国立科学博物館 新館〜恐竜の進化と絶滅〜

【国立科学博物館 新館恐竜展示室】

 
(新館外観:建物としては面白くないです。)               (恐竜展示室全景:かなりの密度です。)
1999年4月に国立科学博物館の新館が旧むらさき館とオレンジ館の跡地でOPENした。そしてここの地下一階が恐竜展示室となっている。この展示は全身骨格では原始的獣脚類のヘレラサウルスをはじめに、獣脚類ではディノニクスティラノサウルス、竜脚類アパトサウルス、鳥脚類ではハドロサウルス類のヒパクロサウルスニッポノサウルス、堅頭類ではパキケファロサウルス、角竜ではトリケラトプス、剣竜ではステゴサウルス、鎧竜ではユウオプロケファルスなど主な分類群の代表的な標本を展示している。部分骨格も含めればゴンドワナや白亜紀最末期の標本もそろえており、非常にバラエティに富んでいる。
また、それぞれの展示にタッチパネル式の解説がついており世界第一線の研究者がわかりやすく論理的に自説を解説してくれ、目の前の展示でそれが確認できるのがうれし。
しかし、惜しむらくは展示室の狭さであり。標本がかなりの密度になっており角度によっては見えづらく、雑然としたところがあるのが残念である。できれば、今後展示の増強にあわせて展示室の拡大してもっとゆったりとした展示空間にしてほしいものである。
しかし、ここが日本でもトップクラスの恐竜展示施設であることは間違いない。

【恐竜とは何ですか?】

そもそも恐竜の定義は何であろうか。
むかしは、「中生代に生息した巨大な爬虫類」といわれていた。今でもそう考えている人も多い。かってドラえもんの映画で「のび太の恐竜」と言う映画が20年以上前にあった。その主人公のピー助は首長竜のフタバスズキリュウだった。首長竜は恐竜ではない。海という環境に適応した爬虫類である。恐竜ではない。しかし、20年まえは中生代のでっかい爬虫類はみんな恐竜だったのだ。

それでは現在の恐竜の定義はどういったものであろう。
現在、恐竜は一般に次のような定義がなされている。

・陸生で直立歩行をする主竜類系爬虫類(ワニなど)から進化した生物

右写真はカミナリ竜のアパトサウルスとティラノサウルスの後ろ足の写真である。この2種類は姿は大きく違うけれども、
胴体から脚がまっすぐ伸びていることがわかる。また腰の骨にももの骨をはめこむソケットのような穴が開いている。これがどの恐竜共通の特徴である。
またこれ以外にも、どの恐竜にも共通する特徴は複数(10個以上)存在する。主だったものをあげると以下のようになる。専門用語の羅列になるが容赦してほしい。
・後前頭骨の消失(頭の骨を構成するパーツが他の爬虫類より少ない)
・仙骨(腰の骨)が3個以上ある。
・肩の関節が後ろを向く
・手の形が非対称である。
・5番目と4番目の指の骨の数がが他の指より少ない。もしくは無くなっている。


これらの特長で恐竜を定義すると恐竜に近縁な翼竜やワニといった爬虫類と恐竜の線引きができる。しかし、一方で恐竜の子孫と言われる鳥類はすべて恐竜を定義する特長を持ち、理屈の上では恐竜という分類に包括される。また最近では中国を中心に羽毛を持つ恐竜、鳥類と共通の特徴を持つ恐竜が続々発見されているため、恐竜と鳥との線引きを引くことは事実上無理になってきている。

