと考えられる。そして、トリケラトプスは白亜紀末期(6500万年前)の北米でもっとも数の多い草食動物であった。たぶん、彼らがティラノサウルスの生活を支える獲物であったろう。
ティラノサウルスから見れば鈍足だが角で武装したトリケラトプスを獲物にする場合、俊足よりも頑丈で巨大な体が必要とされたに違いない。その、傍証として玄関ホールのタルボサウルスと比較してみると、タルボサウルスはティラノサウルスよりも華奢だが、スネの骨が若干長いように見える。タルボサウルスの生息した白亜紀後期のモンゴルにはトリケラトプスのような大型の
角竜は生息してなかったので、サウロロフスのようなハドロサウルス類を餌にしていたと思われる。ハドロサウルス類は角竜のような武装はないが角竜よりは足が速かったので、タルボサウルスは頑丈な体よりも俊足を優先させる進化を遂げたと思われる。それに、エオティラヌスの骨格図をみて分かるようにティラノサウルス類はもともと足の速い動物だったのだ。ティラノサウルスが時速20〜24km(自転車程度のスピード)しか出せないのは、環境に適応した結果なのである。
もっとも自転車に乗ってティラノサウルスから追われる図も、映画としてはさまになっていると思うのだが・・・・・・・
3.ティラノサウルスの生態:獰猛なハンターか?それとも死体掃除人か?
これまで見てきたティラノサウルスの情報を改めて整理してみよう。
@ティラノサウルスは骨を噛み砕くような強いアゴと歯を進化させている。
Aティラノサウルスはコエロサウルス類の恐竜が大型化したものでダチョウ恐竜と近縁である。
Bまた系統関係から恒温動物の可能性が高い。そのため巨体を維持するためかなりの量の餌を必要としたと思われる。
Cティラノサウルスは足が遅く。時速20〜24km(自転車程度のスピード)しか出せなかった。
Dティラノサウルスが生息していた時代の北米では鈍足だが角で武装したトリケラトプスのような角竜が数多く生息していた。
E角竜はティラノサウルスの生活を支える餌であり、それにあわせてティラノサウルスは頑丈な体を進化させた。
これらのことからティラノサウルスの生態について2つの説が出ている。
@死体掃除人説
A獰猛なハンター説
これら上記の情報を元に検証してみよう。
@死体掃除人説
この説の根拠は
@ティラノサウルスは骨を噛み砕くような強いアゴと歯を進化させている。
Cティラノサウルスは足が遅く。時速20〜24km(自転車程度のスピード)しか出せなかった。
である。このほか前足が小さすぎて役に立たなかったといのも根拠に挙げられている。この説はマイアサウラの発見者:ロッキー博物館のジャック・ホーナーが唱えている説である。確かに説得力のある説である。しかし、ティラノサウルスが恒温度物だった場合、食料が十分に足りたか疑問である。
しかし、エネルギーの節約のため反撃の危険のない死体から食べたと言うのは十分にありうる。たぶん彼らの空腹を満たすだけの死体があれば彼らは敢えて狩りをしなかったのかもしれない。もしくは、十分に成長したティラノサウルスはその巨体を生かし他のティラノサウルスや他の肉食恐竜の獲物を強奪することもあっただろう。この場合、ティラノサウルスや他の肉食恐竜が戦いの相手となる。おそらく獲物をめぐってのティラノサウルスや肉食恐竜との戦いは頻繁にあっただろう皮肉なことだが、死体掃除人のほうが戦闘生物として進化する圧力は強そうである。
A獰猛なハンター説
これは従来から言われている説である。根拠としては
Dティラノサウルスが生息していた時代の北米では鈍足だが角で武装したトリケラトプスのような角竜が数多く生息していた。
E角竜はティラノサウルスの生活を支える餌であり、それにあわせてティラノサウルスは頑丈な体を進化させた。
が挙げられる。もし恒温動物であれば体を維持するエネルギーを得るためどうしても狩りをする必要があり。また主に角竜を間引く役割がティラノサウルスに生態系の中で与えられていたのだろう。
しかし、彼らはハンターだったとしても、現在の肉食恐竜そうであるようにエネルギー節約のため死体が目の前にあれば多少腐りかけでも食べただろうし、獲物も主に子供や老体、病気の個体から襲ったと思われる。だから成体のティラノサウルスとトリケラトプが真正面から対決ということは、よほどのことはない限りなかったと思われる。
ブラックヒルズ地質学研究所のピーターローソンによって発掘されたメスのティラノサウルス「スー」の研究により、ティラノサウルスが体の大きいメスを中心に家族単位での群れを形成し、傷ついた個体の面倒をみるほどの高度な社会性があった可能性が指摘されている。もし、健康な大人のトリケラトプスを襲うとしたら、群れで襲ったのかも知れない。
ティラノサウルスは1980年代以降完全な骨格が発見され、1990年代以降に恐竜生態の研究が進んだ恐竜である。
だから詳しい生態については今後の研究に負うところが大きい。
しかし、どの説をとってもティラノサウルスが戦闘生物として進化しなければなら中なかったのは、確かなようである。
・ティラノサウルス「スー」の物語についてはこちら。
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3.第9回 国立科学博物館〜新館:カミナリ竜とハドロサウルス〜
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