(1億年前の羽毛の化石。鳥のものか恐竜のものかは不明。左右対称なので飛翔用ではないようだ。)
日本恐竜紀行第6回「恐竜の進化と絶滅」でも述べたが、鳥は恐竜を定義する特長をすべて備えている。逆に鳥を定義する特長(恒温性、羽毛、叉骨)をもった恐竜も発見されている。恐竜と鳥の区別は難しい、というか事実上不可能である。つまり、鳥は恐竜の一部、鳥=恐竜と考えることができるのである。つまり、恐竜は絶滅してなく我々のすぐそばでいつも生きているのだ。
では恐竜はどのような道をたどって鳥になったのだろうか。その疑問についても新館の展示はヒントを与えてくれる。
1.鳥への道
【ドロマエオサウルス類:バンビラプトル?】
(正面から撮影) (側面から撮影)
【始祖鳥:アルケオプテリクス】
(3Dの組み立て標本) (羽毛の痕跡が有名なベルリン標本、旧館に展示)
【鳩の骨格】 【恐竜と鳥】
(空を飛んでいる状態のハトの骨格) (手前が恐竜で奥が鳥、進化の流が連続して見れるように工夫されている)
新館には恐竜→始祖鳥→ハトと連続して骨格を比較できるように展示されている。写真を見ていただければお分かりになると思うが、恐竜(ドロマエオサウルス)と始祖の鳥骨格は驚くほど似ている。また始祖鳥とハトの骨を見比べてみると
以下のような特徴が見ることができる。
・足の甲の骨がまとまっている。(この特長はドロマエオサウルス類やティラノサウルスにも共通)
・胸の骨の上に叉骨(羽ばたく際にバネになる骨)がある。(これもドロマエオサウルス類やティラノサウルスとも共通)
・手首の骨が丸く、腕=翼を折りたためる。(これもドロマエオサウルス類とも共通)
・肩の関節が横を向き腕=翼を横に広げることができる(これもドロマエオサウルス類とも共通)
そのた、これが重要だが形は違うが基本的にハトにある骨(胸の骨、腰の骨など)はくちばしを除き、形は大きく違うが一通り始祖鳥も持っている。このことは逆に長い尻尾や歯といった恐竜と始祖鳥の共通部分がハトでは失われているものの、始祖鳥とハトは形は違うが共通のパーツで形成されているのである。しかも、そのパーツは恐竜も持っているのである。またハトが恐竜を定義する特長をすべて持ていることは先ほど述べたとおりである。
つまり鳥は空を飛ぶという適応のために恐竜の持つパーツの形を変形させ、必要のないものはすてたのである。このようなことから、鳥は飛ぶために進化した恐竜といえるのである。
2.関節は語る翼の歴史
鳥の翼は恐竜前足が進化したものである。
鳥を見れば分かると思うが、鳥は飛ぶとき翼を体の横に大きく広げ、それを肩から上下に動かして羽ばたき、地上では翼を折りたたむ。当たり前のことだがこのような動作をするためには肩の関節と手首の関節にかなりの自由度が必要になってくる。
鳥が空に羽ばたくためには関節の進化が必要であった。そしてその進化は恐竜から引き継いだものであったのだ。
【手首の関節】
右の写真は恐竜の手首の関節の比較を表している。
手前が最初の恐竜ヘルレラサウルスの手首。奥がディノニクスの手首になる。ディノニクス自体の紹介はあとで詳しく行うが、ディノニクスが属するドロマエオサウルス類やトロエドンといった獣脚類はマニラプトラ類と分類され、鳥類に系統的に一番近い恐竜とされている。
この展示では両者の手首の動きを解説している。
先ずヘルレラサウルスの動きだが、彼らの手首は上下方向にしか動かない。つまり招き猫のようにしか手首が動かせないのだ。彼らの手首は単純にものを上から押さえるといった動きしかできなかったのである。
一方、ディノニクスでは手首の骨が(写真で黄色くなっている部分)丸くなっており、そのおかげで上下左右、つまり半球状にに自由に動かすことができる。これによって彼らは鳥が翼を畳むように腕を曲げることができた。おそらくこれは獲物を効率的につかんだり、抱え込んだりするのに有利だったのだろう。意外と、翼が翼として機能するための要件は恐竜が別な目的で発達させていたのかもしれない。
【肩の関節】
(右:ディノニクスの肩関節、左:ティラノサウルスの肩関節『撮影場所:ダイノソアファクトリー』)
上の写真はディノニクスとティラノサウルスの肩関節の比較である。
ディノニクスは肩の関節の面が大きく、立体的になっていて、横に向けてついているように見える。かなり腕を上下左右に半球状な自由度の高い動きができることが予想できる。これは翼を羽ばたかせるためには必要な動きだ。
一方、ティラノサウルスの肩関節は斜め後ろについている。関節面も小さい。ディノニクスと比較すると予想される動きの範囲が小さいと思われる。おそらく後ろにはある程度動くが、前や横の動きは制限されただろう。
3.鳥はどうして飛んだのか?