つまり、現在の恐竜の定義では鳥類は恐竜の一グループとなる。それは恐竜は6500万年前に絶滅せず、現在でも繁栄している身近な動物ということを意味するのである。

【最初の恐竜:ヘレラサウルス】
ヘレラサウルスは三畳紀後期カール期(2億3100万年前〜2億2500万年前)に現在の南米に生息したエオラプトルと並ぶ原始的な恐竜、と言うか最古の一種である。旧館に展示されているコエロフィシスは彼らよりももう少し後の時代の恐竜である。エオラプトルは獣脚類と竜脚類の共通の祖先に近い動物と言われているが、ヘレラサウルスは獣脚類に分類されている。大きさは体長2.5m、当時の恐竜としてはかなり大型である。この時代、恐竜は生態系の片隅でひっそりと生きる小型動物でしかなかった。この頃の地球を支配したのは獣弓類(哺乳類の祖先動物)や主竜類(ワニと恐竜の祖先動物)、大型の両生類達だった。恐竜は全種類全頭数を合わせても全陸上生物の個体数のうち6%しかいないマイナーな生き物だった。
しかし、彼らが誕生した直後、地球は極度の乾燥の時代を迎える。実際ヘレラサウルスが発掘されたアルゼンチンの”月の谷”という露頭ではカール期末期(2億2500万年前)を境に地層の色が極端に異なるという。ヘレラサウルスが生きた時代の地層は白い色だが、カール期末を境に地層の色が赤くなる。これは急激な乾燥化が進んだ証拠と言われている。この環境の激変で獣弓類、主竜類、大型両生類といったスタンダードな生物が大量に絶滅した。もっとも、絶滅は地域差があったようであり、南米やヨーロッパでは影響がかなり大きかったが、北米など他の地域ではそうでもなかったようである。実際、大型の両生類は南極圏で、獣弓類は日本で遥か後の時代の白亜紀前期(約1億年前)まで生き残っている。

この三畳紀の環境激変は大量絶滅を引き起こしただけではなかった。絶滅の一方で、2つの大きな出来事がおこった一つは恐竜の多様化であり、もう一つは哺乳類の誕生である。この時代、恐竜達は絶滅した動物に変わり生態系の空白を埋めていった。獣脚類だけではなく、草食恐竜の多くの系統が現れたのはこのじだいだった。いっぽう、一部の獣弓類は体毛と恒温性(体温を一定に保つ性質)を獲得し、子供を確実に残すため乳で子供を一定期間育てる能力を獲得したグループが出現した。それが哺乳類である。つまり、恐竜と哺乳類はほぼ同時期に誕生したのだ。

では、なぜ哺乳類は恐竜が絶滅するまで繁栄できなかったのだろう?
恐竜時代はその後、約1億6000万年も続いたのだろうか?恐竜と哺乳類の明暗を分けたのは何であろうか?
その答えは単純である。恐竜のほうがたまたま哺乳類より、その時代の乾燥した環境に適応していたと言うだけである。では、どのように恐竜が三畳紀の環境に適応していたのだろうか?
下ネタになるが、ヒントはトイレにある。つまり、排泄である。我々哺乳類は尿を排出する。体温調節のため汗をかく。つまり、そのことは生きていくために水を大量に必要にすることを意味する。一方、哺乳類に比べ現生の爬虫類は乾燥に強い。また現生の恐竜である、鳥は尿を出さなず糞とまとめてだす。このことから三畳紀の恐竜は哺乳類に比べほとんど水を消費しない生物だったに違いない。それ故に、哺乳類よりもよりよく乾燥した三畳紀に適応したと考えられる。

結局、恐竜はその黎明期により地球の環境に適応することで繁栄の扉をひらいた。その後、6500万年前の白亜紀末期まで、環境に合わせてさまざまな系統を生み出していく。そして、その系統の一部である鳥類は現在でも繁栄を続けているのである。

【4.サンディサイト:恐竜時代最期の日々】

(1)恐竜絶滅の謎

今度は恐竜の絶滅に関する話題である。厳密に言うと鳥も恐竜といえるので恐竜は絶滅していない。
ただ6500万年前、白亜紀末期と新生代:曉新世初期との境界線=K/T境界線で現生鳥類以外の恐竜の多くの系統が絶滅したのは事実であり、その後新生代に入って恐竜の持っていた生態系での地位を哺乳類が埋めていったのである。(ディマトリアティタニスなどの大型鳥類と言う例外はあるが・・・・。)我々はその出来事を恐竜の絶滅といいている。

それで、恐竜絶滅の原因はいろいろ言われている。

・氷河期で絶滅した。
・哺乳類に卵を食い尽くされて絶滅した。
・植物の分布が変わり草食恐竜が中毒や便秘になった
・種族の寿命が来てしまった。
・のろまだったので絶滅した
・宇宙線の影響で絶滅した
・地球の重力が重くなって絶滅した。

