かって日本で恐竜がメジャーでなかった時代、恐竜は動物図鑑の後ろにおまけで載せられていた時代があった。
その頃、日本では恐竜は見つからないといわれていた。だから地方に恐竜を展示する博物館はほとんどなかった。そんな時代恐竜を常設で展示していた数少ない施設が国立科学博物館である。
日本で最初に恐竜を展示したのはここだった。ちなみに最初に展示された恐竜はアロサウルスで、アメリカ在住の実業家から寄付されたもので、現在タルボサウルスとマイアアウラが展示されている玄関ホールに展示されていた。
二十代後半以上の世代の恐竜好きにとってここは聖地に違いない。
新館に恐竜ホールができた。そこは最新の分岐学をベースとした展示内容になっている。一方、旧館は多少のリニューアルはあるものの今でも80年代以前の恐竜の姿をみることができる。
そこは懐かしい恐竜に出会うことができる空間でもあるのだ。
国立科学博物館は今でもやはり恐竜の聖地である。
1.タルボサウルス
(玄関ホール正面より撮影) (2階より撮影)
2.マイアサウラ
(子守をするマイアサウラ) (マイアサウラを正面より撮影)
玄関ホールは白亜紀の大物が二体待ち受けている。タルボサウルスとマイアサウラである。
二体とも白亜紀後期の恐竜で、ほぼ同時代マイアサウラが北米、タルボサウルスがモンゴルにいた。当時のアジアと北米はベーリング海峡が地続きだった関係で、似た様な恐竜相だった。そのため、彼らは同士が顔をあわせることはなかったが近縁種(タルボサウルス=サウロロフス、アルーバートサウルス=マイアサウラ)と喰う食われるの関係にあったのは間違いない。
1999年に新館の恐竜ホールができるまでこの二体が国立科学博物館のシンボルだった。
もともとここにはアロサウルスが展示されていたが、その後タルボサウルスにバトンタッチ。1990年の恐竜展の後、マイアサウラが追加展示となった。最近は大きな恐竜展があるとその展示物が追加される傾向があるようだ。
玄関ホールのタルボサウルスはやや尻尾が長く、現在では廃れてしまった怪獣スタイルを継承している。本来の姿は右の中里村のタルボサウルスのような体を水平にしたスタイルなのだが、玄関ホールのタルボサウルスは元になった復元が70年代だったため、旧態依然とした怪獣スタイルでの復元となったのだ。
でも、こちらのほうがティラノサウルスに比べ華奢な印象をうけるタルボサウルスにとってはかっこよく見えるスタイルであると私は思うのだが。それは、ここの怪獣スタイルのタルボサウルスを見慣れてしまっているだからだろうか?
マイアサウラについては子育てをした恐竜として有名である。名前も”良いお母さんトカゲ”という意味である。実際の子育てを母親がしたかは不明。おそらく鳥の子育てから見ればオスメス交代で子育てをしたかもしれない。以外と名前とは反対にコウテイペンギンやダチョウのようにお父さんが子育てを担当したかもしれない。(「ファインディングニモ」みたいだね。)また、最近は巣の中の卵の数から、マイアサウラの子育てはは鳥のようなきめの細かいものではなくワニのような半分放置に近いアバウトなものではないかという説もある。たしかに子供が展示の数のぐらいで鳥のようなきめの細かい子育てをしたら、条件がよければマイアサウラの数は半端な数ではなくなるので、その説も一理あるかもしれない。
そのあたりについては、マイアサウラが生きていた環境に左右されるだろう。マイアサウラの生活を支える植物量、個体を間引く肉食恐竜の数によってマイアサウラの子育ての形は違ったかもしれない。
旧館一階の恐竜展示のトップバッターはコエロフィシスである。古竜脚類とともに三畳紀の代表的恐竜である。昔はコエロフィシスが最古の恐竜といわれていた。しかし現在、彼らは最古の恐竜というわけではない、彼らよりもより原始的な特長を持つヘルレラサウルスは新館に展示されている。
もう一つ彼らは”共食い”をした恐竜として知られている。この写真でもおなかの部分にこちゃこちゃとした小骨のようなものが見えるだろう。これは子供の骨である。このおなかの子供の骨については以下の2つの解釈がある。
@非常に厳しい飢饉のときに、親が空腹に耐えかねて子供を食べた。
Aコエロフィシスは卵を体内で孵す卵胎生だった。
骨盤の大きさが子供を生むには小さいためAよりも@のほうが有力されていたが、マダガスカルで恐竜の共食いの証拠が見つかり、@の説が俄然有力になった。ちなみに共食いをしていたのはマンジュガルストというケラトサウルス類のアベリサウルス科の恐竜である。彼らはコエロフィシスとは系統的に近いといわれているから、なんともはやである。