ここまでで鳥の羽ばたきに必要な関節の動きは、鳥類に近い恐竜ですでに実現されていたことが分かっていただけたと思う。羽毛もまた最近の羽毛恐竜の発掘で、飛ぶこととは関係なく恐竜の特長として発達してきたことが分かってきた。鳥が飛ぶことは羽ばたきと羽毛というどちらかと言うと別々に進化してきた要素が合わさったときに副次的に生じたと言えるのである。つまり、鳥は最初から飛ぶことを目指して進化したのではなく、たまたま飛ぶことができ、それが生き残るのに有利だから飛ぶ能力を発達させたと言うことである。
【恐竜恒温動物説と羽毛の起源】
羽毛については、もともと小型のコロエサウルス類で発達したことが分かっている。
恐竜は恒温動物だったかどうかについては、議論が分かれている。もしかしたら、誕生した当時恐竜は恒温動物としては不完全な生き物だったのかもしれない。三畳紀の厳しい環境の中でエネルギーを大量に消費する恒温性の獲得は有利な進化とはいえないだろう。高温で乾燥した時代、急いで成長するために子供時代に高い代謝を維持するために恒温性を持つことは有利だったかもしれない、しかし成長しきったらエネルギーを消費するだけの恒温性は邪魔ではなかったのだろうか?だから、最初期の恐竜たちは完全な恒温動物でなかったがために繁栄のチャンスをつかんだに違いない。子供の時代は成長のため高い代謝率を持っていたものの、大人になると代謝がさがり変温動物とおなじレベル、もしくは巨大化によって慣性恒温動物になったのではないだろうか。
しかし、恐竜の一部には子供時代の恒温性をそのまま維持した種族がいたのではないだろうか。その代表選手はコロエサウルス類ではないだろうか。彼らは羽毛で体を保温することで無駄なエネルギー消費を抑えようとしたと考えられる。
【参考】
(慣性恒温性)
変温動物でも体が巨大なものは体温の変化がほとんどない。湯飲みのお湯と風呂の湯では量の多い風呂のほうがさめにくいのと同じ理屈である。現生動物での分かりやすい例としてはオサガメ(全長2mの海亀)は巨体ゆえに他の海亀にくらべ体温変化が少なく、ベーリング海や北海、バレンツ海など北極圏に近い海域でも活動できる。オサガメよりも巨大な恐竜が巨体故に体温が一定だったと考えられる。
(変温動物と恒温動物:巨大竜脚類の場合)
理科の教科書では恒温動物が変温動物よりも優れているように書いてあるが、必ずしもそうではない。
たまたま現在の地球では恒温動物のほうが生きやすい環境なため、繁栄しているだけである。変温動物も恒温度物よりも優れた面もかなりあるのだ。例えば、変温動物には恒温動物に比べ食事の量が少なくてすむというメリットがある。それは恒温動物が体温を維持するためにエネルギーを必要とするため食事の量を増やす必要があるのだ。一説には変温動物は体重が同じであれば恒温動物の1/10ですむという。
これを恐竜、とくに大型の竜脚類(カミナリ竜)に当てはめて考えてみよう。
三畳紀〜ジュラ紀〜白亜紀前期と中生代の大半の時代に優勢であったシダ植物、裸子植物(針葉樹など)は被子植物よりも栄養価が低いという。恐竜の巨大化の一つのピークはジュラ紀後期であり、この時代は栄養価の低いシダ植物、裸子植物しかないと言う状況であった。もっとも被子植物もこの時代からわずかではあるが存在した。しかし、巨大竜脚類から見ればないも同然のものだった。
もし、ブラキオサウルスやセイスモサウルスのような巨大竜脚類が恒温動物だったと考えたら、彼らは巨体を維持するために変温動物の場合の
