日本紀行第3回:恐竜恐竜王国中里〜神流町恐竜センターその3〜モンゴルの恐竜達

神流町恐竜センターは日本でも有数のモンゴル産恐竜のコレクションをそろえている。
今ある恐竜は1996年7月から1997年12月末まで開催された「モンゴル恐竜化石特別展」で展示されたもののレプリカである。しかし、闘争化石をはじめどれも小さいながらも日本でここでしか見られないものばかりである。
これは旧中里村の地域振興のため努力の賜物であり。小型だが貴重な恐竜をモンゴルから連れてきたコンセプトの勝利である。その詳しい経緯については「小さな村の大きな挑戦」をご参考してほしい。
とにかく恐竜好きならば一度は行くべきであろう。

【ホマロケファレ・カラソケルコス】

 
(ホマロケファレ全身骨格)              (頭骨アップ)

ホマロケファレは堅頭類(石頭恐竜)の一種で、有名なパキケファロサウルスがドーム状の頭をしているのに対して、平べったい頭をしているのが特徴。彼らは群れの中で頭を押し付けあう「押し相撲」で順位を決めていたのではと言われている。これは現在のヤギの生態から推測されている仮説である。本当のところはどうなのだろうか?
またこの恐竜の特徴は腰の骨の幅が他の恐竜に比べ異様に幅広になっていること。これらは頭を押し合う「押し相撲」で踏ん張るためと言う説と卵胎生(お腹の中で卵を孵す。見た目は哺乳類のように子供を生む)だったのではという説がある。
個人的には、科学的ではないが卵胎生説を採りたい。
子供を生む恐竜っていうのはとってもWanderじゃないですか。
ちなみに堅頭類(石頭恐竜)の全身骨格が見れるのは私の知る限りでは国立科学博物館のパキケファロサウルスとここのホマロケファレだけである。

(左はホマロケファレの復元図)

  

         


【原始的な角竜の仲間:プシッタコサウルス・モンゴリジェスとバガケラトプス・ロジェストヴィンスキィ】

 
  (プシッタコサウルス:正面より撮影)                      (バガケラトプス:正面より撮影)

続いては原始的な角竜の紹介。
プシッタコサウルスとバガケラトプスである。プシッタコサウルスは白亜紀前期の恐竜で原始的な角竜の仲間である。
”オウムトカゲ”という名前のとおり、オウム上の嘴と頬骨の出っ張りが特徴。まだ二足歩行形態であり、角竜の進化は
嘴と頬の特殊化からはじまったということが理解できる。おそらく食べる植物の特殊化が原因ではないだろうか?
バガケラトプスは白亜紀後期、実はプロトケラトプスよりも後の時代の恐竜で化石では分かりにくいが鼻先に小さな角がある。しかし角竜のもう一つの特徴のエリ飾りが発達してなく、手足の爪も他の同時代の角竜が蹄であるのに対して一部鉤爪になっているなど原始的な特徴を備えている。不思議な恐竜である。
ちなみにこの2種類の恐竜を見れるのも日本でここだけである。

【白亜紀前期のダチョウ恐竜:ハルピミムス・オクラドニコビとグルジミムス・ツル】
 
            (ハルピミムス)                              (グルジミムス)

続いて紹介するのは白亜紀前期のダチョウ恐竜、つまり山中竜の仲間である。
まずハルピミムス。これは山中竜と同時代のダチョウ恐竜であり、その仲間では原始的な仲間である。写真では分からないがこの恐竜は口の先に小さな歯が並んでいる。ダチョウ恐竜は後の時代の多くの種で歯が退化している。
白亜紀前期ハルピミムスよりも古い時代ヨーロッパに生息したペレカニミムスには細かい歯が200本以上ある。これはダチョウ恐竜は初期には歯を持っていて時代が経るごとに歯をなくす方向に進化していったとということが伺える。
ハルピミムスは背骨が思いっきり曲がっているがこれは死後背骨の腱が収縮し弓反りになるため。展示では意図的に
それを残したままにしてるとのこと。
グルジミムスは新種の恐竜であり。まだどの恐竜図鑑にものっていない。東京学芸大学の調査で発掘されたという。
この恐竜はダチョウ恐竜の基本形を維持しているものの他のダチョウ恐竜に比べ非常に小さいことが印象に残った。

【白亜紀後期のダチョウ恐竜:ガルディミムス・ブレヴィペスとガリミムス・モンゴリジェス】
 
            (ガルディミムス頭骨アップ)                   (ガリミムス;後方より撮影)
 