(横より撮影:手前はカンプトサウルス) (正面より撮影)
アロサウルスはかっては玄関ホールに展示されていた恐竜である。つまり国立科学博物館ではもっとも古い恐竜の一つである。だから当然、これもタルボサウルスと同じく怪獣スタイルでの復元である。
昔はティラノサウルスの先祖といわれていたが、現在はティラノサウルスは小型獣脚類が巨大化した種族であることがわかり、ティラノサウルスとはまったくの他人ということとなった。
昔の恐竜図鑑ではティラノサウルスがライオンで、アロサウルスが虎にたとえられていた。恐竜の番付ではティラノサウルスの次に凶暴な肉食恐竜といわれていた。
そのようなアロサウルスの紹介をするときに必ず紹介されていたのが写真の標本である。
確かに今でもアロサウルスはジュラ紀において強暴なハンターであったと考えられている。
しかし、現在の目で写真の標本を見てもこれが強暴なハンターとは思えない。なんかでっかい二本足のトカゲにしか見えない。でも子供のときは同じものを見てカッコイイと思っていたのから不思議なものである。
ちなみに現在のアロサウルスの復元は下のとおりである。(写真は林原ダイノソアファクトリーのもの)
こっちだったら凶暴な肉食恐竜というのも納得だね。
ちなみに一緒に展示されているカムプトサウルスは、アロサウルスと同時代ジュラ紀後期の北米に生息した鳥脚類で、白亜紀に繁栄したイグアノドンやハドロサウルス類の祖先に当たる恐竜です。同じ時代のディプロドクスやプラキオサウルスなどの竜脚類のような巨大さも、ステゴサウルスのような派手さはない。そのため真っ先にアロサウルスの胃袋を満たした獲物だったのだろう。しかし、後の恐竜の進化を見るうえで重要な恐竜である。
私が子供の頃の恐竜図鑑には「ゴルゴ13」から連想する殺し屋のイメージとは裏腹に、ゴルゴサウルスはぐうたらで、ティラノサウルスの食べ残した腐肉を漁る情けない恐竜として紹介されていた。その根拠はティラノサウルスに比べあごの構造が弱く、歯が小さく数も少ないというものだった。そして、いつの間にかアルバータサウルスと同じ種類ということで恐竜図鑑から消えてしまった。
しかし、恐竜研究の進展によりゴルゴサウルスは復活した。殺し屋恐竜として。まず、ゴルゴサウルスとアルバータサウルスの比較により、ゴルゴサウルスの目が横向きについていることから、両者は別の恐竜となった。またティラノサウルスに比べあごの構造が弱く、歯が小さく数も少ないという点は現在では、獲物の違いと説明されている。ティラノサウルスは骨の頑丈な角竜や竜脚類も獲物とし、ゴルゴサウルスはもっぱらマイアサウなどのハドロサウルス類を獲物にしていたといわれている。逆にティラノサウルスの頑丈なあごは狩のためではなく、腐肉を漁るとき骨まで砕くためのものだとか、ゴルゴサウルスのような中型のティラノサウルス類か獲物を横取りするための戦いのため発達したといわれています。過去とはティラノサウルスとゴルゴサウルスは立場が逆になり、そこにも時の流れを感じます。ちなみにこのゴルゴサウルス、最近脳腫瘍に苦しんでいた個体の化石が見つかり話題になっています。詳しくは→こちら。
国立科学博物館旧館の恐竜展示は90年代に一部リニューアルされたが、80年代以前の古い恐竜展示も残っている。
そう、あなたが二十代後半以上であれば子供の頃カッコイイと憧れ、いつの間にか図鑑から姿を消したあの雄姿に、今でも会えるのである。科学教育の観点としては時代に合わない展示は問題だが、ノスタルジーという意味ではぜひ残してもらいたいものである。もし、旧館を前面リニューアルするする場合は化石から過去を復元する難しさの一例として古い復元の恐竜を残してほしいと思う。
いか、かって少年の日々あこがれた恐竜の姿を見てみよう。
(襟巻きのないエリマキトカゲのようなオルニトレステス) (胴長短脚で前足がガニまたなステゴサウルス)
(ティラノサウルスの頭骨と口裂けなトリケラトプス、トリケラトプスの頭骨。上はプテラノドン。奥が魚竜)
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2.日本恐竜紀行第4回:恐竜王国中里〜恐竜の足跡〜
3.日本恐竜紀行第6回:国立科学博物館〜新館:恐竜の進化と絶滅〜