10倍という膨大な植物を消費したに違いない。また栄養価が低いためその量は半端ではなかっただろう。ただ食べるためだけに時間を費やすこととなったのだろうが、ほんとうに間に合ったのだろうか?しかし、化石記録を見ると同じ地域の中に多くの種類と、かなりの個体数が存在したようである。つまり彼らが恒温動物だったら生態系にかなりの圧力になったのではないだろうか?もし竜脚類が恒温動物ならば疑問点が多い。しかも、彼らにとって恒温性が有利な適応とは思えない。
むしろ、彼らは基本的に少食ですむ変温動物で、巨体によって体温を一定に保つ慣性恒温動物であったとしたらどうだ個体数をろう。少ない食料で活発な活動ができたのできたと考えられる。生態系に圧力を加えない程度に多様な種と個体数を維持できたのではないだろうか。
このように考えてみると、必ずし恒温動物が有利と言うわけではないようである。
【余談:系統&大陸別の恐竜恒温動物説】
余談だが、当初恐竜は不完全な恒温動物だったとしても、結局のところ比較的に早い段階で巨大化した竜脚類を除いて多くの恐竜が恒温動物だったのではないだろうか。小型の恐竜から進化しているものの多くは祖先の段階で恒温性を獲得してしまったかも知れない。白亜紀の北半球の主な恐竜の系統は小型恐竜から進化した。だから、白亜紀の北半球多くの恐竜は恒温動物だったかもしれない。
例えばトリケラトプスなどの角竜。彼らの祖先動物はプシッタコサウルスのような小型恐竜だった。プシツタコサウルスから羽毛のような痕跡が見つかったと言う情報もある。トリケラトプスに羽毛があったとは思えないが、彼らが効率よく咀嚼できるシステムを発達させたのは必要とされるエネルギーを得るための適応だったのかも知れない。ハドロサウルス類のデンタルバッテリーも同じ理由での適応かもしれない。
一方、比較的早期に祖先が大型化した南半球の恐竜:竜脚類やケラトサウルス類などは恒温動物ではなかったものも多かったのかもしれない。
このように恐竜が恒温動物だったかどうかは祖先が大型化したした時代によって異なる可能性がある。また、白亜紀に北半球と南半球で恐竜の種類に大きな違いが見られるのも、地理的な断絶だけではなく恒温動物のほうが有利かどうかという環境の違いが大きかったのではないか。その傍証として、南半球でも南極圏ではレエリナサウラをはじめとする小型のヒプシロホドン類が繁栄したことが挙げられる。彼らは恒温動物だったが故に南極圏で繁栄できたのかもしれない。
【羽ばたきの起源】
話が飛んでしまったが、羽毛の誕生は体温調節と密接な関係があるのだろう。
では羽ばたきができる関節の構造は何から生まれたのだろう。これには鳥とマニラプトラ類の祖先に関して2つの仮説が想定される。
@獲物を捕まえるために可動範囲が大きい関節が発達した。
A樹上など可動範囲が大きい関節を持ったほうがいい環境に住んでいた
@に関して言えば先ほど見たとおりティラノサウルスやアロサウルスなどの他の捕食動物ではそれほど関節の可動範囲を必要としなかったことを考えれば今ひとつ説得力が弱いと言わざるを得ない。一方、Aについてはマニラプトル類で樹上性のミクロラプトルの存在がある。彼らは後ろ脚にも翼があったことで有名な恐竜である。
ミクロラプトルを手がかりに関節構造の進化を考えてれば、鳥とマニラプトラ類の祖先は樹上性で枝を掴んだり、しがみつくために可動範囲が大きい関節の必要性があったと推測できる。