     
  (ガリミムス:側面アップ)                     (ガリミムス:正面より撮影)
この恐竜センターの特長の一つはダチョウ恐竜の展示の充実である。山中竜がダチョウ恐竜の仲間と言うことが
背景にあるのだが、とにかく間違いなくここほどダチョウ恐竜の全身骨格をそろえた施設は日本にないといっていいだろう。ここで紹介するのは白亜紀後期のダチョウ恐竜である。ガルディミムスガリミムスと似た様な名前の恐竜である。
ガリミムスはダチョウ恐竜でも最大の部類にはいる。ちなみに断片的な化石記録では腕だけ発見されているディノケイルスが最大と言われているが、腕だけの化石なのでなんともいえない。ダチョウ恐竜全般に言えることだが、彼らは高速で走ることに特殊化し、また獣脚類でありながら草食へと進化した種族である。とくにここに展示されているガリミムス・モンゴリジェスは雑木林に適応したものと言われている。
ガルディミムスは親指の骨が残っているなのどガリミムスより原始的とのこと、また腰骨の大きさからガリミムスよりも足の筋肉が少なく、早く走れなかったとのこと。ただ展示された骨格を見た限りではそこの差はすぐにはわからなかった。
ガルディミムスのほうが頭骨の状態がよかったのでアップで撮影。鳥の頭骨に非常に似ていることがよくわかる。
ダチョウ恐竜が生きていた時に鳥のような羽毛が生えていたら長い尻尾をもった鳥のようにみえただろう。
ダチョウ恐竜については白亜紀前期にオーストラリアからティミスと呼ばれる恐竜の断片的な化石が発見されている。これからダチョウ恐竜は南半球に起源を持つと言う説もでている。足の骨の特長からティラノサウルストロエドンと共通の先祖を持つのではと言われている。また鳥との関係については外見が鳥に似ているのもかかわらず細かい骨格的な特長はティラノサウルスやヴェロキラプトルのほうが鳥に近いというから驚きである。

【恐竜の卵】
恐竜の卵がモンゴルでは多数発見されている。実は世界で最初の恐竜の卵が発見されたのはモンゴルなのだ。1920年代に行われたアメリカ自然史博物館の
遠征隊の発掘にによって恐竜が卵で繁殖することが証明されたのだった。
ちなみにこのときの遠征隊がインディージョーンズのモデルとなたと言うが本当なのだろうか?

この恐竜の卵はモンゴルで発見されたもので最大級との事である。一般に獣脚類の卵は細長い形をしている。この恐竜は丸い卵なので獣脚類ではないのかも知れない。こいつの親はどんな恐竜なのだろうか?展示では特に触れてはいなかったが、モンゴルでは竜脚類やハドロサウルス類のサウロロフスなどがいるが彼らが親なのだろうか。
またモンゴルでは大型の卵は固い地層から、小型の卵を当時砂丘だった地から発見されるという。繁殖地域に恐竜ごとにすみわけがあったといわれている。


【夜を駆けるサウロルニトイデス・ジュニア】
次に紹介するのはサウロルニトイデスである。
頭骨だけの展示だが、隣にヴェロキラプトルの頭骨があり大きさが比較できる。
思ったよりも大きい。またヴェロキラプトルよりも目の入る穴が大きい。またこれを正面から見ることもでき。目が正面を向いていたことも確認できる。相当、目が発達した恐竜だったのだろう。また特徴的なの後頭部脳が入っていた部分も大きい。ここがサウロルニトイデスを含むトロエドン類の特長である。彼らは恐竜の中で脳が非常に発達した仲間なのだ。目が発達したことと脳が発達したことには密接な関係があるのだろう。オーストラリアで発見されたレエリナサウラは南極圏の冬の暗闇を生きるために鳥脚類としては目と脳が発達していたという。ヴェロキラプトルのところでも触れたが当時のモンゴルはトカゲや哺乳類などの小動物が生態系の底辺を支えていた。ヴェロキラプトルとサウロルニトイデスは同じようなライフスタイルをしていたが、時間帯ですみわけをしていたのではないだろうか。昼はヴェロキラプトル、夜はサウロルニトイデスとといった感じに当時の哺乳類は夜行性のものが多かったという。サウロルニトイデスはそんな夜行性の哺乳類を主食にしていたのだろうか?きっと獲物を求め夜の闇を駆けるために目が発達し、脳が進化したのだろう。与太話になるが蛇やトカゲやカラスを極端に嫌う人は遺伝子レベルでトロエドン類に追われた記憶があるからだという。非科学的な言説であるが、白亜紀の哺乳類にとって彼らが鬼や悪魔のような存在だったというのは大いにありうる話である。