という突っ込みどころの多い絶滅仮説がこれまで出されてきたが、最近もっとも物証があるという点で有力な仮説が2つある。現在ではこの2つの仮説のが複合した説が最終仮説に一番近いのでは言われている。
白亜紀末期の絶滅では恐竜以外にも主なもので翼竜、首長竜などの海生爬虫類、アンモナイト、イノセラムス、歯のある鳥類、哺乳類の多くの種などが絶滅している。そのほか海洋性プランクトンの数十%も絶滅しており、地球規模での環境激変があったことが推測される。2つの仮説は地球規模の環境変化を説明できると考えられている。
その問題の仮説は以下の2つである。

@火山爆発(マントルプリューム噴出)説
白亜紀末期にインドでマントルプリューム(マントルと核の境界線から噴出してきた重金属を含んだマグマ)が大噴出して、それが原因で発生した環境変化(気候変動、海洋の後退、磁場消滅による宇宙線のダイレクトな照射、酸性雨など)が原因で絶滅した。
物証はインドのデカン高原の溶岩台地。又この仮説では白亜紀末期の海退や地磁気消滅が説明できる。
この説では恐竜は時間をかけて絶滅したと言われている。

A隕石衝突説
K/T境界線が形成された時期に地球に直径10kmの巨大隕石が激突した。隕石衝突の衝撃と急激な環境変化(いわゆる核の冬と呼ばれる急激な寒冷化)で絶滅した。

物証はK/T境界線の
イリジュウム、衝撃で生成された鉱物、ユカタン半島沖のチュラブクレーター
この説では恐竜は突然の天変地異で絶滅したと考えられる。

@Aの複合仮説では、インドの大噴火が原因で環境が悪化し、恐竜、翼竜、海竜、アンモナイトなどの生物達は数を減らし、細々と生き残った種族も巨大隕石の衝突による大災害と急激な環境悪化で止めを刺された。
@A共に物証があるので原因となった現象は起こったことは間違いない。この仮説は一番矛盾が少ない点で最終仮説に近いと考えられている。

(2)本当の所はどうなのか?〜サンディサイト:恐竜時代最後の日々〜
上記の@Aは物証があるといっても絶滅の原因となったと言われる現象の証拠というだけである。実際、白亜紀末期になにが起こったのかを確認する必要がある。しかし、陸上動物の絶滅の現場のK/T境界線を挟んだ時代を連続して確認できるポイントは世界に一箇所しかない。そこは北米のヘルクリール塁層である。残念ながら今のところそれ以外の地域では絶滅の時代に何があったかを確認することはできないのだ。

国立科学博物館ではサンディサイトという6600万年前の地層の調査をすすめている。そして、その一部の成果が展示されている。(ずいぶんと前振りが長かったなぁ)
 
(サンディサイトのから発見された化石)             (サンディサイトの植物)

サンディサイトの調査で分かったことは次に2点。
@サンディサイトでは恐竜は依然として繁栄しており、哺乳類の多様性も増しつつあった。少なくとも6600万年前のサンディサイトでは生態系の崩壊は起こってなかったと思われる。

A少し時代が進んだ6500万年前のK/T境界線を境に植物相が入れ替わっている。どうやらK/T境界線付近で植物が一度壊滅的な打撃を受ける何かが合ったらしい。

上のことから推測されるのは、恐竜はK/T境界線の直前まで繁栄をしていた。そして恐竜をはじめとする白亜紀の生態系は植物が壊滅的な打撃をうけた異変で崩壊したらしい。
つまり恐竜は徐々に絶滅したのではなく、短期間に何か天変地異のような出来事で滅亡した可能があると推測されるのである。
(サンディサイトの恐竜たち)

このサンディサイトの調査結果と火山爆発説、隕石衝突説の証拠を付き合わせると、恐竜、(少なくとも北米では)は火山爆発による環境変化にも適応して繁栄していた。しかし、隕石衝突が原因と思われる急激な環境変化(核の冬)には付いていけず絶滅したということになり、隕石衝突説が恐竜絶滅の結論ということになる。

しかし、そうは簡単に話は進まないのだ。白亜紀末期の調査が進むと次々と矛盾する情報がでてくるのだ。
例えば以下のとおりだ。

@サンディサイト以外のヘリクリール塁層では恐竜の種類は減ってきている。

7500万年前(白亜紀後期:カンパニアン期) 30属(この時代が恐竜の多様性が最高です。)
7000万年前(白亜紀末期:マーストリヒト期前期) 23属
6500万年前(K/T境界線) 7属(最期の恐竜)
暁新世初期 7属