おそらく、ミクロラプトルは鳥とマニラプトラ類の祖先の形質を受け継いだ動物だったのかもしれない。
つまり、鳥の先祖となる恐竜はミクロラプトルのような樹上性の小型恐竜で、我々の世界の猿のように枝を掴み、幹にしがみつくために可動範囲の大きい手首や肩の関節を獲得した。また、彼らは小型で恒温動物ゆえに保温のため羽毛を発達させていた。(もしかしたらディスプレイにも使ったのかもしれない)
そして彼らは、2つの系統に分かれていった。一方は保温用の羽毛と過度範囲の大きい関節を利用し羽ばたきにより空を飛ぶことができた樹上生活者、つまり鳥類である。もう一方は地上に下りて、ドロマエオサウルス類やトロエドンといった走って獲物を捕らえる捕食恐竜になったもの。かれらはユタラプトルのような大型種を生み出すなど、総じて鳥類よりも大型化する道を選んだ。マニラプトラ類はある意味ダチョウやペンギンのような地上に降りた鳥のようなものだったのかもしれない。
4.鳥類誕生の謎
鳥が生まれる過程の仮説をこれまでみてきた。一度、整理してみよう。
@三畳紀不完全な恒温動物(子供時代は恒温性、成長後は変温、慣性恒温性)として恐竜をスタートした。
A小型のコエロサウルス類の系統は子供時代の恒温性を大人になっても維持することで恒温動物に進化した。
Bコエロサウルス類の系統は保温のため羽毛を進化させた。
Cコエロサウルス類のうち鳥とマニラプトラ類の祖先にあたる恐竜は樹上生活を送っていた
D彼らは樹上生活に適応するため、大きく自由に動く手首・肩の関節を獲得した。
E彼らの系統は以下の2系統に分かれた。
・地上に降り走ることに適応した捕食恐竜に進化したマニラプトラ類
・羽毛と関節の可動範囲を利用し空を飛ぶことができる樹上姓生物=鳥
しかし、上記の仮説にはおおきな問題があるのだ、以下それを見てみよう。
【系統樹の矛盾】
まず、最初の獣脚類へラルレサウルスを起点に鳥に至る進化の道筋を見てもらおう。
ちなみに具体的な各ステップでの進化の特徴はこちらを参照してください。
上が分岐学の手法を用い化石の特長を比較して得られた獣脚類の系統樹である。原始的な獣脚類から鳥までどのようなステップを踏んで進化がなされていって、恐竜間の系統の近さを知るのには非常に理にかなった図である。
しかし、この図には大きな問題があることをお気づきだろうか?
( )はそのグループの代表的恐竜である。例えばトロエドンは白亜紀後期、デイノニクスは白亜紀前期、オビラプトルは
白亜紀後期、最近中国で続々と発見される羽毛恐竜たちは白亜紀前期の恐竜たちである。
それで、始祖鳥はジュラ紀後期のヨーロッパに生息していた。
そこで、上の図の恐竜を表で整理してみよう。
(分かりやすくするため表のもの以外で各系統を代表する恐竜を一部追加する。)
三畳紀 | ジュラ紀 | 白亜紀 | ||
後期 | 前期 | 後期 | 前期 | 後期 |
ヘルラサウルス コエロフィシス |
ディロフォサウルス (ケラトサウルス類) |
ケラトサウルス (ケラトサウルス類) アロサウルス オルニトレステス 始祖鳥 |
カルノタウルス バリオニクス 羽毛恐竜 ディノニクス 孔子鳥 |
ガリミムス ティラノサウルス テリジノサウルス オビラプトル トロエドン |
上の表を見ると各恐竜が生きていた時代が系統樹とは無関係であることが理解できると思う。
つまりゴールに設定した始祖鳥よりも後の時代、つまり白亜紀になって鳥に近い恐竜たちが出現するのである。
この矛盾をどう解決すればよいのだろう?