サウロルニトイデスを含むトロエドン類にはもう一つ有名なエピソードがあり、彼らが白亜紀末の大絶滅を生き残れば、人間のような知的生物、恐竜人類に進化したという話である。
人間以外の地球の生物が知的生物に進化するというこの話は非常に知的好奇心をそそる話題である。本当に、トロエドン類が知的生物に進化したかどうかは疑問が残るが、この話は人間にはなにか、知性とは何かと言うことを考える上で興味深い話である。また、知性はどのように進化するのか、知性をもたらす条件とは何か、それは宇宙で普遍的なものなのかという地球外知的生物を考える上でも興味深い。与太話としてではなくもう少し真剣に検討してみる必要があるのでは。


【鳥?恐竜?:モノニクス・オラクラヌス】

 
       (モノニクス骨格)                    (モノニクス復元図)

モノニクスである。
この化石は闘争化石と並んで恐竜センターのメイン展示である。ちなみに日本ではここだけでしか見られないだろう。
であるが、非常に小さい。大きさは鶏ぐらいしかない。また骨格からうける印象も
鶏に近い。その印象を感じさせるのは手であろう。この恐竜の手には1本の爪しか生えていないのである。そのため恐竜と手というよりスパーで売っている手羽先を連想させる。いったい何故この恐竜は爪が一本しかないのだろうか?そもそもこれは恐竜なのだろうか?そんな疑問が頭を浮かんでくる。
また化石をよく見ると以外と胸の骨が発達していることに気が付く。あの手羽先のような手に空を飛べるような翼があったとは思えない。しかし、モノニクスは恐竜ではなく地上に下りた恐竜に似た鳥だったのではないだろうか。
実際、研究者の間でもこれが恐竜か恐竜に似た鳥なのかという論争があったという。
結局のところ林原自然史博物館(ダイノソアファクトリー)とモンゴルの合同調査隊が1998年に発掘したシュブウイアというモノニクスの仲間の恐竜に2本目と3本目の指(2本ともとっても小さくなっている)が確認され、またここの化石にはない尻尾の骨の特長からモノニクスは鳥ではなく恐竜であると言う意見が強くなっているとのことである。

*補足
私も今年の夏にシュブウイアの標本をダイノソアファクトリーで見てきました。確かによく見ると一本だけ大きい爪の周りに非常に小さい指が確認できました。ただ、シュブウイアはモノニクス以上に小さく、一見した印象はフライドチキンの食べかすが化石化したようにしか見えませんでした。素人目ではシュブウイアが恐竜か鳥かを見分けるのは難しいと思います。とにかく、小さな化石から進化のなぞを解いていく古生物学者の根気には頭が下がる思いです。
シュブウイアについては下記のURLが大変参考になります。
林原自然史博物館プレリリース:http://www.hayashibara.co.jp/hotnews/press/2002/mononikusu.html

【卵泥棒?貝喰い?:インゲニア・ヤンシニ】
     
 (インゲニア:正面から撮影、胸にU字型の叉骨が確認できる)           (インゲニア正面から撮影)

ライブシアターではオビラプトルが出演していたが、骨格が展示されているのは近縁のインゲニアである。
インゲニアはオビラプトルの子供と考えられていた時期もあったが結局別の種類の恐竜であるということが後にわかった。
子供と思われていただけあって大きさは柴犬程度でそんなに大きくない。
胸にはU字型の叉骨がある。叉骨は鳥が羽ばたくときにバネとして使う骨であり、鳥の骨の特長の一つとして挙げられる。
インゲニアがそれを持っていることからオビラプトル類は系統上鳥に近い恐竜として考えられている。そのようなことからオビラプトル類、特にインゲニアは恐竜図鑑で鳥のような復元をされることが多い。

インゲニア、オビラプトルに限らず当時のモンゴルはこれ迄紹介してきたヴェロキラプトル、サウロニトイデス、モノニクス、ダチョウ恐竜など鳥に似た恐竜達が数多く生息していた。またほかにも大型の草食獣脚類のテリジノサウルスも羽毛が生えていた可能性が指摘されている。もし、タイムマシーンで当時のモンゴルを訪れたならば、そこはきっと鳥の王国に見えただろう。もしプロトケラトプスや鎧竜のサイカニアがいなければ、モンゴルは恐竜らしい恐竜がいない退屈なポイントとして時間旅行社から敬遠されるかもしれない。