表で見る限りでは恐竜は急激に減少している。最期まで生き残った恐竜は以下のとおり
ティラノサウルス   :(最大級の肉食恐竜)
トリケラトプス     :(角竜の中まで最大)
エドモントサウルス  :(ハドロサウルス類)
パキケファロサウルス:(堅頭類)
・テスケロサウルス  :(ヒプシロフォドンの仲間)
アンキロサウルス  :(ヨロイ竜)
ドロマエオサウルス :(マニラプトラ類ディノニクスの仲間)

これらの恐竜はそれぞれの系統でもっとも洗練された進化を遂げた種族ともいえるので、このデータだけで恐竜が絶滅に向かっていたとはいえないという考え方もある。また、恐竜の個体数も極端な偏りを見せていたと言う説もある。例えばトリケラトプスは全恐竜の個体数の80%を占めていたという情報もある。(もっともこれはたまたまトリケラトプスの化石が多く見つかっているだけという考え方ある)もし、本当だとすると生物の多様性という観点で結構異常な事態になっていて、何かの天変地異であっさりと生態系が崩れるような状況だったということだ。であれば、その天変地異が隕石衝突だと言うことになれば話は分かりやすくなるのだが・・・・・
しかし、話をややこしくしているのはこの最期の恐竜達の化石がK/T境界線をこえた新生代:暁新世からも見つかるのだ。これは白亜紀の化石が新生代の地層に紛れ込んだだけだという反論があるが、実はヨーロッパではK/T境界線から200万年後の6300万年の新生代:暁新世の地層から竜脚類:ヒプセロサウルスの骨と卵化石が見つかったという。このほか中国広東省の南雄(ナンシュン)盆地でも同じように暁新世の化石が見つかっているという。
つまり、K/T境界線を乗り越えて生き残った恐竜がいるようなのである。
このことは仮に隕石衝突があったとしても、その影響は我々が考えるほどたいしたものではなく、恐竜を絶滅させるようなものではなかったのではないかと言うことを示している。
つまり恐竜を滅ぼしたのは隕石衝突による天変地異ではなく、地球の環境を徐々に悪化させた何か、もっとも有力な説として火山の爆発による環境悪化ではないかと言うことになるのである。
結局、新生代まで生き残った恐竜も絶滅への道を引き返すことが      
できなかったというわけである。                          
                                                       (展示されているヒプセロサウルスの卵)


                                              
Aその他さまざまな矛盾したデータ
上記の恐竜の減少以外にも白亜紀末期には矛盾した火山爆発や隕石衝突などと矛盾データが次々見つかっている。

K/T境界線上での昆虫の絶滅 地上で最も多くの種類がいるといわれる動物、昆虫は白亜紀末には全体の8%しか絶滅していない。同じ白亜紀前期と後期の境目ではもっと多くの昆虫が絶滅している。このことは白亜紀末に大きな環境変化はなかったという証拠ではないのか?
隕石が衝突したと言われるユカタン半島周辺の
亀の化石記録
K/T境界線で隕石が落ちたとされるユカタン半島周辺ではK/T境界線前後で同じ種類の熱帯性の亀の化石が見つかる。彼らは冬眠ができるような大きさではない。そのことから隕石の衝突の影響はかなり限定的なものだったのではと考えられる。
白亜紀末のインドの恐竜化石 K/T境界線よりも前に火山爆発が始まっていたインドで6500万年前(K/T境界線)の地層から獣脚類のラジャサウルスなどの化石が発掘されている。火山爆発が地球規模の環境変化を起こしているのであれば、その震源地のインドで白亜紀最末期に恐竜がいるのはおかしい。実は火山爆発の影響は大きくなかったのでは?



結局、今のところ火山爆発説も隕石衝突説ももっともらしい説明を提供できるというだけである。

つまり、いまもって恐竜が絶滅した原因は分からないのである。

ちなみに私にも分かりません。これはタイムマシンーで見に行くしかないですね。


国立科学博物館:真鍋 真研究官によるサンディサイトの詳しい解説はこちら



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