一方、ケラトサウルス類のようにディロフォサウルス→ケラトサウルス→カルノタウルスと時代をおってグループ内の代表的恐竜化石が発見されている例もある。
【更なる混乱:プロトアヴィス】
上の図の問題をさらにややこしくする化石が北米の三畳紀後期(2億5000万年前)の地層で見つかっている。それがプロトアビスだ。2億5000万年前となると、コエロフィシスとほぼ同じ時代である。
プロトアヴィスは以下のような特徴を持っている。
・頭骨の構造が鳥に近い。
・骨が中空
・顎の奥の歯が消えている(これは始祖鳥よりも鳥に近い)
・羽ばたくために胸の骨が発達している(これは始祖鳥よりも鳥に近い)
・羽ばたくため大きな叉骨が発達している。(これは始祖鳥よりも鳥に近い)
・手の指が4本(ここだけ妙に原始的)
これらの特長からプロトアヴィスは始祖鳥よりも現生鳥類に近いのではと考えられている。プロトアビスの化石を三畳紀の地層に白亜紀の化石が混ざったものと考える人もいる。しかし、獣弓類など三畳紀特有の生物も同じ場所で見つかっており、白亜紀の化石が混じったと言うのは考えにくい。
ただ、プロトアビスが見つかった地域ではダチョウ恐竜とは類縁関係はないがダチョウ恐竜にそっくりなシュボサウルスも見つかっており、まるで白亜紀の生物を先取りした実験室のような場所であったらしい。
【矛盾の解決〜その1〜:BCF(Bird Came First)理論】
@始祖鳥より後の時代白亜紀に続々出現する羽毛恐竜・鳥形恐竜
A始祖鳥以前の三畳紀の”鳥”プロトアビス
この矛盾をいかに解決するか。その回答となる仮説の一つがBCF理論である。アメリカの恐竜研究家オルシェフスキーによるこの理論は単純にいうと、コペルニクス的な発想の転換である。
つまり、
鳥が恐竜から進化したのではなく、恐竜が鳥から進化した
というものである。この理論では中生代の全期間を通じて樹上性のダイノバードという鳥と恐竜の共通の祖先動物を想定する。大のバードは現生鳥類への進化を指向する一方で、一部の系統は地上に降りて恐竜に進化したという説である。この理論では上の矛盾も以下のように解決する。
@始祖鳥以後の白亜紀に鳥に似た恐竜が出現するのはなぜか。
白亜紀の鳥形恐竜は現生鳥類により近づいたダイノバードから進化したため、鳥に似た形質を受け継いでいるからに過ぎない。
A始祖鳥以前の三畳紀の”鳥”プロトアビスについてどう説明するか?
すでに鳥への進化の基本は三畳紀には終わっていた。むしろ始祖鳥のほうが古いダイノバードの形質を受け継いだ生物と考えられる。
しかし、ここまで読んでこられた方はお気づきであろう。この説では先ほど見たティラノサウルスの肩関節を説明できないことを。鳥から恐竜が進化し、すでに三畳紀に鳥の原型が出来上がっていたとすれば、何故ティラノサウルスの肩関節は鳥のように大きく動かないのであろうか。
生物の進化は一度、失った形質は二度と戻らないという性質を持っている。
ティラノサウルスの肩はこの法則に矛盾していないだろうか?つまり、鳥が持っていない原始的な形質が恐竜で復活することは考えにくい。また何よりもダイノバードの化石が見つかっていないのがこの説の重大な欠点である。
【矛盾の解決〜その2〜:恐竜ビック・バン理論】
もう一度、下の表を見てほしい。
三畳紀 | ジュラ紀 | 白亜紀 | ||
後期 | 前期 | 後期 | 前期 | 後期 |
ヘルラサウルス コエロフィシス |
ディロフォサウルス (ケラトサウルス類) |
ケラトサウルス (ケラトサウルス類) アロサウルス オルニトレステス 始祖鳥 |
カルノタウルス バリオニクス 羽毛恐竜 ディノニクス 孔子鳥 |
ガリミムス ティラノサウルス テリジノサウルス オビラプトル トロエドン |