オビラプトルはちょっと前までの恐竜図鑑では他の恐竜の卵を主食としていたと書かれていたが、いまではそれは間違いとされている。何故そうなったかというのは、これまで彼らは卵と一緒に発見される場合が多かったのだが、それは他の恐竜の卵を盗んでいたのではなく、自分の卵を温めているうちに天変地異(砂嵐や鉄砲水)が原因で化石になったということがわかったからだ。彼らと一緒に見つかった卵を詳細に調べた結果、卵の中からオビラプトルの子供が発見され、それが決定打となった。(このとき同じくヴェロキラプトルの赤ん坊も発見されたので、ヴェロキラプトル托卵説が生まれた。)
余談であるが、卵を温める習性はより彼らが鳥に近いと言うイメージを植えつけることとなった。

そもそも、季節食品である卵を主食にする説そのものがナンセンスである。しかし、それは彼らが何を食べたかまったく見当が付かなかったことの裏返しである。彼らは嘴が発達していたが鳥と同じく歯がなくなっている。頭骨の構造から固いものを割ることはできたと推測されている。それならば、卵と一緒によく見つかるので彼らは卵を食べることに適応した進化をしたに違いない。
そういった理屈で卵主食説は生まれたのだが、先に述べた発見により卵と一緒に見つかることは彼らの食生活とは関係ないことが判明した。そこで再び、彼らが何を食べていたのかわからなくなってしまったのだ。
一つそれに関して面白い仮説がある。当時のモンゴルは高温乾燥の砂漠気候であったが、砂漠を流れる河やオアシスがあり砂漠と水郷地帯が混じりあったような、今のエジプトやイラク一部のような環境だったという。オビラプトル類は繁殖は外的がよりにくい砂漠地帯で行うだけで、本来彼らは河やオアシスの水郷地帯で貝を主食にしていたのではという説である。
確かに、モンゴルでは砂嵐や砂丘の崩壊が原因と思われる恐竜化石が見つかる一方で淡水性の二枚貝の化石も多く見つかっている。この説は当時の環境と頭骨の特長を考えると結構説得力がある説かもしれない。

しかし、最近発見されてインキシヴォサウルスという原始的なオビラプトル類の恐竜は、植物を食べるための歯をもっていたことがわかった。また、オビラプトル類と植物食のテリジノサウルス類が近縁なのではという説もある。さらに当時、植物食ではと思われるダチョウ恐竜もモンゴルには数多く住んでいた。これらのことからオビラプトル類も貝喰いではなく単なる草食動物だったのかも知れない。
(そうなるとヴェロキラプトル托卵説はどうなるのだろうか、ヴェロキラプトルは巣立ちまではベジタリアンなのか?それとも生まれてすぐオビラプトルの赤ん坊をを食べるのだろうか?どれも不自然だなぁ。)

【恐竜らしい恐竜:サイカニア・クルサネシス】
 
      (サイカニア:正面より撮影)                         (サイカニア:全身)         

ようやく大物の登場である。サイカニア、鎧竜アンキロサウルス科の恐竜である。
つい最近まで日本では鎧竜の全身骨格を見ることはできなかったのだが、今では北米産のエウオプロケファルスエドモントニアの骨格を東京で見ることができる。しかし、モンゴル産の鎧竜はここでしか見られない。
実は、モンゴルは鎧竜が数多く発見されている。鎧竜ではサイカニア、ピナコサウルス、シャモサウルス、タラルルス、タルキア、ツァガンデギア、ゴビサウルスなど多くの尾の先にハンマーを持つアンキロサウルス科の恐竜達がいた。アンキロサウルス科のうちモンゴル産が占める割合は非常に高い。尻尾にハンマーのないノドサウルス科の鎧竜は今のところモンゴルから見つかっていない。よほど、白亜紀後期のモンゴルはアンキロサウルス科の恐竜たちにとって住み心地のよい環境だったのだろう。

彼らアンキロサウルス類の生態については正反対の2つの説がでている。水生動物説と砂漠生活説である。
水棲動物説はその幅広の胴体や骨の形が水生生物に近いこと、海に体積した地層から鎧をひっくりかえった形で化石が見つかることを根拠にカバのような生物だったのでは考えている。砂漠生活説では頭骨内部の複雑な気道を根拠ににこれが乾燥に対する適応であると考えている。また、モンゴルでピナコサウルスの幼体が砂漠の地層で大量に発見されていることも砂漠生活説の有力な根拠である。両方ともそれなりに根拠がある説である。しかし、何度も言っているように当時のモンゴルは砂漠と水郷地帯がミックスした気候であった。勝手な想像であるが、もともと砂漠性のアンキロサウルス類は水生動物としてのポテンシャルがあり、モンゴルの水郷地帯で水生生物としての適応を遂げたものもいたのだろう。そして、水生生物として適応を遂げた一部がベーリング海峡経由で湿潤な北米大陸へ移住したのではないだろうか。