ジュラ紀前期の化石記録が乏しいことにお気づきだろうか?じつは、三畳紀後期の大絶滅の後、恐竜がメジャー生物としての地位を確立する、ジュラ紀前期の化石記録は他の時代に比べ乏しいのである。
恐竜ビックバン理論とは
三畳紀後期の大絶滅後〜ジュラ紀前期にかけて恐竜は生態系に開いた穴を埋めるためカンブリア爆発的な適応放散を遂げていた。この過程で鳥にいたるすべての系統の恐竜がすでに出現していた。ただ、その時代の化石記録が乏しいためにそのことが分からなかっただけである。
と言うものである。
つまり、三畳紀〜ジュラ紀前期に恐竜の主だったグループはすべて出揃い、ジュラ紀の環境に適応した種族(ケラトサウルス類やテラヌタ類、竜脚類、剣龍類)から大型化を始めたと言うものである。ジュラ紀前期には、獣脚類ではダチョウ恐竜、ティラノサウルス類、マニラプトル類のもっとも初期のものはすでに存在したものの、大型化する環境に恵まれず、生態系の片隅で個体数も少なく、ひっそりと小型動物として生きていた、そして白亜紀に入って大型化できる環境に恵まれ、白亜紀に繁栄しただけかもしれない。それは、始祖鳥より後の時代白亜紀に続々出現する羽毛恐竜・鳥形恐竜が出現するのは、化石がまだ見つかっていないだけで、単なる錯覚に過ぎないと言うことである。
ここまでだと単なる推測に過ぎない。しかし、傍証として白亜紀後期の恐竜のの祖先がジュラ紀に存在した例が出てきている。一例として白亜紀後期に繁栄したアンキロサウルス類だが彼らの祖先恐竜と思われるテンチノサウルスが中国で発見されている。また、ティラノサウルス類もジュラ紀のポルトガルの地層からアヴィアティラニス・ジュラシカという祖先恐竜が発見されている。
化石記録をもっと集めれば他の系統でも同じように起源を始祖鳥以前にさかのぼることができるかもしれない。
この仮説も基本的には推測だが、
・化石が発見されていない仮想生物をおく期間をジュラ紀前期だけに限定できる点
・各グループの進化のステップと残された原始的形質の説明に矛盾が少ないこと
などからBFC理論よりも有力と考えるがいかがだろうか。
プロトアビス(シュボサウルスもそうだが)については、次のような説明ができるのではないだろうか。彼らは恐竜が爆発的に種類を拡大していく中で出現した、早すぎた先行者ではなかっただろうか。彼らは白亜紀の鳥や恐竜を先取る形質を持ちながらも、三畳紀の環境はそれを受け入れず、子孫を残すことなく絶滅してしまった、徒花であったと。
(ディノニクス全身) (頭骨アップ)
1964年、東京オリンピックの年に発見され恐竜ルネッサンスの火付け役になった恐竜である。国立科学博物館では発見者のオストロム博士の解説が聞ける。
発見時、集団とで草食恐竜の化石が一緒に発見されたため、後ろ足の鉤爪を武器に、群れで狩をしたと考えられている。確かに、頭骨を見ればカラスぐらいのことはできそうな気がする。
しかし、爪に関して言えば樹上生活者だった祖先の名残という説もある。案外、第2回で書いたヴェロキラプトルと同じように、哺乳類やトカゲなどの小動物を中心とした食生活で、たまに他の肉食恐竜の食べ残しや死体を漁っていたのかも知れない。
集団で狩をするにしても、返り討ちにするような相手を選ぶとは考えにくい。意外とオストロム博士が発見したのは死体を漁っているうちに、突発的な事故に巻き込まれてしまった群れなのかもしれない。
(最大の武器と言われる脚の鉤爪、樹上生活の名残と言う説も)
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2.第6回:国立科学博物館 新館〜恐竜の進化と絶滅〜
3.第8回:国立科学博物館〜新館:T・REXと白亜紀のプレデターたち〜
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