ところでタイムマシーンで当時のモンゴルへの旅行を企画した場合、アンキロサウルス類はきっと人気ものになるだろう。なぜならタルボサウルスが出てくる時代になると大きな恐竜はいるが、ティラノサウルスやトリケラトプスといったスター恐竜がいる白亜紀末期マーストリヒト期の北米に恐竜相が似ており、大型の角竜がいないぶん見劣りするだろう。もし、モンゴルらしさをを求めるならばヴェロキラプトル、プロトケラトプスがいた時代となるだろう。しかし、この時代の恐竜は紹介してきたとおり小型で鳥にそっくりなものが多い。その時代のモンゴルは鳥の王国なのだ。そんな中で、恐竜らしい恐竜を求めるとなると群生せいているプロトケラトプスを除くと、アンキロサウルス類の恐竜達になるだろう。もちろんハドロサウルス類や少数の竜脚類もいるが、彼らのいかついごつごつした姿は旅行客を喜ばせるに違いない。
鳥へと進化する獣脚類から見ればもっとも特殊化が進んだ恐竜であるアンキロサウルス類が、恐竜らしい恐竜というのは面白いことである。

【モンゴル恐竜のシンボル:タルボサウルスバータル】
 
          (タルボサウルス全身)                          (頭骨アップ)

 
(タルボサウルス:背中から撮影サイカニアを襲うように見える)        (タルボサウルス;やや引き気味で撮影)

いよいよタルボサウルスの登場である。モンゴルの恐竜というとサウロロフスとプロトケラトプスと並んで代表格である。
人気の要因はこのタルボサウルスが"ほぼティラノサウルス”という外見にあるだろう。あまりティラノサウルスの骨格が発見されていなかった90年代以前、日本で全身骨格が見れるティラノサウルと言えばタルボサウルスだった。
また、タルボサウルスがティラノサウルスと同じではないかとの説もあったが、タルボサウルスの方がティラノサウルスよりもやや古い時代に生息していたにもかかわらず腕が退化している点、頭骨の形が微妙に違う点から別な種類で、ティラノサウルスとは共通の先祖をもつ兄弟みたいなものだろうと言われている。

確かに、左のティラノサウルス(ダイノソアファクトリーのスタン)と比べるとタルボサウルスのほうが全体として華奢な印象を受ける。写真ではわかりにくいがタルボサウルスはティラノサウルスに比べ一回り小さい。
これは両者の獲物の違いだと言う説がある。
アジアに生息したタルボサウルスの獲物はサウロロフスやニッポノサウルスといたハドロサウルス類をおもな獲物にしていたのに対して、ティラノサウルスはハドロサウルスも獲物にしていたものの、当時生息数が多かったトリケラトプスなど大型の角竜も獲物にしなければならなかったため大型化したというのだ。またティラノサウルスは死体を漁るスカベンジャーだったと言う説もあり、他の肉食恐竜から獲物を強奪するため、効率よく栄養をとるため骨まで食べたためティランサウルスが異常に巨大化したという考えかたもある。
動物の足の速さは腿と脛の骨の長さの比率でわかると言う。タルボサウルスとティラノサウルスを比べてみるとタルボサウルスのほうが脛の骨が腿の骨より長い。体の大きさからみてタルボサウルスのほうがティラノサウルスよりも速く走れたのだろうし、どちらかと言うとハンターとしての傾向が強かったのではないだろうか。
また、あまり実際的ではないがタルボサルルスとティラノサウルスが戦った場合はパワーでティラノサウルスの勝ちということになるのでないだろうか。もし、ティラノサウルスが強奪方のスカベンジャーだとすればタルボサルルスは尻尾を巻いて逃げ帰るしかないだろう。                                  


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2.日本恐竜紀行第2回:恐竜王国中里〜神流町恐竜センター その2〜ヴェロキラプトル情けない動物説

3.日本恐竜紀行第4回:恐竜王国中里〜恐竜の足跡〜

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【おまけ】
トップ絵にも使ったこの写真。
実はこの展示室にはモンゴルの民族衣装で記念撮影をできるコーナーがあるのですが、やはり他人の目は気になるもの誰もそこを利用する人はいませんでした。
しかし、チャンス到来。たまたま私たち家族以外展示室に人がいなくなりました。
そこで急いで衣装を着込み、人がいないのをいいことにタルボサウルスの前で記念撮影となったわけです。

これを撮影した父いわく

「里帰りした旭鷲山関みたいだな」


とのこと。
朝青竜でないのがミソです。